今日(2025-04-26:土)は小石川界隈を散策しました。後楽園のヌマガメは、残念ながら全て外来種に置き換わっている様です。
【坂道】 【カメ目】 【現生生物の系統概要】【植物界の系統概要】【後世動物の系統概要】
小石川後楽園
ノダフジ Wistaris floribunda
アカミミガメ Trachemys scripta
東富坂(真砂坂)
春日局之像(麟祥院)
(湯島)切通坂
旧岩崎邸庭園
イチョウ Ginkgo biloba
イチョウ Ginkgo biloba
イチョウ Ginkgo biloba
【参考】
小石川後楽園
ノダフジ
Wistaris floribunda
アカミミガメ
Trachemys scripta
東富坂 (真砂坂)
本来の「東富坂」は、この坂の南を通る地下鉄丸ノ内線に沿った狭い急坂である。現在は、「旧東富坂」と呼んでいる。もともとの坂は江戸の頃。木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくることから「鳶坂」といい、いつの頃からか「富坂」と呼ぶようになったという。
現在の東富阪は、本郷3丁目から伝通院まで路面電車(市電)を通すにあたり、旧東富坂上から春日町交差点まで新しく開いたゆるやかな坂道である。この市電は、1908年(明治41)4月11日に開通した。現在、文京区役所をはさんで反対側にある坂を、「富坂(西富坂)」と呼び区別している。
文京区教育委員会 平成8年3月
春日局之像(麟祥院)
切通坂
旧湯島切通町(昭和40年までの町名)
むかしから、奥州街道の脇道としてわずかばかりの町屋があった。
江戸時代になって、旗本などの拝領屋敷ができ、元禄年中(1668~1704)から町並屋敷となった。南側にも切通坂があるので、湯島切通町とした。
北側の隣接地には、徳川家康江戸入り早々に、四天王の一人榊原康政の屋敷となった、明治維新後、西郷隆盛の腹心桐野利秋が一時期所有した。後に三菱初代岩崎弥太郎の所有となり、戦後物納されて、最高裁判所の司法研修所などとなった。
切通坂は、「湯島の白梅」の”青い瓦斯灯境内を出れば本郷切通し”て全国に知られた。
旧岩崎邸庭園
イチョウ Ginkgo biloba (旧岩崎邸庭園)
推定樹齢400年
イチョウ 雄、幹周7.4m
江戸時代 越後高田藩 神原屋敷時代よりこの地にあったと思われる大イチョウ。
イチョウは老木になると幹枝から「乳」あるいは「垂乳」と呼ばれる乳房状のこぶが垂れ下がることがあり、このイチョウにも見られます。
12月初旬の黄葉の季節には、洋館使用面玄関のステンドグラスを黄金色に染め上げ、やがて降り積もる落葉は、またたく間に車寄せ広場を黄金色の絨毯で埋めつくします。
【文献】
粟野隆・服部勉・進士五十八 (2003) 旧岩崎邸庭園(1900年頃~1945年頃)の構成と意匠, ランドスケープ研究, 66(5), 385-388, DOI:
10.5632/jila.66.385 accessed: 2025-04-27.