大岡川に架かる橋(構造物)を訪ねて

 横浜市の東部を集水域とする大岡川には沢山の橋が架かっています。これらの橋はグーグルマップに名前が記されていないものも多くありますので、今日は現地を調査してみました。河口付近から出発して、氷取沢市民の森の『おおやと広場』あたりで、そろそろ日が傾いてきたので本日の調査を終えました。帰って写真を整理すると丁度100の橋、暗渠などの構造物が確認できましたので、実際には100以上の構造物が架かっていることになります。
大岡川構造物マップ(暫定版)


大岡川に架かる橋など(大岡川-笹下川本流のみ)
 国際橋(下り線、上り線)
 汽車道
 北仲橋(下り線、上り線)
 辨天橋(下り線、上り線)
 住吉橋(桜木町歩道橋)
 大江橋
 第3桜木町橋梁
 桜川橋(下り線、上り線)
 都橋
 宮川橋
 長者橋
 旭橋
 旭橋人道橋
 黄金橋
 末吉橋
 太田橋
 栄橋
 白金人道橋
 道慶橋
 一本橋
 山王橋人道橋
 山王橋
 (首都高神奈川13号狩場線)
 蒔田公園橋
 清水橋
 井土ヶ谷橋
 蒔田橋
 鶴巻橋
 大井橋
 弘岡橋
 さくら橋
 観音橋
 花見橋
 与七橋(下り線、上り線)
 中里橋
 向田橋
 越戸橋
 最戸下橋
 最戸上橋
 (京浜急行本線)
 大久保橋
 久保橋
 青木橋
 松本橋
 笹下橋
 岡本橋
 曙橋
 大橋
 武者ヶ谷橋
 関之橋歩道橋
 上笹下橋
 川島橋
 環状2号線側道
 環状3号線
 環状4号線
 環状5号線側道
 日下橋
 曲田上橋(推定)
 曲田下橋
 曲田橋
 新川橋
 元笹下橋
 田中橋
 天谷橋
 松之内橋
 大正橋
 新大橋
 塩木戸橋
 笹下川ガード
 栗木橋
 上中里橋
 上中里橋
 向坂橋
 磯子台橋
 暗渠(笹下釜利谷道路下)
 塞戸橋
 名称不明
 神戸橋
 関ノ向橋
 遠向橋
 下ヶ谷暗渠
 中野橋
 下ヶ谷橋
 (番外)名称不明
 氷取沢橋
 暗渠
 氷取沢神社神橋
 名称不明
 上之橋
 名称不明
 木道地A, 木道B, 木道C


【補遺】2022-11-16撮影


 女神橋:2021年3月31日全面開通
 Yokohama Air Cabin:2021年4月22日運行開始
 さくらみらい橋:2020年6月25日開通


内湾のぞむ橋 Bridge looking out over the inner harbor
 みなとみらい21中央地区から新港地区につながる水際線のゆるやかなカーブは、横浜ベイブリッジを中心としたインナーハーバーの景色をどこからでも眺められることが特徴です。女神橋もこのカーブと連続させて、橋の中央部を最も高くすることで、横浜らしい港の景色を感じながら、海沿いを連続して散策できる歩行者空間を創出しています。
 The gentle curve of the shoreline between the Minatomirai 21 Central District and the Shinko District offers unique views of the inner harbor and Yokohama Bay Bridge from anywhere along the waterfront. “Megami-bashi” Bridge runs along this curve, with highest point in the middle, creating a pedestrian-friendly space to appreciate the scenery of Yokohama’s iconic harbor while strolling along the coast.


女神橋 Origin of the name “Megami-bashi” Bridge
対岸にあるホテルの最上部には女神像が配置されています。この女神像は、パシフィコ周辺を国際交流の拠点として国際平和を願うシンボルとされており、ホテルの袂に架かるこの橋が横浜の発展や人々の幸福ねそして世界の平和を導くシンボルになってほしいという願いから、「女神橋」と命名されました。
 The bridge id names for the goddess statue on the top of the hotel on the opposite bank. The statue is a symbol of world peace, and the surrounding area id considered a hub for international exchange due to the presence of the PASIFICO convention complex. Located near the entrance of the hotel, the bridge was given the name “Megami,” or goddess in Japanese, with the aspiration that it will become a symbol for Yokohama’s prosperity, the happiness of mankind, and world peace.
The Gaddess statue


