茉莉花」カテゴリーアーカイブ

鬼怒川温泉から日光へ

 朝のうちに鬼怒川周辺を散策してから、日光へと向かいました。




【参考】〇は本日初撮影種
 佳祥坊福松
 湯泉(ゆどころ)(ひと)
 鬼怒川
 鬼怒太像:定印
 ユウガオ(ヒョウタンの変種) Lagenaria siceraria var. hispida
〇ビロ-ドシダ Pyrrosia linearifolia
 (三毛)猫 Felis catus
 おさるの山入口
 ノチドメ Hydrocotyle maritima
 マツカゼソウ Boenninghausenia albiflora var. japonica
〇クラマゴケ Selaginella remotifolia
 鬼怒川温泉神社
 石尊碑
 湯殿山碑
 男體山碑
 宝の湯(鬼怒川プラザホテル)
 ウラハグサ(風知草) Hakonechloa macra
 鬼怒太の階段アート(ふれあい橋東詰)
 キリ Paulownia tomentosa
〇チャコウラナメクジ Ambigolimax valentianus
〇ヤマビル Haemadipsa zeylanica japonica
〇イワツバメ Delichon urbica
 シンテッポウユリ Lilium x formolongi
 スペーシア
 スペーシアと鬼怒川みやび
 先頭車両は貸し切り状態


 東武日光駅
 東武100系電車
〇カラマツ Larix kaempferi
 華厳滝
 涅槃滝
 昼食:ゆば料理滝(ゆば&グリーンカレー)
 オトギリソウ Hypericum erectum
 アキアカネ Sympetrum frequens
 中禅寺湖
 オオハンゴンソウ Rudbeckia laciniata
 タマアジサイ Platycrater involucrata
 アスナロ Thujopsis dolabrata
 日光東照宮参道
 イワタバコ Conandron ramondioides
 神橋
 旧日光市役所
 湯葉懐石与多呂(跡)
 ゆばむすびの「ふだらく」
〇ウスバカゲロウ Hagenomyia micans (平六トンネル)


 湯泉(ゆどころ)(ひと)
鬼怒川音頭
    作詞 野口 柾夫 氏
    作曲 杉山長谷夫 氏
 春は八汐よ 秋来りや紅葉
 錦々鬼怒川 しんしん
 しんとろ お湯が湧く
 サラサラ 瀬の瀬で 鳴く河鹿
 サラ鬼怒川 湯泉 コーロコロ


鬼怒太:定印鬼
 うでを組むのは鬼の定印。人と逆で、手のかわりに足で合掌、「幸」を祈る
     藤原郁三 2008年

 鬼怒川温泉神社
主祭神 大己貴命(おおあなむちのみこと)少名彦命(すくなひこののみこと)
例祭  四月吉日
敷地内 三百坪
本殿  流造銅板葺
由緒沿革 創立は不詳、古老の口伝によれば鬼怒川温泉宿地の温泉神社を現地に遷座。(温泉の守護神を祀る)
「湯楽の神は湯の神、温泉神(いでゆのかみ)」ともいい、温泉の霊力を神格化し崇敬され温泉神社が建立された。
祭神には医療・禁厭(きんよう)の神とされている大己貴命・少名彦命が祀らりている。
温泉には不病を癒す効能がある為、全国より多数の人々達が浴湯を楽しむ。
御神徳 家内安全、身体健全、勝運、
          温泉神社 宮司


鬼怒川温泉発祥の湯
  宝の湯
 古くは江戸時代より滝温泉の名称にてよばれ、一七五二年当時は日光の寺社領であったことから日光詣で帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能な温泉でありました。明治時代になり滝温泉が一般に開放され、やけどやキズの名湯としてこの山奥まで尋ねる人が絶えず、その後鬼怒川を間にして西岸と東岸に温泉を分かち、西を滝温泉、東を藤原温泉と呼び会津街道を行き交う人の旅人宿としてまた、里から山村に出入りする商人の宿としてますますその需要を深め、昭和二年頃より鬼怒川温泉として名称を改めました。その滝温泉から湧き出た温泉の一つ、名湯宝の湯は、明治八年五月官報に書きしるされ、湧き出す温度は現在でも五十三度前後を保ち、毎分約三百リットルもの豊富な湯量を誇る鬼怒川温泉発祥の湯と呼ばれています。
     鬼怒川プラザホテル


