月別アーカイブ: 2021年3月

桜花爛漫

 染井吉野の満開期が近づいています。野毛でランチの後、二人で大岡川を散策。昼から仕事がある家内とは別行動で、子ども植物園を尋ねました。
【主な経路】
 (上大岡駅)-大久保-東永谷-芹が谷-六ッ川-永田台-永田南-(弘明寺駅)



【参考】
 染井吉野(ソメイヨシノ)Cerasus x yedoensis
 横浜市指定名木古木 No.202023 イチョウ Ginkgo biloba :青木神社
 シャクナゲ Rhododendron spp.
 ソメイヨシノ:西岸山千手院蓮華寺
 ボケ Chaenomeles speciosa
 ドウダンツツジ Enkianthus perulatus
 アケビ Akebia quinata
 マメカミツレ Cotula australis
 キクザキリュウキンカ Ficaria ficarioides
 アメリカザイフリボク Amelanchier sp.
 口紅スイセン Narcissus poeticus
 モッコウバラ Rosa banksiae
 ハルジオン Erigeron philadelphicus
 オニタビラコ Youngia japonica
 大島桜(オオシマザクラ) Cerasus speciosa
 アカメガシワ Mallotus japonicus
 メタセコイヤ Metasequoia glyptostroboides
 ニリンソウ Anemone flaccida
 タチツボスミレ Viola grypoceras
 ムラサキケマン Corydalis incisa
 シャガ Iris japonica
 スモモ Prunus salicina
 プリムローズ Primula vulgaris
 プリムラ・プルホニキアナ Primula x pruhoniciana ‘Wanda’
 プリムラ・ポリアンサ Primula x polyantha (P. vulgaris x P. Veris)
 プリムラ・エラティオル Primula elatior
 シベリアツルボ Scilla ciberica
 アオキ Aucuba japonica
 キケマン Corydalis heterocarpa var. japonica
 ヤマブキ Kerria japonica
 横浜市指定名木古木 No.59002 クスノキ Cinnamomum camphora :子ども植物園
 ユズリハ Daphniphyllum macropodum
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 セイヨウヒイラギ ‘アルゲンテア マルギナタ’ Ilex aquifolium ‘Argentea Marginata’
 アマミヒイラギモチ Ilex dimorphophylla
 バイモ(アミガサユリ) Fritillaria thunbergii
 ハチジョウイチゴ Rubus ribisoideus
 乙女椿 Camellia japonica f. otome
 キバナオドリコソウ Lamium galeobdolon
 クリスマスローズ Helleborus sp.
 イロハモミジ Acer palmatum
 シナレンギョウ Forsythia viridissima
 クレマチス Clematis spp.
 横浜緋桜(よこはまひざくら)Cerasus jamasakura cv. Kenrokuen-kumagai x C. campanulata
 ウバメガシ Quercus phillyraeoides
 カリン Chaenomeles sinensis
 ニワウメ Prunus japonica
 ツタバウンラン Cymbalaria muralis
 ヒメジョオン Erigeron annuus
 カラスノエンドウ Vicia sativa
 ヤエムグラ Galium spurium


【説明文より転記】
プリムラ ポリアンタ
 Primula x Polyantha
分類学上の「プリムラ ポリアンタ」はイチゲサクラソウ Primura(プリムラ) vulgaris(ウルガリス) (プリムローズ)とキバナクリンザクラ Primura(プリムラ) veris(ウェリス) (カウスリップ) との自然交雑種をさし、日本でも庭先などに植えられているのを見かけることがあります。セイタカセイヨウサクラソウ Primura(プリムラ) elatior(エラティオル) (オクスリップ) に似ているため間違われることが多く、イギリスでは「フォルスオクスリップ」 False Oxlip「False(フォルス)=偽の」と呼びます。


 ヒイラギ(柊) Osmanthus heterophyllus モクセイ科
原産地 日本(本州…福島県以西・四国・九州・沖縄)/台湾
 古くより節分にヒイラギにイワシの頭をつけたものを門戸にかけて、魔よけとする風習があります。
 山地に生える。高さ4~8mになる常緑樹。葉は、老木では全縁(鋸歯がない)のものが多くなります。11月頃、香りのある花を咲かせる雌雄異株。果実は6~7月に黒紫色に色着きます。キンモクセイなどと同じ、モクセイ科の植物です。クリスマスに飾る「セイヨウヒイラギ」や「ヤバネヒイラギモチ」はモチノキ科です。なお、葉の付き方が違うので、すぐ見分けることが出来ます。
 「ヒイラギ」…対生
 「セイヨウヒイラギ」など…互生


 セイヨウヒイラギ(西洋柊)イングリッシュホーリー Ilex aquifolium モチノキ科
原産地 ヨーロッパ~アフリカ北西部、アジア南西部
 ホーリーともよばれる常緑小低木です。葉の縁のするどくとがった鋸歯や冬でも葉が青いこと、そらに赤い果実を着けることから、ヨーロッパでは古くから邪悪なものをとおざけると信じられてきました。また、キリストが十字架にかけられた時の荊の冠に用いられたという言い伝えがあり、神聖な木とされています。
 雌雄異株、高温多湿な日本では旺盛に育ちにくく、実も成りにくいため、育てやすく実着きの良い中国原産の「ヤバネヒイラギモチ I. cornutaをクリスマスホーリーとして利用します。
 これらヒイラギモチの仲間は木が成熟すると葉の鋸歯はなくなります。(全縁という。)


 アマミヒイラギモチ(奄美柊黐)Ilex dimorphophylla モチノキ科
原産地 日本…奄美大島(湯湾岳固有)
 近年、「ヒメヒイラギ」などの名前で園芸店に並ぶのはこの「アマミヒイラギモチ」で、セイヨウヒイラギなどと同じモチノキ属の植物です。奄美大島の湯湾岳(ゆわんだけ)のみに自生しますが、もともと自生地が限られているうえ乱獲されたため、現在、自生地では若木が数本確認されているにすぎない危機的状態です。種小名domorphophyllaは2型のという意味で、樹が若いうとは葉の鋸歯がとがっていますが、成熟すると鋸歯が無くなり全縁となるためです。この性質は「セイヨウヒイラギ」などほかの多くのヒイラギモチも同様です。雌雄異株で、雌木に赤い実を着けます。
 希少種が人の手によって大量に増やされた稀な例と言え、容易に求めることができる植物ですが、大変貴重な植物です。

大宮で-2021.3.20

 春の訪れの早い今年は、大宮公園の染井吉野がもう2分咲きです。


【参考】
 染井吉野(ソメイヨシノ)Cerasus x yedoensis
 アカシデ Carpinus laxiflora
 桜名所100選碑
 白鳥池
 ニオイタチツボスミレ Viola obtusa

川崎東部を散策

 今日は、昼から川崎駅を起点に東側を歩いてみました。この界隈には八幡社が多いのですが、八幡太郎(源 義家)との関係があるようです。
【主な経路】(川崎駅)-鈴木町-大師町-川中島-鋼管通-渡田-小田-菅沢町-鶴見-(花月総持寺駅)



