帷子川水系を訪ねて ~part1.西区

 今日は帷子川水系を尋ねました。帷子川水系は大岡川水系とともに横浜港のみなとみらい地区に流入する2級水系ですが、マップを作ってみると予想以上に流域が広範囲で、一日ではとても廻りきれませんので、今日は、西区を中心にみてきました。
帷子川水系を訪ねて part.2 帷子川から今井川へ part.3 分水路分流堰まで part4.菅田川、くぬぎ台川、市沢川
【水系マップ】帷子川  大岡川  入江川・滝野川  宮川・六浦川  侍従川  鷹取川


【帷子川本流】

 河口付近
 みなとみらい橋
 JR高島線
 みなとみらい大橋
 はまみらいウォーク
 築地橋
 万里橋
 京急本線
 京浜東北線
 元平沼橋


【帷子川分水路】

 横浜駅ポートサイド人道橋(ヨコハマベイウォーターウォーク)
 金港橋
 月見橋
 内海川跨線人道橋
 はまレールウォーク
 鶴屋橋
 西鶴屋橋
 北幸橋
 二の橋
 水門
 楠ポンプ場
 楠橋跡


 西鶴屋橋(ささやきのきこえる橋)
この西鶴屋橋は自然の「林」をイメージしてつくられました。高欄からは、樹々のささやきのような音が聞こえてきます。これは、橋の振動と周囲の音に微妙に反応して音を奏でる独自のシステムによるもので、喧騒の中で耳を澄ませたときに初めて、すずやかな響きが聞こえてきます。
この橋を通じて、日々の生活の中で忘れかけていた心がよびさまされることを根買っています。
               横浜市
               横浜駅西口周囲地区整備懇談会
               横浜駅西口振興協議会


【石崎川】

 京急本線
 浅山橋
 ふれあい歩道橋
 高島橋
 敷島橋
 石崎橋
 梅香崎橋人道橋
 梅香崎橋
 京急本線
 平戸橋
 西平沼橋
 扇田橋
 要橋
 浜松橋
 JR(東海道本線、上野東京ライン、湘南新宿ライン、横須賀線)、相鉄本線
 石崎川分流地点


平沼新田
 帷子川下流地帯の新田のうち、江戸時代末期に開かれたのが平沼新田です。新田開発に尽力した平沼家は常陸(茨城県)の出身で、明暦年間(1655~1658)に保土ケ谷宿に移って代々造酒業を行っていたので、この新田を麹屋新田ともいます。明治9(1876)年には、五代目平沼久兵衛らの手により埋立てが竣工します。七代目久兵衛は弘化元(1844)年に保土ケ谷宿で生まれ、文久3(1863)年、20歳のときに平沼新田に移住し、新田開発のかたわら製塩業も営みました。明治中期頃からは、発電所や貯油所などの工場が進出し、新田一帯は、日本の近代化の一端を担いました。


The Hiranuma Shinden
 Of the shinden (land newly cultivated in the late Edo period) downstream of the Katabira River, the Hiranuma Shinden was developed at the very end of the Edo period. The Hiranuma family that worked to develop this shinden was from Hitahi, Ibaraki Prefecture, moved to Hodogaya-jiku between 1655-1658 (the Maeireki period) and ran a sake brewery over several generations, so this shinden was also called Kojiya Shinden (koji mold being integral to sake brewing). The landfill was completed in 1876 (Meiji 9) at the hands of fifth-generation kyube Hiranuma and others Seventh-generation Kyube was born in 1884(Koka 1) in Hodogawa-juku, moved to the Hiranuma Shinden in the salt industry alongside the family`s shinden development. The shinden area played a definite role in Japan’s modernization, as from around the middle of the Meiji period, power plants, oil depots and other factories began to population the area.


【新田間川】

 烏帽子田橋
 藤江橋
 藤江人道橋
 霜下橋
 霜下人道橋
 浅岡橋
 岡野橋
 新田間橋
 一之橋


【幸川】

 内海橋(うつみはし)
 内海人道橋
 幸川橋
 南幸橋
 幸橋
 相鉄ジョイナス荷捌所出入口
 相鉄ジョイナス駐車場出入口
 帷子川合流点


横浜市河川図, Accessed:2022-10-22横浜市、西区の橋, Accessed:2022-10-23.
横浜市環境創造局環境科学研究所(2009)横浜の源流域環境、p.80, URL: https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kankyohozen/kansoku/science/shiryo/, Accessed:2022-10-22.
横浜市、だいちゃんマップ(横浜市行政地図情報提供システム), URL: https://wwwm.city.yokohama.lg.jp/yokohama/Portal, Accessed:2022-10-22.
横浜市(1996)横浜橋めぐり坂あるき、市民グラフヨコハマ No.95、64p.


