月別アーカイブ: 2023年3月

春の鷹取山 2023-03-28

 今日は、夕方から鷹取山を尋ねました。


【参考】
 紅吉野(べによしの)Cerasus x ‘Beni-yoshino’
 枝垂桜(しだれざくら)Cerasus spachiana
 アメリカザイフリボク Amelanchier sp.
 大島桜(おおしまざくら)Cerasus speciosa
 染井吉野(そめいよしの)Cerasus x yedoensis ‘Somei-yoshino’(江戸彼岸x大島桜)
 チョウセンレンギョウ Forsythia ovata
 クサイチゴ Rubus hirsutus
 シラユキゲシ Eomecon chionantha
 キブシ Stachyurus praecox
 アオキ Aucuba japonica
 ウラシマソウ Arisaema urashima
 コゴメウツギ Stephanandra incisa
 シャガ Iris japonica
 マルバウツギ Deutzia scabra
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 ヤマザクラの花びら散る山道 山桜(やまざくら)Cerasus jamasakura
 ウバユリ Cardiocrinum cordatum
 鷹取山山頂広場
 桜並木

望月桜(モチヅキザクラ) Cerasus x sacra

 この季節になると、横須賀市立浦郷小学校のすぐ裏手にある浦郷トンネルの上に見事な桜が花を咲かせます。一見、ソメイヨシノのようにも見えますが、花弁の色はより白くて寧ろオオシマザクラに近く、花の大きさはソメイヨシノと同じかそれよりやや小さい桜です。小花柄と枝の間の花柄が短く、萼筒に毛があるのでエドヒガンの影響があると思われます。

平六トンネル上の桜(横須賀市追浜東町3丁目)
 トンネルの上の私有地にあるので、近づいてみることはできず、風に乗って落ちてきた花弁やズーム写真でしか確認できないのですが、
 1.花弁の色
 2.花弁の形
 3.花序が散形で花柄が短い
 4.萼筒には細かい毛がある
 5.ソメイヨシノよりやや早く咲く
などの特徴から、望月桜(モチヅキザクラ)ではないかと推定していたのですが、花弁サイズはモチヅキザクラの基準木より少し大きいようです。いずれにせよヤマザクラとエドヒガンの遺伝を受け継いでいると思われ、交配によって成立した『里桜』と言ってよい桜樹です。
 これまでここ以外で撮影できたモチヅキザクラは、広島市湯戸のモチヅキザクラだけで、あまり良い写真はないのですが、併せて掲載しておきます。

湯戸の望月桜(広島市佐伯区五日市町大字石内)

【学名の変遷】
 望月桜は、1933年に小石川植物園園長だった中井猛之進により、モチヅキザクラ Prunus mochidzukianaとして記載されました(Nakai,1933)。当時はPrunus(スモモ属)とされていた桜のグループは、現在ではCerasus(サクラ属)として独立することが普通になり、また、雑種の学名が整理されていく中で、エドヒガンとヤマザクラの交配種の種小名は、先に勝手桜に対して命名されていたsacraを使うことになって、今ではCerasus x sacraがモチヅキザクラの有効名となっています(Kato et al.2012; Katsuki & Iketani,2016)。
 なお、関東地方で記載された望月桜が、なぜ広島に生育しているかの経緯は未調査です。(横須賀市)平六トンネル上の個体と(広島市)湯戸の個体が似ていることは事実ですが、モチヅキザクラの基準木と比べると新葉の色があまり赤くないこともあり、どちらも別系統ではないかと疑っています。もし、そうであれば、学名としてはCerasus x sacraであっても品種としてのモチヅキザクラではないことになります。