稲毛神社:川崎区宮本町7−7
御社殿再建記念碑(稲毛神社)
山王さまの大銀杏
(左から)浅間神社、佐々木神社、川崎天満社、白山神社(稲毛神社境内)
子神社(稲毛神社境内)
大鷲神社(稲毛神社境内)
稲毛神社境内相殿(左から、福田稲荷神社、金刀比羅宮、松尾神社、大神宮、八坂神社、御嶽神社、三峯神社)


川崎市まちの樹50選 No.1 山王さまの大銀杏 稲毛神社)


  御神木大銀杏
  十二支めぐり
 この御神木大銀杏は、樹齢約一千年といわれ、当神社の長い歴史と尊い由緒を物語っています。
 江戸時代には東海道を旅する者に「山王さまの大銀杏」として知られ、安藤広重の「武相名所旅絵日記」などに当時の神々しい姿が描かれています。
 また、別の書物には「この大銀杏の周囲を回りながら願い事をするとことごとく叶う。特に縁結び子授け、子育て、学問・習い事の向上に霊験があり、参拝者が絶えない」と書かれています。
 さらに、色紙に願い事を書いて枝に結び、葉のある頃には一葉をとって御守りとするとよい、と伝えられています。
 戦前は神奈川県指定の天然記念物となっていましたが、惜しくも昭和二十年、戦火を浴びて大きく損傷してしまいました。しかし、年とともによみがえり、その生命力の強さは御神霊のなせるわざと人々はいよいよ篤い信仰を寄せています。と同時に近年、平和のシンボルとしても仰がれるようになりました。
 昭和六十一年、稲毛神社境内整備事業の一環として、この御神木の周囲に十二支のブロンズ(制作川村易)を置き、十二支めぐりとして整備いたしました。
 また、「十二支講」が結成され毎年例祭を行い、動物愛護・自然保護を主題とした集いが開かれています。
 ご自分の生まれ年の神像を通してご祈願ください。


史跡東海道川崎宿
  稲毛神社
 当社は明治維新まで「山王社」といわれた。鎮座地の「堀の内」は、この付近を開発し「川崎荘」とした在地武士の館跡と推定される地名であり、当社も同荘の鎮守として勧請されたものとみられる。
 中世における当社の推移は定かでないが、応永11年(一四〇四)に大般若経書写奉納の動きがあった。近世初頭、伊奈氏による備前検知をうけ、20石の朱印を安堵され、以降川崎宿の惣鎮守として、人々は事あるごとに当社へ詣で地域の精神的紐帯となった。
 8月の例祭は宮座の制を残す古式なものである。
          川崎市


  稲毛神社 御社殿再建記念碑
 み氏子が
心ひとつに
  香ぐわしく
 甍も高く
   成りし
新宮
  宮司 市川浩之助 撰
  万衆 西川光男 敬書


 御社殿の概要
設計 文化財専門審議会専門委員
監理 横浜国立大学工学部長
    工学博士大岡實
施行 株式会社小川組
起工 昭和三十七年四月二日
竣工 昭和三十八年九月二十五日
總坪数 一〇一.二一坪
棟髙 一一.五メートル(三八尺)
構造形式 神明造り總体鉄筋コンクリート
       屋根銅板葺
總工費 四、〇〇〇万円


  浅間神社
御祭神 木花咲夜比売命(このはなさくやひめのみこと)
御神徳 農業養蚕山林
    酒造の守護神
    縁結び子授け
    安産の神
例祭日 六月一日
 当浅間社はもと稲毛神社の小高い築山の上にまつられていました。江戸時代末期、川崎の生んだ偉大な宗教家。西川万翁徳行(天保四年・一八三三没)を先達として富士浅間講「タテカワ講」が組織され、当浅間神社が日常活動の拠点であり、富士登拝の出発点でした。幕末、幕府の命により結社が禁止されたためタテカワ講はおとろえましたが、その後も近在の人々から篤く総数されています。左右の石碑に見える元山満行(嘉永二年・一八四九没)は、滿翁の子、明山徳行(明治二年・一八六九没)は滿翁の養子で、ともにタテカワ講の後継者でした。


  佐々木神社
御祭神 少名彦名命(すなくひこなのみこと)
    宇多天皇
    佐々木四郎高綱公
御神徳 武道上達
    家門隆盛
    心身健康
例祭日 十月十九日
 佐々木四郎高綱公は源頼朝の命をうけて稲毛神社(当時河崎山王社)の造営奉行となり、砂子に館をかまえて改修工事にあたられました。公は敬神の念篤い武将で、邸内に祖神を祀る近江の沙沙貴神社を建立し、朝夕尊崇しておられました。公の没後、里人は遺徳をしのんで公の霊をも合せ祀り佐々木明神として崇敬しました。佐々木神社ははじめ街道沿いの宗三寺の斜向いにまつられ、宗三寺の管理のもとにありましたが明治初年、神仏分離令によって稲毛神社の管理となり、さらに、明治末年、合祀令によって当所に遷されました。現在、近郊の佐々木氏の子孫の方々によって例祭が行われています。


  川崎天満社
御祭神 菅原道真公
御神徳 学問成就・文芸上達
    災難防除
例祭日 一月二十五日


  白山神社
御祭神 白山媛神(しらやまひめのかみ) (菊理媛神(くくりひめのかみ))
    伊邪那岐神(いざなぎのかみ)伊邪那美神(いざなみのかみ)
御神徳 国家安泰 工事安全
    子孫繁栄 五穀豊穣
例祭日 五月六日


  子神社(ねのじんじゃ)
御祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)(大黒さま)
御神徳 商売繁盛、子孫繁栄
例祭日 九月十九日
 当子神社は、江戸時代には()(はら)にまつられていて里人から篤く信仰されていました。明治三年、須ヶ原、久根崎(今の港町、旭町、本町三丁目)の人々によって建て替えられました。社殿は総欅造りで、彫師小川清蔵による見事な彫刻がほどこされており、台石には当時の有力者の名が多数刻されています。明治四十五年、合祀令により勧進主のひとの森五郎作家に移し邸内社となっていましたが、昭和三十二年、森家の転宅の際、当所に遷座されました。なお、明治三年にはまだ川崎宿が存続していましたので、この社殿は、現存する宿場時代の唯一の建物です。


  大鷲神社(おおとりじんじゃ)
御祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
御神徳 五穀豊穣
    家内安全
    商売繁盛
    交通安全
例祭日 十一月酉日(酉の位置)
 当大鷲神社がここにまつられた正確な年代は分かりませんが、江戸時代末期か明治初年のことと思われます。日本武尊は父景行天皇の命を受けて熊襲・蝦夷などの征討に当られ、数々の武勲をあげ、偉業を達成された英雄神ですが、死後、その御霊は白い大鳥となって天に昇っていかれたところから尊をまつる神社は大鳥(大鷲)神社と呼ばれます。
大鷲神社のお祭りである酉の市には農具の位置がたち、鶏などが売られていましたが、江戸時代後期におおとりが「大取り」に通じるところから熊手で集め、枡で計らなければならないほど、作物が取れお金が儲かるという民間信仰が生まれ、恵比寿大黒・稲穂、おかめ、千両箱、宝船等々あらゆる縁起のよいものを飾り付けた熊手や枡が売られるようになりました。当大鷲神社の酉の市も例年、生業発展、家内安全、心願成就などを祈る善男善女で夜半までにぎわいます。


