月別アーカイブ: 2019年6月

不明種判明-水蓮木

 一月に洲崎でみかけた不明種、丁度見頃の時期となり、種名が判明しました。スイレンの花に印象が似ていることから名付けられたそうです。


スイレンボク(水蓮木) Grewia occidentalis
【文献】
 Grewia occidentalis, Useful Tropical Plants, URL: http://tropical.theferns.info/viewtropical.php?id=Grewia+occidentalis, Accessed:2019-07-02.
 Grewia occidentalis, Planz African, URL: http://pza.sanbi.org/grewia-occidentalis, Accessed:2019-07-02.

水無月の大祓-茅の輪くぐり

 今年も半部過ぎ、今日は大祓の日でした。茅の輪を設置している近隣の神社を廻ってみました。この地区の茅の輪には人型を吊るさないことが多い様ですが、神戸ごうど神明社には人型があり、(人型がないと穢れをうつせませんから)なんとなくほっとしました。
 茅の輪くぐり-2017.6.30 2013.6.30


【雷神社】追浜本町1-9


【瀬戸神社】金沢区瀬戸18-14


【伊勢山皇大神宮】西区宮崎町64


【神戸神明社】保土ケ谷区神戸町107


【横浜市の名木古木】
No.48075 ケヤキ Zelkova serrata:外川神社(保土ケ谷区瀬戸ヶ谷町196-1)


No.49196 カヤ Torreya nucifera:乗蓮寺(南区井土ヶ谷上町33-1)

妙音寺のヤマユリ

 毎年この頃になるとヤマユリの開花が気になって訪ねる三浦市の妙音寺なのですが、今年も少し早すぎました。一方で、もうすぐ見頃の終わりそうなアジサイとヤマユリの両方を、今年も見ることが出来ました。
【主な経路】
(三崎口駅)-飯盛山妙音寺-飯盛神社-白山神社(上宮田)稲荷神社-(上宮田)三峯神社-(上宮田)諏訪神社-浅間神社-秋葉神社-稲荷社-稲荷大明神-熊野神社:長沢1-16
マカセ稲荷-八大竜王社-天照大神-浅間神社若宮-浅間神社奥宮(三浦富士山頂)-(京急長沢駅)
【飯盛山妙音寺】初声町下宮田119


【飯盛神社】初声町下宮田282


【白山神社】南下浦149

相州三浦菊名鎮座白山神社はくさんじんじゃ
御祭神
 伊邪那岐尊いざなぎのみこと
 伊邪那美尊いざなみのみこと
合祀神
 天照皇大神あまてらすおおかみ(伊邪那岐尊・伊邪那美尊の御子神)
 水歯別尊みずはわけのみこと
 国常立命くにとこたちのみこと
御由緒

鎌倉幕府を開いた源頼朝に仕えた三浦一族の武将、菊名左衛門重氏により加賀国(石川県)一宮白山比咩神社を勧請したと云われています。
当初は菊名の山林中(現社殿より見える小高い丘付近)に鎮座していましたが、鎌倉幕府の滅亡と同時に三浦一族また菊名左衛門重氏も滅びて、以来久しく社頭も荒廃に任せていました。江戸時代の貞享元年(一六八四年)に村民相謀り現在の地に社殿を造営し、菊名の氏神様として祀られました。
社殿は幾度も改築され、明治四十一年(1908年)に本殿の敷地を掘り下げ、幣殿を新造し拝殿を増築しました。なお石段並びに石垣も同時に新造されました。
現在の社殿は昭和四十五年(一九七〇年)の建造であります。

御神徳

白山神社の御祭神、伊邪那岐尊・伊邪那美尊の二柱の大神は神代の昔に初めて夫婦となられ、日本の国土や天照皇大神をはじめとする八百万の神々をお産みになられた神様であります。
その御神徳は多岐にわたり、「家内安全」「夫婦円満」「子授け」「子宝」「安産」「五穀豊穣」「海上安全」など実に広大無辺なものであります。
また近年では、日本で初めて夫婦になられた神さまを祀っていることから「縁結び」に御利益があるといわれ、男女の良縁をはじめ、家族、友人、仕事などさまざまな良縁を願う人たちのご参拝も多くなっています。

