月別アーカイブ: 2021年1月

杉田から富岡へ

 運動不足解消のため少しだけ歩いてみました。
【主な経路】杉田~中原~栗木~坪呑~釜利谷~富岡


横浜市指定名木・古木 Machilus thunbergii:(中原)熊野神社
 No.201806、No.201803



1金沢道と向坂庚申塔 【磯子の史話より転記】
 栗木の根岸線下の新道四つ角の杉田よりに、旧道の四つ角があります。旧金沢街道は、この付近が住宅造成され、根岸線ができて様替りしましたが、四つ角のすぐ南側、高梨家右側に南東にはいる道があります。約五〇mで左折し、次に右カーブして人家の間をぬって行くと、浜中グランドの南辺の道に出ます。小坂を登ると草地の中でT字路に突当り右折すると山路にかかります。切通しにかかるといかにも古道らしい風情です。下りかかった時に左手を見ると、左の支尾根にはいる山道がみえます。杉田台のうら山尾根を伝って坪呑に下り杉田へ行く古道で、鎌倉五山の僧たちが東漸寺へ往来した道です。
 切通しの金沢道を下ると、そまはずれの右側に庚申塔と道標など三基の石塔があります。
 ひとつは、浮彫の青面金剛像で、日・月・六臂の青面金剛・鬼・とり・三猿などがそろっています。享保元年(一七一六)一一月四日下に寄進者八名の名があります。碑の両面に道案内として、左側にこれより左新町道、右側にこれより右杉田道とあります。
 二つめは、青面金剛と文字で書かれ、寛政一三辛酉天二月彼岸、中里念仏講中と刻まれています。もう一つは道標で、正面に、左新まち道、右に杉田道とあり、これも中里念仏講中とあります。後者の二碑は、石といい古さといい全く同じものです。同時に造立されたものでしょう。
 左の新町道は、今は廃道になっていて、やぶにおおわれています。はいってみると古道の面影があり、崩れた所の先に切通しがあります。山腹をぬって新川まで五〇〇mぐらいです。
 金沢道は山腹をぬって南に続いています。樹林の中を歩く風情はいいものです。下の低地に新道が出来るまでは、この道が中里・氷取沢への大切な街道で国道四五号線でした。大正初年に国道一六号線ができてから、この道は村道に転落し、下に市道ができてからは人通りも少なくなって、今では歴史の道、よい散策の道となっています。
 古道の面影をなつかしみながら行くと、やがて人家が現われて、ここは字向坂となります。左へ杉田の小名台への道をわけています。
【参考文献】
磯子区制50周年記念事業委員会「磯子の史話」出版部会 編(1978)磯子の史話、762p .


【参考】
杉田教会
向坂庚申塔・道標(磯子区上中里)
一杯水(いっぺい水):磯子区杉田9丁目1
ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
岩船地蔵尊:磯子区上中里町
京急富岡駅下人道トンネル
曲っ坂
円海山(京急富岡駅ホームより)
白梅 Armenica mume
スイカズラ Lonicera japonica

鷹取山、朝比奈、釜利谷を経由して杉田へ

 緊急事態宣言を受けてテレワーク率が増えた結果、慢性的な運動不足です。今日は買い置きが切れてしまった乾燥豆腐を買い足しに杉田まで、人混みを避けた経路で歩いてみました。帰りは京急本線利用です。
【主な経路】
(自宅)~浜見台~鷹取山~六浦~朝比奈~常林寺跡~朝比奈北市民の森~釜利谷~能見台~氷取沢~上中里~中原~(杉田駅)