  福田稲荷神社
御祭神 宇迦之御魂神・豊宇氣比売神
例祭日 四月第一日曜日
御神徳 五穀豊穣・商売繁盛・心願成就


  金刀比羅宮
御祭神 大物主神
例祭日 十月十日
御神徳 航海の神、徳福の神


  松尾神社
御祭神 大山咋神・市杵島姫神
例祭日 四月二日
御神徳 酒造・土木の神、縁結び、飲食業繁栄、技芸上達


  大神宮
御祭神 天照大御神・豊受大神
例祭日 十月十七日
御神徳 国家安泰、五穀豊穣、産業発展、開運招福


  八坂神社
御祭神 素戔嗚尊・稲田姫命・八柱御子神
例祭日 六月七日
御神徳 国家安泰、五穀豊穣、除疫病、商売繁盛、縁結び


  御嶽神社
御祭神 櫛真知命、大己貴命・少名彦名命
例祭日 五月八日
御神徳 医療・医薬・酒造の神、縁結び、商売繁盛


  三峯神社
御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊
例祭日 十二月二日
御神徳 国家安泰、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛



若宮八幡宮:川崎区中島2丁目15-1
稲荷神社(左)・大鷲神社(右)(若宮八幡宮境内)
庚申塔(若宮八幡宮境内)
カヤ(若宮八幡宮境内)
ナギ(若宮八幡宮境内)
大師河原酒合戦三百五十年記念碑


 保存樹林
  昭和五十年七月 指定第三号
主な樹種 イチョウ・カヤ
 所有者の御厚意により保存樹林の指定をしました。貴重な緑を大切にしましょう。
     川崎市


慶安二年五月池上太郎右衛門幸広即ち大蛇丸底深はその一統を集め江戸の酒將地黄坊樽次が率いる酒門の猛者たち十七名を迎えて酒合戦に及びしこと天下に著聞セリここにその三百五十年を記念し碑を建立す
    平成十一年五月吉日
                 古江亮仁 誌
 建碑者 大蛇丸直系酔翁亭十三世 池上幸政
                   よ志子
              宮司 中村博彦 代
              賛助 石渡孝明 舞川扇彩
                 宮川日佐夫 水鳥の会


 大師河原酒合戦三百五十年記念碑
水鳥記(すいちょうき)によると慶安二年(一六四九)大蛇丸底深(大師河原開拓に成功し、名主となった池上太郎右衛門幸広)のもとに地黄坊樽次(前橋藩主酒井忠清の寵臣、医者で儒学者茨城春朔)が酒豪をひきつれて大師河原に乗り込み三日三晩酒飲みの強さを競ったという史実にのとった豪快で勇壮な酒合戦の物語です。
水鳥とは、水 –> (さんずい)・鳥 –> 酉、即ち酒のことです。
水鳥の祭(十月第二日曜日)
現代に再現した祭りで大本山川崎大師平間寺に大蛇丸底深方十五名、地黄坊樽次方十七名が集結しお互いに名乗り合い酒飲み合戦を繰り広げながら練り歩き、若宮八幡宮で和睦となる。
地元の歴史と酒の文化を顕彰する楽しいお祭りです。
   平成十一年五月吉日
                宮司 中村博彦


金剛山金乗院平間寺(川崎大師):川崎市川崎区大師町4−48


川崎市まちの樹50選 No.2 クスノキ
五重塔(平間寺)



川中島神明社:川崎区川中島1丁目12-12


 保存樹林
  昭和五十年七月 指定第四号
主な樹種 イチョウ・クヌギ・エノキ
 所有者の御厚意により保存樹林の指定をしました。貴重な緑を大切にしましょう。
     川崎市


さいの神(川中島神明神社境内)
 注:扁額は「賽の神」となっている。
   さいの神(歳の神)
延宝七年(西暦一六七九年)川中島村民によって建てられた赤子を抱いている子育て地蔵の御姿の「さいの神」で左側はその木地白衣観音といわれる。その「さいの神」はいつ頃からかかぜ・はやりかぜ・百日咳等の咳に希代にごりやくがあると里人の信仰をあつめ現在でも近在近郊は勿論遠く東京・横浜方面より参詣する人があとをたたない。古いしきたりによればごりやくを受けたい人は堂前の麻をお借りして咽喉(のど)に巻きごりやくを受けてなおると新しい麻や絵馬を奉納してきた。「さいの神」はもともと地境辻の神で悪疫悪霊が村内に入るのを防ぐ神さまだったようだ。いつかこれが咳の神として信仰を集めるようになったものと思われる。このことは全国各地に例がない訳ではない。子育て地蔵のお姿の「さいの神」は珍しい。ちなみにこの地は江戸時代の川中島村と大師河原村藤崎との地境に当たる。
   昭和六十年五月吉日
         川中島町内会



川中島八幡神社:川崎区川中島2丁目15-1
天満宮(川中島八幡神社境内)
稲荷森稲荷神社(とうかもりいなりじんじゃ)(川中島八幡神社境内)
神明社(川中島八幡神社境内)
厳島社(川中島八幡神社境内)
庚申塔(川中島八幡神社境内)


 保存樹林
  昭和五十一年八月 指定第十二号
主な樹種 イチョウ・サクラ・シイノキ
 所有者の御厚意により保存樹林の指定をしました。貴重な緑を大切にしましょう。
     川崎市


   八幡神社御由来
     御祭神 誉田別命(ほったわけのみこと)(十五代応神天皇)
     御祭礼 八月十五日
         近年は上旬の土・日曜日
 八幡神社は古来から中島の鎮守として、町民の崇敬の中心であります。ご創建の年代は明らかではありませんが、昭和二十年頃までは本殿に二十余枚の棟札が保存されており、その中の文中に「元和二年(西暦一六一六年・徳川時代)初期)社殿修復」の記録がありました。
 また古くは十一世紀の頃八幡太郎源義家公による「後三年の役」の功績を後世に伝えるために創建されたとも語られることがありますが確証はありません。
 この中島は多摩川下流の堆積地層の中州がやがて小島になり、鎌倉時代に至り、ようやく古地図に記載された程の地域であり、江戸時代初期には戸数わずか十三戸、徳川後期に至っても五十戸たらずでありました。
 その頃より村民協力し八幡神社を創建護持し、更に村内の名刹「光明山遍照寺」の庇護もあり、例年御祭礼を執行し、御神輿巡行や村芝居を興行して近隣村落を併せての一大行事が行われてきました。しかし不幸にして、昭和二十年四月十五日第二次世界大戦による戦災を受け、その一切を焼失してしまいましたが、氏子町民の協力により、昭和三十四年八月吉日、現在の御社殿が再建されたものであります。
   平成二十一年八月吉日
       社殿再建五十周年記念
              中島八幡神社 氏子会