【(上宮田)稲荷神社】南下浦町上宮田3444-2


【(上宮田)三峯神社】南下浦町上宮田3231


当神社は埼玉県秩父市の三峯神社の分院です。
三峯の名は、神社の東方にそびえる雲取山、白岩山、妙法嶽の三つの峰が美しく連なることから呼ばれます。
当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。
これが当社の創まりであります。
其の後、天皇は日本武尊が巡られた東国を巡幸された時、上総国(千葉)で、当山が山高く美しく連なることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわれました。
降って聖武天皇の時、国中に悪病が良好しました。天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峰宮には勅使として葛城連好久公が遣わされ「大明神」の神号を奉られました。又、文武天皇の時、修験の祖役の小角(おづね)が伊豆から三峯山に従来して修業したと伝えられています。
この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。
天平十七年(七四五)には、国司の奏上により月桂僧都が山主に任じられました。更に淳和天皇の時には、勅使により弘法大師が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平。国家安穏を祈ってお宮の本地堂としました。
こうして徐々に佛教色を増し、神佛習合のや社となり、神前奉仕も神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。
            平成二十三年十二月


【(上宮田)諏訪神社】上宮田655


【浅間神社】本院:横須賀市津久井4丁目18-1


 境内社は、稲荷社が3社と金毘羅神社です。

浅間神社由来
 御祭神 木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと
     縁結び・安産・子育ての守護神
 社伝によると聖武天皇の天平年中(七二九~七四八)に僧行基(奈良大仏建立勧請の高僧)が当郷に来り、駿河国の浅間神社を勧請し祀ったとある。そこは津久井と長沢の奥にあった高くそびえる浅間山の山頂である。この山は海上からよい目標となり漁場の位置や東京湾に出入りする船のよい目印とすると共に信仰の対象になっている。後に富士山と呼ばれ人々から崇められるようになってきた。当社の奥宮は今も山頂に鎮座している。毎年七月八日山頂にて「お焚き上げ」の神事が盛大に行われ、家内安全・大漁・海上安全・五穀豊穣・病気平癒・交通安全等を祈願する人で賑わう。当社殿は当初「富士入」にあったが、昭和三年十一月現在地に移転鎮座され、毎年七月七日例祭が行われている。
 夏祭り(八雲祭)は昭和四十年代以前は七月七日、八日に行われていたが、現在は八月下旬の土、日曜に行なわれている。当社の境内社として金比羅神社と稲荷神社が祀られている。
 明治四十一年十二月神奈川県令で神社が合祀され、御祭神は相殿に祀られた。
  八坂神社 祭神 素戔嗚尊 横手
  日枝神社 祭神 猿田彦命 川尻
  御霊神社 祭神 稲荷神  安戸
宮司 菊池 恵   高木角次書
 平成十七年八月吉日建立 施工石平石材店


【秋葉神社】津久井4-8


【稲荷神社】津久井2丁目1


【稲荷大明神】長沢1-16-11


【熊野神社】長沢1-56


  熊野神社の由来
 以前は不詳でありますが、文化八歳冬拾壱月?日に建立され、其の後明治弐拾六年貮月?日に改築されましたが、大正拾貮年九月壱日の関東大震災の際に崩壊いたしまして、其の直後切り詰めて再建されたのでございますが、何分にも風雪にさらされし事数拾年、部分的に改修されたものゝ、如何にしとも老朽化し、再建と言う声が叫ばれ、町内の皆様方の御寄進によって、造営する事になり、よって茲に御遷宮を記念して、永く後世に残すため記すものである。
   昭和五十七年三月吂日


【マカセ稲荷】長沢1-12


【八大竜王社】長沢1-56


【天照大神】長沢27-33


     碑文
 当社は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を主祭神とし、当地の口承によれば、江戸時代のお伊勢参り盛んな頃、里人の三家(げんぜむ、きゅうぜむ、さんぜむ)が、長沢小字峯の通称お伊勢山のこの地に伊勢の神宮より御分霊を勧請し、長沢の鎮守さまとして、奉斎したのがその始まりと伝えられています。
以来、祖孫、村人、相承け、朝に夕に、広大な御神徳を仰いで、心の安まる神域として、人々の生活の中心として、共に歩んできた長い歴史を有しております。
しかし、最近に至って、本殿、拝殿の老朽化甚だしく、氏子総代並びに関係者一同恐懼して、之が改築の議を決し、天照大神大修理及び境内整備事業奉賛会を結成し、責任役員奉賛会会長山田邦雄氏を始め、関係者各位、日夜魂を傾けて、この推進に力を尽くしました。幸いに、氏子はもとより、崇敬者八百名のご協賛を戴き浄財を奉献せられ。総額伍千四百六十六萬九千円に及びました。
斯くして、拝殿の屋根を銅板に葺き替え、正面を唐破風つくりに改築し、幣殿を新築し、本殿と繋ぎました。更に、裏参道を造成し、玉垣の新設、境内の整備、記念碑の建立等々その諸事業がことごとく、神明の御加護によって、完成致しました。
 平成十一年風薫る五月二十三日、竣工奉祝大祭を関係者多数の御参列の下に盛大に斎行し、稚児五十名をはじめ保護者等三百名の稚児社参を致しました事は、氏子総代役員関係者一同誠に感慨に堪えません。
今、ここに縁深き境内に空高く神殿をアオイで、愈々、神威の弥高を拝し、只管国の隆盛と世界の共存共栄と氏子並びに崇敬者の弥栄を記念して、事業の概要を刻し記念と致します。
   平成十一年五月吉日
      天照大神宮司 早川智好




