月別アーカイブ: 2021年2月

虫こぶを探して

 シデ類の虫癭(虫こぶ)は冬が探しやすいとの記述をみかけたので、今日はイヌシデメフクレフシを探しに出かけたのですが、出会ったシデ類はどれも背が高くてよく分かりませんでした。その代わり、イヌツゲメタマフシを見つけることが出来ました。
【主な経路】
 (自宅)-浜見台-鷹取山-朝比奈-六浦-(金沢八景駅)


【参考】
 犬柘植芽玉五倍子(イヌツゲメタマフシ)
 イヌツゲ Ilex crenata var. crenata
 ナギ Nageia nagi
 ヤブツバキ Camellia japonica
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 キブシ Stachyurus praecox
 マユミ Euonymus hamiltonianus
 (沼間の)スダジイ Castanopsis sieboldii
 カラスザンショウ Fagara ailanthoides
 キヅタ Hedera rhombea
 スギ Cryptomeria japonica
 前浅間遠望
 ショカッサイ Orychophragmus violaceus
 カヤ Torreya nucifera
 イヌガヤ ephalotaxus harringtonia
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 マンサク Hamamelis japonica
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 フラサバソウ Veronica hederifolia
 タネツケバナ Cardamine scutata
 ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
 ジンチョウゲ Daphne odora
 ユキヤナギ Spiraea thunbergii
 アンズ Prunus armeniaca
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 ケイワタバコConandron ramondioides var. pilosus
 タチツボスミレViola grypoceras


C-373 イヌツゲメタマフシ【湯川(1996)を転記】
 イヌツゲタバエ(=イヌツゲハリオタマバエ)Asteralobia sasaki (Monzen, 1937)によって、葉腋の芽に形成される虫えいで、形状はソヨゴメタマフシ(C-375)の場合と基本的には同様である。虫えいの直径はソヨゴやナナミノキに形成されるものよりやや小さく。虫えい内の幼虫室数もやや少ない。
 生態 生活史はソヨゴタマバエ(C-375)の場合とほぼ同じ
 分布 北海道(ハイイヌツゲのみ)、本州、佐渡、四国、九州、沖縄本島(オオシイバモチのみ)。
 関連寄主植物 後述のソヨゴを含め、ナナミノキ、ハイイヌツゲ、モチノキ、オオシイバモチ、ヒメモチなどモチノキ属(モチノキ科)の腋芽に類似の虫えいが形成される。これらから羽化するタマバエの形状がきわめてよく似ているので、これらの虫えいはすべて同一種による可能性もあり、ソヨゴとの寄生交換実験などで確かめる必要がある。
 異名 イヌツゲタマフシ、モチノキメフシ
C375 ソヨゴメタマフシ
 ソヨゴタバエ Asteralobia soyogo (Kikuti,1939b)によって、葉腋の芽が肥大してほぼ球形または不整形のこぶ状になる虫えいで、最大直径は6.0~20mmと変異幅が大きい。表面は平滑で最初は緑色、やがて部分的に暗紫色を帯びる。成虫の羽化後は褐変して木質化するが、落下しないので、樹上に古い虫えいが残存しているのをよく見かける。内部は漿質で、円筒形またはU字型の幼虫室が1~10個あり、それぞれに1匹ずつ幼虫が入っている。幼虫室の壁は白色で、比較的薄いが固い。
 生態 年1世代。成虫は1月下旬から6月にかけて羽化し、長い針状の産卵管で腋芽に産卵する。虫えいは秋までに成熟し、幼虫も10月には3齢に達する。越冬した3齢幼虫は3月頃から虫えい内で蛹化を始める。コバチ類やコマユバチの寄生が見られるが、まだ同定されていない。
 分布 本州、四国、九州、屋久島。
 異名 ソヨゴメフシ、モチノキメフクレフシ。
虫癭ちゅうえい = 虫こぶ。
参考文献
湯川淳一(1996)日本原色虫えい図鑑、p.246-247.

早春の三浦半島

 祝日となった本日、三浦半島1DAYきっぷを家族で利用してみました。お土産は、もちろん葉付の三浦大根です。


【参考】
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 京急本線
 小松ヶ池
 三崎港
 あまおうのソフトクリーム
 にじいろさかな号

南区、港南区の名木古木拾遺

 今日は、以前に尋ねたものの、見つけることが出来なかった名木古木を中心に訪ねてみました。
 名木古木  神社等  石塔  ひまわり


スダジイ、タブノキ、ヤマザクラ
 西岸山千手院蓮華寺:港南区最戸2丁目21-1


 市民グラフヨコハマに載っている木々ですが、以前から現地での確認はできておりません。本堂前の桜は結構立派なのですが、幹の様子を見るとソメイヨシノかも知れません。境内の立ち入り禁止区域にそれなりのスダジイはあるようですが、タブノキはそもそもなさそうですので、滅失かも知れません。
–> 本堂前の桜はソメイヨシノでした。境内の桜はサクラは満開でしたが、すべてソメイヨシノのようですので、残念ながらヤマザクラは滅失と思われます。(2021.3.27)


ケヤキ2本、イヌシデ1本、クマシデ2本
 下永谷神明社:港南区下永谷2丁目32-1


 こちらは、2019年版の横浜市のウェブサイトに掲載されているのですが、現地に銘板は設置されていません。大きなケヤキが少なくとも3本ありますし、シデ類は3本以上現存しています。シデ類の種名は、樹皮の状態からもなんとなくわかるのですが、葉や花のある時期に種を同定したいと思います。


イチョウ2本
 無量山般若寺:港南区下永谷1丁目32-11


 近くの私有地内に別の大木があり、そちらに気を取られていつも行き過ぎていた路地にひっそりと有りました。現在、横浜市のウェブサイトには載っていませんが、港南の歴史(1979)に樹齢70年とありますので、今年樹齢110年ほどの樹です。


