平成最後のゴールデンウィーク3日目は、大宮を訪ねました。茉莉花は勉強会があるとのことでメンバーは3名です。今日は、玄関廻りが寂しかったので、宿根性朝顔を植え付けました。
【参考】
ノアサガオ(琉球朝顔) Ipomoea indica ‘Crystal Blue’
昨日の雨が嘘のように良いお天気となった今日は、二年ぶりのお墓参り。お供えの花は、サンダーソニア、アルストロメリア、カスミソウ、それにヒメイワダレソウでした。シロツメクサも播種しました。
市橋家の家紋は『
2017年4月 2011年10月 2011年5月
横浜市の東部を集水域とする大岡川には沢山の橋が架かっています。これらの橋はグーグルマップに名前が記されていないものも多くありますので、今日は現地を調査してみました。河口付近から出発して、氷取沢市民の森の『おおやと広場』あたりで、そろそろ日が傾いてきたので本日の調査を終えました。帰って写真を整理すると丁度100の橋、暗渠などの構造物が確認できましたので、実際には100以上の構造物が架かっていることになります。
大岡川構造物マップ(暫定版)
【補遺】2022-11-16撮影
【ちぇりり場】
花見の季節に開催される桜まつりをはじめ、桜の川として親しまれている大岡川。「ちぇりり場」は桜(Cherry)と川(River)、そして、皆さんに親しまれ、憩い安らぐ場としての願いが込められた愛称です。「ちぇりり場」から眺める川には桜の花びら模様のかわいい、お魚「ちぇりとと」がやさしく、ニコニコ泳いでいます。
【道慶地蔵尊】
由来
普門院藏古記より
(注)普門院:福智山不動寺普門院は現在、南区西中町1-2-6にある高野山真言宗の寺院。『南区の歴史』によれば、関東大震災(大正12年)、横浜大空襲(昭和20年)の際に被災したとあり、「古記」がどのような資料であるかは不明。
【大岡川の歴史】
昭和30年頃の写真を見ると、大岡川は土手が続いていたことがわかります。
大岡川は美しい桜並木で知られていますが、この流域に桜が植えられたのは、明治後期のことと推測されます。太平洋戦争中、戦後の燃料不足の際には、多くの桜が薪として伐採されましたが、その後、少しずつ桜が植えられ、昭和55年に住民の区民の皆さまの要望を受けて事業化された「大岡川プロムナード整備」によ合わせて多くの桜が植樹され、現在のような桜並木が形づくられました。
平成13年にし南区の花を「さくら」に決定し、平成18年には区の花「さくら」を守り育てることを目的とした「南区さくら保全・活用計画」を策定しました。この計画に基づき、プロムナードの再整備や病気等により倒木の危険性がある桜の植え替えを進めています。
【井土ヶ谷橋架替記念の碑】
大正12年の関東大震災により、市内は甚大な被害を受けました。井土ヶ谷橋は、その後の震災復興事業の一環として、昭和4年、蒔田橋と清水橋の間に新しく架けられました。その後、この橋は、井土ヶ谷地区と蒔田地区を結ぶ橋として、重要な交通の要としての役割を担ってきました。
昭和18年、南区は中区から分離し、誕生しました。当初は南太田町の市民館を改造し、庁舎として活用していましたが、昭和33年に区庁舎が花之木町に移ったことで、井土ヶ谷橋は南区の中心部に架かる橋、区役所のそばの橋として、多くの区民の皆さまに親しまれてきました。
平成25年、建設後80年以上が経過し著しく老朽化してきたため、架替工事が行われ、新たな橋として生まれ変わりました。同年12月にし南区制70周年を迎えることを記念し、橋の周辺に区の花「さくら」が植樹され、橋のたもとに植えられた4本のヤエベニシダレザクラはシンボルツリーとして、公募により「みなみ桜」という愛称がつけられました。
架替工事により、歩道が以前よりも拡幅されたことで、この橋から桜をゆったりと眺めることができるようになりました。この先、人々が集い桜を楽しむ憩いの場として、この橋がこれまで以上に皆さまに親しまれることを願っています。
平成25年12月 南区役所
【岡本橋記念碑】
岡本橋記念碑は、明治二十三年に建立されました。当時の鎌倉街道は、ひとたび雨が降ると歩けないほどの悪路でしたので、沿道の十一ヶ村の人々が協力し、改修工事に従事して完成させた功績を伝えています。
この記念碑は、長年にわたり鎌倉街道沿いの港南中央十三番二十四号地先に建っていましたが、地元の要望により、平成二年十月に当地へ移築されました。
【かわじまの碑】
この取水庭は、かつて大岡川が東へ大きく迂回して流れ、恰も島の形態を呈していて、代々北見氏の居住地でした。当時は、桜、欅、竹、等が茅屋を取り囲み、この居住地を古来「川島」(かわじま)と呼ばれていました。また、南側に架かる「かわじま橋」の名称は大正十五年(1926年)に初めて欄干のある石橋に架替えの際、それに因んで名付けられたものです。この「かわじま」の祖先は北見掃部(康正二年・一四五六年没)と云い、遠く室町時代の人で寺社の建立等、寄与に尽くした地域の指導者と伝えられています。
