水産伝習所仮設の地

 パリ万国博覧会の開催された明治22年(1989年)、日本では、大日本水産会が、東京市京橋区木挽町厚生館内に水産伝習所を仮設しました。東京海洋大学のウェブサイトによれば、明治21年11月に創立となっていますが、実際には、設立認可の下りたのが明治21年で、福沢諭吉らが政談演説公会堂『明治會堂』として建設し、明治16年に農商務省に売却、明治17年に名称が変わった木挽町『厚生館』内に、明治22年1月に水産伝習所として仮設され、開所式が挙行されたようです。
 水産伝習所は『同年7月に日本橋区箱崎町に移り、後数か月にして芝区三田四国町移転せり』と水産講習所一覧(水産講習所,1942)に記載されており、水産伝習所は明治30年に農商務省水産講習所が設立、事業を継承、昭和4年(1929年)には、試験部と海洋調査部を講習所から分離して深川区越中島に、農林省水産試験場が設置されました。
 その後、水産試験場は、現在の水産研究・教育機構の中核をなす国立の水産研究所に、水産講習所は、現在の東京海洋大学の一翼を担うことになる東京水産大学と、釜山水産専門学校が解散するにあたって学生を引き受けた水産大学校の元になっていきます。
 現在、『水産伝習所仮設の地』には、第一厚生館ビルがあり、『専修大学発祥の地碑』が建っています。近くには『銀座発祥の地碑』もありました。


  東海区水産研究所(現中央水産研究所)の旧地を訪ねる
【参考文献】
 水産講習所(1942)水産講習所一覧【中央水産研究所図書資料館所蔵】
 東京海洋大学-沿革、(online). https://www.kaiyodai.ac.jp/overview/organization/history.html (accessed 2016-09-22).

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