ケヤキ No.49534
 平戸白旗神社(戸塚区平戸町302)


クスノキ(No.201601)
 位置不明:南区六ッ川4丁目1123-2
 2016年に新たに登録された樹なのですが、今日も発見できませんでした。なお、周辺に位置する山谷天神(南区六ツ川4丁目1184)の神木はイチョウの様です。


クスノキ:No.59001、No.59002
 横浜市立子ども植物園:南区六ツ川3丁目122
 ここのクスノキは何度も撮影しているので省略です。


タブノキ(No.200206)、カキノキ(No.200207)
 永田東1丁目31-12


 当該番地は私有地で未確認ですが、銘板もないようです。滅失していなければ、この写真の樹と思われます。


 以下、本日撮影のその他の写真です。


【参考】
 山桜(やまざくら)Cerasus jamasakura
 イヌシデ Carpinus tschonoskii
 アカシデ Carpinus laxiflora
 クマシデ Carpinus japonica
 ケヤキ Zelkova serrata
 イチョウ Ginkgo biloba
 クスノキ Cinnamomum camphora
 タブノキ Machilus thunbergii
 カキノキ Diospyros kaki
 ヤブツバキ Camellia japonica
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 稲荷社:港南区最戸2丁目20
 庚申塔:港南区最戸2丁目20
 平戸永谷川
 横浜永谷キリスト教会:港南区下永谷6丁目7-54
 フクジュソウ Adonis ramosa
 オオミスミソウ Hepatica nobilis var. japonica
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 スノードロップ Galanthus nivalis
 コエロギネ ‘インテルメディア’ Coelogyne ‘Inremedia’
 ブーゲンビリア Bougainvillea sp.
 カルダモン(小荳蔲(しょうずく)) Elettaria cardamomum
 金花茶きんかちゃ Camellia petelotii (syn. C. chrysantha)
 クサイチゴ Rubus hirsutus
 アセビ Pieris japonica
 ソレイユ・アベニュー標識:南区永田南1丁目7-8
 庚申塔:南区永田東1丁目19-20
 タイワンツバキ Gordonia axillaris


【参考文献】
 名木古木に指定された樹木一覧(平成31年3月13日現在)、URL: https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/midori_up/3ryokuka/meiboku_koboku/meiboku_ichiran.html、Accessed:2021-02-22.
 港南の歴史発刊実行委員会編(1979)港南の歴史、490-492p.

金沢区と栄区の名木古木

 栄区にまだ3か所未確認木のあることに気づき、確認してきました。


横浜市指定名木古木
 イヌガヤ No.48140:浄林寺跡(金沢区朝比奈町267)
 カヤ No.49290:朝比奈町21
 カヤ No.50145, 200210, 200211:個人宅(栄区上郷町956)
 オオシマザクラ No.201609:上郷市民の森(栄区上郷町1761)
 マキ No.2014112:個人宅(栄区中之町48)
【参考】
 マキとイヌマキ、カヤとイヌガヤ
【主な経路】
(自宅)-六浦-朝比奈-上郷-公田-港南台-洋光台-杉田-小田-富岡-(京急富岡駅)


その他、本日撮影の写真です。


   鼻欠地蔵はなかけじぞう
 崖に彫り込まれた像の高さが4m余りのお地蔵様の磨崖仏で、風化して鼻が欠け落ちているため、このように呼ばれました。いつごろ、だれが彫ったかはわかりません。
 江戸時代に出版された「江戸名所図会」には、この地蔵の挿絵があり、やさしそうな顔立ちや膝元で組んだ手などが描かれていますが、今はその輪郭を見ることができます。また、江戸時代の地歴が書かれている「新編鎌倉誌」には、この地蔵について、武蔵国と相模国の境界にあることから「境地蔵」と言われたこと、この場所から北へ向かう道は釜利谷や能見堂へ通じたことが書かれています。
 また、地蔵の前の道は、六浦道と呼ばれてた金沢と鎌倉を結ぶ、中世からの大切な道であることから、この地蔵が交通の要所に祭られ、広く人の信仰の対象となっていたことがわかります。
 平成10年3月31日   横浜市教育委員会


 イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia
 カヤ Torreya nucifera
 イヌマキ Podocarpus macrophyllus
 大島桜(オオシマザクラ) Cerasus speciosa
 厄神祠:六浦南1丁目32-5
 ヒサカキ Eurya japonica
 メジロ Zosterops japonicus
 鼻欠地蔵(境の地蔵尊)
 ブタナ Hypochaeris radicata
 キヅタ Hedera rhombea
 テイカカズラ Trachelospermum asiaticum
 ツワブキ Farfugium japonicum
 サザンカ Camellia sasanqua
 リュウノヒゲ Ophiopogon japonicus
 アケビ Akebia quinata
 スイカズラ Lonicera japonica
 ボケ Chaenomeles speciosa
 昇龍橋:栄区長倉町1-29
 上郷大芝原道路改修記念碑 (昭和参拾弐年完工):栄区上郷町977-3
 ヤブツバキ Camellia japonica
 マゴイ Cyprinus carpio
 誕生 BIRTH 楢原Narahara 北悠Hokuyuw:第4回横浜彫刻展 (YOKOHAMA BIENNALE ’86)
 (稲荷森)稲荷社:栄区上郷町177
 向坂庚申塔・道標:磯子区上中里町299
 ジンチョウゲ Daphne odora
 スミレ Viola mandshurica

名前にイヌ(犬)のつく植物たち

 「イヌ」がつく植物の名前は、「本家に似ているけど役に立たない」というニュアンスで付けられいることが多い様です。ただし、「イヌ」がついていると必ず別物である訳ではありませんし、横浜市指定名木古木の呼称は(恐らく)地元での通り名を採用しているため、統一性に欠けている様です。備忘のため、名称を以下に整理しておきます。


