【三浦半島の八景巡り】
茅ヶ崎八景は、江戸時代末期(慶応年間)に武蔵国都筑郡茅ヶ崎村で、岸宇作により撰された八景です。この八景は、ほぼ瀟湘八景型と言えますが、内陸地のためか帰帆を欠いており、代わりに松が入っています。
【茅ヶ崎八景】
四五六峠の夜の雨
観音の晩鐘
正庵の一本松
大塚の青嵐
城山の秋の月
谷の中の螢と堅田の落雁
清水の夕照
境田の暮雪
当該地が1939年から1994年までの半世紀あまりの間、横浜市港北区茅ヶ崎町となっていた関係から、港北百話(1976)に記述があり、当時の面影は少ないとしながらも地図付きで場所が記されていました。
現在は、1994年の行政区再編成に伴い都筑区に編入されて、都筑区役所のあるセンター南駅が最寄り駅の様でしたので、ここを起点にして歩いてみました。
【参考文】
「古老を囲んで港北を語る」編集委員会(1976)茅ヶ崎八景、港北百話=古老の話から=、p.187-192.
三浦半島の八景巡り
【城山の秋の月】
センター南駅の東側の小高い丘が、茅ヶ崎城の跡で茅ヶ崎城址公園として公開されていました。
【観音の晩鐘】
茅ヶ崎城址公園の地図を見ていて、先ほど通りかかった寿福寺に観音堂があることに気づき、戻りました。観音堂にはかつて半鐘があったようですが、太平洋戦争時の供出で鋳つぶされてしまい今はないそうです。
【谷の中の螢と堅田の落雁】
港北百話に『荒磯川と早渕川に囲まれた水田がかつて落雁の名所であった』とあります。当該地に水田はありませんが、清流と果樹園は残っていました。
【境田の暮雪】
境田橋から矢崎橋までの早渕川の右岸地域が字境田とのことです。竹林や畑が今でも残っていましたし、川には大きなマゴイやカワセミが生息していました。
【四五六峠の夜の雨】
かつて明王山自性院のあった谷戸から茅ヶ崎富士に至る峠が四五六峠だったそうですが、自性院谷戸の跡地に港北TOKYU S.C.となっていて当時の面影はなにもありません。代わりに移転先の自性院とその近くの峠を訪ねました。
【正庵の一本松】
この松はずいぶん前に枯死して、二代目も昭和の中頃に枯れてしまったそうです。
【大塚の青嵐】
誤字の可能性もありますが、港北百話では、青い嵐で青嵐としているようです。残念ながらそれらしい景色は残されていないようでした。
【清水の夕照】
荒磯川を流れる清流のことだそうで、当該地には茅ヶ崎公園自然生態園になっているようです。当時とは違うかも知れませんが、周辺には小川を活かした散歩道も整備されていて、市民に憩いの地を提供しています。
以下、本日撮影した写真です。
【参考】
カワセミ Alcedo atthis
ハナサフラン(クロッカス) Crocus vernus
キズイセン Narcissus jonquilla
ツグミ Turdus eunomus
カワヅザクラ Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
マンサク Hamamelis japonica
ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
トサミズキ Corylopsis spicata