【神奈川宿歴史の道】など
 本日、帷子川の河口付近を起点とするにあたって神奈川駅で下車。駅を利用することは滅多にないものの、いつも歩きなれているこのエリアですが、これまで通り過ぎるだけだつた普門寺で、ちょっと気になる墓碑をみかけました。神奈川区誌にも特段の記載はないようですが、修験者姿の線刻が刻まれており、この寺の住職だった方なのかも知れません。


 イチョウ Ginkgo biloba 横浜市指定名木古木 No.48049(眞色山清浄之院甚行寺:青木町-10)
 クスノキ Cinnamomum camphora(洲崎山功徳院普門寺:青木町3-18)
 福嶋藤四郎の碑
 洲崎大神:青木町5-29
 金光教神奈川教会:青木町6-25
 宮前商店街
 ウミガメをデザインした街灯
 滝の橋(国道16号線)
 アケビバナナ Musa velutina
 綿花橋北詰:神奈川区神奈川1丁目1番地
 ウチワサボテン Opuntia vulgaris
 滝の川から見たJR高島線鉄橋
 ホソバウンラン Linaria vulgaris
 クロガネモチ Ilex rotunda
 コイ Cyprinus carpio(浅山橋)
 キイロヒメノウゼンカズラ Tecomaria capensis ‘Aurea’
 ネリネ Nerine sp.
 カリガネソウ Tripora divaricata
 Pigrone:平沼1丁目36
 キダチチョウセンアサガオ Brugmansia suaveolens
 ウスカワマイマイ Acusta sieboldtiana


◎神奈川宿歴史の道
 東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸幕府の道中奉行が作った『東海道分間延絵図とうかいどうぶんけんのべえず』である。図の中央に滝ノ橋、この橋の右側に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。折れ曲がったあたりが台町だいまちである。ここ神奈川駅は、折れ曲がった道のすぐ右にあたる。明治五年の鉄道開通の際に設けられた神奈川停車場はすぐこの南側に位置していた。そのため神奈川駅は宿名前を今でも残している。平成四年の改築にともない、京浜急行の協力のもと、神奈川宿歴史の道にふさわしい和風で瀟洒なデザインの駅舎に生まれ変わった。
 ここ神奈川が一躍有名になったのは安政元年(一八五四)の神奈川条約からである。開港当時、この図にみられる多くの寺が諸外国の領事館などに充てられた。神奈川宿歴史の道はほぼこの図の範囲を対象に東は神奈川通東公園から西は上台かみだい橋に至るまでおよぞ四キロの道のりとなっている。


甚行寺じんぎょうじ
 甚行寺は、眞色山しんしきざんと号し、浄土真宗の高田派に属す。明暦二年(一六五六)第一世意圓いえん上人が本山専修寺
の第一四世堯秀ぎょうしゅう上人を招いて、この寺を草創したと伝えられる。
 開港当時、本堂は土蔵造であったが、フランス公使館に充てられたといわれている。
 大正十二年の関東大震災にはすべての建物を倒壊焼失し、さらには昭和二十年の横浜大空襲にも再度全焼した。その後、昭和四六年本堂・客殿を鉄筋コンクリート造で再建し、現在に至っている。


◎普門寺
 普門寺は、洲崎山と号し、真言宗智山派に属す。山号の洲崎は洲崎大神の別当寺であったことより起こった。また、寺号の普門は洲崎大神の本地仏である観世音菩薩を安置したことにより、観世音菩薩が多くの人々に救いの門を開いているとの意味である普門とされたと伝えられている。
 江戸時代後期には、本堂。客殿・不動堂などの建物を持ち、開港時にはイギリス士官の宿舎に充てられた。


福嶋藤四郎の碑

福嶋藤四郎者長野縣上
伊那郡伊那富村字宮木
産也生而温厚以奉神佛
入念不淺矣年自十二信
仰馰ヶ嶽摩利支天十六
歳而圀于神扽号松徳行
者焉二十四歳而重圀于
神扽賜荒瀧不動之名稱
爾来年辛酸修行非平凢
之此焉明治十五年七月
専卜居於横濱設立開闢
講遂行年七十四永眠矣

【注】伊那富村:現上伊那郡辰野町
   馰ヶ嶽:甲斐駒ケ岳(2967m)
   摩利支天:甲斐駒ヶ岳の南東に位置する摩利支天(2820m)。神仏としての摩利支天(Mārīcī)は、陽炎を神格化したヒンドゥー教の女神で、眷属であるイノシシに乗った像形が多い。


◎洲崎大神
 洲崎大神は、建久二年(一一九一)、源頼朝が安房国(現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して祀ったことに始まると伝えられている。
 「江戸名所図会」の様子は、今も石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができる。神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に突き当たるあたり。そこが、かつての船着場である。横浜が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となり、付近には宮ノ下河岸渡船場と呼ばれる海陸の警護に当たる陣屋も造られた。

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