【マキとイヌマキ】


イヌマキ:No.48068 浄念寺

ラカンマキ No.201029:赤井山正法院

イヌマキ(犬槇)、ラカンマキ(羅漢槇)、マキ(槇)
 学名:Podocarpus macrophyllus
 英名:Largeleaf podocarp

 イヌマキはマキ科イヌマキ属の常緑高木で樹高20mに達します。マキ科は南半球起源と思われ、我が国に自生するのは、イヌマキ属のイヌマキとナギ属ナギの二種のみであり、標準和名がマキという名の植物は存在しません。釜利谷の赤井山正法院のラカンマキ(var. maki)はイヌマキの変種です。
 「イヌマキ」に対する『マキ』がなんであるかは諸説あるようですが、「本槇」と呼ばれるのはコウヤマキ科のコウヤマキ(高野槇)であり、葉の形状は似ていて、イヌマキが赤色の偽果に対して、コウヤマキは毬果を付けます。コウヤマキは更新世以降、他の地域では絶滅したため、現在では我が国の固有種となっています。


イヌマキの実

コウヤマキの実

 なお、横浜市が名木古木に指定している「マキ」は、これまでのところすべてイヌマキでした。


【カヤとイヌガヤ】


カヤ No.48137:瀬戸神社

イヌガヤ:浄林寺跡

カヤ(榧)
 学名:Torreya nucifera
 英名:Japanese torreya
イヌガヤ(犬榧)
 学名:Cephalotaxus harringtonia
 英名:Japanese plum yew

 カヤとイヌガヤはどちらもイチイ科の常緑高木で、葉の形状はよく似ていますが、イヌガヤの方が一回り大きく柔らかいため、先端の尖っている部分を握っても痛くないとの判別法をよく見かけます。しかしながら、個人的感想としては、イヌガヤの葉でも多少痛みを感じます。カヤはイヌガヤより樹脂臭が強いので、近くに行くことが出来れば匂いでなんとなく判断できます。
 カヤの実(榧実(ひじつ))の核果は食用になりますが、イヌガヤの核果は苦くて食用には適さないとされます。ただし、イヌガヤの仮種皮は黒紫色で外観は良くありませんが、食せば甘くて美味しいそうです。核果はいずれもアーモンド形ですが、カヤの核果の表面は皺が多く、イヌガヤの核果はつるっとしているので、果実が落ちていればこれで判別できます。
 カヤの材は碁盤材として他の樹種の追随を許さないため、イヌガヤの方が「イヌ」となっていると思われます。我が国北部に分布するハイイヌガヤ(var. nana)はイヌガヤの変種で、果実酒など食用にされることが多いようで、雪国では生け垣などにも使われる有用樹です。一方、カヤの北方系の変種チャポガヤ(var. radicans)は、触るとチクチクするためか、あまり利用されていないようで、雪国対応の変種では『イヌ』の関係が逆転しています。


【ツゲとイヌツゲ】


イヌツゲ No.49041:久應山攝取院宝秀寺

ツゲ(柘植、黄楊)
 学名 : Buxus microphylla var. japonica
 英名:Japanese Box
イヌツゲ(犬柘植)、マメツゲ(豆柘植)
 学名:Ilex crenata var. crenata
 英名:Japanese holly

 ツゲはツゲ科ツゲ属、イヌツゲはモチノキ科モチノキ属です。いずれも通常は灌木で庭木や垣根などに利用されていますが、刈り込みされているため、樹形の特徴がなくなっているのが普通であり、遠目で区別することは容易ではありません。
 確実な識別法としては、ツゲは対生、イヌツゲは互生と樹木学の講義で学んだことを今でも記憶しています。葉の先端は、イヌツゲでは尖りますが、ツゲでは先が少しだけ窪んで(微凹頭)います。またイヌツゲの葉をよく見ると丸い鋸歯があります。  葉の比較
 イヌツゲはモチノキ属なので、花は、同属のソヨゴ、クロガネモチ、タラヨウ等によく似ているのに対して、ツゲの花には花弁がありません。
 ツゲの材は緻密で均一であることから、櫛、将棋の駒をはじめとする加工品への用途があったため、「ホンツゲ」の座を獲得したと思われますが、生育はイヌツゲの方が早いため、庭園木、生け垣などではイヌツゲの方がむしろ多用されています。現在公表されている横浜市指定の名木古木はすべてイヌツゲです。
 マメツゲ(f. bullata or var.convexa)はイヌツゲの品種で、実生で繁殖するとイヌツゲになってしまうため、接ぎ木で増やす必要があります。
 なお、「黄楊」は中国名ですが、日本のツゲとは別変種を指しており、日本のツゲは「小葉黄楊」と表記して区別されるそうです。


【イヌシデとアカシデ】


イヌシデ 品川区保存樹第55号(品川区荏原7-5-14)

アカシデ:大宮公園(さいたま市大宮区高鼻町4)

イヌシデ(犬四手)
 学名:Carpinus tschonoskii
 英名:Korean hornbeam

 イヌシデはカバノキ科クマシデ属の落葉高木で、本邦産の近縁種としてアカシデ(赤四手 C. laxiflora)、クマシデ(熊四手 C. japonica)、サワシバ(沢柴 C. cordata)、イワシデ(岩四手 C. Turzaninovii)の4種があり、特によく似ているのはアカシデです。樹全体に赤みが強く、赤く紅葉するのがアカシデですが、両種を区別しない時には併せてソロノキと称します。ソロノキは優良な榾木ほだぎとなるだけでなく、盆栽にも欠かせない樹種です。
 シデ(四手、椣)という名は、クマシデ属(Carpinus)の総称であり、雄花が注連縄しめなわに飾る紙垂しでに似ているからとされています。一方、単に「シデ」あるいは「ホンシデ」という種に関する記述はみつけられず、クマシデ、サワシバをソロノキと呼ぶ場合もあり、いずれも雑木林では普通種なので、本種が何故「イヌ」なのかは不明です。
 2021年2月の段階では、横浜市の名木古木は一本も確認できていません。(今後、訪問予定)
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【その他】これまでに撮影した「イヌ」の付く名前の植物たち
 こうしてみると結構あるのに驚きます。イヌ自体に由来する犬殖栗いぬふぐりを除くと、どれも(手抜き感があって)あまり相応しい名称とは思えません。