【参考】

新日本の桜(2007)より
モチヅキザクラ(望月桜)
Cerasus x mochizukiana (Nakai) Masam. & S.Suzuki
エドヒガンとヤマザクラとの雑種と推定されている。本州中部の丘陵地や産地で見つかっている。ヤマザクラに似ているが、葉柄、小花柄、萼、花柱の下部などの毛が密生する。
 葉身は長円形または楕円形で、長さ3~8センチ、幅1~4センチ、ふちには先が赤色の腺に終わる鋭い重鋸歯がある。花は散形花序につき、葉が展葉する前に開花する。花柄はほとんどなく、小花柄は長さ2~3センチで、毛を散生する。萼筒は長さ1センチ茄子街、萼裂片は長楕円形で、長さ6ミリほど。花弁は淡い紅色、倒卵形または楕円形、長さ1~1.2センチ。雄しべは24~30個。
【注】種小名は『mochidzukiana』の誤植であろう。


日本の桜(1993)より
モチヅキザクラ(望月桜)
Prunus x mochidzukiana
ヤマザクラXエドヒガン
■日光や秩父地方の低山地に分布する。東京大学日光植物園にある基準木は今市付近の丘陵地から移植したものである。
■落葉高木。枝は横に広がり、樹形は傘状。若枝にしまばらに毛がある。成葉は長さ4~9センチ、幅2~4センチ、長楕円形または長楕円状倒卵形で、先端は尾状鋭尖形、基部は鈍形、ときに円形。鋸歯は細かい重鋸歯で、ときに単鋸歯がまじる。表面は帯黄濃緑色でやや光沢がある。表面は白色を帯びた淡黄緑色で、脈状に毛がある。葉柄は暗紫褐色で斜上毛が多い。葉柄の上端または単葉の基部に濃赤色の蜜腺が1~2個ある。花柄はほとんどなく、小花柄は長さ2.5~3センチで開出毛が多い。萼筒は細長い壺型で下部の太い部分は長く、上部のくびれはごくわずかで外面に開出毛がある。萼片は線状長楕円形で、先端にまるい小腺体を持つ鋸歯があり、外面に斜上毛がある。花は直径2.3センチ。花弁は5個で淡紅色。雌しべの花柱の下半分には開出またわずかに斜上する毛が多い。果実は黒熟し、甘みがある。
✿花期 4月下旬(日光市内)


サクラ保存林ガイド(2014)より
 種間雑種 ヤマザクラXエドヒガン Cerasus x sacra
 望月桜 もちづきざくら
 種名:ヤマザクラXエドヒガン
 導入元:日光植物園
 解説:原木は栃木県今市市の丘陵地より日光植物園に移植された
 開花期:盛春
 位置:奥B4
 クローン番号:Cer166


小林(1981)より
 旧番号:227
 区画及び樹種番号:71-2
 和名:望月桜(モチヅキザクラ)
 学名:P. mochidzukiana Nakai
 花:淡紅白、小輪一重
 開花期:4月上旬
 植栽年月:1669.3
 摘要:カスミザクラXエドヒガン系。導入先及び植栽:東大日光植物園より望月桜として3本うち1本枯。
【注】浅川実験林は多摩森林科学園(現森林研究・整備機構)の前進であり、導入当初はカスミザクラとエドヒガンの自然交配によりモチヅキザクラが成立したと考えられていたらしいことがわかる。当初の学名Prunus mochidzukianaは属名、種小名ともに変更されて、現在の有効名はCerasus x sacraになっている。


Nakai(1933)Bot. Mag. Tokyo, 47, 265-267より
 望月桜の原記載(Nakai,1933)に、命名の由来が記載されていたので、下記に転載します。


 This species is found in the lower level than Nikko. The type-tree in Nikko Branch Garden was transplanted from a hill near Imaichi. I have named this species after the family-name of Mr. NAOYOSHI MOCHIDZUKI, who served faithfully assistant of four directors during twenty three years at that garden and retired recently by his age.
【訳】この種は日光の低地にみられる。日光植物園にある基準木は、今市近隣の丘陵から移植された。種名は、23年間4代の園長を誠実に支えて最近定年した望月直義氏の姓に因んで命名した。