日光の歴史の1ページを彩った路面電車
 日光軌道線は、1910年(明治43)年、古河鉱業(現 古河電気工業)日光電気精銅所の貨物輸送を主目的として、日光電気軌道株式会社が停車場前~岩の鼻間で開業したもので、当初から、日光地域の観光輸送の一翼も担っていました。戦後の日本経済の復興とともに観光ブームが起こる中、戦禍を免れた日光軌道線は、1947(昭和22)年の合併により東武鉄道日光軌道線となり、東京方面から日光地域への観光客の円滑な輸送に、大きな役割を果たしてきました。
 この路面電車は、1953(昭和28)年から15年間にわたり、市民生活の足として、また国際観光地日光を訪れる観光客の貴重な輸送手段として、日光駅から馬返までの全線10.6kmの日光の街中を運行した東武100系電車10両のうちの1両です。
 その後、1965(昭和40)年の第一いろは坂に続く第二いろは坂寛政の影響を受けて旅客数や貨物数が激減し、1968(昭和43)年、東武鉄道日光軌道線はその58年間の歴史に幕を閉じましたが、このような歴史的背景を踏まえ、実際に走っていた車両を当時の姿に復元し、東武鉄道駅前広場に展示することで、後世に残すべき貴重な産業遺産として、また往時を偲ぶ観光試験として活用を図るものです。


東武鉄道日光軌道線 東武100系車両
規格: 全長12,350mm、全幅2,200mm、全高3,552mm
その他:車番109
定員: 96名


A Tram that Colores One Page of Nikko’s History
 The Nikko-Kido Line Tramway was opened in 1910 by Nikkio Electric Tram Co.,Ltd., between Teishaba-mae Station and Iwa-no-Hana Station, and was used mainly for freight transportation by the Furukawa Mining (currently Ferukawa Electric) Nikko Electric Copper Works. From its outset, it also played a role in transportation for tourism purposes in the Nikko region. In 1947, coinciding with the tourism boom which followed the recovery of the Japanese economy after the war, the Nikko-Kido Line Tramway merged with Tobu railway to become the Tobu Railway Nikko-Kido Line. It come to play a major role in transporting tourism from the Tokyo area to Nikko.
 For 15 years following its launch in 1953, this particular tram served to support the everyday lives of Nikko citizens, and provided a much-loved means of transport for tourism visiting Nikko from all around the world. It is one of 10Tobu 100-series trams that ran on the 10.6km tramway through Nikko City, from Nikko Station to Umagaeshi Station.
 However, as a result of the completion of the second Irohazaka Road in 1965, freight transportation and passenger numbers decreased dramatically, and 1968 the Tobu Railway Nikko-Kido Line closed its doors on a 58 year history. In order to preserve the much-loved industry for future generations, the tram has been restored to its original condition, and is now displayed in front of Tobu Nikko Station.


Tobu Railway Nikko-Kido Line Tobu 100-Series
Dimensions: Overall length – 12,350mm
Overall width – 2,200mm
Overall height – 3,552mm
Other: Car Number 109
Capacity: 96 people


  御案内
 その昔、男体山の噴火で生まれた中禅寺湖の湖水が大尻川となって流れだし、この大岩壁から一気に落下する壮大な雄姿が華厳滝です。
 高さ   九七.〇m
 落口巾  七.〇m
 滝壺深さ 四.五m
 落水量(毎秒〇.三トン)
 華厳滝を囲むこの大岩壁は上部から安山岩・集か塊岩・石英斑岩とで形成され中段の細い滝の数々は十二滝と呼ばれています。
 滝の流れはさらに観瀑台直下の涅槃滝にかかり大谷(だいや)川となって鬼怒川に合流しています。


旧日光市庁舎
特徴:木造4階建の和洋折衷の入母屋造りで、当時ととしては珍しい米松を使用し、周囲の一部には高さ8メートルの石垣を築造しています。
沿革:等建造物は、当時地元の名士であった小林庄一郎氏が、日光を訪ねる外国人向けのホテル経営を目指して建設した建物です。
建設着工の時期は明治38年(1905年)頃、当時で35万円(現在の10数億円相当)の金額と15年の歳月をかけ大正8年(1919年)にほぼ完成したといわれています。名称も徳川家ゆかりの土地柄にちなみ「大名ホテル」と決定していたとのことですが、ホテルとしての使用実績はほとんどありませんでした。
昭和18年(1943年)に古河電工日光精銅所へ売却され、工員アパートとして使用されました。戦後一時的に進駐軍の社交場になりましたが、昭和23年(1948年)に旧日光町役場本館として、昭和29年(1954年)の市制施行後は、旧日光市庁舎本館として使用されました。
平成18年(2006年)の市町村合併により、新日光市の日光総合支所(その後、名称変更により日光行政センター)となりましたが、平成30年(2018年)3月、新庁舎が日光行政センター機能が移転したことによりその役割を終えました。保存のため外観の修繕と周囲の園地化を行い、令和4年4月に旧日光市役所記念公園とてしオープンいたしました。
備考:【国登録有形文化財建造物】登録年月日:平成18年(2006年)3月2日
   【地域活性化に役立つ近代化産業遺産】認定年月日:平成19年(2007年)11月30日