天満宮
 御祭神 菅原道真公
 御祭礼 二月二十五日


稲荷森稲荷神社(とうかもりいなりじんじゃ)
 御祭神 宇迦御魂神(うがのみたまのみこと)
 御祭礼 二月ruby>初午(はつうま)


神明社
 御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)


厳島社
 御祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 御祭礼 四月初巳の日



大島八幡神社:川崎区大島3丁目4-8
権現社(大島八幡神社境内)
クスノキ(大島八幡神社境内)
カヤ(大島八幡神社境内)
ツゲ(大島八幡神社)
    大島八幡神社
一、御祭神 主神 誉田別命(ほむたわけのみこと)(応神天皇 八幡神)
      配神 伊弉諾尊(いざなぎのぎこと) 伊弉冉尊(いざなぎのみこと)
一、例祭  八月第一土曜日、日曜日
一、宮司  市川緋佐麿(稲毛神社宮司の兼務)
一、鎮座地 川崎市川崎区大島三丁目四番八号
一、御由緒
 当神社は江戸時代に別当をつとめていた心観寺が火災に遭い、古い記録の一切が失われたため、その由来は(つまび)らかではありません。往昔、源義家が八幡太郎と名乗って前九年、後三年の両大役(一〇五一~一〇八七)に勝利を得、関東に一大勢力築いて以来、源氏一族は八幡神を氏神としてその御神威を慕い武運長久、家門隆盛を祈って、それぞれの領域に八幡社を建立致しました。当八幡神社も、この地域の住民たちが両大役の折源氏方の将兵の宿泊に民家を提供したり、兵糧を提出したりして協力したことに対し、源氏一族が感謝のしるしとして建立したものと伝えられています。


  大島新田開拓の碑
埋もれた玉も磨かなければ光を放つことはない。これと同じように大島邑の海辺もこの父に会わなかったら永く不毛の地として終わったのでありましょう。わが家は代々村長をつとめてきたが父の代になってこの石ころの海浜を開拓して村人の為になるようにとのかねてからの思いを村民に訴えた。時の代官も殖産に力を入れていたので村民も卒先してこの計画に賛同した。築提工事は日夜をとわず強行されたが幾度かの山のような大波に襲われ精魂を傾けた長堤も一朝にして烏有に帰した。だが剛直の父は一度や二度で挫けるものでしなかった。村人共に益々奮い立って遂にこの難事業の完成にごぎつけた。宝暦五年から明和七年までに実に十六年を費やしての大事業であった。九年後安永八年視察にみえた代官は測量を命じ境界を正して整然たる神殿にした。それからと言うもの海浜は魚介が沢山取れ塩作りも盛んとなり村民の生活を潤すこと一通りではなかった。父の尽力まことに大であり一詩を石に刻して意中を後世に伝えたい。
枯れ果てた地が一変して魚塩の利をもたらし肥沃な耕地となったのは村民たちが精をつくしそれが神に通じて豊かな生計が約束された益々わが村が繁栄することを願うものである。
    文化七年庚午春二月辛亥 武蔵国橘樹郡大島邑
                 青木 均 (宗碩)
                 常山 并


姥ヶ森弁財天:川崎区鋼管通3丁目3−13


  姥ヶ森という地名発祥
 由来を探求するには、渡田二丁目は新田神社と深い関係にあり鎌倉時代からの領主で。(わたり)新左衛門源早勝(新田義貞公の家臣)の土地で、ごく最近までは姥ヶ森町内会館は新田神社の土地であった(区画整理で購入)
 明治初期の頃、この辺は、小高い丘で裾は松林で沖を通る船は、松林を目標にして漁に出たと云う。そこに新左衛門の隠居所とし見られる潰れ屋敷に古井戸と神様を祀ったらしい祠があった。
 村人の話題が新田神社の土地だから稲毛神社の神官に観てもらおうと云うことになり、見てもらったところ、意外も意外、霊験あらたかな「インド」の女神で弁舌、音楽に無量の福徳を与える弁財天(日本でも七福神の一つ)であることが判った。この儘、潰れ屋敷に野晒にも出来ず、神社の氏子総代と相談の末、新田神社の御守本尊として移転することが決まりお堂を建立し、明治十二年頃移転した。その時は無銘の弁財天であったが、稲毛神社の神官の粋な計らいで姥が住んでいた森だから姥ヶ森弁財天と命名されて現在に至っている。又、古井戸の御神水は。毎年八月二日に組み上げ新田神社に奉納し稲毛神社の大御神輿が新田神社に渡御の際、お清めの御神水として御神輿におかけする。これを怠ると大御神輿は暴れ狂うと云う伝説があるとも云われているが本当にあったと云うことも聞いている。
         平成十一年五月吉日
     鋼管通三丁目、四丁目、五丁目、南渡田
                 姥ヶ森町内会
             会長  大橋新太郎



新田神社:川崎区渡田2丁目14-8
ケヤキ(新田神社境内)
姥ヶ森弁財天(新田神社境内)
神明社(新田神社境内)
稲荷大明神2宇(新田神社境内)
亘新左衛門尉早勝の墓(新田神社境内)


 保存樹林
  昭和五十年七月 指定第二号
主な樹種 イチョウ・ケヤキ
 所有者の御厚意により保存樹林の指定をしました。貴重な緑を大切にしましょう。
     川崎市


   新田神社
   御祭神 新田義貞(にったよしさだ)
   配信  天照大御神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
       宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)
       亘新左衛門尉早勝(わたりしんざえもんのじょうはやかつ)
   御神徳 家門隆盛 武道上達 心身健康
   御例祭 八月第一土・日曜日(元七月二日、後十月十日)
   御由緒御沿革
 社伝によれば、新田義貞公が延元三年(一三三八年)七月二日、越前国藤島(現在福井市内)で討死の際、その臣亘新左衛門尉早勝が公の差添の名剣と七ツ入子の名鏡及び錦の陣羽織の三種の品を得てこの地に携えて帰り、ひたすら冥福を祈って供養していたところ、里人らも公の徳を追慕し、その三種の形見を早勝に乞い早勝と共に永和元年(一三七五年)七月二日清浄の地を求め孤松の下に埋納し、廟を営んで新田大明神と崇め、この地の鎮守とし里人武人らの信仰が厚く祭田の寄進もあったと伝えられております。
 また俚伝によれば、正月元旦と七月二日の晩にしこの地に軍馬が嘶く声がすることがあり、これは河北矢口村(現在の東京都大田区内)に鎮座されている公の二子義興公が父霊のもとに参るためと言われておりました。
 明治六年村社に列格、後幣帛料供進神社に指定。戦禍により建物悉く焼失したが昭和三一年社務所、同三八年社殿、同四三年神楽殿の再建を遂げ、平成三年社務所を改築した