【文献】
 森林総合研究所多摩森林科学園(2014)サクラ保存林ガイド、111p.、東京.
 大島秀章・川崎哲也・田中秀明(2007)新日本の桜、263p.、山と渓谷社、東京.
 川崎哲也(1993)日本の桜、p.383、山と渓谷社、東京.
 小林義雄(1981)浅川実験林のさくら、73p.、農林水産省林業試験場浅川実験林、東京.
 森脇和郎・勝木俊雄(2011)遺伝研のさくら、p.151、遺伝学普及会、三島.
 Nakai T(1933)Prunus Mochidzukinana Nakai, sp. nov. -Cerasus., Bot. Mag. Tokyo, 47.265-267, DOI:10.15281/jplantres1887.47.235, Accessed: 2023-03-25.
 Kato S, Matsumoto A, Yoshimura K, Katsuki T, Iwamoto K, Tsuda Y, Ishio S, Nakamura K, Moriwaki K, Shiroishi T, Gojorori T and Yoshimaru H (2012) Clone identification in Japanese flowering cherry (Prunus subgenus Cerasus) cultivars using nuclear SSR markers, Breeding Science, 62, 248–255, DOI:10.1270/jsbbs.62.248, Accessed:2023-03-26.
 Katsuki T and Iketani H(2016)Nomenclature of Tokyo cherry (Cerasus x yedoensis ‘Somei-yoshino’, Rosaceae) and allied interspecific hybrids based on recent advances in population genetics, Taxon, 65(6), 1415-1419, URL: https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.12705/656.13, Accessed: 2023-03-25.
 勝木俊雄(2017)サクラの分類と形態による同定、樹木医学研究、21(2)93-104、<
DOI: 10.18938/treeforesthealth.21.2_93, Accessed: 2023-03-25.
 指定番号17 モチツキザクラ(2022)(広島市)保存樹指定番号(13~22)、URL: https://www.city.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/180558.pdf, Accessed: 2023-03-26.

春の日に…… 2023-03-21

 今日は近場での散策でした。季節は確実に移っていきます。
【追浜】  【六国峠ハイキングコース】 【金沢自然公園】 【朝比奈など】


【追浜】

 平六トンネル上の桜 Cerasus sp.
 ユキヤナギ Spiraea thunbergii
 キュウリグサ Trigonotis peduncularis
 ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
 カラスノエンドウ Vicia sativa
 アメリカフウロ Geranium carolinianum
 トキワナズナ(イベリス) Iberis sempervirens
 (いかづち)神社奥の院


【六国峠ハイキングコース】

 六国峠入口案内板
 ムラサキケマン Corydalis incisa
 マルバウツギ Deutzia scabra
 コウヤポウキ Pertya scandens
 石塔群(馬頭観音、百番供養塔、道造供養塔)
 馬頭観音(天保十一子(1840)年四月吉祥日)
 西國、坂東、秩父百番供養塔
 道造供養塔(文化十二亥(1815)年二月吉日)
 タチツボスミレ Viola grypoceras
 ノキシノブ Lepisorus sp.
 カキドオシ Glechoma hederacea
 スギナ Equisetum arvense 胞子体
 フモトスミレ Viola pumilio
 ヘビイチゴ Potentilla hebiichigo
 染井吉野(そめいよしの)Cerasus x yedoensis ‘Somei-yoshino’(江戸彼岸x大島桜)
 サンシュユ Cornus officinalis
 ヒメウズ Semiaquilegia adoxoides
 アケビ Akebia quinata
 キブシ Stachyurus praecox
 サルトリイバラ Smilax china
 スノーフレーク Leucojum aestivum
 カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
 金澤八景根元地碑
 マルバグミ Elaeagnus macrophylla
 ヒサカキ Eurya japonica
 ハナニラ Ipheion uniflorum
 ヤマブキ Kerria japonica
 シャガ Iris japonica
 クサイチゴ Rubus hirsutus
 道祖神:能見台森
 アオキ Aucuba japonica
 ノイバラ Rosa multiflora
 ニワトコ Sambucus sieboldiana
 オニタビラコ Youngia japonica
 タブノキ Machilus thunbergii
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 犬柘植芽玉五倍子(イヌツゲメタマフシ)
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 シロバナタンポポ Taraxacum albidum
 ウラシマソウ Arisaema urashima
 モミジイチゴ Rubus palmatus var. coptophyllus
 カワラタケ Trametes versicolor
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 ミツバアケビ Akebia trifoliata
 山桜(やまざくら)Cerasus jamasakura
 大島桜(おおしまざくら)Cerasus speciosa
 スギ Cryptomeria japonica
 イヌビワハマダラミバエ Acidiella diversa
 タチツボスミレ Viola grypoceras


