川崎から横浜へ

 今月はTsutaya川崎駅前店がDVDレンタルのセールを実施中。帰りには、旧東海道を辿りながら横浜まで歩いてみました。


          
  多與利爾 徒可牟
麦の穂を
         可禮
 

注:変体仮名で書かれているので分かり難いのですが、
 (右から1行)           翁
 (右から2行)   たよりに(多與利爾) つかむ(徒可牟)
 (右から3行) 麦の穂を
 (右から4行)        別かれ(可禮)
と書かれており、切れ字の「かな」は省略されているようです。『翁』は蕉翁の略と思われます。この地区での松尾芭蕉は、「The Okina」なのでしょう。


  芭蕉の句碑
 俳聖松尾芭蕉は、元禄七年(一六九四)五月、江戸深川の庵をたち、郷里、伊賀(現在の三重県)への帰途、川崎宿に立ち寄り、門弟たちとの惜別の思いをこの句碑にある。
 麦の穂を たよりにつかむ 別れかな
の句にたくしました。
 芭蕉は「さび」「しおり」「ほそみ」「かろみ」の句風、すなわち「蕉風」を確立し、同じ年の十月、大阪で、
 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
という辞世の句をのこし、五十一歳の生涯をとじました。
 それから百三十年後の文政十三年(一八三〇)八月、俳人一種(いっしゅ)は、俳聖の道跡をしのび、天保の三大俳人のひとりに数えられた師の桜井梅室(さくらいばいしつ)に筆を染めてもらい、この句碑を建てました。
 昭和五十九年十月
          川崎市教育委員会


  芭蕉の句碑と川崎宿絵図
 川崎宿は全長約1.5kmで、そのほぼ中央に宿駅業務をとりしきる問屋場があり、その上手に佐藤、下地に田中の二つの本陣がありました。旅籠には奈良茶めしで有名であった「万年屋」など72軒がありました。そのほかに、教安寺・一行寺・宗三寺などの寺院、川崎宿の鎮守である山王社(現在の稲毛神社)があり、これらの寺社は現在も同じ位置にありますので、往時の宿場の様子を推察する手がかりとなりましょう。この芭蕉の句碑は上手の棒鼻(ぼうはな)(宿場入口)附近に文政13年(1830)、俳人一種(いっしゅ)によって建立されたもので、そののち現在の位置に移されました。この棒鼻を出るといわゆる八丁畷の並木道になります。旅人は、富士の雄姿をながめながら次の宿へと足をはやめたことでしょう。


  日進町町内会館「麦の郷」
 京急八丁畷駅前に松尾芭蕉の句碑があります。
 元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸深川の芭蕉庵をあとに故郷伊賀上野へ向いました。芭蕉を見送りに来た弟子たちは、名残を惜しんで六郷川(多摩川)を渡って川崎宿へ入り、このあたりまで来ました。そして別れを惜しんで弟子たちと句を詠みあいます。
 弟子たちに対して、芭蕉が詠んだ句が
     「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」です。
 芭蕉はこの年10月大阪で不帰の客となりました。享年51才。弟子たちにとって、この場所での別れが、本当の別れになりました。
 弟子たちが詠んだ句は、旧東海道沿い川崎警察署のすぐ近く、ピバース日進町1階「芭蕉ポケットパーク」で見ることができます。
 平成16年(2004年)、日進町町内会館は新しく立て替えられ、その機に、松尾芭蕉の句碑にちなみ会館名を「麦の郷」と名付けました。



明日へ走る:垣内治雄 作 1997
  鶴見区制70周年記念
 横浜市鶴見区は、昭和2年10月1日の区制実施により誕生し、平成9年10月1日に70周年を迎えました。
 そこで、鶴見区制70周年を記念して、広く鶴見区民に親しまれている東京箱根往復大学駅伝競走の記念像をここ鶴見中継所に設けるものであります。
 平成9年11月吉日
     鶴見区制70周年記念事業実行委員会
             横浜市鶴見区役所
  記念像設置協力団体 鶴見区商店街連合会


   鶴見区制70周年記念
 横浜市鶴見区は、昭和2年10月1日の区制実施により誕生し、平成9年11月1日に70周年を迎えました。
 そこで、鶴見区制70周年を記念して、広く鶴見区民に親しまれている東京箱根往復大学駅伝競走の記念像をここ鶴見中継所に設けるものであります。
  平成9年11月吉日
     鶴見区制70周年記念事業実行委員会
             横浜市鶴見区役所
  記念像設置協力団体 鶴見区商店街連合会


     御由緒
 神社名 大山祇神社
 御祭神 大山祇命
 境内社 稲荷社、天神社の相社
 例祭日 六月上旬(土、日)
創立は住吉伊予国の一宮(三島大明神)を勧請す。古代から山の守護神、海の守護神、農工商の守護神として、霊験の高い神として信仰が篤い神社である。
当社には、昔此の地に里人を害する大蛇があり土地の里正(名主)ず数年来の暴虐を諭し山神として奉祀することを約して、退散せしむとの故事あり。
     (新編武蔵風土記稿に記載)
   定
一、構造物を損なうこと
一、危険な遊びをしないこと
一、境内を汚さないこと
     平成二十六年十二月吉日
        大山祇神社氏子会