姥ヶ森弁財天
御祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
御神徳 学問・芸術上達 福徳円満
   御由緒御沿革
 昔「姥ヶ森」あるいは「森山」と呼ばれた地(現在鋼管通り三丁目)に鎮座しておりましたが明治末年合祀令により新田神社に遷されました。その森には新田義貞公寄進の馬場と御手洗の池があったという伝えがあります。
 当弁天社と稲毛神社は極めて縁が深く古より同神社祭礼の大神輿巡幸の御旅所で現在も毎年八月三日御巡幸になり、その際御手洗の池の跡と伝える井戸から汲んだ御神水を大神輿に降り注ぎ神霊を鎮めると共に、当神社前で神奈川県の文化財に指定されている宮座式が古式床しく行われます。


稲荷大明神
御祭神 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)
御神徳 五穀豊穣 商売繁盛
   御由緒御沿革
 石造の稲荷宮は、基金が続いた江戸時代末期、当寺農村地帯であった渡田村の村民が五穀豊穣を祈願して勧請。当地域では稲荷信仰が盛んで、大正末期まで稲荷講があって近隣互助と当稲荷宮の維持にあたりました。
 初午には祠を筵で囲み、その中で子供達がお供物をいただきながらおこもりしてのお祭りが行われ、子供達にとって楽しい年中行事の一つでありました。
 稲荷宮の台座には、渡田村村民四八名の氏名が刻まれております。木造の稲荷宮は、氏子会社の敷地内に祀られていましたが、昭和三十年代の移転の際ここに遷されました。


亘新左衛門尉早勝の墓
   御由緒御沿革
 言伝えによれば、当社創建に深くかかわる新田義貞公の臣亘新左衛門尉早勝が領地であった渡田村で永和三年(一三七七年)七月二日没した後、里人がその旧居跡(現在渡田三丁目)に祠(御霊社)を建立し、傍らに墓石を建てその霊を鎮めていたが明治末年当社境内に遷されました。
 亘新左衛門尉早勝は、栗生左衛門尉忠良、畑六郎左衛門尉時能、篠塚伊賀守重廣と共に新田義貞公の勇猛な家臣四天王の一人でした。渡田、小田地区には四天王の末えいと伝える家系があり、また当地区の急速な開発前には四天王縁りの塚もありました。また昔は渡田村を亘田と書いたという伝えもあります。


日枝大神社:川崎区小田2丁目14−7
八王子社(日枝大神社境内社)
旧鳥居と力石日枝大神社境内)


    日枝大神社御由緒沿革
  御祭神 大山咋神(おおやまくいのみこと)(神) 世に山王ともいわれる土の地主神
       またの名 山末之大神
  御功績 山城丹波地方を開拓せられ、特に水害を除き庶民の社会福祉を図りました。国土就中都市開発と建設の守護で造酒の神としても有名です。
 日枝大神社は皇紀一六〇八年天歴二年戊申(西暦九四八年三月中日)人皇六十二代村上天皇の御代京都比叡山坂本山王権現(日?神社)の御分霊を勧請したもので、山王権現と号し比叡宮と称しました。
 始めは小田村の西隅に社殿がありましたが、いつの頃からか(不明)現在の処に遷座されたといわれます。旧跡地には有名な銀杏の神木があって大正時代まで残っていたとのことです。
 旧幕(江戸幕府)の頃御朱印地拾石で隣村新田村(現浅田町)菅沢村(現鶴見区菅沢町)等の惣鎮守でした。
 大祭は四月中の申の碑。神輿渡御の際は村内旧家十二人がいづれも馬に乗り警固供奉して三ヶ村を巡幸しました。その行列は頗る古風を極めたものといわれます。
 明治維新までは真言宗円能院が別当職でした。
 明治六年十二月村社に列せられて社号も日枝大神社と改められ、大祭日は五月十五日と定められました。
 大正十三年三月十四日の神饌幣帛料供進する神社に指定されました。
 昭和二十四年四月十五日太平洋戦争の戦禍に罹り氏子の九割と共に焼失しました。
 昭和二十四年五月十四日本殿再建翌年五月仮拝殿建設
 昭和三十二年四月十五日現在の御社殿を復興完成いたしました。
 社に一緒に祭られている神
 天照皇大神・大山津見命・木花開耶姫命・大国主之命・豊受姫命


旧鳥居と力石(さし石)
 旧鳥居は宝暦六年(一七五六年)に建てられ安山岩製のもので伊豆石あるいは小松石と思われ川崎周辺でも数少ない立派なものでした。新編武蔵風土記稿に「…拝殿の前に石鳥居たつ…」とありますこの旧鳥居は大正十二年関東大震災により倒壊、その後大正十五年に現在の御影石の鳥居が再建されました。明治十七年に当社を訪れた池田忠政は「愚老忠政遊覧記」の中に「山王権現ノ御社有リ今ハ日枝ノ御神ト奉申菅沢村、小田村、下新田右三ヶ村ノ氏神也」と記し鳥居には、菅沢村、小田村、下新田村、氏子中の銘が刻まれているのを絵入りで紹介しています。又現在(平成八年)川崎市域で確認されているものの中では最古のものです。「寶暦六丙子歳十二月現在辨龍代健之」とあるのは円能院八世辨龍和尚です。
 力石は寺社でよくみかけるもので祭礼のときなど近郷近在の若者が石を持ち上げ、さし上げると、そこに名前、重さ、年号を刻み改めて神社に奉納されたものとおもわれます。力石の中には元禄十五年の銘があり、これも川崎市で最古の力石となります。


境内社 八王子社
合祀社名
 稲荷神社
 浅間神社
 神明社
 杉山社
 子神三峯合祀社
 大鷲神社


 大山祇神社:鶴見区菅沢町13-10
 朝陽山八幡神社:鶴見1丁目10-10


【参考】
 クリスマスローズ Helleborus sp
 イチョウ Ginkgo biloba
 ユズリハ Daphniphyllum macropodum
 レンギョウ Forsythia suspensa
 ハマダイコン Raphanus sativus f. raphanistroides
 大島桜(オオシマザクラ) Cerasus speciosa
 ヒアシンス Hyacinthus orientalis
 クロマツ Pinus thunbergii
 寒緋桜(かんひざくら)Cerasus campanulata
 カヤ Torreya nucifera
 ナギ Nageia nagi
 クスノキ Cinnamomum camphora
 モミジ Acer spp.
 アイビーゼラニウム Pelargonium peltatum
 ひまわり調剤川中島薬局:川崎区川中島1丁目12-9
 ハナニラ Ipheion uniflorum
 ツゲ Buxus microphylla var. japonica
 星乃湯:川崎区追分町15-2
 庚申堂:川崎区小田1丁目18-9
 伊藤の坂:鶴見区鶴見1丁目
 庚申堂:鶴見区鶴見1丁目10-3

沼間から朝比奈へ

 大蛇伝説て知られる七諏訪社、七つあったと言われる社の内3社の位置がグーグルマップに掲載されたので、早速訪ねてみました。本社はマイキャッスルトンネル入り口付近、三の社は私有地内でしたが、一の社は見つけることが出来ませんでした。一の社があるとされる地点ではシラユキゲシが咲き始めていましたし、山路はすっかり春の装いでしたが、今年のアリドオシの実はどうも色が今一さえないようでした。
【主な経路】(自宅)~鷹取山~沼間~名越~朝比奈~六浦~(自宅)