【金沢自然公園】

 タブノキ Machilus thunbergii
 ニホンスイセン Narcissus tazetta
 富山(とみさん)
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 コブシ Magnolia kobus
 ナナフシ Baculum irregulariterdentatum
 小彼岸(こひがん) Cerasus x subhirtella ‘Kohigan'(豆桜x江戸彼岸)
 大山桜(おおやまざくら) Cerasus sargentii
 枝垂桜(しだれざくら)Cerasus spachiana
 シャクナゲ Rhododendron sp.
 ハナモモ Amygdalus persica
 キランソウ Ajuga decumbens
 ハルジオン Erigeron philadelphicus
 オオジジバリ Ixeris japonica
 北之門(金沢動物園夏山口)


【朝比奈、など】

 ベニバナトキワマンサク Loropetalum chinense var. rubra
 金沢文庫キリスト教会:釜利谷西3丁目36-20
 ニワウメ Prunus japonica
 ウンナンオウバイ Jasminum mesnyi
 ハボタン Brassica oleracea var. acephala
 チョウセンレンギョウ Forsythia ovata
 ヤマモモ >Morella rubra
 ヤシャブシ Alnus firma
 カワラタケ Trametes versicolor
 チョウジザクラ Cerasus apetala
 ヤブツバキ Camellia japonica
 タイサンボク Magnolia grandiflora
 ツタバウンラン Cymbalaria muralis
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 ヒマラヤユキノシタ Bergenia stracheyi
 カヤ Torreya nucifera 横浜市指定名木古木 No.49290:朝比奈町21
 石塔群:
 イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia横浜市指定名木古木 No.48140:浄林寺跡(金沢区朝比奈町267)

横須賀の地神信仰 - 本日、春の社日(2023-03-21)

 春と秋の社日(地神の祭日)は、彼岸日に最も近い(つちのえ)の日とされますが、今年は本日彼岸日が戊で、社日に当たります。
 三浦半島の道祖神と地神 地神・道祖神マップ (作成中)
 横須賀市、三浦市には、殆ど地神塔が現存しません。既存の文献にもその理由に言及したものは見当たらず、そもそも地神講を知る者さえ少なくなっている中で、今後、地神塔分布の背景が明らかとなる可能性はあまりないと思われます。
 しかしながら、三浦半島地域でも地神信仰が存在していたことは、土地の伝承により明らかです。横須賀市が1980年代に編集した『古老が語るふるさとの歴史』には、『地神は石祠に祀られていた』という記載もあり、そうであれば、横須賀市、三浦市にも多数の由緒不明の石祠が残されているので、それらが地神の社であったのかも知れません。
 今となっては検証する術はなさそうですが、三浦半島で地神塔がないのは、塔を建てて地神を祀る風習がなかったためではないかと考えられます。


横須賀市内で唯一確認できた地神(牛宮神社境内社)