【参考】
 ヤマユリ Lilium auratum
 アジサイ Hydrangea spp.
 ノウゼンカズラ Campsis grandiflora
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 セリ Oenanthe javanica
 ツワブキ Farfugium japonicum (?)
 ノアサガオ Ipomoea indica
 チコリ Cichorium intybus
 ミソハギ Lythrum anceps
 ビヨウヤナギ Hypericum monogynum
 マスクメロン Cucumis melo
 スイカ Citrullus lanatus
 ヒマワリ Helianthus annuus
 セイヨウカボチャ Cucurbita maxima
 ヤマモモ Morella rubra
 ハマオモト Crinum asiaticum
 ピンクノウゼンカズラ Podranea ricasoliana
 ホルトノキ Elaeocarpus sylvestris
 ナギ Nageia nagi
 ダンドク Canna indica
 ブーゲンビレア Bougainvillea spp.
 クロガネモチ Ilex rotunda
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 カラスビシャク Pinellia ternata
 ツルナ Tetragonia tetragonioides
 ヒメマツバボタン Portulaca pilosa
 ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva var. kwanso
 タイサンボク Magnolia grandiflora
 ハルシャギク Coreopsis tinctoria
 トビ Milvus migrans
 鶴園福禄寿(飯盛山妙音寺)
 都市王像(飯盛山妙音寺)
 飛天像(飯盛山妙音寺)
 月天像(飯盛山妙音寺)
 大日如来坐像(飯盛山妙音寺)
 稲荷社(飯盛神社境内社)
 浅間神社(本宮):津久井4-18-1
 浅間神社若宮:(35.21681, 139.66991)
 浅間神社奥宮:三浦富士山頂(35.21567, 139.66858)
 稲荷大明神:長沢1-16-11
 庚申塔群:南下浦町上宮田
 石塔群:三樹院寂光堂(南下浦町601)
 庚申塔群:南下浦町上宮田463-3
 庚申塔群:津久井浜駅前(津久井2丁目18-23)
 石塔群:岩船地蔵尊:津久井1丁目25-2

中区の名木古木

 今日は、まだ見ていなかった中区の名木古木を、勤め帰りに確認してきました。


横浜市名木古木:中区
 タイサンボク No,201067;山手町258-4
 タブノキ No.200939:山手町159-1
 スダジイ No.201728, 201729, 201730:山手町66-2
 ヒマラヤスギ No.201731:山手町66-2
 カキノキ No.201059:山手町42-2
 ヒマラヤスギ No.200039:山手町36
 コルクガシ No.90017:山手町36
 イロハモミジ No.201606:山手町60-12
 ヒマラヤスギ No.201080:山手町49-2
 アメリカデイゴ No.201081:山手町48-7
 ソメイヨシノ No.201040:元町211-36
 イチョウ No.201041:元町211-36
 タブノキ No.201732:豆口台111 (20190620撮影)


コルク樫の大木
 明治十二年にはじめて苗木を日本でためしに植えた木だといわれています。
このコルクの木は、日本初上陸のものかもしれません。
  横浜市立元街小学校


捜真学院発祥の碑
 捜真学院は1886(明治22)年、バプテスト派のアメリカ人宣教師シャーロット・ブラウン1により、山手67番(当時の地番)の聖書印刷所2で誕生したキリスト教学校である。
 学校の発展に伴い1891(明治24)年、山手34番に、1910(明治43)年、横浜市神奈川区中丸8番地に移転した。
1:新約聖書和訳者ネーサン・ブラウン牧師の妻
2:ヨコハマ・ミッション・プレス
 横浜ユニオン教会のご好意で山手66番-2(現在の地番)のこの場所に記念碑を建立させていただいた。
2016年10月 創立130周年記念
学校法人 捜真学院 捜真小学校
捜真女学校中学部・高等学部


 Soshin Gakuin was founded in 1886 by Charlotte Brown, American Baptist Missionary, at 67 Yamate (historical address), the Bible printing office of her husband, Rev. Nathan Brown, This Christian school expanded to 34 Yamate in 1891. It was relocated in 1910 to 8 Nakamaru, Kanagawa-ku, Yokohama.
 Dedicated on the 130th Anniversary of Soshin Gakuin. Ground for this plaque at 66-2 Yamate is provided courtesy of Yokohama Union Church.


