植物」カテゴリーアーカイブ

緋桜の丘2023

 今年も本牧山頂公園の緋桜の丘を二人で訪ねる事が出来ました。


【参考】
 観山広場碑
 横浜緋桜(よこはまひざくら)Cerasus jamasakura cv. Kenrokuen-kumagai x C. campanulata
 カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
 アカシデ Carpinus laxiflora


  観山広場
 本牧山頂公園、観山広場は、かつて日本画家の下村観山(1873~1930)が住居を構え、多くの名作を生みだした場所です。
 観山は、東京美術学校(東京芸術大学の前身)や日本美術院の設立に関わった岡倉天心の指導のもとで才能を発揮、横山大観とともに日本美術の近代化の時代に中心的な役割を果たしました。
 三渓園を創設した実業家、原三渓(1868~1939)の支援が始まった1912年には、ここ本牧和田山の地を提供され、以降亡くなるまで生活と作品制作の場となりました。三渓園の名木・臥竜梅に着想を得て描いた屏風絵「弱法師」(よろぼし東京国立博物館所蔵・重要文化財)は代表的な作品です。
 この広場の奥には、日本美術院創立100周年の年である1998年に、彫刻家の澄川喜一(当時・東京芸術大学学長)と日本画家の小倉遊亀(元・日本美術院理事長)による下村観山先生顕彰碑も建てられ、観山広場と名付けられました。
                2021年7月吉日 本牧まちづくり会議 建立

大宮で……

 今日は、懐かしい友人たちと再会できました。大宮も春酣です。

【参考】
 阿亀(おかめ)Cerasus campanulata x Cerasus incisa cv. ‘Okame’
 ウメ Armenica mume
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 ハクモクレン Magnolia denudata
 桜の交配種・交雑種

追浜、金沢の春-2023-02-26

 今日は近場の金沢区までを散策。ウメやカワズザクラに続いて、八景島のオカメも咲き始めました。



 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 ウメ Armenica mume
 ハナカタバミ Oxalis bowiei
 プラジルヤシ Butia capitata
 ツバキ Camellia japonica
 プラタナス Platanus sp.
 スクート、エアバスA321neo
 スジハゼ(旧スジハゼB) Acentrogobius virgatulus
 マハゼ Acanthogobius flavimanus
 オオバン Fulica atra
【文献】
松井彰子(2014)スジハゼ複合種群における遺伝的集団構造の形成にかかわる生態的特性の解明、URL: https://doi.org/10.14989/doctor.k18329, Accessed:2023-02-26.


伊藤博文別邸跡

 ひな人形
 ボタン Paeonia suffruticosa
 金屏風
 マナヅル Antigone vipio
 花筏文
 投扇興
 ひな人形:西郷喜久子蔵


  お雛様の由来
この雛人形は、私の母(1901年/明治34年生まれ)の嫁入り道具の1つです。当時、ある皇族から依頼を受けた人形師が二種類の雛人形を製作し、これは宮家に渡らなかった残りの一組だと伝え聞いております。
ただ、今となっては、注文された宮家も、人形師の名前もわかりません。
私が子供の頃には毎年桃の節句になると飾られていました。顔だけでなく手足もビスク(陶器)で作られ、西洋人形のように動かせますので、抱っこをしたり、一緒におままごとをしたりして遊んだものでした。
幸いにも激しい戦火や震災もくぐり抜け、お道具共々ほぼ当時のままの姿で残すことができ、そして今このようにこちらで大切に飾っていただけていることを大変嬉しく思っております。
          所有者 西郷 喜久子


  花筏文(はないかだもん)
 花筏とは、散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって流れていく様子のことで、その花びらの動く様子を筏に見立てた言葉といわれます。文様(模様や柄)の花筏は、筏の上に花や枝が描かれ、着物や帯でよく使われる文様です。


 パンジー Viola × wittrockiana


 プリムラ Primula sp.



 八景島と海苔(ひび)
 シーサイドライン
 ビロウ Livistona chinensis
 ハクセキレイ Motacilla alba lugens
 タンキリマメ Rhynchosia volubilis
 阿亀(おかめ)Cerasus campanulata x Cerasus incisa cv. ‘Okame’
 富士山
 八景大橋
 マンサク Hamamelis japonica
 クルメツツジ Rhododendron x obtusum
 ニホンスイセン Narcissus tazetta
 フチベニベンケイ Crassula portulacea
 ブロンズヒメ Graptopetalum paraguayense ‘Bronze’
 庚申塔
 庚申塔(3基)
 ウメ Armenica mume
 スミレ Viola mandshurica
 コブシ Magnolia kobus
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 谷津道標
 ハナニラ Ipheion uniflorum
 シレネ Silene caroliana
 谷津浅間神社
 浅間神社石段改修竣工記念碑
 第六天社:谷津浅間神社
 赤井不動尊
 福石:赤井不動尊
 ウメ Armenica mume
 六地蔵尊:赤井山正法院
 ラカンマキ Podocarpus macrophyllus var. maki 横浜市指定名木古木No.201029 :赤井山正法院
 赤井(金沢七井のひとつ)
 コノテガシワ Platycladus orientalis
 浦之郷陣屋跡