 (中原)熊野神社
 カヤ Cephalotaxus hamingtonia:横浜市指定名木古木 No.201801
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.201802
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.201805
   熊野神社縁起
 当社の由来は建久二年(西暦一一九二年)征夷大将軍になった源頼朝が、鎌倉の山崎にあった泉蔵院の僧 真諦知覚法印に治国安民の祈祷を命じたことに遡る。頼朝の命を受けた知覚法印は、我が国第一の霊場とされて居た紀州熊野に参詣して幣帛を捧げ、三所権現の御分霊を樟の船に乗せ、祈りを込めて海に流した。樟舟は御神意のままに中原の海岸に流れ着き、この事が将軍に伝わり、頼朝は御神慮の有難さを感じて、近くの地に神殿を建てるよう知覚法印に命じた。
 知覚法印は、東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊野三所権現社を祀り、山裾に紀州山桐谷寺を建立すべく同年五月六日に着工し、十一月十五日に完成させた。
 後に桐谷寺は山号を大霊山泉蔵院と改め、、熊野三所権現社の別当として当社に奉仕し、国家安泰・万民和楽の祈願を続けて来た。その間文禄三年九月(一五九四年)社殿再建、正徳五年(一七一五年)、社殿は改築され規模は九尺に二間であった。その後安政四年(一八五七年)にも再度改築が施された。
 明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め、法印は神職となり約七百ねん続いた泉蔵院は廃寺となった。明治四十二年神社統合令により村内の中原明神・諏訪神社の二社が合祀された。大正四年社殿の改築が行われ本殿は二間に一間半の神明造り、幣殿は二間に一間半、拝殿は二間半に二間半向拝付き銅葺きの建物となった。
 昭和六十一年三十五代宮司杉原章夫の折、氏子・崇敬者より社殿新築の議が起こり、氏子総代寺田勝彦氏が建築委員長となり、大同建設株式会社岡田文雄氏・大工棟梁両角賢治氏にて施行され、昭和六十二年(一九八七年)十二月に現社殿が完成した。本殿は二間に一間二五の神明造り、幣殿は二間に一間七五、拝殿は三間半に二間唐破風付き銅葺きである。
 平成四年(一九九二年)には創建八百年の奉祝祭が執り行われた。
          三十六代宮司 杉原博昭
【御祭神】家津美御子大神・伊邪那美大神・事解之男神・伊邪那岐大神
     速玉之大神・天照皇大神・建御名方神・日本武尊命
【境内社】金比羅社・摩利支天社・稲荷社
【祭事】一月一日元旦祭 二月十一日祈年祭 三月初旬泉蔵社祭
    五月下旬摩利支天祭 八月中旬大祭 十一月二十三日新嘗祭


    泉蔵社縁起
 建久二年(西暦一九九二年)征夷大将軍となった源頼朝は、鎌倉の山崎にあった泉蔵院の僧 真諦知覚法印に治国安民の祈祷をさせ、紀州熊野三所権現の御分霊が流れ着いた中原のこの山上に熊野権現社を祀り、山裾に寺を開創するように命じた。
 知覚法印は同年五月六日に着工し、十一月十五日に完成させた。権現社落慶の日、頼朝は梶原を奉幣使として当社に派遣し、山裾の寺に「紀州山桐谷寺」の次号を与え、知覚法印を別当に命じた。
 ニ世栄源法院の折、梵鐘を造立、三世浄奉法印の頃(推定)鎌倉の兵火を避けて山崎泉蔵院を引き払い当地に移り山号を「大霊山泉蔵院」に改めた。五世祐賢法印が正応二年(一二八九年)に社記を書き、二十六世善祐法印がこの社記を書写した。二十八世祐仙法印の折、二間に二間半の観音堂が創建されたが、当時本堂の規模は五間半に五間であった。
 泉蔵院は約七百年らわたり熊野三所権現社の別当として国家安泰・万民和楽の祈願を続けて来たが、明治初年の神仏分離令により、熊野三社権現社は社名を熊野神社と改め、泉蔵院は廃寺となった。
 昭和六十三年(一九八八年)熊野神社御社殿新築落成の嘉き年に当たり、かつて熊野三所権現社に祀られていた大神宮・貴布祢・八幡・牛頭天王・船玉の諸神と泉蔵院に祀られていた不動様・衿迦羅童子・制多迦童子・観音様・お釈迦様・地蔵様・大黒天様・神変菩薩・四天王の諸神をお祀りし社名を「泉蔵社」とした。毎年三月初旬に泉蔵社祭を斎行している。
          三六代宮司 杉原博昭