【文献引用】
地神講
 旧家の庭や畑の片隅に、小さな石の祠を見かける。これが農事の神を祀ったものである。古老の話では、昔、地に鍬を入れる時、そこに神が居るといけないので、塩を撒いて清めるか、「どいてください」と声をかけたという。子供のころに立ち小便をしようとしたら、年寄りに「どいてください」と言えとしかられた記憶がある。
 地神様の日は農事は休みで、これを犯すと足が腐るといわれたものだ。
          (小原台・飯田磯吉)


地神講
 三月と九月の暦の上の社日には、農家は仕事を休みます。これは収穫のお礼をするということで、田畑の土には一切さわりません。もしこの日、田畑に鋤鍬を入れたりすると神のたたりがあると言い伝えられていました。
          (武・青木宗五郎)


地神講
 秋と春の社日(暦に出ている)には、講中全員が宿に集まり、掛け軸を飾り、鍬を祀ってお詣りをし、飲んだり食べたりして一日を過ごしました。その日は農家は一日仕事を休み、田畑の土は一切掘り起こさないことになっていました。今では講の集まりはなくなってしまいましたが、まだ私の家では秋春の社日には地神様を祀って供養をしております。
          (衣笠・竹本一郎)


地神講
 地神様の掛け軸をかけ、一人分の御馳走を上げて豊作を祈りました。昭和四十四年頃までは当日無尽をし、クジを引いて当たるとそのお金で農具を買うのが立て前でしたが、今は一休みの格好です。
          (平作・鈴木惚太郎)


【文献】
飯田磯吉(1982)地神講、in 古老が語るふるさとの歴史 南部編、p173-174、横須賀市市長室広報課、横須賀.
青木宗五郎(1982)地神講、in 古老が語るふるさとの歴史 西部編、p167、横須賀市市長室広報課、横須賀.
竹本一郎(1983)地神講、in 古老が語るふるさとの歴史 衣笠編、p208、横須賀市市長室広報課、横須賀.
鈴木惚太郎(1983)地神講、in 古老が語るふるさとの歴史 衣笠編、p208、横須賀市市長室広報課、横須賀.

緋桜の丘2023

 今年も本牧山頂公園の緋桜の丘を二人で訪ねる事が出来ました。


【参考】
 観山広場碑
 横浜緋桜(よこはまひざくら)Cerasus jamasakura cv. Kenrokuen-kumagai x C. campanulata
 カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
 アカシデ Carpinus laxiflora


  観山広場
 本牧山頂公園、観山広場は、かつて日本画家の下村観山(1873~1930)が住居を構え、多くの名作を生みだした場所です。
 観山は、東京美術学校(東京芸術大学の前身)や日本美術院の設立に関わった岡倉天心の指導のもとで才能を発揮、横山大観とともに日本美術の近代化の時代に中心的な役割を果たしました。
 三渓園を創設した実業家、原三渓(1868~1939)の支援が始まった1912年には、ここ本牧和田山の地を提供され、以降亡くなるまで生活と作品制作の場となりました。三渓園の名木・臥竜梅に着想を得て描いた屏風絵「弱法師」(よろぼし東京国立博物館所蔵・重要文化財)は代表的な作品です。
 この広場の奥には、日本美術院創立100周年の年である1998年に、彫刻家の澄川喜一(当時・東京芸術大学学長)と日本画家の小倉遊亀(元・日本美術院理事長)による下村観山先生顕彰碑も建てられ、観山広場と名付けられました。
                2021年7月吉日 本牧まちづくり会議 建立

双体神像道祖神の分布に関する検証(3件)

 双体神像道祖神の分布に関して、いくつか気になっていたことを、これまでの知見を参照しつつ、検証してみました。
【検証1】双体道祖神の分布は豊かさと関連するか?
【検証2】双体道祖神は旧相模国に多いのか?
【検証3】神を火中に投じてよいのか?
 三浦半島の道祖神と地神 地神・道祖神マップ (作成中)