  谷津道標

 近世は、街道沿いに道標があり、旅人が目的地の方向を確かめることができるようになっていました。
 この道標は向かって正面に「右 能見堂 保土ヶ谷道」、右側に「此方江戸」、左側に「天保十年亥年 六月 日 願主光明院」と刻まれています。
 これは、右の方へ行くと能見堂を通って保土ヶ谷へ着き、さらに、東海道を北へ行くと江戸へ通じることを表しています。なお、左の方へ行くと白山道を通り、朝夷奈切通しを経て、鎌倉へ通じる道になっていました。
 元々は分かれ道となる別の場所にありましたが、平成29(2017)年この場所へ移設しています。


  赤井不動尊
 この「瀧のお不動さま」は元禄元年(一六八八)、当院の山(現在の富岡中学校付近)に祀っておりましたが、大正の始めごろに軍需工場が出来て交通が規制されたために、当地に移され、赤井のお不動様として祀られました。石段の入口に「瀧不動江之道」(享保十六年)として前不動が祀られています。

  不動の福石(ご自由にお持ち下さい)
 このお不動様に願いをかけるためには、願いをかけた小石をお供えして一つ持ち帰る。願いを叶えたら小石をふやしてお返しする。または身代わりのお守りとして小石を身近において後ほどお返しする。
 昔から幸せをもたらし悪を退散させ、すべての御利益にあずかる事が出来るといわれております。


  浦之郷陣屋跡
 浦之郷村と呼ばれたこの辺りは、戦国大名北条早雲を始祖とする小田原北条氏家臣麻倉能登守の居館があった所と言われています。能登守は長年にわたり浦之郷村の領主としてこの地を支配し、雷神社の再興、良心寺の再建など随所に足跡を残しています。
 やがて、江戸時代に徳川幕府の天領となり、寛文三年(一六六三)厩橋藩(群馬県)酒井雅楽頭忠清の所領となり浦之郷陣屋(浦之郷役所)が設けられ、地域の年貢の取り立てや治安の維持、順法など重要な仕事をしていました。その後、この地域を支配する領主は二百年にわたり次々に変わりました。特に川越藩(埼玉県)は約九十年の長きにわたり二度も駐在し、当地で亡くなった藩士もあり、現在自得寺には三名の藩士のお墓があります。
 当時、入り口には「大門」があり、屋敷は松が植えられた土塁に囲まれていました。
 その後、天保十四年(一八四三)三浦半島の海防強化の目的で大津(京急大津駅付近)へ本陣屋が移されたため浦之郷陣屋はその役割を終えています。
 現在では住宅地となり面影はありませんが周辺には中世以前と思われる古い五輪塔が数基あり、その前で毎年供養祭が行われています。



 浦之郷陣屋の風景:相中留恩記略(天保10年/1839)記載の絵図
○広さ:一町五反(4,500坪=14,850㎡、東京ドームのほぼ1/3)
○駐在:川越藩(文政4年/1821頃136名)など以下アンダーラインの数藩、時には臨時の増減員があった。
○歴代領主:厩橋藩(寛文3年/1663)→ 前橋藩川越藩 → 会津藩 → 川越藩 → 熊本藩 → 佐倉藩 → 韮山代官江川太郎左衛門(慶應3年/1867)
 令和3年11月14日 追浜地域運営協議会・おっぱまはっけん倶楽部

葉山の道祖神など

 今日は、逗子・葉山駅を起点に西海岸を歩いてみました。
【主な経路】
(逗子・葉山駅)-長柄-堀内-一色-下山口-長者ヶ崎-秋谷-芦名-(復路はほぼ逆経路)-(逗子・葉山駅)
 三浦半島の道祖神と地神 地神・道祖神マップ (作成中)


道祖神:長徳寺(三浦郡葉山町堀内805)


 名木・古木50選湘南七福神の恵比寿尊でも知られる守護山玉蔵院の塞之神(道祖神)です。


道祖神:一色1034
 石塔群の右端が道祖神、庚申塔を祀った社内には子産石もありました。


熊野神社:秋谷5309
 藤井(1981)に記載がありませんので、道祖神とは見做されていないようですが、秋谷の熊野神社には、多くの子産石が奉納されています。


秋谷の子産石:横須賀市秋谷5290
 裏手の稲荷社にも、沢山の子産石が奉納されています。

横須賀市指定市民文化資産
 子産石
 子を産み出す石ということから、生殖の神、安産の神が宿る石として崇敬されてきた。ここに据えられた子産石を全体の象徴として指定した。


淡島神社:芦名1丁目18-2
 辻井(1988)によると、社前の男根碑はエビス湾の岩穴に祀られていたものを移したとありますので、この30年ほどのうちにさらに社内に移されたことになります。
 一方、社の世話していらした男性の話では、『安産の神であり、道祖神ではない』とのことで『境内の猿田彦大神のほうが道祖神ではないか』とのご意見でした。ただし、昭和時代の神奈川県による道祖神調査では、猿田彦は対象外としたそうで、藤井(1981)は芦名の猿田彦大神を認識していたことも占めるされていますので、芦名浜の自然石型道祖神は、これだと思われます。


十二所神社:芦名1丁目21-26
 境内の階段下の帯解地蔵は、一見、双体神像型道祖神にも見えるのですが、 新編相模國風土記稿に『地藏堂。安産守護ノ本尊ナリ。故ニ帯解地藏ト號ス。』と見えますので、これは古来、地蔵尊の様です。ここにも子産石が奉納されていました。


道祖神:芦名2丁目22
 藤井(1981)に祠型道祖神として紹介されている社です。隣には庚申塔、子産石も納められていました。


【文献】
石井悦五郎(1981)葉山町の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.191-193.
藤井慶治(1981)横須賀市の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.73-84.
辻井善弥(1988)横須賀こども風土記下巻、横須賀市民文化財団、横須賀、223p.
間宮士信ら(1985)蘆田伊人編、村里部三浦郡巻之四 衣笠庄 in 新編相模國風土記稿巻之百十、雄山閣、東京.