【文献】
横浜市市民局市民情報室広報センター(2001)横浜市「名木古木」リスト、市民グラフヨコハマ、No.115、p.36-41.
横浜市(2019)名木古木指定樹木一覧(平成31年3月13日時点)、Accessed 2019-06-25.

西海岸の初夏は…

 今日は、久し振りに三浦半島の西海岸を歩いてみました。生憎のお天気で、傘を持っていなかったため何度か雨宿りを余儀なくされましたが、何とか北久里浜迄辿りつけました。
【主な経路】
自宅-(六浦駅-新逗子駅)-長柄-風早-一色-葉山神明社(雨宿り)-長者ヶ崎-子産石-立石-秋谷-佐島-天神島-林-一騎塚-衣笠-(北久里浜園駅-追浜駅)-自宅


【稲荷社】追浜町3丁目16


【雷神社】追浜本町1丁目9、奥の院:追浜町3丁目12


【稲荷社】秋谷3丁目4-12


【三峰神社】芦名1丁目6


【稲荷社】芦名1丁目2-11



昭和五十二年市制施行七十周年記念
 横須賀風物百選
   立石
 波打ち際に空へ向って突き出ている巨岩を「立石」と言い、同時に、この附近の地名も立石と呼んでいます。
 この巨岩は、約二千五百万年前、海底に積み重なってできた地層が固まって、長い間、波に削られてできあがったものです。地層は凝灰岩で、高さ約十二メートル、周囲約三十メートルです。
 「立石」は、奇岩としての価値よりも、「立石」の先に張り出ている「ぼんてん」と呼ばれる岩場と、そこに自生する松、さらには海をはさんで、丹沢・箱根・伊豆の連山や、その上に浮き出た富士山の借景により絵画的な構図に真価を見いだせます。伊勢の二見が浦の夫婦岩も同じことで、二つの岩を結ぶしめ縄と、その間から昇る真紅の朝日があって、初めて夫婦岩が生きてきます。
 江戸時代の風景画家、初代安藤広重は、ここり立石の絶景をかっこ「相州三浦秋屋の里」と題して描いています。
 この「立石」ま風景は、空気の澄んだ晩秋から冬にかけてが最高です。その季節になると、アマチュアカメラマンが「立石」に落日のかかるのを辛抱強く待ち構えている姿を多く見かけます。


     泉鏡花の文学碑
 「草迷宮くさめいきゅう」は、泉鏡花が仮住まいのつもりであった逗子で執筆し、明治四十一年に出版された。
 主人公・葉越明はごしあきらが、幼い時に母から聞いた手毬唄をもう一度聞いてみたいと、それだけを念頭に豊前・小倉の故郷を出て諸国を訪ね歩いた末、ついに三浦郡秋谷の里、鶴谷の別荘で探り当てるという主題を軸にこの作品は描かれている。鶴谷邸のモデルは長屋門のある若命家と言われているが、フィクションも多い。
 鏡花は、明治六年石川県金沢市に生まれ、本名は「鏡太郎」。明治二十二年、尾崎紅葉の「二人比丘尼色懺悔ににんびくにいろざんげ」を読み感激。翌二十三年、小説家となるために上京、一年の放浪生活の末。紅葉の玄関番として寄宿し門下生となる。
 明治二十八年、「夜行巡査」や「外科室」を発表。ともに世評高く、観念小説の一角を占めた。その文壇に与えた衝撃は大きく、鏡花の名は、新進作家として知られるように至った。
 明治三十三年に「高野聖こうやひじり」、三十五年には「女仙前記」を発表。小説界の第一人者となる。
 九歳で母を亡くしたが、亡き母への憧憬は「照葉狂言てりはきょうげん」などに描かれている。また、処女作「かむり弥左衛門」をはじめとして世の貧しい不遇の人達を人たちを描いた作品を数多く発表した。
 生涯三百の作品を世に送り、晩年には帝国芸術院会員。昭和十四年没。
 代表作に「高野聖」、「春昼後刻しゅんちゅうごこく」、「歌行灯うたあんどん」、戯曲「天守物語」などがある。
          横須賀市