 イヌビワ Ficus erecta
 イヌビユ Amaranthus blitum
 ホナガイヌビユ Amaranthus viridis
 イヌホウズキ Solanum nigrum
 テリミノイヌホウズキ Solanum americanum
 アメリカイヌホウズキ Solanum ptychanthum
 オオイヌノフグリ Veronica persica
 タチイヌノフグリ Veronica arvensis
 イヌカキネガラシ Sisymbrium orientalis
 イヌバラ Rosa canina
 イヌタデ Persicaria longiseta
 イヌゴマ Stachys japonica
 イヌドクサ Equisetum ramosissimum
 イヌナズナ Draba nemorosa
 イヌトウバナ Clinopodium micranthum
 イヌグス(タブノキ) Machilus thunbergii

鶴見区の名木古木を巡って- part2

 先週の続きで、横浜市指定の名木古木を訪ねて鶴見区を歩いてみました。


スダジイ2本 No.48024,48025(指定番号現地確認できず):熊野神社(鶴見区寺谷1丁目21-7)
ケヤキ No.49001::徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
ヤマザクラ No,49003(滅失):徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
クスノキ No.49004:徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
イチョウ No.49005:徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
ヒイラギ No.49006:徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
エノキ No.200201:徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
クスノキ No.49011:神明社(馬場6丁目17-20)
ツバキ No.49007(指定番号現地確認できず):愛宕山寳藏院延命寺(鶴見区馬場4丁目7-5)
アカガシ No.49009:愛宕山寳藏院延命寺(鶴見区馬場4丁目7-5)
イヌツゲ(指定番号現地確認できず):愛宕山寳藏院延命寺(鶴見区馬場4丁目7-5)
グミ No.48020:仙鶴山松蔭寺(鶴見区東寺尾1丁目18-2)
タラヨウ No.48021:仙鶴山松蔭寺(鶴見区東寺尾1丁目18-2)
サルスベリ No.48022:仙鶴山松蔭寺(鶴見区東寺尾1丁目18-2)
イヌツゲ(指定番号現地確認できず):仙鶴山松蔭寺(鶴見区東寺尾1丁目18-2)
イチョウ No.48008:一到山安養寺(鶴見区岸谷1丁目22-12)
タブノキ No.48009:生麦山聖無動院龍泉寺(鶴見区岸谷4丁目3-2)
イチョウ No.48003:聖王山文殊院大聖寺(鶴見区仲通1丁目2-3)
イチョウ No.48004:聖王山文殊院大聖寺(鶴見区仲通1丁目2-3)
イチョウ No.48005:聖王山文殊院大聖寺(鶴見区仲通1丁目2-3)


かながわの名木100選  昭和59年12月選定
宝蔵院の源平五色のツバキ
 和名:ツバキ(ツバキ科)
 赤、白。ピンク、しぼり、ぼかしの5色の花をつける珍しいツバキとして知られ、3月下旬から4月上旬の開花期には多くの人が観賞に訪れる。
 横浜市の名木古木に指定されている。
 樹高 6メートル 胸高周囲0.9~1.0メートル
 樹齢 約600年(伝承)
 ツバキは、本州から九州に分布する常緑高木で観賞用として庭などに植えられ、園芸品種も多い。実からは油がとれる。


  史蹟
源平五色椿 げんぺいごしきのつばき
   横浜市の名木古木に指定 (昭和四十九年度第七号)
このツバキは赤と白の他に、赤白混合のピンク、しぼり(赤白が点散)、ぼかし(色がにじむ)、等の五色の花が一本の幹に咲くのが特徴で、もちろん接ぎ木ではない。
品種としては「五色椿」だが、純粋な赤白がとりわけ美しく咲き、樹齢六百年以上(高さ六メートル、枝張り六メートル、幹回り一・五メートル、の幹から三本の枝に分かれる)の長老木であることから「源平」の二字を冠した。
三月中旬より五月中旬まで(特に四月上旬が見頃)五色に咲き分けるが、年間を通して雨上がりの時、緑青をふいたような幹は雨露を含んで美しく光り輝き、最高の芸術品である。
全国唯一の誠に美しい銘木のため、本や新聞・テレビ等にも紹介されている。椿の種類では全国で一番古いものである。


宝蔵院の源平五色の椿
昭和50年3月 横浜市の名木古木に指定
昭和59年12月 かながわの名木100選に選定
樹高6m、枝張り6m、根回り1.6mで地上1mのところで、幹が三本に分岐し、胸高直径は、それぞれ0.9~1mに及ぶ。樹齢は推定600年と伝えられている。
樹の種類は五色椿(ごしきつばき)で、接ぎ木ではなく、一本の幹から[赤・白・ピンク・しぼり(赤白が点散)・ぼかし(にじんだ色)]の五色(ごしき)の花が咲き分けます。赤と白の花の色が混じりを生じない長老木であるところから「源平」の名が付けられ、花はカーネーションの様に復輪で、蕊(しべ)が花ビラの間から出ている誠に珍しい樹のため、希少価値で選定されている。開花時期は3月下旬より5月中旬ごろまで毎日咲き替わり、特に4月上旬が見ごろです。


【主な経路】
(京急鶴見駅)-寺谷-馬場-東寺尾-岸谷-潮田-(京急鶴見駅)



  心願地蔵(鶴見区東寺尾6丁目33)
江戸の昔、安永八年(一七七九年)に東寺尾村二本木に住んでいた松沢源右衛門という人が建てたという。子宝に恵まれなかった源右衛門は、お地蔵様を建て、道行く人にお参りをしてもらえば、その功徳によって願いが叶えられるのではないかと思い立ち、お地蔵様を建てた。
     ふるさと再発見 寺尾奉行
※「天明五乙巳」の文字が読めるので正しくは1785年の建立と思われます。