 本日、撮影のその他の写真です。

 長柄の庚申塔群:長柄482
 竹で作ったお雛様
 海岸連絡道路奉仕工事竣工記念碑(昭和七年拾月 木之下里)
 道祖神:長徳寺(三浦郡葉山町堀内805)
 地蔵尊:長徳寺(三浦郡葉山町堀内805)
 三家橋(さんけばし)
 ソテツ Cycas revoluta:ソテツ公園
 ツタバウンラン Cymbalaria muralis
 サンカクバアカシア Acacia cultriformis
 塞之神:守護山玉蔵院(葉山町一色2154)
 道祖神:葉山町一色1034
 ツバキ Camellia japonica
 白石橋:葉山町下山口1396-7
 庚申塔群:葉山町下山口1550-1
 江の島遠望
 ハシボソガラス Corvus corone
 HAYAMA SUNDAY:葉山町下山口1820-18
 トックリヤシ Hyophorbe lagenicaulis
 伊豆大島
 長者ヶ崎
 道標:国道134号線
 カナリーヤシ Phoenix canariensis:葉山ゲストハウス
 ウミウ Phalacrocorax capillatus
 シーサー
 熊野神社:秋谷5309
 秋谷の子産石:横須賀市秋谷5290
 智回(ちかい)尼の石仏
 大乗妙典六十六部供養塔:秋谷4619
 谷戸の庚申塔
 ビャクシン Juniperus chinensis
 秋谷の立石:秋谷3丁目5 カナリーヤシ Phoenix canariensis:立石公園
 ブラジルヤシ Butia capitata
 石塔群:秋谷1丁目16-11
 淡島神社:芦名1丁目18-29
 十二所神社:芦名1丁目21-26
 道祖神:芦名2丁目22
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 江の島:長者ヶ崎より
 子産石:海上山普門寺円乗院
 子産石:個人宅
 県立葉山公園より
 地蔵尊:葉山町下山口1487
 庚申塔群:葉山神明社
 子守地蔵尊:葉山町堀内


 三家橋(さんけばし)の由来
大正時代、ひの辺に逗子から人力車で来るには、海岸通りから現在の図書館前へ大きく迂回し小川に沿って来なくてはならなかった。当時、別荘のあった入江達吉(ベルツの弟子の医学博士)、村井貞之助(タバコ王村井吉兵衛の義弟)、恒藤規隆(つねとうのりたか)(植物・地質学者、当学博士)の三軒が私費を投じて石橋を架けたので「三家橋」と呼ばれた。昭和55年、村井別荘が関東学院セミナーハウスに建て替わる際、再建され、平成21年、道路拡幅に伴い今の形となった。
          「くれ竹通信」Vol.48より


  子守地蔵尊の由来
 地蔵尊は、一時牛ヶ谷戸の地に二〇〇余年草芽の中に放置されたが、里人達が掘り起こし、現在とは異なる場所(国道一三四号線の川沿いで、現在の新たなか辺り)に安置したと言われている。
 古老に聞いた子守地蔵尊の由来については定かではないが、「現在の消防署前から、京浜団地へ通じる細い町道の坂道があり、この坂を昔は子守坂と称していた」との事。
 この辺りに由来の起源があると考えられる。
 昭和九年に起きた学童の交通事故を機に、牛ヶ谷戸の里人達が地蔵尊を修復し現在の場所へ堂守を建設、昭和十一年十二月十八日開眼供養を施し、学童及び里人の交通安全を祈願してきた。
 戦後一時中断したが、昭和五十年、当時の牛ヶ谷戸町内会長加藤氏の発願で供養を復活させ、以降、毎年八月二十四日に、子守地蔵尊祭を行い供養する事になった。
 又、古老伝説として、地蔵堂の砂利を洗い清め「いぼ・ものもらい」の患部の上を擦ると治ると伝えられている。
 完治した時は、浜辺の小石を二倍にして返納しなければならない。
  地蔵尊と浦賀街道道標
 寛政十二年(西暦一八〇〇年)江戸幕府は、「五街道其外分間延図並びに見取図」(東京国立博物館蔵)と称する五街道の測量図を作成し、道中奉行所に置き交通政策の利用に供したとある。
 この中には、脇街道を描いた一つとして「浦賀道見取絵図」がある。
 東海道戸塚宿から左に折れる場所に、「これより鎌倉道」と彫られた道標があった。
 脇往還へ歩みを進めると山内・雪下は、鎌倉の中心部だが、大町村あたりは田畑も多い難所の名越坂を越え、三浦郡久野村谷・小坪村・堀内村(現在の葉山町堀内)と海岸沿いを抜けるのが、一転して森戸神社の手前から奥へ向かい、平松地蔵で知られた一色村を越え、上山口・木古庭・上下平作(衣笠)村経由浦賀へ至る街道で、道中の安全祈願と道標を兼ねた地蔵尊と見られる。
 地蔵堂内には、道標を兼ねた地蔵菩薩塔があり、地蔵菩薩座像は浮彫、その下に道標の文字が刻まれ、「右うら賀・左やま屋」と彫られ、天保二年幸卯七月吉日(一八三一年)塔とある。
 天保二年塔の左には、元文丁巳年九月(一七三七年)建立の塔があり、この塔も同じ様に道案内が表示されこの塔の左側面には、「堀内村施主念仏講中」とあるが、残念な事に中央で折れている。
 この塔は、天保二年塔より九四年も前に建てられ、葉山町の貴重な文化財の一つである。
  平成十四年八月二四日     牛ヶ谷戸町内会