「新編武蔵風土記稿」によれば『清兵衛北見ヲ氏トス世々村ノ里正タリシカ今ノ清兵衛ニ到テ其役ヲ辭セリ祖先ヲ北見掃部ト云村ノ小名經塚山ノ邊ヨリ東北新川ノ岸マテ凡二丁一丁半餘小名杉本ト唱フル所即掃部カ屋舗ナリシ由』とあり、また応永十年(一四〇三年)には『北見掃部太子ノ告ヲ蒙リ一族トカヲ合セテ太子堂ヲ己カ持地經塚山ニ建立シテ彼像ヲ安シ此地ヲ東福寺へ寄附シテ鎮守トス後天文二年領主間宮豊前守信元モ信仰シテ一村ノ鎮守トセリ』とみることが出来ます。尚、『村内東福寺ノ縁起ニ此人當寺ヲ中興開基シ康正二年死セリトアレハ舊家ナルコトハ論ナシ』と記されています。
以上のように、この「かわじま」の五百数拾年を超える歴史をもつ北見氏居住の地が、分水路施設のために消え去ることは惜しまれますが、洪水対策として公共のために生かされる意義は大きく、茲に事業の完成を記念すると共に「かわじま」の史的背景を後世に伝えるために之を建てるものであります。
昭和五六年三月 横浜市
【大岡川分水路建設之碑】
大岡川は、その源を磯子区の円海山付近に発し、港南区、南区及び中区等、市の中心部を貫流して横浜港に流入している重要な河川であります。
かつて大岡川の上流地域は、山林や田畑の多いのどかな丘陵地でありましたが、昭和三十年代後半からの高度経済成長に伴う都市への人口集中と、国鉄根岸線の開通によって洋光台及び港南台をはじめとして多くの宅地開発が活発に行われました。
また、昭和三十六年六月の梅雨前線豪雨、昭和四十一年六月の台風四号による洪水のため、大岡川は中・下流域で氾濫し、ともに数千戸が浸水するという大被害が発生しました。
そこで、神奈川県と横浜市は、このような災害を防止するため、日野川と大岡川の洪水を直接根岸湾に放流する大岡川分水路計画を樹立し、昭和四十四年に着工しました。
以来、家屋の移転、用地の撰供など多くの市民の方々の絶大なるご協力のもとに、十二年の歳月と百六十六億円余の事業費を投じ昭和五十六年三月ここに完成したものであります。
昭和五十六年三月
神奈川県知事 長洲 一二
横浜市長 細郷 道一
【文献】
白瀧敏弘(1996)大岡川カヌー散歩、市民グラフヨコハマ、No.95、10-12.
南区の歴史発刊実行委員会(1976)南区の歴史、650p.
今日は、菊名桜山(カーボン山)の開花状況を見に行きました。ここの主要品種は関内桜通りと同じ関山なのですが、こちらのほうの開花が遅れているようで、せいぜい2分咲きといったところでした。来週末の桜祭りがちょうど見ごろとなると思われます。
2018年 2016年 2015年 2013年
帰りに横浜イングリッシュガーデンに寄りましたが、ここには横浜公園では見ることのできないチューリップの品種が多数ありました。
その他、本日撮影の写真です。
午後から横須賀に戻って撮影した写真です。
見ごろと思い訪ねた猿海山龍本寺の里桜『鬱金』が亡くなっていました。境内にいらした方によりますと、昨年の台風で2本とも倒れてしまったそうです。2本とも櫱があるので、何年か後には復活してくれることを祈っております。
チューリップの品種をたくさん栽培していることで知られる横浜公園、今年も見頃の季節を迎えました。
【2016年】
その他、関内、戸部などで撮影した写真です。
大宮の実家へは、月に一度くらい尋ねています。最近体の具合がよくなっている母が、玄関先まで見送ってくれました。
今日は二人で南太田から弘明寺まで大岡川沿いを歩いいてみました。
南区制70周年 井土ヶ谷橋架替記念植樹
みなみ桜
樹種:八重紅枝垂桜(ヤエベニシダレザクラ)
区制70周年及び井土ヶ谷橋の架替ょ記念し、橋のたもと4箇所に区の花「さくら」を植樹しました。この4本の桜がシンボルツリーとして末永く区民の皆さまから親しみ愛されるよう、愛称を募集し「みなみ桜」に決定しました。
いつまでも美しく、元気に花を咲かせてくれるよう、この桜を見守ってください。
平成25年12月 南区さくら貯金振興会 南区制70周年記念事業実行委員会 南区役所 |
注文しておいたリッピアが入荷したと連絡が入ったので、受け取ってきました。連休に予定しているお墓参りの際に植え付ける予定です。
本邦に分布するイワダレソウ Phyla nodifloraの同属種で、Phyla canescens var. canescensのシノニムもあるようです。近くで花を見ると、同じクマツヅラ科のランタナ(七変化)、バーベナ(美女桜)などによく似ています。
南米原産ですが、グラウンドカバーとして世界中で栽培されており、栄養繁殖で旺盛に繁茂するため、関東地方でも半野生状態で帰化しているのを見かけます。本種は特定外来生物ではありませんが、生物多様性条約第10回締約国会議(2010年)において決議された「愛知目標」の達成に向けて選定された重点対策外来種に指定されています。
【文献】
川口佳則・沖 陽子(2014)ヒメイワダレソウ( Phyla canescens (Kunth) E.Greece)のわが国における逸出および問題雑草化への可能性とその対策、雑草研究、59(1) 31-35、https://www.jstage.jst.go.jp/article/weed/59/1/59_31/_pdf/-char/ja (参照 2019-04-05).