  草迷宮
大崩壊おおくずれいわおはだは、
春は紫に、夏は緑、
くれないに、冬は黄に、
藤を編み、つたまとい、
鼓子花ひるがおも咲き、
竜胆りんどうも咲き、
尾花おばななびけば月もす。
     泉鏡花


【專福寺観音堂】佐島1丁目26


横須賀市指定重要文化財
木造 十一面観音菩薩坐像 一躯
         平成十二年三月十日指定
 十一面観音菩薩坐像は、現在「観音ばな」と呼ばれる出崎に建つ專福寺境外の観音堂に安置されています。寺伝や江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」によれば、もとは付近に存在した觀妙かんみょう(明)寺の本尊だったものです。
 本像は像高四十.一センチで、構造は玉眼を嵌入したヒノキ材の寄木造です。その形姿は頭頂に仏面と十面をいただき、右手は仰向けて膝上に置き、左腕を曲げて蓮華を持っています。頭には宝冠をつけ、放射光の頭光を負い、蓮華座に安座しています。尊顔は力強さを残し、左足を右脛の上に組んだ膝前の衣文表現は室町後期風で。木彫像として相対的にまとまりの良さを見せています。
 建立事情が記された古文書から北条氏康の家臣で、佐島に知行地を持っていた粕屋清承かすやきよつぐが。天文十九年(一五五〇)に、鎌倉仏師長盛ちょうせいに造らせたことがわかります。作者・年代などが明確な室町時代後期の基準作品として、彫刻史上価値の高い作品です。
  平成十三年三月
                  横須賀市教育委員会



【参考】
 稲荷社(追浜町3丁目16)
 雷神社奥の院
 茅の輪(雷神社)
 タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis (雷神社)
 ノイバラ Rosa multiflora
 コマツナギ Indigofera pseudotinctoria
 庚申塔群(逗子市長柄)
 ギンバイカ Myrtus communis
 メカルドニアの一種 Mecardonia spp.
 アガパンサス Agapanthus africanus
 シチヘンゲ Lantana camara
 ヒメフウロソウ Erodium x variabile
 マツバボタン Portulaca grandiflora
 庚申塔群(葉山神明社)
 タブノキ Machilus thunbergii
 ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla
 マサキ Euonymus japonicus
 ビャクシン Juniperus chinensis (オーシャンズクラブ)
 ノウゼンカズラ Campsis grandiflora
 稲荷社(秋谷3丁目4-12)
 ノアサガオ Ipomoea indica
 三峰神社(芦名1丁目6)
 アメリカデイゴ Erythrina crista-galli
 專福寺観音堂(佐島1丁目26)
 アジサイ Hydrangea spp.(專福寺観音堂)
 スカシユリ Lilium maculatum (天神島)
 ミヤコグサ Lotus japonicus (天神島)
 ハマボッス Lysimachia mauritiana (天神島)
 ハマオモト Crinum asiaticum (天神島)
 スイカズラ Lonicera japonica
 稲荷社(芦名1丁目2-11:大楠中学校入口)
 ツルナ Tetragonia tetragonioides
 テリハノイバラ Rosa luciae
 キケマン Corydalis heterocarpa var. japonica
 ブーゲンビレア Bougainvillea spp.
 フウセントウワタ Gomphocarpus physocarpus
 キジ Phasianus versicolor
 アフリカハマユウ Crinum bulbispermum (Syn.Crinum latifolium)
 ヒマワリ Helianthus annuus
 ウチワサボテン Opuntia vulgaris
 セネシオ属の一種 Senecio sp. (?)
 ヒメヒオウギズイセン Crocosmia x crocosmiiflora
 オシロイバナ Mirabilis jalapa
 七夕飾り(追浜駅前)

雨の日のハカランダ

 朝から雨ふりでしたが、神奈川歯科大学のハカランダの開花状況をみてきました。以前に比べて花の着きが良くない様にも思えますが、明日のジャカランダまつりが好天に恵まれますように!
 帰りは、塚山公園、十三峠(浦賀道)を経由しました。


【参考】
 ハカランダ(キリモドキ) Jacaranda mimosifolia
  神奈川歯科大では、ローマ字読みしてジャカランダと呼んでいるようですが、原産地の公用語であるスペイン語ではハカランダと呼ばれています。。
 ホタルブクロ Campanula punctata (西逸見)