三浦海岸さくら祭、2023-02-22

 暖かかったり寒かったりのこの冬でしたが、ここに至って、河津桜の開花は一気に進んでいるようです。


 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.

横須賀南部の道祖神、道切りなど

【主な経路】
 (津久井浜駅)-発声町-須軽谷-長井-発声町-下宮田-下浦町-(三浦海岸駅)
 三浦半島の道祖神と地神 地神・道祖神マップ (作成中)


(子産石型)道祖神:横須賀市須軽谷331
 焼け跡が残っている5体の子産石あるいは奥の石祠が道祖神の様です。焼け跡は、おんべ焼の跡と思われ、中央の一体は割れたのを針金で修復されていました。

(子産石型)道祖神:三王山安楽院不断寺(長井5丁目1-1)
 藤井(1981)によれば、井尻に自然石道祖神があることになっているので、過去の記録から、旧井尻に相当する長井3丁目の第六天社の石塔群にあると予測していたのですが、3丁目に位置する社などにはどこにも見当たらず、この長井5丁目の不断寺にある子産石がこの自然石道祖神だったのでしょうか。この子産石にはおんべ焼に供された形跡はありませんし、昭和時代に確認された道祖神は既に失われているのかも知れません。


 現在、三浦半島で残されている道切り3か所を巡ってみました。


 岩神社:三浦市初声町下宮田1293
 藤井(1981)には記載のない子産石を祀った社ですので、道祖神とはみなされていなかったようです。三浦古尋録には記載がありませんが、新編相模國風土記稿には下記の記述が見えることから、少なくとも安永年間(1772~1780)以前に成立した社と思われます。御神体にはおんべ焼に供された形跡はないようでした。
○石尊社 例祭九月二十七日△神主松原浪江 吉田家配下、祖父源右衛門安永三年神職となる。古文書三通を蔵すれど、もと宗家新右衛門の家に傳へし物なれば、彼條に辨ず。



 庚申塔群:津久井浜駅前(津久井2丁目18-23)
 石塔群(岩船地蔵尊):津久井1丁目25-2
 (津久井)浅間神社
 ノボロギク Senecio vulgaris
 ナズナ Capsella bursa-pastoris
 オランダミミナグサ Cerastium glomeratum
 ウラジロチチコグサ(アメリカチチコグサ) Gamochaeta coarctata
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 ウメ Armenica mume
 ニホンスイセン Narcissus tazetta
 庚申塔群:津久井4丁目16
 キャベツ Brassica oleracea var. capitata
 西洋赤大根(品種不明) Raphanus sativus
 ウサギアオイ Malva parviflora
 ブロッコリー Brassica oleracea var. italica
 庚申塔群:須軽谷68-1
 庚申塔群:須軽谷113
 稲荷社:須軽谷331
 道祖神:須軽谷331
 石塔群:三浦市初声町高円坊1667
 石塔群:須軽谷(下ノ里バス停近く)
 地蔵尊:須軽谷(下ノ里バス停前)
 カラクサナズナ Lepidium didymum
 カワウ Phalacrocorax carbo:轡堰
 ノゲシ Sonchus oleraceus
 前田夕暮の文学碑
 江の島(&佐島)遠望
 (井尻)龍神社:長井3丁目14
 庚申塔群:長井第六天神社(長井3丁目10)
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 ひまわり歯科:長井3丁目26-11
 イチョウ Ginkgo biloba, かまくらと三浦半島の古木・名木50選
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 おこり石:長井6丁目5-9
 (漆山)龍神社:長井6丁目8-1
 道標
 干若芽と干大根
 道切り:長井6丁目17-13
 地蔵尊:長井6丁目17-12
 道切り:長井6丁目16-31
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 道切り:長井6丁目23
 観音像の庚申塔:長井6丁目22-12
 セイロンベンケイ Kalanchoe pinnata
 長井庚申塔群:長井2丁目13-11
 サイロ給水塔の丘
 寒緋桜(かんひざくら)Cerasus campanulata
 石祠:三浦市初声町和田3012
 和田城址碑:三浦市初声町3083-10
 三浦市初声町和田の庚申塔:三浦市初声町和田3247
 ワシントンヤシモドキ Washingtonia robusta:発声シーサイドタウン
 『寿』に見えた雲
 猫石
 猫石園碑:三浦市初声町下宮田1321-3
 岩神社:三浦市初声町下宮田1293
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’:小松ヶ池
 コサギ Egretta garzetta
 カワウ Phalacrocorax carbo
 キンクロハジロ Aythya fuligula
 水神碑:小松ヶ池
 青首大根 Raphanus sativus var. longipinnatus
 石塔群:三浦海岸駅前
 三浦海岸駅