【参考】
 マルバウツギ Deutzia scabra
 カワラタケ Trametes versicolor
 コウヤボウキ Pertya scandens
 スイカズラ Lonicera japonica
 ヤブヅバキ Camellia japonica
 沼間のスダジイ Castanopsis sieboldii
 シロヨメナ Aster ageratoides
 マンリョウ Ardisia crenata
 アオキ Aucuba japonica
 ヤブコウジ Ardisia japonica
 ヤマコウバシ Lindera glauca
 カラマツソウ Thalictrum aquilegiifolium
 ヘクソカズラ Paederia scandens
 親不知
 子不知
 アセビ Pieris japonica
 釈迦如来像
 アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
 ルリシジミ Celastrina argiolus ladonidea
 ヒメユズリハ Daphniphyllum teijsmannii
 コカマキリ Statilia maculataの卵巣
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 ツルグミ Elaeagnus glabra
 紫月(ルビーネックレス) Senecio Othonna capensis Syn. Crassothonna capensis
 ジンチョウゲ Daphne odora
 ヒメツルソバ Persicaria capitata
 イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia:横浜市指定名木古木 No.48140
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 ゴモジュ Viburnum suspensum
 カワニナ Semisulcospira libertina
 シマアメンボ Metrocoris histrio (無翅型)
 コサギ Egretta garzetta
 カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
 サネカズラ Kadsura japonica の花托
 岩船地蔵尊
 ヤドリギ Viscum album
 水神

神奈川区西部の名木古木、など

 今日は昨年から引き続きで神奈川区の名木古木を巡ってみました。
名木古木マップ  神奈川区東南部の名木古木  石塔  神社
【主な経路】
 (横浜駅)-三ツ沢-羽沢-菅田-鳥山-(新横浜)


イチョウ No.48047:法照山豊顕寺(神奈川区三ツ沢西町16-1)
イチョウ No.48046:神奈川区羽沢町907
イチョウ No.48045:照光山平本院青蓮寺(神奈川区羽沢町762)


豊顕寺ぶげんじ市民の森
 三ッ沢公園に続く市民の森です。花と木が多いお寺の石段は、静かな古都の風情を漂わせ、桜の名所としても有名です。樹齢600年を超える、市指定名木・古木のイチョウの木があります。


  豊顕寺ぶげんじ
 当寺は、法照山と号す法華宗陣門龍総本山本成寺末の寺院です。
 三河国多米ため村(現愛知県豊橋市多米町)の郷士多米元興は、先祖菩提のたるに永正えいしょう12年(1515)多米村に本顕寺を建立しました。元興の父元益は、伊勢七騎の一人でした。(伊勢はのちに北条氏と称す)元興は天文てんぶん年間(1532~1555)北条氏が関八州を領有した頃、青木の地に城砦を構えていましたが、のちに連信斉と名乗り三ッ沢のこの地に隠棲して本顕寺を移し、豊顕寺と改称しましたル元興の没後、その子長宗は青木城を領し、元興の隠棲の地を当寺に寄進し、堂宇を造営したので地方には稀な巨刹となりました。
 享保きょほう5年’1720)本宗の檀林として学舎5棟、学寮25棟を建設し開講式を挙行しました。学徒は300人を下らぬ盛況を極めたといいます。その後も再建・増築をし宏大な規模になりましたが、明治期になり火災による焼失、大正期の地震による倒壊によって檀林は廃絶いたしました。
 境内には、鷲津(静岡県)の本興寺から根分けした藤を記念しての碑が藤棚の下にあり、また、江戸から保土ケ谷宿に来宿し、宿内の人々に歌学を教授した山平伴鹿の歌碑があります。多米家歴代の墓は、境内左側にあります。
     横浜市教育委員会文化財課
     財団法人横浜国際観光協会
            平成5年3月



タブノキ No.51001:(羽沢)神明社
タブノキ No.51002:(羽沢)神明社
イチョウ No.48032(左), 48033(右):正寿山長導寺
ヤマモミジ(確認できず):八幡宮



アカガシ No.48034:(菅田)神明社
シラカシ No.53005:(菅田)神明社
モチノキ No.53006:(菅田)神明社
ヒイラギ(確認できず):(菅田)神明社
イトヒバ No.49045:熊野山最勝寺
タブノキ No.48035:熊野山最勝寺
最勝寺さいしょうじ
 静かなたたずまいのお寺には、市指定名木・古木のタブノキ・イトヒバがあります。お寺の横には、区内にある三つの富士塚の中で最も大きい、熊野堂の富士塚があり、頂上から周辺の景色を眺めることができます。