  馬頭観音(馬場1丁目3-13)
その昔武士を背に乗せて走り、時には兵隊さんと戦地に赴き、家族同様田畑を耕し働いてくれた愛馬に感謝の「馬頭観音」之碑をこの地に何時、誰が建てたのかは定かでないが、祈る心と感謝の気持ちは時代が移るとも今は変わらない。
     ふるさと再発見 寺尾奉行
※碑の裏面に「大正七年四月 横尾□□建」と読めます。立札の文は詩的ではありますが、史実を確認してはいないようです。


  青面金剛合掌立像(馬場7丁目4)
右側の塔は青面金剛合掌立像を浮き彫りとしたものです。(一七六四年)
左側の尖頂角塔文字碑「庚申青面金剛合」は庚申(干支の一つでかのえ猿で)本尊は青面金剛合であります。街道沿いに置かれ塔に道標を彫りつけられたものもみかけられます。更に賽神として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあったようです。(一八〇五年)
     ふるさと再発見 寺尾奉行


  寶藏院沿革碑
 真言宗智山派の愛宕山寶藏院は、橘樹郡神奈川宿新義真言宗金藏院末寺である。
 創建は、平安期の白山しらやま信仰(江戸時代には白山はくさんさまと称し歯の神様)・仏像、鎌倉期の愛宕社・山門等の建立および製作のほか、慶安二年(一九四九)の古文書により、鎌倉時代以前に草庵されたものと推定される名刹である。
 惣鎮守愛宕社は源頼朝公時代(建久三年より正治元年)に建立され、天正十八年(一五九〇)戦火で焼失し江戸時代に再建されたが、昭和二十年に堂宇老朽のため解体した。
 昭和二十年、本堂真後ろの墓地裏より板碑が数基出土したが、そりうち一枚は鎌倉時代の承元四年(一二一〇)と彫られている。
 山門は一部補修されているが、鎌倉時代のもので、板戸(樅の木の一枚板)獅子の彫刻(真向きの獅子・爪の彫り方)等は


同時代の風格をよく表現していることで知られている。
 左側の石段は鎌倉時代に建造されたものと伝えられている。
 本堂裏山には寺尾城(戦国時代に築城)址の砦として使用された愛宕社への虎口を守るための土塁があったことが発見されている。又、境内にあった溜池は、寺尾城の「水の手」として使用されたことが昭和五十四年判明された。
 過去帳による歴代住職中、最古と認められるのは、永享に二年朔日「寂」として傳燈大阿闍梨でんどうだいあじゃり耶法印弁栄と記録されて居り、江戸時代中ごろ元禄二年法印秀賢を中興として、爾来法燈連綿として現在に至っている。
 本堂には本尊大日如来・弘法大師尊像など仏像三十八躰が安置されて居り、寺尾地区にある最古の寺であるため、相武不動尊霊場の二十一番札所「寺尾不動尊」と称し、この他玉川八十八ヶ所霊場の十二番札所にもなっている。
 寺宝としては、聖観世音菩薩・薬師如来(伝鎌倉期以前)、十王尊像・十王尊掛軸・須弥壇(伝鎌倉期)、人生一生を守る十二支一大本尊、白蛇(弁才天の化身)などがある。
 境内には咲き分けの椿の名木で樹齢六百年以上と伝え、市の名木古木に指定されている。
 その他、足びき地藏・水子地藏・白山さま(歯の神様)・霊泉(延命水)などがあり、墓地には珍しい左文字の墓(鏡文字)がある。
         國田隆稔撰文並謹書


  庚申供養塔
 二本木と二反田の交差路馬場境にあった庚申さまは、江戸時代中期のもので(一、六八八年)に建てられ、寺尾地区に現存する最も古い庚申供養塔である。
 寺尾の水田深田で土質が悪く稲作不良から米作祈願として、青面金剛の庚申像が水田に添った辻に祭られていた。
  巡拝成就供養塔
 宝蔵院山門前にあったもので江戸時代中期の享保六年(一、七二一)に建てられ。寺尾地区に現存する最も古い供養塔である。
 大峯山・立山・浅間山・湯殿山・月山、及び西国・坂東・秩父、等の諸国巡拝成就の供養塔


  宝蔵院の板碑
 宝蔵院の本堂真後ろ墓地裏台地に樹令数百年の老松あり。老朽により危険のため昭和二十年伐採し、根を掘ったところ本堂に向い地中に人骨あり。その囲りから板碑が数基出土された。この中の一枚には鎌倉時代の承元四年(一、二一〇)と彫られてある。その人骨はおそらく宝蔵院先師のものと思われ、追福供養の為板碑を添え松を植えたものと考えられる。板碑は石塔婆の一種で青石塔婆とも言われ、秩父を原産とする扁平な緑泥片岩そのまゝを使用し、上部を三角形に作り、その下に二・三条の横線を入れ、仏像または梵字、ときには花瓶を彫刻し、その下に年月日及び人名、ときには建碑の由来などを刻む一定の形式がある。


  白山さま
 水子地蔵尊のあたりに、霊泉より流れる天然の清水を利用して戦国時代の頃から馬が水を飲むために造られた長さ三間のため池が昭和四十一年まであって、源平五色の椿との間に、水の流れに架かる太鼓橋を渡ったところに、小高い築山あり。その頂上に當山鎮守の「白山大権現」が祀られていた。
 「白山さま」と称し、江戸時代の頃から通称「歯の神様」として敬われ、多くの祈願崇敬者が訪れた。明治十九年二月、堂宇老朽化の為、宝蔵院中興第二十二世住職國田観誉代に石造りに再建された。
 「白山さま」が祀られていることは、平安期の「白山しろやま信仰」に由来するもので、宝蔵院が鎌倉時代以前に草庵されたものと推定される創建にかかる史料の一つとなっている。