  前田夕暮の文学碑
 大正十二年二月一日、前田夕暮は、東海道線の車中で偶然北原白秋と出会い、そのまま連れ立って三崎へ行き、城ヶ島に遊んだ。帰途この地長井に立ち寄り、「藤屋」に宿泊している。
 その間二人は即詠競作して、この時の歌を「詩と音楽」三月号に発表するとともに、夕暮は昭和三年刊行の第六歌集「虹」に収録している。碑の歌は、この歌集の「長井村に泊る」から一首を選んだものである。
   宵あさき 長井往還 行につつ
      村湯の明り なつかしみけり
 夕暮は、明治十六年七月二十七日神奈川県大住郡大根村(現秦野市)に父久治、母イセの長男として生まれ、本名は洋造という。
 筆名の「夕暮」は、青年時代を過ごした大磯町の鴫立沢(しぎたつさわ)にちなむ西行の有名な和歌 「こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ」からとったといわれる。
 夕暮は、その作歌生涯において数度にわたる作風の転換をしている。それは「明星」浪漫主義から出発し若山牧水と並び称された自然主義歌風、画壇における後期印象派の影響ともいわれる外光派的世界への転換、更に自由律運動への突入、そして定型への復帰である。
 近代短歌の開拓者としての夕暮は、鮮かな詩性を短歌に盛り上げるとともに、優れた私的散文の創始者としても、革新と実験の文学行路を歩んだ。
 歌集に『収穫』『生くる日に』『原生林』『夕暮遺歌集』、文集に『緑草心理』『烟れる田園』『雪と野菜』等がある。
 昭和二十六年四月二十日、東京・荻窪の自宅「青樫(あおがし)草舎」で逝去、享年六十七歳であった。


  おこり石
風の強い日にし唸りをあげたことからこの名があると伝えられる。往古は、なんらかの神の宿る石であったと思われる。


【文献】
藤井慶治(1981)横須賀市の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.73-84.

天女水の碑、など - 浦賀から長沢へ

 三浦半島エリアでの地誌を記した書の先駆けとして知られる三浦古尋録の著者加藤山寿の題による碑があると知り、早速浦賀を尋ね、折角ですので花の国に寄りながら長沢まで散策してみました。
【主な経路】
(浦賀駅)-吉井-西浦賀-久里浜-花の国-野比-長沢-(長沢駅)


天女水の碑:西浦賀3丁目16

高坂弁天堂
 天女水之銘
相陽之東吉井嶺麓髙坂在焉此處
之田閒水湧焉謂之天女水矣其流清
而委虵委虵焉假令雖炎夏無水之絶矣
蓋側田耕地水溢之以餘歳々年々其田
美也其田美則多實多實則少秕少秕
則食足而有餘有餘則屋富屋富則福
祉矣故謂之天女水歟
   歌曰
 水哉水哉可以濯吾耳而去
  于皈     加藤山寿
   文化九壬申秋九月

(注)『于皈(于帰)』は『ここ()に おく()る』の意か? 三浦古尋録には記載がなく、誤読の可能性あり。
 碑文は校訂三浦古尋録(1967)とは微妙に異なっているのですが、『耕地:群地』は、校訂三浦古尋録のほうの誤植かも知れません。校訂三浦古尋録の校注によれば、『而去(にこ)』が入っているのは、現在残されている写本のうち乙本(内閣府文庫所蔵本の二)のみだそうで、一方、乙本にはある『高坂弁天堂』の文字はこの碑にはありませんでした。あるいは、碑の上部が欠けているので失われている『天女水』の脇に記載されていたのかも知れません。『題』はコンクリートにほぼ埋まっていました。


校訂三浦古尋録(1967)より転記
○高坂辨天堂此処ノ田間ヨリ清水湧クヒデリニテモ其ノ水絶ルト云事ナシ故ニ
里俗是ヲ天女水ト云
 天女水之銘
相陽之東吉井嶺麓高坂在焉此処之田間水湧焉謂天女水矣其流清而委虵委虵焉
仮令雖炎夏嘗無水之絶矣蓋側田群地水溢之以余歳之年々其田美也其田美則多
実則少秕少秕則食足而有余有余則屋冨屋冨則福祉矣故謂之天女水歟歌曰水哉
水哉可以濯吾耳
文化九壬申秋九月 加藤山寿題


  天女水の碑
 この碑は「三浦古尋禄」の著者で浦賀の文人加藤山寿が文化九年(一八一二)建てたものです。
 碑には「高坂の弁天堂の近くの田の間から清水がこんこんと湧いており、日照りが続こうとも涸れず、そのお陰でこの辺り一帯の田はいつも豊作となり、豊作になれば家が富み、家が富めば幸福が訪れる。この水は天女が我々に授けてくれたようなもの」ということが漢文で彫られています。
 かつて天女水から湧き出た水は浦賀港に注いでおり、掘割は舟の運送路としても利用されていました。天女が浦賀の人々に与えてくれた恵みの水でした。
 浦賀行政センター市民協議事業 浦賀探訪くらぶ


ヤシ科  ヤシ科植物の写真整理

 ブラジルヤシ Butia capitata:浦賀駅前
 シンノウヤシ Phoenix roebelenii:個人宅
 ワシントンヤシ Washingtonia filifera:西浦賀4丁目
 カナリーヤシ Phoenix canariensis:野比中学校
 ワシントンヤシモドキ Washingtonia robusta:南向山本行寺


ツバキ Camelia spp.