ジャカランダ (和名:桐モドキ)
学名 Jacaranda mimosifolia
ノウゼンカズラ科、ジャカランダ属
原産地は南アメリカで熱帯・亜熱帯地方に分布する半耐寒性常緑高木であり、世界に約50種類が分布しています。アルゼンチンの国樹でありシドニー(オーストラリア)の市花にもなっているジャカランダはカエンボク・ホウオウボクとともに世界三大花木の一つです。葉が出る前に花が咲くことと、花の付き方、咲き方から「紫の桜」「熱帯の桜」と呼ばれています。また、ハワイでは日系人達が日本の桜を偲んで「ハワイ桜」と呼び、親しんでいます。


景観重要樹木
神奈川歯科大学 ジャカランダ
指定番号 0028
指定年月 2018年3月
景観法28条に基づき良好な景観の形成に重要な樹木として指定しました
横須賀市

品川寺の地蔵尊、など

 今日は、外勤で昼から東京へ。帰りに立ち寄った先でのスナップを掲載しておきます。


朝日のコスモワールド
地蔵菩薩坐像(品川寺)
鯉塚(鈴ヶ森刑場跡)  魚の碑
江戸六地蔵マップ


東京都指定有形文化財(彫刻)【原文にはルビなし】
 銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵の一)
   所在地 品川区南品川三-五-一七
   指定  大正一〇年三月
 江戸六地蔵の由来は、その一つ太宗寺の像内にあった刊本『江戸六地蔵建立之略縁起』により、江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に倣って、宝永三年(一七〇六)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中六か所に地蔵菩薩をそれぞれ一軀ずつ造立したと伝えられています。各像の全身及び蓮台には、勧請者、その造立年代などが陰刻されており、神田鍋町鋳物師大田駿河守正義によって鋳造されたことがわかります。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第六番)は、廃仏毀釈で取り壊され、五軀が残っています。
 六地蔵のうち、海照山品川寺ほんせんじの地蔵は一番古く、宝永五年(一七〇八)に造立されたものです。像高は、現存するものの中では一番大きく二七五cmあり、かつては鍍金めっきが施されていました。
 江戸時代中期の鋳造物として大作であり、かつ違例の少ないものであることから文化財に指定されました。
 平成二三年三月 建設
            東京都教育委員会


Tangible cultural property (Sculpture)
Dōzō Jizō Bosatsu Zazō (Edo Roku Jizō no Hitotsu)
Designated in 1921
 According to a copy of the “printed book of the brief history of the erection of the statues of Edo Six a Jizoson,” which was dedicated inside the statues the origin of the Edo Six Jizoson is as follows, Jizo Monk Shogen who resided in Fukagawa, Edo, had been struck by incurable disease. After praying with his parents for cure of the disease to JizoKṣitigarbh Bosatsu, Shogen was healed. After the fashion of six Jizo in Kyoto, a petition for the construction of statues of six Jizo was commenced in 1706 to collect public donations. Then a statue of Jizo Bosatsu was erected at each of six locations in Edo. The body and the lotus-shaped pedestal of each statue were incised with the names of solicitors and the year of construction. The statues were vast by Caster Ota Suruganokami Fujiwara Shogi in Kandanabe town. Anti-Buddhist movement at the beginning of Meiji period destroyed the sixth Jizo Bosatsu at Eidaiji Temple in Fukagawa. Currently there are 5 remaining statues.
 The statues of Jizo at kaishozan Honsenji Temple is the oldest among the six statues and was erected in 1708. It is the largest among the remaining statues and its height id 275cm. The statue used to be gold-plated.
 The statue was designated as cultural properties because the statue was rather elaborate for copper statues in the mid-Edo period and there are only a few previous cases as such.
Tokyo Metropolitan Board of Education

東海区水産研究所(現中央水産研究所)の旧地を訪ねる

 本日、外勤で八丁堀へ。帰りに東海区水産研究所の跡地を訪ねました。彼の地(勝どき5丁目5)は現在高層アパートになっていると聞いていましたが、実際にはクレストシティレジデンスと現在工事中の勝どきポンプ所という事の様です。当該地前には船舶が係留されていて、当時を髣髴させる写真が撮れました。
 水産伝習所仮設の地  中央水産研究所沿革  大日本水産会の歴史


【参考】
 東海区水産研究所の前身は農林省水産試験場であり、平成元年1989年中央水産研究所に改組、平成5年1993年に横浜市金沢区の、現在地(金沢区福浦2丁目12-4)に移転しています。