【検証1】双体道祖神の分布は豊かさと関連するか?
 横浜市は旧武蔵国と旧相模国に跨っており、なぜか相模国エリアには広く分布する双体神像の道祖神が、武蔵国エリアでは殆ど確認できない。その分布の理由は明らかにはされていないものの、仮説はいくつか提出されてきたようである。そのうちのひとつ、双体神像塔は文字塔より高価であるため、経済的に豊かな講中により建てられたであろうという仮説につき検証してみた。
 使用した統計値は、WikiPediaで公開されている江戸時代の旧国別石高の変遷で、1633年(寛永10年)の調査結果を1.0とした時の年代毎の伸び率を示したのが図1である。江戸時代を通じて伸び率が最も高いのは武蔵国であるが、相模国と大きな違いがあるとは言えない。また、神奈川県以上に双体道祖神塔が残されている信濃国より武蔵国のほうが明らかに高い伸び率となっていた。あくまでも平均値での比較ではあるが、武蔵国より相模国のほうが豊かであったとは言えない。

 図1は、あくまでも国別の比較なので、もう少し詳しく地域別の比較もしてみたい。そこで現在の横浜市内にかつて存在していた橘樹、久良岐、鎌倉、都築の4郡に三浦郡を加えて比較したのが図2である。こうしてみると旧国内でも地域差があり、双体道祖神の分布との関係はますます見えなくなる。

 従って、その地の豊かさが双体道祖神の造塔と直接関係していたとは言い難いようである。
【文献】
WikiPedia、旧国別石高の変遷, Accessed:2023-02-17.


【検証2】双体道祖神は旧相模国に多いのか?
 『旧武蔵国には旧相模国に比べて双体道祖神が少ない』というのは私が歩いていて感じた事であり、ウェブにもその様な記述があったので、『やっぱり、そうか』と納得していた。しかしながら、それを数値をもって確かめたことはなかった。
 そこで、1970年代に実施された神奈川県の調査結果(岸上,1981)で横浜市内に確認された85基につき、改めて集計した。まず、郡別、形態別で集計したのが表1であり、道祖神碑は、武蔵国より相模国で多数残されていたと言ってもよさそうである。

 一方、双神像碑と文字碑との割合は、相模国側で著しく高いとまでは言えず、旧武蔵国にも8基の双神像碑が残されていたことが分かる。そこで、さらに詳しく見るために、現在の区別で集計すると表2になる。

 表2によれば、旧相模国エリアでも現栄区での道祖神数が突出しており、ここでは双体神像も多く残っていたが、他の相模国四区は武蔵国の区と比較して跳び抜けて双体神像が多いというほどではなかった。港南区はほぼ中央に旧国境が南北に走っている区であるが、道祖神碑が残されているのは相模国側の鎌倉郡のみであった。
 続いて、表2の各区での道祖神碑総数と双体神像碑割合の関係をプロットすると図3になる。一見ばらついて見えるが、総数が4以下の区を除いてみれば、良い相関関係が見られた。

 以上により、横浜市に限って言えば、旧武蔵国より旧相模国で多くの道祖神碑が残されており、道祖神碑の総数が多いほど、双体道祖神碑の割合が高いと言ってよさそうである。
【文献】
岸上興一郎(1981)横浜市の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.8-54


【検証3】神を火中に投じてよいのか?
 これは、私が考えた仮説だが『神を火の中に投げ込むのは不敬』ではないだろうか。それで、道祖神が火祭りの主神とされる地域では、双体神像が分布しないのではないかと考えた。しかし、この仮説については調べるほどに反証がみつかってきた。
 まず、広川(1982)によれば、横須賀市須軽谷でのおんべ焼につき、


 おんべを燃やすときは、道祖神を中に入れ、大勢の子供達が神棚に上げた三又で地面をたたき、大声で「おんべを焼くよ」と知らせました。


 としている。須軽谷の道祖神は丸石型で、確かにかつて焼かれた跡が残っている。瀬川(2022)によれば、既に行われなくなったおんべ焼の丸石が土中に埋まっていた事例も報告されている。この地区ではおんべ焼の丸石とは別に道祖神の石宮が残されているので、神たる道祖神は石祠内に坐し、丸石道祖神は神の力を発揮するための装置であるとも考えられる。