その他、本日撮影の写真

 海鳥達の風(峯田義郎作)
 ちぇりり場(長者橋近く)
 道慶地蔵尊(道慶橋西詰)
 イソヒヨドリ Monticola solitarius、雄
 イチョウ Ginkgo biloba(蒔田公園)
 旧井土ヶ谷橋親柱
 みなみ桜(井土ヶ谷橋) 八重紅枝垂(やえべにしだれ)Ceraus pendula cv. “Pendula-rosea”
 地蔵尊(大井橋)
 アカメガシワ Mallotus japonicus
 カワウ Phalacrocorax carbo
 コサギ Egretta garzetta
 鯉のぼり(大久保橋~久保橋)
 マゴイ Cyprinus carpio
 ヤマグワ Morus australis
 笹下川-日野川分岐点
 岡本橋記念碑
 かわじまの碑
 大岡川分水路分岐点
 大岡川水門
 ノヂシャ Valerianella locusta
 笹下川支流分岐点(天谷橋下流)
 おおやと広場


【ちぇりり場】
 花見の季節に開催される桜まつりをはじめ、桜の川として親しまれている大岡川。「ちぇりり場」は桜(Cherry)と川(River)、そして、皆さんに親しまれ、憩い安らぐ場としての願いが込められた愛称です。「ちぇりり場」から眺める川には桜の花びら模様のかわいい、お魚「ちぇりとと」がやさしく、ニコニコ泳いでいます。


【道慶地蔵尊】
  由来
 明暦元年(1655年)(三百二十年前)相模国久良岐郡太田村字前里耕地(現前里町三ノ六五)にあった渡川口に雲水僧道慶師(出生地不詳)が立ち寄り附近住民の難儀を見聞し之を救わんと同所に祀ある地蔵尊に草庵をむすび日夜地蔵尊に祈願して托鉢を重ね幾多の艱難辛苦の末遂に万治元年(1658年)独力にて橋を造り両岸住民の難渋を救った。道慶師没後その遺徳を偲び両岸の住民有志相計り同橋を道慶橋と名づけ、師の信仰せる地蔵尊を道慶地蔵としてお守りし今日に至る。
     普門院藏古記より

(注)普門院:福智山不動寺普門院は現在、南区西中町1-2-6にある高野山真言宗の寺院。『南区の歴史』によれば、関東大震災(大正12年)、横浜大空襲(昭和20年)の際に被災したとあり、「古記」がどのような資料であるかは不明。


【大岡川の歴史】
 昭和30年頃の写真を見ると、大岡川は土手が続いていたことがわかります。
 大岡川は美しい桜並木で知られていますが、この流域に桜が植えられたのは、明治後期のことと推測されます。太平洋戦争中、戦後の燃料不足の際には、多くの桜が薪として伐採されましたが、その後、少しずつ桜が植えられ、昭和55年に住民の区民の皆さまの要望を受けて事業化された「大岡川プロムナード整備」によ合わせて多くの桜が植樹され、現在のような桜並木が形づくられました。
 平成13年にし南区の花を「さくら」に決定し、平成18年には区の花「さくら」を守り育てることを目的とした「南区さくら保全・活用計画」を策定しました。この計画に基づき、プロムナードの再整備や病気等により倒木の危険性がある桜の植え替えを進めています。

昔の大岡川(昭和30年頃)下倉弘一氏所蔵


【井土ヶ谷橋架替記念の碑】
 大正12年の関東大震災により、市内は甚大な被害を受けました。井土ヶ谷橋は、その後の震災復興事業の一環として、昭和4年、蒔田橋と清水橋の間に新しく架けられました。その後、この橋は、井土ヶ谷地区と蒔田地区を結ぶ橋として、重要な交通の要としての役割を担ってきました。
 昭和18年、南区は中区から分離し、誕生しました。当初は南太田町の市民館を改造し、庁舎として活用していましたが、昭和33年に区庁舎が花之木町に移ったことで、井土ヶ谷橋は南区の中心部に架かる橋、区役所のそばの橋として、多くの区民の皆さまに親しまれてきました。
 平成25年、建設後80年以上が経過し著しく老朽化してきたため、架替工事が行われ、新たな橋として生まれ変わりました。同年12月にし南区制70周年を迎えることを記念し、橋の周辺に区の花「さくら」が植樹され、橋のたもとに植えられた4本のヤエベニシダレザクラはシンボルツリーとして、公募により「みなみ桜」という愛称がつけられました。
 架替工事により、歩道が以前よりも拡幅されたことで、この橋から桜をゆったりと眺めることができるようになりました。この先、人々が集い桜を楽しむ憩いの場として、この橋がこれまで以上に皆さまに親しまれることを願っています。
          平成25年12月 南区役所

南区総合庁舎屋上から見下ろした旧井土ヶ谷橋(平成21年春撮影)


【岡本橋記念碑】
 岡本橋記念碑は、明治二十三年に建立されました。当時の鎌倉街道は、ひとたび雨が降ると歩けないほどの悪路でしたので、沿道の十一ヶ村の人々が協力し、改修工事に従事して完成させた功績を伝えています。
 この記念碑は、長年にわたり鎌倉街道沿いの港南中央十三番二十四号地先に建っていましたが、地元の要望により、平成二年十月に当地へ移築されました。