イチョウ No.48153:鳥山八幡宮
シラカシ No.48154:鳥山八幡宮
シラカシ No.49357(左)、49358(右):鳥山八幡宮
サワラ No.49359:鳥山八幡宮
イチョウ No.49363:瑞雲山三念寺
サルスベリ No.201418:瑞雲山三念寺
ケヤキ No.49366:瑞雲山三念寺



   よこはま道
安政5年(1858)6月の日米通商条約調印によって開国にふみきった幕府は、神奈川(横浜)の開港を翌年6月と定めた。
 しかし、ミナト横浜の町づくりは開港3ヶ月前の3月になって、やっと工事が始まった。当時は、東海道筋から、横浜への交通はまことに不便を極めたことから、幕府は、東海道筋の芝生しぼう村(現:浅間町のこの地点)から横浜(関内)に至る「よこはま道」と呼ばれる道路を開いた。
 これは、芝生しぼうから湿地帯であった岡野・平沼の各新田を経て戸部村まで1直線に通ずる道路を築くと共に新田間あらたま、平沼・石崎の三つの橋を架け、併せて戸部坂・野毛の切通を開き、野毛橋(現:都橋)、大田橋(吉田橋)を架けたものである。
 記録によると、当時の橋の幅は3間(約6m弱)で道路もおそらくこれと同程度であったものと考えられる。
 なにしろ、工期3ヶ月の突貫工事であったことと、橋材が過ぎと松を使用した仮普請であったことから「3年ももつまい…」と噂されたが、それでも戸部村までの経費で、4470両かかった。


土地改良記念碑(神奈川区菅田町2408)
  事業の状況
 設置認可 昭和四十二年十一月一日
 解散認可 昭和五十三年三月九日
 改良面積 五ヘクタール
 橋梁   新菅田橋外六基
 道路工  一二二六米
 水路工  一二七〇米
 総工費  二八二〇万圓



【参考】
 イチョウ Ginkgo biloba
 タブノキ Machilus thunbergii
 アカガシ Quercus acuta
 シラカシ Quercus myrsinifolia
 モチノキ Ilex integra
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 イトヒバ Chamaecyparis obtusa ‘Pendula’
 サワラ Chamaecyparis pisifera
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 ケヤキ Zelkova serrata
 アツバキミガヨラン Yucca gloriosa
 マサキ Euonymus japonicus
 マンリョウ Ardisia crenata
 ハクサイ Brassica rapa subsp. pekinensis
 キャベツ Brassica oleracea var. capitata
 キカラスウリ Trichosanthes kirilowii var. japonica
 ブロッコリー Brassica oleracea var. italica
 枝垂桜(しだれざくら)Cerasus spachiana (菅田史跡富士浅間)
 キンカン Fortunella spp.
 ダイオウショウ Pinus palustris
 オナガ Cyanopica cyanus
 ソヨゴ Ilex pedunculosa


【参考】
 横浜道分岐点
 日本ホーリネス教団横浜教会
 横浜市戦没者慰霊碑(三ッ沢公園)
 石塔群(庚申、地蔵):神奈川区羽沢町907
 双体道祖神:神奈川区羽沢町907
 不明の社:神奈川区羽沢町776
 堅牢地神塔:
 史蹟硯松:神奈川区羽沢町993
 羽沢富士塚:神奈川区羽沢町917
 馬頭観音(羽沢富士塚)
 庚申祠:神奈川区菅田町2000
 道祖神:神奈川区菅田町2000
 稲荷社:神奈川区菅田町1944
 稲荷社:神奈川区菅田町2311
 土地改良記念碑(神奈川区菅田町2408)
 新菅田橋跡:神奈川区菅田町2250
 八幡橋跡:神奈川区菅田町2249
 八幡宮:神奈川区菅田町2535
 道祖神:港北区鳥山町371
 庚申塔群:港北区鳥山町281
 双体道祖神:港北区篠原町1262
 TPHO
 鷹取山夕照

令和三年、賀新春!

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 早々のお年賀を頂戴しました皆さま、ありがとうございます。新年のご挨拶は、当サイトに代えさせて戴いておりますこと、ご容赦ください。


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