【神武寺梵鐘の銘文より】
    鐘銘文
奉冶鋳大日本國東相三浦郡
醫王山神武寺本堂薬師如来
御寶前鐘臺口
右大綱之㫖趣者天長地久
御願圓滿之處
大檀那諸縁吉利天下?平
國?安稳而己
 予雖催無二之大願有志無力
故䝉貴賎上下之芳助
奉法鐘鋳驚生死長夜盲夢
今諸行無常之一聲聞不隔遠
近推之人者現世安楽後生善處
戸戸康寧栄繁人家男女以楽
久長門門楽静養愛六畜飛走
彌㕝安寧時夫風静晋代只今多
雨露万歳々々
  元和九癸亥年霜月吉辰
   當山六十㔺願主法印尊雄 敬白
右古鐘名文記之
  明和八辛卯年八月吉辰
   當山六十七㔺再興願主法印玄道 敬白
奉再鋳梵鐘者欲誘怨親平等離苦得脱域發願
今善男善女仰協力再鋳念願滿足合掌畢矣
  昭和二十五庚寅年十月吉辰
   當山七十四㔺再興願主法印滋順 敬白


 京都寺町高橋鐘聲堂謹鋳


C-311.キイチゴハケフシ(改称)【湯川淳一(1996)日本原色虫えい図鑑、p.223.を転記】
 キイチゴハモグリダニ Phyllocoptes carilubi (Keifer, 1938)によって作られるフシダニえいで、葉が裏または表の方に不規則に隆起し縮み曲がる(図Ⅰ-44)。隆起したところには灰黄色の長毛が毛せん状に密生して赤褐~黄褐色を呈する。毛は長さ0.4~0.5mmで剛毛状、先端は尖る。枝の表皮にも赤褐色の不規則に広がった毛せん状えいを作ることがある。ダニはこれらの毛の間に生息するが、数は少ない。
 生態 不明。
 分布 本州;韓国、アメリカ。
 異名 キイチゴケフシ
【参考文献】江原(1980)、Huang(1971)、菊池(1940)、門前(1929)。


【参考】
 サンシュユ Cornus officinalis
 アオキ Aucuba japonica
 ツルマサキ Euonymus fortunei
 コゴメウツギ Stephanandra incisa
 ヤブラン Liriope muscar
 モミジイチゴ Rubus palmatus var. coptophyllus
 ヒメカンスゲ Carex conica
 山桜(やまざくら)Cerasus jamasakura
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 キブシStachyurus praecox
 ヒノキ Chamaecyparis obtusa
 (沼間の)スダジイ Castanopsis sieboldii
 エゴノキ Styrax japonica
 ニリンソウ Anemone flaccida
 ヒメユズリハ Daphniphyllum teijsmannii
 親不知の展望台
 イヌシデ Carpinus tschonoskii
 イヌツゲメタマフシ
 トベラ Pittosporum tobira
 ヒサカキ Eurya japonica
 ガマズミ(?) Viburnum spp.
 ヤブツバキ Camellia japonica
 カヤ Torreya nucifera
 イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia
 アリドオシ Damnacanthus indicus
 ホルトノキ Elaeocarpus sylvestris (神武時のなんじゃもんじゃ)
 神武寺の晩鐘
 鐘撞堂
 ツルグミ Elaeagnus glabra
 ヤマネコノメソウ Chrysosplenium japonicum
 マメヅタ Lemmaphyllum microphyllum
 オオイタビ Ficus pumila
 レンテンローズ(?) Helleborus orientalis
 クサイチゴ Rubus hirsutus
 キイチゴハケフシ(?)
 リュウノヒゲ Ophiopogon japonicus
 ウラシマソウ Arisaema urashima
 七諏訪社 三の祠
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 ヤマモモ Morella rubra
 モモ Amygdalus persica
 マイキャッスル湘南逗子
 七諏訪社 本社
 ムスカリ Muscari neglectum
 ユキノシタ Saxifraga stolonifera
 タチツボスミレ Viola grypoceras
 シラユキゲシ Eomecon chionantha
 ローズマリー Rosmarinus officinalis
 レンギョウ Forsythia suspensa
 福徳稲荷:池子3丁目16
 ハナツルクサ Aptenia cordifolia
 ツゲ Buxus microphylla var. japonica
 ナギ Nageia nagi
 山王権現同:逗子市久木9丁目1
 キランソウ Ajuga decumbens
 シャガ Iris japonica
 石廟:逗子市久木4丁目1783
 大切岸
 稲荷社
 ヒュウガミズキ Corylopsis pauciflora
 ハクモクレン Magnolia denudata

川崎から横浜へ

 今月はTsutaya川崎駅前店がDVDレンタルのセールを実施中。帰りには、旧東海道を辿りながら横浜まで歩いてみました。


          
  多與利爾 徒可牟
麦の穂を
         可禮
 

注:変体仮名で書かれているので分かり難いのですが、
 (右から1行)           翁
 (右から2行)   たよりに(多與利爾) つかむ(徒可牟)
 (右から3行) 麦の穂を
 (右から4行)        別かれ(可禮)
と書かれており、切れ字の「かな」は省略されているようです。『翁』は蕉翁の略と思われます。この地区での松尾芭蕉は、「The Okina」なのでしょう。


  芭蕉の句碑
 俳聖松尾芭蕉は、元禄七年(一六九四)五月、江戸深川の庵をたち、郷里、伊賀(現在の三重県)への帰途、川崎宿に立ち寄り、門弟たちとの惜別の思いをこの句碑にある。
 麦の穂を たよりにつかむ 別れかな
の句にたくしました。
 芭蕉は「さび」「しおり」「ほそみ」「かろみ」の句風、すなわち「蕉風」を確立し、同じ年の十月、大阪で、
 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
という辞世の句をのこし、五十一歳の生涯をとじました。
 それから百三十年後の文政十三年(一八三〇)八月、俳人一種(いっしゅ)は、俳聖の道跡をしのび、天保の三大俳人のひとりに数えられた師の桜井梅室(さくらいばいしつ)に筆を染めてもらい、この句碑を建てました。
 昭和五十九年十月
          川崎市教育委員会


  芭蕉の句碑と川崎宿絵図
 川崎宿は全長約1.5kmで、そのほぼ中央に宿駅業務をとりしきる問屋場があり、その上手に佐藤、下地に田中の二つの本陣がありました。旅籠には奈良茶めしで有名であった「万年屋」など72軒がありました。そのほかに、教安寺・一行寺・宗三寺などの寺院、川崎宿の鎮守である山王社(現在の稲毛神社)があり、これらの寺社は現在も同じ位置にありますので、往時の宿場の様子を推察する手がかりとなりましょう。この芭蕉の句碑は上手の棒鼻(ぼうはな)(宿場入口)附近に文政13年(1830)、俳人一種(いっしゅ)によって建立されたもので、そののち現在の位置に移されました。この棒鼻を出るといわゆる八丁畷の並木道になります。旅人は、富士の雄姿をながめながら次の宿へと足をはやめたことでしょう。