Former Nikko City Hall
 A four-story building with a Japanese Western-style hip-and-gable roof. Made of Douglas fir, rare for the time period, and a stone wall measuring 8 meters high built in part of the surrounding area.
This building was created by Shoichiro Kobayashi, a notable figure at the time, with the aim of managing a hotel for foreigners visiting Nikko. It is said that construction started around 1905 (Meiji 38), nearing completion almost 15 years later in 1919 (Taisho 8). At that time, it cost the amount of 350,000 yen (today’s equivalent of 1 billion yen). Although the name “Daimyo Hotel” was decided in reference to the landingholding magnates (Daimyo) of the Tokugawa Clan, there was almost no record of its use aa a hotel.
 It was sold to Nikko Copper Works od Furukawa Electric in 1943 (Showa18) and utilized for workers’ housing. Although it temporarily served as a social gathering place for occupying forces after the war, it was then donated in 1948 (Showa 23) as the Town Hall to Former Nikko Town. After the city system was enforces in 1954 (Showa 29) it was used as Nikko City Hall. Due to the merger of cities, towns, and villages in 2006 (Heisei 18) it become the Nikko General Branch of present day Nikko City (later changing its name to the Nikko Administration Center). However, In March 2018 (Hesei 30), the Nikko Administrating Center was added to the new government building, thus ending its role due to its shift of purpose.
 The exterior was repaired for preservation and the surrounding area was converted into a park. In April 2022 (Reiwa 4), it was reopened as the Former Nikko City Hall Memorial Park.
Remarks: [National Registered Tangible Culture Property Building Registration Date: March 2nd, 2006 (Heisei 18)
     [Heritage of Industrial Modernization Serving ad Regional Revitalization] Certification Date; November 30th, 2007 (Heisei 19)


【文献】
西脇三郎・小池啓一 (2001) 軟体動物腹足類の新分類体系と上位分類群の和名, 群馬大学教育学部紀要 自然科学編, 49, 79-97, URL: https://gunma-u.repo.nii.ac.jp/record/4296/files/ares049079.pdf, 2024-08-13.
山中征夫 (2007) ヤマビル(Haemadipsa zeylanica japonica)-日本で唯一の陸生吸血ビル-, 森林科学, 51(10), 10.11519/jjsk.51.0_4343-51, Accessed: 2024-08-13.

浅草から鬼怒川へ

 今日から夏休み。1日目はゆっくり家を出て浅草で昼食の後、ブルーリボン賞2024を受賞したスペーシアXで鬼怒川温泉に向かいました。


【参考】
吾妻橋交差点
カミヤレストラン
昼食(の一部)
スペーシアX
古賀志山(東経139°46′9.3″、北緯37°37′42.6″)
鬼怒川みやび
鬼怒太像
キンケイ X ギンケイ Chrysolophus pictus x Chrysolophus amherstiae
佳祥坊福松:417号室より
食事処遊喜:夕食(の一部)


鬼怒太像
 凛として立ち、いかにも逞しく、元気あふれる鬼の姿に、鬼怒川温泉活況の願いをだぶらせた。
 誰からも愛されるような、鬼怒川のマスコットになってほしいと思い、強さの中にも可愛らしさのある子供の鬼とした。
 金棒を持たせたのは、まさに「鬼に金棒」鬼怒川温泉のゆるぎなく全国一素晴らしい温泉郷になることを祈念してのことである。
          藤原郁三 作

手作り焼酎『山ほたる』-2024

 一昨年に続いて娘たちが、誕生日を祝って米焼酎を贈ってくれました。今年も季節を迎えたホテルの乱舞を思い浮かべながら戴くのが楽しみですが、その一方では、生産量が若干減っていることが気がかりです。