  足びき地蔵尊
 馬場の貯水池脇の坂で、足を怪我するもの続発し、昭和五十年、山上の草むらの中から横たわるの仏二躰が発見され、このうち一躰には、江戸時代中期の、明和四年(一七六七)と彫られており、宝蔵院過去帳に記載されておりしご縁によって宝蔵院住職はこれを「足びき地蔵尊」と命名し、当寺に移転したもので、この地蔵尊を祈願する者より、足腰の痛みが取れしという。誠に霊験(ごりやく)あらたかな地蔵尊である。
 足腰を患う者、地蔵尊のご真言
 おん か か かび さんまえい そわか
とお唱え下さい。


  宝篋印塔
 この塔は、寶藏院の本堂並びに客殿庫裡の新築再建記念と、真言宗の宗祖弘法大師さまご誕生千二百年記念として、全国の宝篋印塔を訪ね、鎌倉時代の前期・中期・後期の中で中期のものが一番洗練されており、笠の部分が優麗で非常に美しいので、広島・尾道の浄土寺にある重要文化財を元に復元して製作されたものである。
 細かい丸みを帯びた部分は、すべて割り箸の先に砥石をくくり付けて、錬磨の特殊な技法によって、手作業で丹念に磨き上げ、精魂込めて造られたもので、これほどの完璧な作品は、現代我が国於ける石材技術の最高作である。
 塔身には密教の金剛界四佛をあらわす梵字が蓮座上の月輪内にある。笠の四隅にある隅飾の八つの面には、八方天の梵字が配されているのは八方護持の意味である。
 この塔の中には宝篋印陀羅尼の経文が銅筒の中に納められている。
  昭和四十三年(一九六八)八月吉祥日 建立


  霊泉(延命水)
 この水は、横井戸から清水が流れ出ていて一年中涸れることがうりません。仙國時代には水の手でもあり、昔から霊泉と称されて居り、延命水とも言われていますが龍王は水の神として仏法の守護神であります。日常努力されておまいりされると、必ずやお願いごとが成就されると言われます。合掌して「南無大師遍照金剛」とお唱え下さい。
  ご利益
この水を飲み、龍の頭に水をかけて祈願すれば、
   ◎健康で長寿
   ◎頭が良くなる
   ◎家運長久
この霊泉で水を汲んで、指定の場所でお金に水をかけて洗うと、
   ◎財宝が増す
   ◎商売繁盛
この水を指先に取り、病気の箇所に当てると、
   ◎霊験がある
この霊泉の水を顔につけると、
   ◎心身ともに美男美女になる。
   (美しさとは心から湧き出るものである)
この水を持ち帰って顔につれると、
   ◎火災を防ぐ
 ◎お願い事はお墓にお供えするものですから奇麗に使いましょう。
     愛宕山 寶藏院


【参考】
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 ケヤキ Zelkova serrata
 ヤマザクラ Cerasus jamasakura
 クスノキ Cinnamomum camphora
 イチョウ Ginkgo biloba
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 エノキ Celtis sinensis
 ヤブツバキ Camellia japonica
 アカガシ Quercus acuta
 イヌツゲ Ilex crenata
 グミ Elaeagnus sp.
 タラヨウ Ilex latifolia
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 タブノキ Machilus thunbergii
 大阪:鶴見区寺谷てらや
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 ノゲシ Sonchus oleraceus
 (響橋)庚申塔:鶴見区東寺尾6丁目36
 心願地蔵:鶴見区東寺尾6丁目33
 鶴見配水池配水塔:鶴見区馬場3丁目29
 ひまわり畑:鶴見区馬場3丁目18-22
 白山神社(建功寺境内社)
 不動尊/不動尊/日龍大神(建功寺境内)
 天満宮碑(建功寺境内)
 梵鐘(徳雄山建功寺)
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 馬頭観音:鶴見区馬場1丁目3-13
 庚申堂:鶴見区馬場7丁目4
 モチツツジ Rhododendron macrosepalum
 (上の宮)八幡神社:鶴見区上の宮1丁目32-2
 伊勢社(八幡神社境内社):右
 聖徳太子廟/稲荷大明神(八幡神社境内社)
 力石(八幡神社境内)
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 神明社:馬場6丁目17-20
 愛宕山寳藏院延命寺(鶴見区馬場4丁目7-5)
 巡拝成就供養塔/庚申供養塔(愛宕山寳藏院延命寺)
 板碑(愛宕山寳藏院延命寺)
 白山はくさんさま(愛宕山寳藏院延命寺)
 おびんずるさん(愛宕山寳藏院延命寺)
 足びき地蔵尊(愛宕山寳藏院延命寺)
 宝篋印塔(愛宕山寳藏院延命寺)
 延命水(愛宕山寳藏院延命寺)
 観音像(仙鶴山松蔭寺)
 クスノキ Cinnamomum camphora(岸谷稲荷社)
 稲荷社(岸谷1丁目19)
 フチベニベンケイ Crassula portulacea
 岸谷庚申塔(生麦山聖無動院龍泉寺)
 潮田庚申塔(聖王山文殊院大聖寺)
 三界萬霊塔(聖王山文殊院大聖寺)
 鶴見川夕照
 循環源象-鉄-NO.16CIRCULATION POINT-IRON-NO.16 藤井FUJII 浩一郎KOUICHIROU(YOKOHAMA BIENNALE ’93)
 億万年の骨の詩 寺田TERADA 武弘TAKEHIRO(YOKOHAMA BIENNALE ’93)
 何をしているの? 矢作YAHAGI 隆一RYUICHI(YOKOHAMA BIENNALE ’93)

富岡へ

 今日は、お好み焼き粉を買うという名目で、富岡まで出かけました。夕飯はもちろん、双子が作ってくれたお好み焼きでした。
【主な経路】(自宅)-六浦-白山道-釜利谷-能見台-富岡-(京急富岡)