 ところが、長島(1981)によれば、横須賀市北部の追浜東で「どんど焼き」に用いた「さいと」が絵入りで紹介されていて、その「さいと」の中心には塞の神の石祠が描かれている。このケースでは、神に対する依り代ごと放火ではないだろうか。


 次に、私どもの地域では御神体が道祖神さまですから、中心の太い竹の根元へ道祖神を置きます。その周りに杉の枯葉を置き、その上にワラの内飾りと門松を小さく切って、周りの竹の間から交互に詰め込みます。そして、最後に円すい型の竹を、しめ縄を使って結びます。
 十四日中に、この作業が終了すると、子供たちは宿番(毎年順番で宿をする家が決まっていた)の家へ集まり、その夜は菓子などを食べて午前零時になるのを待ちます。
 いよいよ午前零時に過ぎると、子供たちは「せえと燃すぞ」と、大声で触れ回ります。そして村中の人たちが集まったところで、火を付けます。
     (追浜東・長島 弘)


 さらに、三浦半島地域では唯一、双体神像道祖神が残されている逗子市小坪に関する文献(内田,1981)には下記の記述がある。


 大正のなかば頃までは、一月十四日の朝、六時頃、まだ船が出ないうちに各神社毎に「サイトウ」の火を炊いた。沖へ出る前に火にあたっていったのである。このときお宮から若いしが「ドウロクジン」塔を運んできて、火の中に入れて焼いた。


 小坪地区は全域が漁村であり、集落ごとの神社の境内に双体神像道祖神塔が今でも残されているのだが、この双体神像を小正月の火祭りの際に毎年焼いていたことを、この文献から知る事が出来る。
 この種の記載は具体的な場所までは言及されないまでも、ウェブ、案内誌など、他にも多数見られる。丸石の場合は道祖神そのものでなく道祖神を祀る際の装置であるとも考えられるし、石祠は依り代に過ぎないのかも知れない。しかしながら、神像碑となれば限りなく神そのものに近いと考えられる。災厄や穢れを払う道祖神の力は、火により供給強化されるらしく、火中に晒すことは不敬に当たらないらしい。


 三浦半島の道祖神と地神 地神・道祖神マップ (作成中)
【文献】
広川武雄(1982)須軽谷のおんべ、in 古老が語るふるさとの歴史西部編、横須賀市市長室広報課編、p182-183.
瀬川渉(2022)横須賀市須軽谷上の里の丸石道祖神、横須賀市博物館研究報告(人文科学)、66、57-66、URL: https://www.museum.yokosuka.kanagawa.jp/wp/wp-content/uploads/2022/04/j66-4_Segawa_2022.pdf, Accessed: 2023-03-13.
長島弘(1981)正月行事、in 古老が語るふるさとの歴史北部編、横須賀市市長室広報課編、p177-184.
内田武雄(1981)逗子の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.182-186.

大宮で……

 今日は、懐かしい友人たちと再会できました。大宮も春酣です。

【参考】
 阿亀(おかめ)Cerasus campanulata x Cerasus incisa cv. ‘Okame’
 ウメ Armenica mume
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 ハクモクレン Magnolia denudata
 桜の交配種・交雑種

田浦梅林-2023-03-04

 今年の田浦梅林は、昨年より少し遅めでしたのでスイセンの時期は終わっていました。


【参考】
 ウメ Armenica mume
 天ぷらうどん:船食製麺
 ツグミ Turdus eunomus
 トビ Milvus migrans
 スギ Cryptomeria japonica
 オウバイ Jasminum nudiflorum
 ユキヤナギ Spiraea thunbergii
 ボケ Chaenomeles speciosa