岡本橋記念碑


【岡本橋記念碑】原文
 神奈川縣久良岐郡自横濱至鎌倉沿道笹下村大
 岡村之間道路狭隘有坂曰青木䑓羊膓嶮仄雨則
 濘泥涵馬晴則凸凹苦歩行人往々迂回而避艱去
 蓋間道免徑避彼投此其艱一而己日野村髙梨林
 右衛門者慈善士也嘗憂之欲改修乆矣鍛冶ヶ谷小
 岩井六郎兵衛等亦同憂之士也共誘近郷之同義
 者以從事?功新開一線路就其低橋梁之就其髙
 鋤削之縄曲而直縮避而邇泥濘?疏而為乾燥凹
 凸?填而為平坦直線如髪蹣跚可以推轂盲目可
 以投杖況行人之快歩哉然而地盤?新霖雨填之
 數矣髙梨氏益把腕撑来不屈雖然月填崴敗遂大
 潰非一臂力所能力也嗚呼行路難復見前日之極
 於是上大岡村小林源右衛門山野井庄右衛門笹
 下村髙田喜三郎石川善右衛門日野村渡邉保之
 助荒井好兵衛等相謀大募義捐踐前轍而修治之
 濟行人之艱苦更儲多少資材備永遠修補之基本
 是明治廿一年致其積也茲立石記其事以傳不朽
  明治二十三年六月
        圓覺管長今北洪川 篆額
        佛囧沙門釋 宗演 撰書
          石工 佐々木九兵衛


【かわじまの碑】
 この取水庭は、かつて大岡川が東へ大きく迂回して流れ、恰も島の形態を呈していて、代々北見氏の居住地でした。当時は、桜、欅、竹、等が茅屋を取り囲み、この居住地を古来「川島」(かわじま)と呼ばれていました。また、南側に架かる「かわじま橋」の名称は大正十五年(1926年)に初めて欄干のある石橋に架替えの際、それに因んで名付けられたものです。この「かわじま」の祖先は北見掃部(康正二年・一四五六年没)と云い、遠く室町時代の人で寺社の建立等、寄与に尽くした地域の指導者と伝えられています。
 「新編武蔵風土記稿」によれば『清兵衛北見ヲ氏トス世々村ノ里正タリシカ今ノ清兵衛ニ到テ其役ヲ辭セリ祖先ヲ北見掃部ト云村ノ小名經塚山ノ邊ヨリ東北新川ノ岸マテ凡二丁一丁半餘小名杉本ト唱フル所即掃部カ屋舗ナリシ由』とあり、また応永十年(一四〇三年)には『北見掃部太子ノ告ヲ蒙リ一族トカヲ合セテ太子堂ヲ己カ持地經塚山ニ建立シテ彼像ヲ安シ此地ヲ東福寺へ寄附シテ鎮守トス後天文二年領主間宮豊前守信元モ信仰シテ一村ノ鎮守トセリ』とみることが出来ます。尚、『村内東福寺ノ縁起ニ此人當寺ヲ中興開基シ康正二年死セリトアレハ舊家ナルコトハ論ナシ』と記されています。
 以上のように、この「かわじま」の五百数拾年を超える歴史をもつ北見氏居住の地が、分水路施設のために消え去ることは惜しまれますが、洪水対策として公共のために生かされる意義は大きく、茲に事業の完成を記念すると共に「かわじま」の史的背景を後世に伝えるために之を建てるものであります。
          昭和五六年三月  横浜市

かわじまの碑


【大岡川分水路建設之碑】
 大岡川は、その源を磯子区の円海山付近に発し、港南区、南区及び中区等、市の中心部を貫流して横浜港に流入している重要な河川であります。
 かつて大岡川の上流地域は、山林や田畑の多いのどかな丘陵地でありましたが、昭和三十年代後半からの高度経済成長に伴う都市への人口集中と、国鉄根岸線の開通によって洋光台及び港南台をはじめとして多くの宅地開発が活発に行われました。
 また、昭和三十六年六月の梅雨前線豪雨、昭和四十一年六月の台風四号による洪水のため、大岡川は中・下流域で氾濫し、ともに数千戸が浸水するという大被害が発生しました。
 そこで、神奈川県と横浜市は、このような災害を防止するため、日野川と大岡川の洪水を直接根岸湾に放流する大岡川分水路計画を樹立し、昭和四十四年に着工しました。
 以来、家屋の移転、用地の撰供など多くの市民の方々の絶大なるご協力のもとに、十二年の歳月と百六十六億円余の事業費を投じ昭和五十六年三月ここに完成したものであります。
  昭和五十六年三月
     神奈川県知事 長洲 一二
     横浜市長   細郷 道一

大岡川分水路建設之碑


【文献】
 白瀧敏弘(1996)大岡川カヌー散歩、市民グラフヨコハマ、No.95、10-12.
 南区の歴史発刊実行委員会(1976)南区の歴史、650p.

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