(谷津関ヶ谷不動尊)遷座記念
 染井そめい片吹かたぶき五字谷戸こじやと研山とぎやま関の谷戸せきのやとの奥深き谷あい。老杉。雑木生い茂り緑濃き杜に五十数段の石階の頂、片吹二七四-二番地に谷津関が谷不動尊が鎮座されていた。創建は不詳だが昔より村人の信仰篤く。毎年一月二十八日ら初不動祭りが、盛大に今もなお続いている、境内裏の谷間より滾滾こんこんと清水が湧き出し。現在も谷津川の水源地である。かつては金沢文庫駅一帯までの水田に灌漑用水とされていた。往時には。刀匠達が滝で斎戒沐浴したとの伝説がある。滝は関東大震災で崩壊した。境内周辺は四季折々種々の野鳥のさえずりがきかれ、初夏には蛍が飛びかい、秋には蜻蛉が群れ飛び、小川のせせらぎも聞かれた。閑静な素晴らしい環境の谷戸であった。たまたま京浜急行株式会社の宅地造成により此の地に遷座した。
                  撰文 石川 武


  経塚きょうづか
 此の墓域は通称持明院の丁塚墓地と呼ばれています。丁塚は正しくは経塚と謂、釈尊入滅後、五十六億七千万年の後に弥勒菩薩が現世に出現して民衆を済度してくださるまで仏典を長く保存し、後世に残し伝える為経文を経筒に入れ、土中に埋経してその上に塚を気づいたものであります。
 この思想は平安時代から室町末期が最盛期で連綿として今日に到っております。
 その功徳は追善供養の真心と極楽往生の願いをこめて信仰されてきたのであります。
南無大師遍照金剛


【参考】
 ウメ Armenica mume
 横浜市指定名木古木 No.95015 ケヤキ:白山神社
 紫月(ルビーネックレス) Senecio Othonna capensis Syn. Crassothonna capensis
 手子神社
 谷津関ヶ谷不動尊
 ユズリハ Daphniphyllum macropodum
 バラ Rosa spp.
 セイヨウヒイラギ Ilex aquifolium
 RONDO 1990 TAKASHI NAKANO:富岡西ふれあいの辻公園
 タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis
 経塚:金沢区富岡東5丁目10
 谷戸坂地蔵尊
 円海山(京急富岡プラットホームより)

鶴見区の名木古木を巡って- part1

 今日は鶴見区の名木古木を尋ねました。確認できたのは16本でした。
横浜市の名木古木  石塔  神社等  ひまわり


 スダジイ No.201868 (鶴見区市場上町3-15)
 イチョウ No.48026 日枝神社:鶴見区矢向4-16-8
 イチョウ No.48027 明王山不動院真福寺:鶴見区上末吉1-15-10
 スダジイ No.49018 駒岡八幡神社:鶴見区駒岡3-40-1
 イチョウ No.48028 宝元山無量院正行寺:鶴見区駒岡3-31-18
 イチョウ No.49015 駒岡神明社:鶴見区駒岡3-9-1
 イチョウ No.49013 照光山常倫寺:鶴見区駒岡3-5-1
 ツバキ No.49014 照光山常倫寺:鶴見区駒岡3-5-1
 イチョウ No.50001 駒岡不動堂:鶴見区駒岡3-4-37
 ケヤキ No.201030 (北寺尾)熊野神社
 イチョウ No.201031 (北寺尾)熊野神社
 ケヤキ No.201032 (北寺尾)熊野神社
 イチョウ No.201033 (北寺尾)熊野神社
 スダジイ No.201034 (北寺尾)熊野神社
 イチョウ No.201123 (北寺尾)熊野神社
 ツバキ No.201124 (北寺尾)熊野神社



 東海道分間延絵図(東京国立博物館所蔵)
 地蔵尊(無縁塚)
 無縁塚慰霊塔


  八丁畷の由来と無縁塚
 東海道は、川崎宿の京都側の出入り口(京口土居・現在の小川町付近)から八丁(約870メートル)にわたり、畷といって街道が田畑の中をまっすぐに伸びており、市場町(現在の横浜市)との境界に至ります。この付近を八丁畷と呼ぶようになりました。
 このあたりでは、江戸時代から多くの人骨が発見され、戦後になっても道路工事などでたびたび掘り出され、その数は十数体にも及びました。これらの人骨は、鑑定により江戸時代ごめの特徴を備えていることがわかりました。
 江戸時代の記録によると、川崎宿は震災や大火・洪水・飢饉・疫病などの災害にたびたび襲われ、多くの人々が命を落としています。おそらく、災害で亡くなった身元不明の人々を、川崎宿のはずれの松や欅の並木の下にまとめて埋葬したのではないでしょうか。
 不幸にして亡くなった人々の霊を供養するため、地元の方々と川崎市は昭和九年、ここに慰霊塔を建てました。この場所は無縁塚と呼ばれ、地元の方々により供養が続けられています。
   平成二十八年三月
            川崎市教育委員会



 横浜熊野神社:鶴見区市場東中町9-21


  熊野神社略記
弘仁年中紀州熊野宮御神霊を勧請す
旧市場村の熊野耕地通称八本松の所に鎮座、其後天保年中道上耕地に遷座(現在元宮)す。明治五年東海道線敷設の為現在地に遷座。
  御祭神略記
国常立尊くにのとこたちのみこと
 天神七代の中第一代に座して天地別れし時成りませる神にて国の底都知そこつちとして大地を司り給ふ神也。
伊邪奈岐命いざなぎのみこと伊邪奈美命いざなみのみこと
 天神七代の中の神にして二柱の神は天津神の神勅に依り国土を修理固成し給いて夫婦和合商工繁盛家内安全の基を立て給い人々を守り給ふ神也。
境内神社 八幡神社 稲荷神社 神明社
     五社大神 大鳥神社
大祭日 毎年八月第一土旺、日旺
神事と行事 市場神代神楽 市場囃子
     熊野神社氏子会