 絵日傘(えひがさ)
 中部白鶴(ちゅうぶはくつる)
 ジャイガンティア
 紅乙女(こうおとめ)
 草紙荒(そうしあらい)
 八重侘助(ええわびすけ)
 春日野(かすがの)
 鶏の子(とりのこ)
 初瀬山(はつせやま)
 黒椿(くろつばき)
 フラワーガール
 峰の雪(みねのゆき)
 義司(よしつかさ)
 白雪(しらゆき)
 加茂本阿弥(かもほんなみ)
 福娘(ふくむすめ)
 (あけぼの)



 ウメ Armenica mume
 ニホンスイセン Narcissus tazetta
 不動尊:西浦賀3丁目22-33
 花水稲荷:西浦賀2丁目3−20
 石祠:西浦賀2丁目9-7
 廻船問屋跡 & 鏝絵(こてえ)
 グロッチフィルム Glottiphyllum sp.
 為朝神社:西浦賀4丁目3-7
 花稲荷:西浦賀4丁目5
 仲稲荷:西浦賀4丁目5 浦賀奉行所跡:西浦賀5丁目17-2
 伏見金守稲荷大明神:南浦賀11
 浦賀港拓道碑:久比里1丁目26
 美容室ひまわり
 太刀花稲荷:久比里1丁目2-7
 内川新田開発記念碑:夫婦橋南詰(久里浜4丁目13)
 福井県花・越前水仙
 久里浜天神社:久里浜5丁目19-3
 手づくり郷土賞碑(花の国)
 アオキ Aucuba japonica
 ゴジラ:花の国冒険ランド
 オオイヌノフグリ Veronica persica
 尻こすり坂開鑿記念碑:野比4丁目1
 ヒイロタケ Pycnoporus coccineus
 カワラタケ Trametes versicolor
 コフキサルノコシカケ Elfvingia applanata
 チリメンタケ Lenzites elegans
 海軍用地碑
 フユノハナワラビ Botrychium ternatum
 ブロッコリー Brassica oleracea var. italica
 東京湾を望む
 富山(とみさん)(房総)遠望
 野比海岸
 地蔵尊:野比5丁目1-1
 稲荷社:野比3丁目28-18
 武山不動道標:野比1丁目39-17
 庚申塔・馬頭観音:長沢1丁目45


  廻船問屋跡
 浦賀で廻船問屋とは、船を持たずに御番所に詰めては、奉行所の役人達の指示で、荷改めをしていた下田と東西浦賀の一〇五軒の問屋のことをいいます。また、米穀・酒類・塩などの問屋を営みながら、自己の廻船を所有して瀬戸内海より東北地方まで広範囲にわたって、商いをしていた商人達のことも廻船問屋といいます。
そしてその主な者は一番組水揚商人となり、蛇畠町、紺屋町、宮下町等に店舗を構え、多くの蔵が海岸に立ち並び、一大問屋街をなしていました。
 幕末の頃、彼等の所持する廻船は東西浦賀で約六十艘を数え、宮井家もそうした問屋の最も古い一軒でありました。
浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ


-伝統の技- 鏝絵(こてえ)
 左官職人が壁などの仕上げに鏝と漆喰で造った彫刻風の絵を鏝絵といいます。江戸時代の浦賀は豪商の屋敷や土蔵が立ち並び漆喰を塗る職人も多くいたことから鏝絵作りが盛んに行われていました。


福井県花・越前水仙
 内川新田ははじめ各地で新田を開拓した砂村新左衛門の生地福井県から贈られた越前水仙を植え郷土の偉人に感謝します。
 日本三大水仙群生地のひとつ越前海岸の清楚雄大な景観は新左衛門の「世に尽くし人に尽くす」精神を育みました。
  三百五十回忌紀年
     久里浜古文書の会
     野比 水仙の会


 手づくり郷土賞
 この賞は地域の個性や魅力を生かしてつくられた優れた公共の施設を広く紹介することを目的としています。併せて地域の人々の創意や努力を顕彰して、魅力ある地域づくりに役立てられるよう昭和61年に建設省により創立されました。
 市民を初め多くの人々に親しまれてる「くりはま花の国コスモス・ポピー園」が平成8年にこの「手づくり郷土賞」を受賞しました、
 この施設が末永く親しまれて広く利用され、魅力ある地域づくりが図られるよう、皆様と共に大切にしていきたいと思います。
 この名誉ある受賞を記念してここにモニュメントを建立するものです。
                    横須賀市