『山ほたる』案内文より
2023年商品・手造り『山ほたる』のご案内
     ~高田酒造場の限定品です~
 この度は手造り焼酎『山ほたる』をお買い上げいただき、誠にありがとうございます。せっかくですから、私どもがどんな蔵で、どのようにして焼酎をつくっているのか、ほんの少しご案内させていただきます。
     伝統を守る石蔵の麹室、かめ仕込み
高田酒造場は熊本県球磨郡あさぎり町深田におる小さな蔵です。まわりを1000m級の山々に囲まれ、すぐ近くを日本三大急流の一つ球磨川が流れ、初夏にはたくさんのホタルも飛び交うところです。
 藏は2119年前に創業100年を迎えました。焼酎はすべて手作りで、もっとも神経を使う麹づくりは昔ながらの石蔵の麹室、仕込みは伝来のカメ仕込みです。
 カメの下部は土中に埋められているため温度が一定し、焼き物特有のはたらきで、もろみの発酵に適しています。また夜半や早朝にも経験をつんだ人の手が必要な石蔵の麹室は、九州でもほとんど見かけなくなりました。
     自家栽培の山田錦を使用
 『山ほたる』は、私が自分の田んぼで育てた酒米の山田錦と酵母の特性を生かしています。本年は19年目、追い求めていた吟醸の香りがただよう焼酎ができあがりました。
     720mlで約8500本の限定販売です。
 しかし、実は『山ほたる』の吟醸香の原酒は、小さなタンク二つ分しかありません。力不足で、まだまだそれだけしかつくれませんでした。
 『山ほたる』という名前には、焼酎づくりはすべてにわたって自然に徹したいという私の思いと、里山に乱舞するホタルたちに寄せる応援の気持ちを込めました。
 本年度は、720mlのビンで約8500本の限定販売です、ストレート、ロックがおすすめです。自然が贈ってくれた芳醇な香りをお楽しみください。
          高田酒造場 / 高田 啓世


『山ほたる』ラベルより
限定品 高田酒造場
     【石蔵の麹室・カメ仕込み】
 『山ほたる』の仕込み水は、蔵の中にある井戸から汲み上げられる地下水です。厳選した酒米と清冽な地下水、そして昔ながらの希少な石蔵の麹室とカメ壺で仕込みました。初夏にはホタルの群れが乱舞する里山で、自然の恵みと伝統の技が調和した本格※焼酎の逸品です。『山ほたる』の芳醇な香りとやさしい口当たりは季節のいろいろな料理とよく合います。ロック、水割り、などでお楽しみください。


【参考】
 山ほたる(2023年:4099/8530):高田酒造場
 ゲンジボタル Luciola cruciata 2005-06-25 撮影地:広島市佐伯区湯来町伏谷

金沢旅行(2日目)-金沢城址、兼六園を尋ねて

 二日目は、金澤城址公園と、兼六園などを尋ねました。

金沢旅行(1日目)

今年の夏休みは、一泊の日程で家族旅行でした。


【参考】
車窓より
悠颺ゆうよう」蓮田修吾郎(市制百周年記念モニュメント)
郵太郎
「Corpus Minor #1」Janne kristian Virkkunen(金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2004 優秀賞)
「The Sundial」 Bartlomiej Struzik (金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2004 優秀賞)
近江町市場おうみちょういちば
村野さやか
シダレヤナギ Salix babylonica var. babylonica
浅野川
カルガモ Anas zonorhynch
あすなろ細工かみや
「やかん体、転倒する。」三枝一将
ひゃくまんさん


金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2004 優秀賞
「Corpus Minor #1」Janneヤンネ kristianクリスティアン Virkkunenヴィルック年
 この作品は、金沢の玄関口にふさわしく、はじけるようなダイナミックさわ持っています。素材は鋳鉄製でね錆による風合いの変化は、街の発展や時代の変化を象徴するものです。


解説
ひゃくまんさん
 石川の魅力が詰まった観光PRマスコットキャラクター
眉・胴体 金沢が全国一の生産量を誇る金箔を使用
ひげ 縁起のいい末広がりの八の字型
 下地を何層も塗り重ねた輪島塗
からだ 加賀友禅柄の菊や牡丹 色彩は、赤・黄・緑・紺青・紫の久谷五彩
顔。全身 航空機の機体にも活用される軽くて強い炭素繊維 先端企業の石川工場で製作
ひゃくまんさんのからだに描かれた観光地など
 ことじ灯籠、朝顔、加賀てまり、和菓子、紅葉、白山、加賀八万起上り、能登のキリコ、石川門

2023年(令和五年)、賀新春!

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 早々のお年賀を頂戴しました皆さま、ありがとうございます。新年のご挨拶は、当サイトに代えさせて戴いておりますこと、ご容赦ください。


過去の年賀状ギャラリー
 双子も昨年成人し、今年は就職活動の予定です。