(矢向)日枝神社:鶴見区矢向4丁目16-8


 (矢向)日枝神社
 十二天大神/天照皇大神
 稲荷社
 稲荷社
 大黒天
 不動堂
 浅間大神碑
 やるき稲荷社


 記主山然阿院良忠寺
 山本煉瓦工場供養碑(記主山然阿院良忠寺)


  記主山然阿院良忠寺由緒沿革
鎌倉時代仁治元年(一二四〇)浄土宗第三代然阿良忠が霊夢により古川(現鶴見川)の岸より薬師如来の尊像を得て、これを安置するために起立したのが良忠寺の草創である。
良忠上人は鎌倉大本山光明寺を開き、多数の書物を著わし、為に正応六年(一二九三)良忠上人七回忌にあたり伏見天皇より記主禅師の号を賜り、以来寺の山号を記主山と称す。
正徳二年(一七一二)五月、祐天上人により京都総本山知恩院の直末寺院に配せられ。良忠寺四十一世讃誉徹玄上人代に、祐天上人の助縁により本堂等を改築、明和六年四月(一七六九)には梵鐘、山門等が再建された。
第二次大戦において、明和六年鋳造の梵鐘は他の仏具共々供出されるが昭和二十五年十一月に。時の内閣総理大臣吉田茂氏揮毫による梵鐘如雷震八音暢妙響の八文字を梵鐘に鋳込み再建された。
現住六十世代において、墓地整理改修・本堂改築。記主会館建築等の事業を行う。


  山本煉瓦工場供養碑
明治から昭和十五年頃まで、矢向一丁目の鶴見川沿い、今の矢向中学校南側に煉瓦(レンガ)工場が有りました。川沿いの土を掘って大量の赤煉瓦が焼かれ帆掛け船を利用して東京(品川)横浜方面(高島、元町)へ積み出されました。工場では男性と共に女性や未成年の子供達も働きました。横浜や東京の赤煉瓦で造られた建物も、ここ矢向の地で焼かれた煉瓦が多く使われ、その陰にはこうした多くの人々の努力が有ったのです。大正九年に建立されたこの慰霊碑には明治四十年から大正九年の間に亡くなった男性十一名、女性三名、男児四名、女児八名、胎児一名の戒名が刻まれています。今回、慰霊碑の移築に伴い、当時焼かれた煉瓦を一部用いて再建し、亡くなられた人々の慰霊と致します。
  平成十五年七月吉日
 見えた見えたよ 生麦沖な丸に七の字 帆が見えた
   あれが山本煉瓦船
 丸に七の字 帆掛け船 船頭 石井七五郎
 丸に七の字 帆掛け船 天にとどけと 碑を建てる
   昭和七年頃 親子三人 煉瓦船で暮らしました
            移築再建 願主 石井元吉


 照光山常倫寺:鶴見区駒岡3-5-1


常倫寺の歴跡と伝説(駒岡町294)
 久志本氏歴代の墓碑 久志本氏は、今の三重県度合郡久志本の出身で、元は神主でのちに徳川家康の侍医として召し抱えられました。
 宝永三年(1706)久志本常勝は、五代将軍綱吉の病気を治療し、武蔵国橘樹郡、都築郡のうち八百石の采地(領地)を賜り、総知行高二千石となりました。
 久志本氏歴代の墓所は、本堂左手の急な照光坂を昇った所にあります。
 墓域に立って、大きな常倫<つねもと(常勝の父)の墓を中央一列に立ち並ぶ墓碑を見ますと、江戸時代中期からこの地を治めてきた殿様のお墓ということが感じられます。
 梵鐘 本堂の回廊に吊り下げられている梵鐘は、元禄6年(1693)2月、時の地頭小田切土佐守直利が、父美作守須猶<もちなおの追善供養のために寄進したものです。
 乳母銀杏 境内の乳母銀杏には次のような伝説があります。
 江戸時代に久志本左京亮常倫<つねもとの妻が身ごもって。一子常勝を産みましたが、お乳が一滴も出ませんでした。
 思い余った夫婦は、この寺に詣で、乳の出るように一心に祈願しました。すると、銀杏の木の乳房のように垂れ下がった先端から、真っ白な乳がしたたり落ち、この乳を飲んで常勝はたくましく成長しました。
 それ以来、この銀杏は乳母銀杏と呼ばれ、乳の出ない母親は、この銀杏に祈るようになったということです。なお、現在この銀杏は横浜市の名木古木に指定されています。
  昭和63年3月  鶴見区役所



【参考】
 ヤブツバキ Camellia japonica
 キルタンサス・マッケニー Cyrtanthus mackenii (ハイツ東鶴見)
 地蔵尊:鶴見区矢向1丁目1
 ボケ Chaenomeles speciosa
 獅子咲ツバキ Camellia japonica
 庚申堂:鶴見区上末吉1丁目18-27
 トキワガマズミ Viburnum tinus
 駒岡八幡神社:鶴見区駒岡3丁目40-1
 稲荷社:鶴見区駒岡3丁目34
 地蔵尊:鶴見区駒岡3丁目31-18
 駒岡神明社:鶴見区駒岡3-9-1
 道陸神(駒岡神明社境内):鶴見区駒岡3-9-1
 照光山常倫寺:鶴見区駒岡3-5-1
 稲荷社:鶴見区駒岡3-4
 駒岡不動堂:鶴見区駒岡3-4-37
 神使像(駒岡不動堂境内)
 ぱぶすなっく ひまわり:鶴見区駒岡1-12-22
 白梅 Armenica mume
 寒桜(かんざくら)Cerasus x kanzakura ‘Praecox’
 庚申塔:熊野神社 (鶴見区北寺尾2-3-30)