(武山不動道標)
     この道標について
1.正面
 道標の上部には【不動明王】が設置されていて、正面には【武山不動明王】と彫られている。
2.左側面
 【此方】(このかた)と書いてあり、【指さしの絵】で向かう方向を指している。また、【いけやまみち】と書いてあり、万人にわかりやすく、ひらがなで案内を記したのかもしれない。
3.右側面
 【武山十三世 達誉 建之】、このことより、武山不動院の十三世住職”達誉”が設置者とわかる。【安政二年 歳次乙卯五月】、これから1855年5月の設置とわかる。【歳次】とは、歳星(木星)が宿ること。また、その年度に宿る場所。木星が葯12年で天を一周するところから、中国の天文学で天を十二次(宿)に分け、その一次を移行する期間を一年とした。そこでその年に木星の所在する宿を歳次という。【乙卯】とは、(きのとう)と読み、干支の一つ。干支の組み合わせの52番目で、前は甲寅、次は丙辰である。
 ちなみに1855年は日米和親条約が結ばれた翌年のことで、アメリカと日本との間で結ばれた悪名高い不平等条約のことである。別名神奈川条約ともいわれている。
あとがき:武山不動に至る参詣道は、南部、一騎塚、須軽谷、北下浦と四方あり、登山口には、必ず前不動と呼ばれる不動明王像が立っていて、参詣人の案内役を務めるとあるこの道標が北下浦のそれであるのか私は知っていない。TSM


道祖神:南向山本行寺(長沢1丁目56-9)
 地神、道祖神マップ (作成中)  三浦半島の道祖神と地神

 道祖神:南向山本行寺(長沢1丁目56-9)
 南向山本行寺本堂
 八大龍王社(南向山本行寺境内)
【文献】
加藤山寿(1967)校訂三浦古尋録、菊池武, 小林弘明, 高橋恭一 校訂、238p、横須賀市図書館、横須賀.
藤井慶治(1981)横須賀市の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.73-84.

逗子山の根の地神塔、など

 山の根の石塔群の中に地神塔があるのにはだいぶ前から気づいていたのですが、地神塔だけ撮影した写真がなかったので、マップ用に撮影してきました。
地神、道祖神マップ (作成中) 地神(地天)  三浦半島の道祖神と地神
緑区、旭区、保土ケ谷区 瀬谷区、大和市 神奈川区、西区、保土ケ谷区 相模原市、町田市、青葉区、旭区 逗子市 横須賀市浦郷周辺


山の根石塔群:山の根3丁目5-20

 一番左が地神塔で、隣は馬頭観音、中央の2基は恐らく地蔵尊、右の二つは庚申塔でした。地神塔の刻印は安政七申(1860年)二月と読めました。


(沼間)五霊神社:沼間3丁目10-34

稲荷社(五霊神社境内社)
イチョウ Ginkgo biloba
イヌマキ Podocarpus macrophyllus


沼間石塔群:沼間1丁目19-25
 道沿いは庚申塔が多いのですが、裏側は馬頭観音が多いようです。


馬頭観音・庚申塔:桜山4丁目15
 左は馬頭観音です。


桜山道祖神:池子2丁目1-5
 石祠の祭神は不明です。

相模原市、町田市、青葉区、旭区の地神塔など

 今日はあまり出かけたことのなかった横浜市北部を歩いてみました。このあたりは、地神塔、道祖神、庚申塔が混在していますが、同所に集められているときには、地神塔が中央に置かれていることが多いような印象です。
地神、道祖神マップ (作成中) 地神(地天)  三浦半島の道祖神と地神
緑区、旭区、保土ケ谷区 瀬谷区、大和市 神奈川区、西区、保土ケ谷区 相模原市、町田市、青葉区、旭区 逗子市 横須賀市浦郷周辺
【主な経路】
(相模大野駅)-上鶴間本町-高ヶ坂-成瀬-奈良町-恩田町-田奈-長津田みなみ台-霧が丘-若葉台-上川井町-(十日市場駅)


地神塔:谷口中村公園(相模原市南区上鶴間本町4丁目6)

     地神墖移転之記
此の地神塔は文政五年八月青柳寺十二世日冲上人相刕上鶴
間村字中村三六一九番地東南の地高さ六十糎の塚上に建立
それ講中数十軒の崇敬の的であったが太平洋戰争終戦以后
急激な社会狀勢の変化に伴ひ專業農家減少し現在では二十
五軒となった
偶々相模大野駅周辺区画整理事業の爲公園の一角である
当所に移転の止むなきに至ったのである
 維時昭和五十三年戊午三月吉日   中村講中
             方運山廿六㔺師心院日翁

【注】文政五年:1822年、日翁(八幡城太郎1912-1985)は、方運山青柳寺の住職だった方で、俳人としても活躍したそうです。
青柳寺に眠る文人たち、URL:http://www.seiryuji.or.jp/publics/index/24/, Accessed: 2023-01-29.