  日進町町内会館「麦の郷」
 京急八丁畷駅前に松尾芭蕉の句碑があります。
 元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸深川の芭蕉庵をあとに故郷伊賀上野へ向いました。芭蕉を見送りに来た弟子たちは、名残を惜しんで六郷川(多摩川)を渡って川崎宿へ入り、このあたりまで来ました。そして別れを惜しんで弟子たちと句を詠みあいます。
 弟子たちに対して、芭蕉が詠んだ句が
     「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」です。
 芭蕉はこの年10月大阪で不帰の客となりました。享年51才。弟子たちにとって、この場所での別れが、本当の別れになりました。
 弟子たちが詠んだ句は、旧東海道沿い川崎警察署のすぐ近く、ピバース日進町1階「芭蕉ポケットパーク」で見ることができます。
 平成16年(2004年)、日進町町内会館は新しく立て替えられ、その機に、松尾芭蕉の句碑にちなみ会館名を「麦の郷」と名付けました。



明日へ走る:垣内治雄 作 1997
  鶴見区制70周年記念
 横浜市鶴見区は、昭和2年10月1日の区制実施により誕生し、平成9年10月1日に70周年を迎えました。
 そこで、鶴見区制70周年を記念して、広く鶴見区民に親しまれている東京箱根往復大学駅伝競走の記念像をここ鶴見中継所に設けるものであります。
 平成9年11月吉日
     鶴見区制70周年記念事業実行委員会
             横浜市鶴見区役所
  記念像設置協力団体 鶴見区商店街連合会


   鶴見区制70周年記念
 横浜市鶴見区は、昭和2年10月1日の区制実施により誕生し、平成9年11月1日に70周年を迎えました。
 そこで、鶴見区制70周年を記念して、広く鶴見区民に親しまれている東京箱根往復大学駅伝競走の記念像をここ鶴見中継所に設けるものであります。
  平成9年11月吉日
     鶴見区制70周年記念事業実行委員会
             横浜市鶴見区役所
  記念像設置協力団体 鶴見区商店街連合会


     御由緒
 神社名 大山祇神社
 御祭神 大山祇命
 境内社 稲荷社、天神社の相社
 例祭日 六月上旬(土、日)
創立は住吉伊予国の一宮(三島大明神)を勧請す。古代から山の守護神、海の守護神、農工商の守護神として、霊験の高い神として信仰が篤い神社である。
当社には、昔此の地に里人を害する大蛇があり土地の里正(名主)ず数年来の暴虐を諭し山神として奉祀することを約して、退散せしむとの故事あり。
     (新編武蔵風土記稿に記載)
   定
一、構造物を損なうこと
一、危険な遊びをしないこと
一、境内を汚さないこと
     平成二十六年十二月吉日
        大山祇神社氏子会


【稲荷社(大山祇神社境内)の碑】
朝夜被仁物喰布毎尓
  豐宇氣濃神能命具美袁
      意茂獘譽廼賓徒


庚申に参りて
 四方を眺れば
道は四筋に
  わかれても
願ひの途は
 ひと筋よ



寄進 樿「ツゲ」之樹四本
     昭和六十三年六月吉日納ム
      綱島萩生田壽子
【注】樹種はイヌツゲで3本残っていました。


 道念稲荷神社
蛇も蚊も発祥の地
   蛇も蚊も 出たけ
    日よりの雨け
   昭和四十八年六月三日
        東部本宮町
        西部本宮町


横浜市指定無形民俗文化財
  (じゃ)()
         平成四年十一月一日 指定
     行事の日 六月第一日曜日
     保存団体 本宮蛇も蚊も保存会
 蛇も蚊もは、約三〇〇年前に悪疫が流行したとき、萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まると伝えられています。この行事は、旧暦の端午の節句の行事とされていましたが、明治の半ば頃から太陽暦の六月六日となり、近年は六月の第一日曜日に行われるようになっています。
 萱でつくった長大な蛇体を若者・子どもがかついで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声で唱えながら町内をかついで回ります。もとは、原地区(神明社)が雌蛇、本宮地区(稲荷神社)が雄蛇を作り、境界で絡み合いをさせた後、夕刻には海に流していましたが、現在は、両社別々の行事となっています。
 平成二十四年二月
               横浜市教育委員会



横浜市地域史跡
  生麦事件碑
     昭和六十三年十一月一日登録
 文久二年八月二十一日(西暦一九六二年九月十四日)、勅使大原重徳(しげとみ)を奉じて幕政改革の目的を達し、江戸を出発した薩摩藩士島津久光の一行は、東海道沿いの生麦村で騎乗のイギリス人四名と遭遇、行列の通行を妨害したとして護衛の薩摩藩士がイギリス人一名を殺害、二人に深手を負わせました(生麦事件)。この事件は、翌年に薩英戦争を引き起こしました。
 明治十六年(一八八三)、鶴見の黒川荘三(しょうぞう)は、イギリス商人リチャードソンが落命した場所に、教育学者中村敬宇に撰文を依頼し遭遇碑を建てました。
(表)
 舊蹟
文久二年壬戌八月二十一日英国人力査遜
殞命于此處乃鶴見人黒川荘三所有之地也
荘三乞余誌其事因為之歌歌曰
君流血此海壖我邦変進亦其源強藩起兮
王室振耳目新兮唱民権擾々生死疇知聞萬
国有史君名傳我今作歌勒貞珉君其含笑于
九原
露異字十六年十二月 敬宇中村正直撰
(裏)
彫刻師 飯島吉六


文久二年壬戌(みずのえいぬ)八月二十一日英国人力査遜(リチャードソン)此処に殞命(いんめい)
(すなわ)ち鶴見の人黒川荘三(しょうぞう)所有の地なり
荘三余に其事を誌さんことを乞う
因って之が為に歌う、歌いて曰く
君此の海壖(かいぜん)に流血す
我邦の変進も亦其れを源とす
強藩起こって王室振るう
耳目新たに民権を唱う
擾々(じょうじょう)たる生死(たれ)か聞いて知る
万国に(ふみと)有り君が名を伝う
我れ今歌を作って貞珉(ていびん)(きざ)
君其れ九原に含笑せよ
明治十六年十二月    敬宇(けいう)中村正直撰


   ’NAMAMUGI INCIDENT’
 Approximately 10 foreigners unfortunately were slain in Yokohama in the last years of th Tokugawa Shogunate, or the mid-19th century. One was an Englishman named Charles Lenox Richardson. He was cut down by samurai of the Shimazu clan at the village of Namamugi on the Tokaido Highway in September 1982. The so-called Namamugi Incident led to the bombardment of Kagoshima, a Shimazu stronghold, by a British fleet.
 In 1883 Shozo Kurokawa of Tsurumi, Yokohama, erected a monument at the side of Richardson’s slaying. The inscription was composed by Keiu Nakamura.