【稲荷社(大山祇神社境内)の碑】
朝夜被仁物喰布毎尓
  豐宇氣濃神能命具美袁
      意茂獘譽廼賓徒


庚申に参りて
 四方を眺れば
道は四筋に
  わかれても
願ひの途は
 ひと筋よ



寄進 樿「ツゲ」之樹四本
     昭和六十三年六月吉日納ム
      綱島萩生田壽子
【注】樹種はイヌツゲで3本残っていました。


 道念稲荷神社
蛇も蚊も発祥の地
   蛇も蚊も 出たけ
    日よりの雨け
   昭和四十八年六月三日
        東部本宮町
        西部本宮町


横浜市指定無形民俗文化財
  (じゃ)()
         平成四年十一月一日 指定
     行事の日 六月第一日曜日
     保存団体 本宮蛇も蚊も保存会
 蛇も蚊もは、約三〇〇年前に悪疫が流行したとき、萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まると伝えられています。この行事は、旧暦の端午の節句の行事とされていましたが、明治の半ば頃から太陽暦の六月六日となり、近年は六月の第一日曜日に行われるようになっています。
 萱でつくった長大な蛇体を若者・子どもがかついで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声で唱えながら町内をかついで回ります。もとは、原地区(神明社)が雌蛇、本宮地区(稲荷神社)が雄蛇を作り、境界で絡み合いをさせた後、夕刻には海に流していましたが、現在は、両社別々の行事となっています。
 平成二十四年二月
               横浜市教育委員会



横浜市地域史跡
  生麦事件碑
     昭和六十三年十一月一日登録
 文久二年八月二十一日(西暦一九六二年九月十四日)、勅使大原重徳(しげとみ)を奉じて幕政改革の目的を達し、江戸を出発した薩摩藩士島津久光の一行は、東海道沿いの生麦村で騎乗のイギリス人四名と遭遇、行列の通行を妨害したとして護衛の薩摩藩士がイギリス人一名を殺害、二人に深手を負わせました(生麦事件)。この事件は、翌年に薩英戦争を引き起こしました。
 明治十六年(一八八三)、鶴見の黒川荘三(しょうぞう)は、イギリス商人リチャードソンが落命した場所に、教育学者中村敬宇に撰文を依頼し遭遇碑を建てました。
(表)
 舊蹟
文久二年壬戌八月二十一日英国人力査遜
殞命于此處乃鶴見人黒川荘三所有之地也
荘三乞余誌其事因為之歌歌曰
君流血此海壖我邦変進亦其源強藩起兮
王室振耳目新兮唱民権擾々生死疇知聞萬
国有史君名傳我今作歌勒貞珉君其含笑于
九原
露異字十六年十二月 敬宇中村正直撰
(裏)
彫刻師 飯島吉六


文久二年壬戌(みずのえいぬ)八月二十一日英国人力査遜(リチャードソン)此処に殞命(いんめい)
(すなわ)ち鶴見の人黒川荘三(しょうぞう)所有の地なり
荘三余に其事を誌さんことを乞う
因って之が為に歌う、歌いて曰く
君此の海壖(かいぜん)に流血す
我邦の変進も亦其れを源とす
強藩起こって王室振るう
耳目新たに民権を唱う
擾々(じょうじょう)たる生死(たれ)か聞いて知る
万国に(ふみと)有り君が名を伝う
我れ今歌を作って貞珉(ていびん)(きざ)
君其れ九原に含笑せよ
明治十六年十二月    敬宇(けいう)中村正直撰


   ’NAMAMUGI INCIDENT’
 Approximately 10 foreigners unfortunately were slain in Yokohama in the last years of th Tokugawa Shogunate, or the mid-19th century. One was an Englishman named Charles Lenox Richardson. He was cut down by samurai of the Shimazu clan at the village of Namamugi on the Tokaido Highway in September 1982. The so-called Namamugi Incident led to the bombardment of Kagoshima, a Shimazu stronghold, by a British fleet.
 In 1883 Shozo Kurokawa of Tsurumi, Yokohama, erected a monument at the side of Richardson’s slaying. The inscription was composed by Keiu Nakamura.


平成二十二年十二月   横浜市教育委員会



トマトケチャップ発祥地碑(裏面:武蔵國橘樹郡字海道通子安村)