南区の名木古木、など

 最近、横浜市南区を巡っています。今日も午後から歩いてみました。
【主な経路】
 (日ノ出町駅)-子神社-楠森稲荷神社-横浜商業高校-横浜水天宮/太田杉山神社-白幡神社-引越山定光寺-糸縄大明神-弘明寺公園-中里熊野神社-白山社-餅井坂-(上大岡駅)


【楠森稲荷神社】南区三春台17
 大岡川沿いの道慶地蔵から北へ少し上った岡に鎮座する楠森稲荷神社のイチョウとスダジイです。

No.201415 イチョウ Ginkgo biloba
No.201416 スダジイ Castanopsis sieboldii


【定光寺】南区六ツ川1丁目270
 引越山福壽院定光寺は高野山真言宗の寺院です。裏山のアカガシのうち一本はは樹齢500年以上で、ご住職(?)のお話によれば、この樹の洞に地蔵尊が御座すとのことです。市民グラフ(2001)によればケヤキが2本あることになっているのですが銘板があるのは一本だけ、また、同じく市民グラフ(2001)に記載のあるタブノキと思われる樹にも銘板はありませんでした。

No.49201 サルスベリ Lagerstroemia indica
No.49202 サルスベリ Lagerstroemia indica
No.49200 ウメ Prunus mume
No.50021 ケヤキ Zelkova serrata
番号なし No.50022(?) ケヤキ Zelkova serrata
No.49199 アカガシ Quercus acuta
No.50019 スダジイ Castanopsis sieboldii
No.50020 アカガシ Quercus acuta
番号なし(?) タブノキ Machilus thunbergii


【白山社】南区別所2丁目30-29
 合祀神多数の別所白山社です。白山社名木古木は5本ある筈なのですが、ウラジロガシと2本目のタブノキとは特定できませんでした。あるいは鳥居脇のタブノキがそうなのかもしれません。こちらは銘板はあるのですが、2本目のシイも登録番号の記載なしです。


No.49209 タブノキ Machilus thunbergii
No.49210 スダジイ Castanopsis sieboldii
No.49211(?) スダジイ Castanopsis sieboldii
番号なし(?) タブノキ Machilus thunbergii


【住吉神社】井土ケ谷上町33-2
 稲荷神社と秋葉神社が境内社の井土ヶ谷住吉神社です。


井土ヶ谷稲荷神社
   商売繁昌
   家内安全
正面上の龍彫刻は塚原彫匠所木彫師 塚原桂昌の作です。


【白幡神社】南区永田南2丁目9-26
 永田町字長者ヶ谷鎮座の白幡神社です。毎月一日と十五日だけお参りできるのと事です。

     白幡神社由緒
神社名 宗教法人白幡神社
鎮座地 横浜市南区永田町字長者ヶ谷一、七二二番地
    現住所 永田南二丁目九番地二十六号
祭神  栲幡千千姫命たくはたちぢひめのみこと 最も勝れた機織の神様で人々に衣服について広められた。
    天照皇大神あまてらすすめおおかみ 日本の国を始めて作られた神さまで伊勢神宮(内宮)のご祭神
    國底立尊くにそこたちのみこと 国造りの神様
社殿   神明造り・木造銅板葺・弐拾四・八四平方米
境内面積 五百参拾参平方米
例祭日  大祭八月第三又は第四土曜・弐ツ幼日
     元旦祭一月一日
由緒沿革 承元年間(一、二〇七-一、二一〇年)創立と伝える。古より永田村字長者ヶ谷の鎮守で往昔祭典の時は、鎌倉八幡宮の社人坂井淡路が祭儀を執行していたと云う。当時の神道家宝積院第十六代宝積唯七社掌の時(明治四十二年四月三日)法令に村内春日社に合祀されたが、其の後地元の再建の要望に依り昭和二十八年九月十日現在地の山上に社殿を再建し分祀奉斎した。昭和四十三年山林開発団地造成に伴い、更に現境内地に移り同時に四十六年八月一日本殿・拝殿を新築、竣工した。境内地に奉斎されている阿弥陀如来は、山林開発造成工事中、神社の境内の地中より掘り出された石佛で西方浄土に住み一切の人々を救うという誓いを立てている佛である。
          平成八年十一月吉日


遷宮四十周年記念碑
 当神社は創建八百年と伝えられています。昭和四十六年開発に伴い山上より現在地に遷り四十年を迎えるにあたり祈年祭を斎行し記念碑を建立しました。
     平成二十五年十一月吉日
        白幡神社を護る会有志