平成二十二年十二月   横浜市教育委員会



トマトケチャップ発祥地碑(裏面:武蔵國橘樹郡字海道通子安村)


 石種はケチャップを思わせる赤系の大理石で恐らくベンガロール産の「ニューインペリアルレッド」です。


     西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと
トマト、セロリ、レタス、…。今ではおなじみの西洋野菜。
子安は最初に西洋野菜を栽培しトマトケチャップ製造をはじめた農村のひとつで、当時の人々の努力による実りが、今の食卓を彩っています。
 1859年(安政6年)の横浜開港によって、日本へ一気に西洋のもの、人、文化が流れ込んできました。今では私たちが当たり前のように目にしているキャベツやトマト、セロリ、カリフラワー、ビート、ラディッシュ、アスパラガス等といった西洋野菜が日本へ入ってきたのも、この頃のようです。1862年(文久2年)、居留外国人ローレイロが菜園を作ったのを皮切りに、多くの居留外国人が山手に農園を開設。やがて、根岸、磯子、子安など近隣農村へと西洋野菜栽培が急速に広がっていきます。
 子安で西洋野菜栽培が始まったのは、1866年(慶応2年)頃。子安村の堤春吉が外国船に食材を納めていた倉田政吉からセロリ、カリフラワー、ビート、ラデッィッシュ、玉ネギなどの種を譲り受け、子安村の人々とともに西洋野菜栽培を始めたそうです。
 子安は東海道に面しており、開港に伴う新しい人、もの、情報が行き交う場所。東京と横浜の中間地点で二大消費地への出荷が容易だったことに加え、西洋野菜栽培に適した土壌と人々の栽培研究努力から、子安村での西洋野菜栽培はどんどん盛んになっていきます。明治時代半ばには子安村の栽培農家は80戸程まで増加し、1894年(明治27年)には地元の清水與助がトマトケチャップ製造会社清水屋を始めました。1911年(明治44年)頃には鶴見境から神奈川境までの「子安西洋野菜」作付面積は50ha近くになりました。しかし、大正初期から子安付近の埋め立てが進み、残念ながら西洋野菜栽培で栄えた村も京浜工業地帯として発展することになりました。
 しはいえ、横浜開港から明治にかけての子安村の人々の努力はね西洋野菜栽培が横浜市近郊から全国へと広がる基礎となり、私たちの食卓で生きているのです。
【参考資料】
・横浜市史稿(産業編)横浜市役所編 1932(昭和7)年
・横浜社会辞彙(じい)日比谷重郎編 横浜通信社 1917年刊
・横浜開港資料館「開港のひろば」第104号 2009(平成21)年4月22日発行
・横浜市環境創造局農業振興課 市民と農との地産地消連携事業HP
 http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/nousan/tisantisyo/kaikousai/ (現在リンク先は存在せず)


【注】清水屋のケチャップは金沢区の南部市場に本社のある横濱屋本舗により復刻生産されており、高島屋横浜店7F、ランドマークプラザ5F、ワールドポーターズ1Fで販売されているそうです。



  八重地蔵の来歴について
 此のお地蔵さまは今を去る二十年前即ち昭和三十九年の盛夏当時小学校で夏休行事として早朝ラジオ体操が行われていました。当時5才の岡沢八重子ちゃんは兄さんと姉さんの後について体操に行く途中、たま〱停車中の大型トラックの前を走り抜こうとした時、そのトラックが発車し下敷となって死亡されて了ったのです。其の現場のすさまじさは悲愴と言うか、凄惨と申すべきか、家族は申すまでもなく、居あわせた町民は皆狂乱状態となりました。直ちに其の足で我々町民は警察へ、市当局へと怒りをこめて雪崩こみました。市当局は慌て出し、其の日の中に土木局次長殿が見えて、道路の約半分を子供の遊び場として今日に及んで居ります。
 我々町民は八重子ちゃんの犠牲により公園が出来、子供の遊び場として又憩いの場として親しまれていることを永遠に忘れることなく、又、八重子ちゃんのご冥福を祈らなければならないと思います。
   昭和五十九年八月
          東浜町内会


【参考】
 大寒桜(おおかんざくら)Cerasus x kanzakura cv. ‘Oh-kanzakura’
 アシブトハナアブ Tubifera virgatus
 ツゲ Buxus microphylla var. japonica
 ひまわり(川崎市自立支援センター)
 芭蕉句碑:川崎区日進町9-11
 地蔵尊:川崎区日進町34-10
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 (8弁の)ハナニラ Ipheion uniflorum
 ひまわり皮膚科形成外科
 明日へ走る:垣内治雄 作 1997 (鶴見区市場富士見町6-5)
 大山祇神社:鶴見区菅沢町13-10
 稲荷社(大山祇神社境内社)
 稲荷社の石碑(大山祇神社境内社)
 天神社(大山祇神社境内社)
 庚申堂:鶴見区菅沢町10-17
 鶴見川(鶴見橋より)
 神明神社:鶴見区鶴見中央5丁目1-10
 高松稲荷神社:鶴見区生麦5丁目18-16
 冬木森稲荷神社:鶴見区生麦5丁目13
 道念稲荷神社:鶴見区生麦4丁目27-18
 イヌツゲ奉納碑(道念稲荷)
 イヌツゲ Ilex crenata var. crenata
 蛇も蚊も
 生麦水神宮:鶴見区生麦4丁目31-27
 富士浅間大神(生麦水神宮境内)
 御社母子稲荷神社:鶴見区生麦4丁目15
 生麦事件碑:鶴見区生麦1丁目16
 生麦事件ゆかりの井戸跡
 キリンビール横浜工場
 アメリカフウロ Geranium carolinianum
 サツキ Rhododendron indicum
 トマトケチャップ発祥地碑:神奈川区子安通3丁目343
 稲荷社:神奈川区子安通2丁目271
 八重地蔵尊:子安通り一丁目児童遊園地
 烏巣之森稲荷大明神:神奈川区子安通1丁目73

ツゲとイヌツゲ

 犬の名の付く植物を整理した際にツゲの写真が一枚もなかったことが気に懸かり、比べることの出来る写真を撮ろうと探していたら、家の近くにもありました。本日、テレワークの昼休憩に撮影したものです。
 この界隈でツゲは稀というほどではない様ですが、100本のうち99本位はイヌツゲであることには変わりありません。ただし、イヌツゲは山道で見かけることがあるのに対して、ツゲの自生は全くないと言ってよさそうです。『イヌ』といえば、イヌザンショウも三浦半島ではみかけておらず、今後とも気に留めて、探してみたいと思います。

左:ツゲ Buxus microphylla var. japonica
 葉は対生、全縁で鋸歯はなく、先端は丸くて少しだけ窪んでいることが多い。今は丁度花期で写真中央の雌花には緑色の3花柱がはっきりと見える。
右:イヌツゲ Ilex crenata var. crenata
 葉は互生で良く見れば、浅い鋸歯がある。先端は尖っている葉がほとんど。

ツゲの花

 このブログにツゲの写真が一枚もないことに気づき、探しながら歩いていたら、意外にも職場から徒歩ほぼ一分の生垣に使われていました。夕暮れ時でしたし、いつものカメラは持っていませんでしたので、いずれ撮り直したいと思います。


ツゲ Buxus microphylla var. japonica
ツゲとイヌツゲ