道祖神:相模原市南区上鶴間本町4丁目26
中央の文字碑には、弘化五戊申(1848)歳正月十四日の刻印があります。右側は双体神像ですが、左の二基が道祖神であるかどうかは不明です。


道祖神と庚申塔:町田市成瀬8丁目1
左側の道祖神は、文久二戌(1862)年正月と読めました。


地神塔(石塔群):町田市成瀬7丁目1-33
地神塔を中央に、左側は馬頭観音、右の三基は地蔵の様です。地神塔の銘には、維時龍舎文政戊子(1828年)霜月とありました。


地神塔:青葉区奈良町833
 いかにも新しそうなこの碑の銘には、昭和五十五(1980)年九月吉日再建とありました。昭和末期にもこの地区で地神講が存在していた証と言えます。


井戸久保の地神塔:青葉区恩田町2172-3


中恩田の地神塔:青葉区恩田町44
 摩滅が進んでいるのですが、天■六乙未(1835)八月吉日と読めました。GoogleMapによれば、すぐ近くにある筈の道祖神は見落としていて未確認です。可能性としては、地神塔の右側の石碑がそうなのかもしれません。


石塔坂の道祖神(?)兼道標:青葉区田奈町6-2

 正面に供養塔とありますが、これは道祖神というより観音像に見えます。取り違えている可能性もありますので、青葉区関係の文献も含めて要調査です。文化五戊辰歳(1808)四月二十三日は、19世紀初頭は思えないほどはっきりと読めました。


五神明地神塔:旭区上川井町2248

 地神塔は、文字碑が多く神像を刻した塔はあまり多くありません。さらに、徳島県を中心に農業に関わる五柱の神名を刻んだ五角形の地神塔も知られており、徳島型、五角柱型、また儀式に用いたという意味で醮儀型と呼ばれます。上川井の地神塔は神奈川県では数の少ない五角柱型でした。
正面:天照大神(あまてらすおおみかみ)
左前:大己貴神(おおあなむちのかみ)
左後:少彦名神(すくなひこなのかみ)
右後:埴安姫神(はにやすひめのかみ)
右前:倉稲魂神(うかのみたまのかみ)


  大貫谷戸水路橋
橋構造 ●延長414m(鉄鋼水路306m)
    ●高さ23m
水路構造●深さ2.7m 巾2.2m
 この水路橋は相模湖にためた水を西谷浄水場に運ぶための導水路の一部です。このような構造の、長い水路橋は全国的にも珍しく貴重なものとなっています。
 導水路には約3.7kmの距離を約13時間かけて水が流れています。このうち川井接合井から鶴ヶ峰接合井までの間の長さ約7kmの区間は、100m進むと6cm下がる傾きで造られているため、水は自然に流れていきます。
※接合井(せつごうい):導水路の分岐点や合流点で、一時的に水をためる施設
          横浜市水道局川井浄水場



【参考】
 相模原市中央図書館
 ブラジルヤシ Butia capitata
 マンホール(汚水)の蓋
 稲荷社:相模原市南区上鶴間本町5丁目16-19
 恩田川
 成瀬杉山神社:町田市成瀬4-13-16
 稲荷堂(2于):町田市成瀬4丁目6-15
 住吉神社:青葉区奈良町833- ムクロジ Sapindus mukorossi 横浜市指定名木古木 No.59018:薬師堂(青葉区恩田町2169)
 石塔群::薬師堂(青葉区恩田町2169)
 オナガ Cyanopica cyanus
 大貫谷戸水路橋

浦郷の道祖神

 神奈川県の道祖神悉皆調査結果によれば、1973年に横須賀市で確認された道祖神は僅か9基でした(藤井,1981)が、そのうち3基は旧浦郷村エリアでの確認でした。今日はその3基を含む4基について確認してきました。旧浦郷村、および旧田浦町エリアの道祖神はこの4基のみと思われます。なお、このエリアでの地神塔は現在確認できませんし、私の知る限り文献にも残されていない様です。
(自宅)-浦谷山法福寺-金剛山正禅寺-太田坂の道六神-吾妻社-(自宅)
 三浦半島の道祖神と地神  地神、道祖神マップ


浦谷山法福寺:追浜本町1丁目19
 神奈川県の調査以降に設置されたと思われる双体神像です。


金剛山正禅寺:浦郷町4丁目5
 庚申塔の傍らに鎮座しています。


大田坂(おったざか)の道六神:田浦町2丁目
 かつての浦賀道沿いに祭祀されています。一時期他所に移転されて寂しがっていたので、元位置に戻したという逸話が伝えられています。


吾妻社:長浦町5丁目15-1
 吾妻社は浦郷八景の吾妻晴嵐で知られる社で、かつては箱崎半島に鎮座していたのですか、米軍による接収により移転を余儀なくされたという歴史があります。道祖神がどのような経緯で現位置にあるかは定かではありません。



【参考】
 浦谷山法福寺:追浜本町1丁目19
 金剛山正禅寺:浦郷町4丁目5
 大田坂(おったざか)の道六神:田浦町2丁目
 吾妻社:長浦町5丁目15-1
 馬頭観音:田浦町3丁目96
 庚申塔:田浦町3丁目92
 田浦一丁目公園(のの字坂)
 馬頭観音堂:田浦町3丁目96
 庚申堂:田浦町3丁目92
 庚申堂:長浦町5丁目10
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 ナンテン Nandina domestica
 田浦第一公園:のの字坂
 キルタンサス Cyrtanthus mackenii
 ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus
 ニホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
【文献】
藤井慶治(1981)横須賀市の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.73-84.