【糸縄神社】南区六ツ川1丁目57番地

糸縄神社由緒
 糸縄神社は横浜市南区六ッ川一丁目に鎮座し、今から七百六十余年前の承元元年代に、大物主命、稲倉魂命を祭神として建立された。武蔵風土記稿引越村の條には「除地一段一畝歩。小名宮ノ内ニアリ。村ノ鎮守ナリ。本社参尺五寸ニ弐尺五寸、西向。上屋参間ニ二間。長壱尺五六寸ノ観音ノ石像ヲ置ク。例祭九月十三日」とある。明治六年村社に列せられ、同四十一年十一月十日村内無格社の山王社を合祀し明治四十二年五月社殿再建。昭和四十年八月二十九日新社殿完成。祭神は大物主命 大山積命 稲倉魂命。
   後記
 糸縄神社由緒に見る如く明治年間に建立された社殿は既に長年月を経て風雨に耐えず。依って、氏子総代発議により裏面記載の如く宮森秀雄を委員長として町内有志の協賛を得て広く氏子崇敬者より浄財を募り、鉄筋コンクリート造り神殿を造営し、昭和四十年八月奉祝大祭を執行。引続き玉垣、鳥居を建立。この度、駒犬壱対、灯籠壱対、天水壱基を建立して茲に糸縄神社改修建設の事業完成の喜びを見るに至る。仍って糸縄神社由緒の碑を建て、之に後記してその芳志芳名を録す。子孫も亦之にならい、永く日本精神文化の光輝を護持することを祈る。
     昭和四六年八月二十一日  宝積神主書


    さざれ石
 古来より【さざれ石】は、小さな石が集まって永い年月をかけて次第に生長し、大きな厳石(いわいし)となる神秘的な石と云い伝えられ、神聖な力によって育てられ生まれたとものして珍重され、国家にも詠われているとおり、我が国の成り立ちを表す元となつた貴重な石である。
          糸縄神社宮司 記
(国歌)君が代
  君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の巌(いわお)となりて
  苔のむすまで

平成三十年六月 吉日
     寄贈者 株式会社 濱田園 栗飯原 勉
     協力者 大沼 肇
     施工者 (株)濱田園


【熊野神社】南区中里3丁目4


【白山社】南区別所2丁目30-29

 白山社由緒
     平成五年三月吉日
 白山社(通称白山神社)は横浜市南区別所町に鎮座し、往古の由緒は詳でないが、古来より久良岐郡別所村一帯の産土様なのである。新編武蔵風土記稿に「白山社除地二段小名寺谷見通の辺りにあり、村の鎮守なり。社は二間に九尺南向にして古木繁茂せる山上にあり」とある。
 明治六年村社に列せられ、同四十一年十一月八日に村内無格社の日枝神社・伊勢社・八幡社・浅間社・山神社の五柱を合祀し、祭神四柱を増加した。祭神は菊理姫命・天照大神・品田別尊・木花開耶姫命・大山積命の五柱である。明治二十年四月社殿再建、その後草葺屋根を瓦葺なかえ今日に至るも、永き風雨に社殿の痛むところある故、氏子総代発議により、平成四年八月銅板にて御屋根吹替、浜縁改修、手水舎改築その他社殿改修神域整備事業を行い別所町氏子有志を始め広く崇敬者より浄財を募り、ここに完成の喜びを見るに至る。
 境内社は左の二社である。
  秋葉神社、石祠、祭神は鳴神雷神
  稲荷神社、祭神は稲倉魂命
 その他の祠碑は、大津宮祠、浅間神社社祠。陽石祠・庚申塔がある。


 その他、本日撮影の写真です。


【参考】
 ヒマラヤスギ Cedrus deodara 横浜商業高校
 秋葉神社(住吉神社境内社)
 井土ヶ谷稲荷神社(住吉神社境内社)
 阿弥陀如来(白幡神社)
 地神塔(白幡神社)
 さざれ石(糸縄神社)
 糸縄神社
 さざれ石(糸縄神社境内)
 石塔群(南区中里3-20)
【文献】
 南区の歴史発刊実行委員会(1976)南区の歴史、650p.
 横浜市市民局市民情報室広報センター(2001)横浜市「名木古木」リスト、市民グラフヨコハマ、No.115、p.36-41.
 横浜市(2019)名木古木指定樹木一覧(平成31年3月13日時点)、Accessed 2019-06-08.