 石種はケチャップを思わせる赤系の大理石で恐らくベンガロール産の「ニューインペリアルレッド」です。


     西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと
トマト、セロリ、レタス、…。今ではおなじみの西洋野菜。
子安は最初に西洋野菜を栽培しトマトケチャップ製造をはじめた農村のひとつで、当時の人々の努力による実りが、今の食卓を彩っています。
 1859年(安政6年)の横浜開港によって、日本へ一気に西洋のもの、人、文化が流れ込んできました。今では私たちが当たり前のように目にしているキャベツやトマト、セロリ、カリフラワー、ビート、ラディッシュ、アスパラガス等といった西洋野菜が日本へ入ってきたのも、この頃のようです。1862年(文久2年)、居留外国人ローレイロが菜園を作ったのを皮切りに、多くの居留外国人が山手に農園を開設。やがて、根岸、磯子、子安など近隣農村へと西洋野菜栽培が急速に広がっていきます。
 子安で西洋野菜栽培が始まったのは、1866年(慶応2年)頃。子安村の堤春吉が外国船に食材を納めていた倉田政吉からセロリ、カリフラワー、ビート、ラデッィッシュ、玉ネギなどの種を譲り受け、子安村の人々とともに西洋野菜栽培を始めたそうです。
 子安は東海道に面しており、開港に伴う新しい人、もの、情報が行き交う場所。東京と横浜の中間地点で二大消費地への出荷が容易だったことに加え、西洋野菜栽培に適した土壌と人々の栽培研究努力から、子安村での西洋野菜栽培はどんどん盛んになっていきます。明治時代半ばには子安村の栽培農家は80戸程まで増加し、1894年(明治27年)には地元の清水與助がトマトケチャップ製造会社清水屋を始めました。1911年(明治44年)頃には鶴見境から神奈川境までの「子安西洋野菜」作付面積は50ha近くになりました。しかし、大正初期から子安付近の埋め立てが進み、残念ながら西洋野菜栽培で栄えた村も京浜工業地帯として発展することになりました。
 しはいえ、横浜開港から明治にかけての子安村の人々の努力はね西洋野菜栽培が横浜市近郊から全国へと広がる基礎となり、私たちの食卓で生きているのです。
【参考資料】
・横浜市史稿(産業編)横浜市役所編 1932(昭和7)年
・横浜社会辞彙(じい)日比谷重郎編 横浜通信社 1917年刊
・横浜開港資料館「開港のひろば」第104号 2009(平成21)年4月22日発行
・横浜市環境創造局農業振興課 市民と農との地産地消連携事業HP
 http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/nousan/tisantisyo/kaikousai/ (現在リンク先は存在せず)


【注】清水屋のケチャップは金沢区の南部市場に本社のある横濱屋本舗により復刻生産されており、高島屋横浜店7F、ランドマークプラザ5F、ワールドポーターズ1Fで販売されているそうです。



  八重地蔵の来歴について
 此のお地蔵さまは今を去る二十年前即ち昭和三十九年の盛夏当時小学校で夏休行事として早朝ラジオ体操が行われていました。当時5才の岡沢八重子ちゃんは兄さんと姉さんの後について体操に行く途中、たま〱停車中の大型トラックの前を走り抜こうとした時、そのトラックが発車し下敷となって死亡されて了ったのです。其の現場のすさまじさは悲愴と言うか、凄惨と申すべきか、家族は申すまでもなく、居あわせた町民は皆狂乱状態となりました。直ちに其の足で我々町民は警察へ、市当局へと怒りをこめて雪崩こみました。市当局は慌て出し、其の日の中に土木局次長殿が見えて、道路の約半分を子供の遊び場として今日に及んで居ります。
 我々町民は八重子ちゃんの犠牲により公園が出来、子供の遊び場として又憩いの場として親しまれていることを永遠に忘れることなく、又、八重子ちゃんのご冥福を祈らなければならないと思います。
   昭和五十九年八月
          東浜町内会


【参考】
 大寒桜(おおかんざくら)Cerasus x kanzakura cv. ‘Oh-kanzakura’
 アシブトハナアブ Tubifera virgatus
 ツゲ Buxus microphylla var. japonica
 ひまわり(川崎市自立支援センター)
 芭蕉句碑:川崎区日進町9-11
 地蔵尊:川崎区日進町34-10
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 (8弁の)ハナニラ Ipheion uniflorum
 ひまわり皮膚科形成外科
 明日へ走る:垣内治雄 作 1997 (鶴見区市場富士見町6-5)
 大山祇神社:鶴見区菅沢町13-10
 稲荷社(大山祇神社境内社)
 稲荷社の石碑(大山祇神社境内社)
 天神社(大山祇神社境内社)
 庚申堂:鶴見区菅沢町10-17
 鶴見川(鶴見橋より)
 神明神社:鶴見区鶴見中央5丁目1-10
 高松稲荷神社:鶴見区生麦5丁目18-16
 冬木森稲荷神社:鶴見区生麦5丁目13
 道念稲荷神社:鶴見区生麦4丁目27-18
 イヌツゲ奉納碑(道念稲荷)
 イヌツゲ Ilex crenata var. crenata
 蛇も蚊も
 生麦水神宮:鶴見区生麦4丁目31-27
 富士浅間大神(生麦水神宮境内)
 御社母子稲荷神社:鶴見区生麦4丁目15
 生麦事件碑:鶴見区生麦1丁目16
 生麦事件ゆかりの井戸跡
 キリンビール横浜工場
 アメリカフウロ Geranium carolinianum
 サツキ Rhododendron indicum
 トマトケチャップ発祥地碑:神奈川区子安通3丁目343
 稲荷社:神奈川区子安通2丁目271
 八重地蔵尊:子安通り一丁目児童遊園地
 烏巣之森稲荷大明神:神奈川区子安通1丁目73

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