月別アーカイブ: 2022年11月

Cafe佐倉閉店!

 追浜銀座の佐倉が、昨日11月26日をもって閉店していました。追浜1丁目から現在地(追浜本町1丁目)に移転して営業を続けていらっしゃったのですが、気づかぬうちの閉店でした。追浜からまたも名店が消えてしまうのは残念です。


閉店のお知らせ
 ながい間のご利用ありがとうございました。事情により11月26日のサンドイッチのみの販売で終了となります。
 ありがとうございました。

帰宅訓練2022-最短距離で

 職場の移転後、初めての実施となる災害時の帰宅訓練、設定された1時間では訓練にならないので、休日を利用して実施しました。2019年の時に作製した野帳留めが今回も役に立ちました。今回は地図を使わずに記憶で予定経路を辿った結果、掘割川の久良岐橋に出るつもりが中村橋に出てしまったのが間違い箇所でした。
【記録】所要時間:6時間14分、総歩数:34,480歩、総距離:(72cm/歩で換算)24.8km、平均時速4.0km/hr


【経路概要】
 本部(テクノウェイブ100)-神奈川公園-みなとみらい大橋-新高島駅-みなと博物館-桜木町駅-日ノ出町駅-坂東橋公園-中村橋-八幡橋-浜マーケット-磯子駅-新杉田駅-鳥見塚-富岡六地蔵-能見台駅-片吹-泥亀公園-瀬戸神社-金沢八景駅-泥牛庵-内川橋-傍示堂-雷神社-追浜駅-(自宅)

 
GoogleMap

区間毎速度の変化


【撮影場所】
 本部(テクノウェイブ100)
 神奈川公園
 みなとみらい大橋
 新高島駅
 すずかけ通り西
 神奈川大学みなとみらいキャンパス
 いちょう通り西
 けやき通り西
 Yokohama Air Cabin
 みなと博物館
 桜木町駅
 日ノ出町駅
 黄金橋
 栄橋
 坂東橋公園
 中村橋
 天神橋
 八幡橋
 浜マーケット
 芦名橋公園
 磯子中央病院
 磯子駅入口
 磯子駅
 磯子郵便局
 新杉田駅
 磯子スポーツセンター
 鳥見塚
 東富岡
 富岡六地蔵
 能見台駅
 堀口
 眼鏡市場横浜金沢文庫店
 片吹
 君ヶ崎稲荷
 泥亀公園
 姫小島水門跡
 瀬戸神社
 金沢八景駅
 泥牛庵
 六浦橋
 内川橋
 傍示堂
 雷神社
 追浜駅
 追浜南町入口
 自宅



安藤橋の由来
 磯子の今日は、八十七年前の海浜埋め立てに始まる。半農半漁の村に新時代の息吹を運ぶ大工事であり、中心となったのが安藤組(現在の安藤建設株式会社)である。総面積十一万坪余り。機械化されていない時代の難事業で、その労苦は言語によ絶するものがあったと聞く。犠牲者も少なくなかった。
 明治三十二年(1899年)に着手し、完成は大正十三年(1924年)実に二十五年の歳月をかけての大工事であった。 埋め立て地の中心に架設された橋は、施工者の名を取り「安藤橋」と名付けられた。
 橋は第二次世界大戦を挟む激動時代を背景として長い間、磯子の人々に親しまれてきた。しかし昭和三十八年(1963年)新しい時代の埋め立て工事で、もう一度磯子が生まれ変わったとき多くの人々に愛された橋は歴史上のものとなった。
 それから二十余年。今「ドルフ安藤橋」の丹治陽とともに橋は再び私どもの心の中に蘇った。
 ここに、安藤組初代社長、安藤庄太郎氏、二代目社長 安藤徳之助氏の偉業をしのび、この地に「安藤橋」の親柱を記念保存することになった。
              本文は、作家 津村秀介氏の寄稿による。
   昭和六十一年九月吉日
          安藤徳二郎(徳之助ニ男)

晩秋の鎌倉へ

 今日は久しぶりに鎌倉を尋ね、長谷寺では抹茶体験に参加できました。


【参考】
 ヒメリンゴ Malus prunifolia
 タイワンツバキ Gordonia axillaris
 サフラン Crocus sativus

帷子川水系を訪ねて ~part.4 菅田川、くぬぎ台川、市沢川(陣ヶ下渓流公園)

 今日は、帷子川中流に合流する支流を尋ねました。陣ヶ下渓流公園でみかけた赤い実は、タンキリマメではなくトキリマメの方でした。水の橋は、水道道が通っていることから名付けられたようです。
帷子川水系を訪ねて part1.西区  part2.帷子川から今井川へ  part3.今井川合流地点から帷子川分水路分流堰
【水系マップ】帷子川  大岡川  入江川・滝野川  宮川・六浦川  侍従川  鷹取川


菅田川

菅田川合流地点
暗渠上
第二第六天橋
橋戸橋
むさご橋
相鉄本線
第六天橋
(八王子街道)
池田橋
(東海道新幹線)
上菅田橋
上菅田人道橋
私用橋x4
ふれあい橋
私用橋x3
富士見橋
名称不明の橋
旭橋
暗渠
寺下橋跡


くぬぎ台川

耕地橋(くぬぎ台川合流地点)
谷戸橋
逆田用水取水入口跡碑
私用橋
(協和工業の)橋
支流流入地点
無名の橋
原下橋
無名の橋
滝(高山橋の下)
高山橋
水道道


市沢川(いちざわがわ)陣ヶ下(じんがした)渓谷)

陣ヶ下渓流公園
無名の橋
水の橋
水道道



 馬頭観音:保土ケ谷区川島町
 ボケ Chaenomeles speciosa
 五輪塔・庚申塔・道祖神:菅田町344
 二十六夜塔・・歳ノ神、堅牢地上塔:上菅田町285-9
 チャノキ Camellia sinensis
 ひまわり整骨院西谷院
 庚申塔・堅牢地神塔:西谷町3丁目21
 マンデビラ Mandevilla sp.
 キク Chrysanthemum x morifolium
 ヨウシュヤマゴボウ Phytolacca americana
 カナムグラ Humulus japonicus
 モウソウチク Phyllostachys heterocycla
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 ブロッコリー Brassica oleracea var. italica
 コマユミ Euonymus alatus form. striatus
 道祖神:川島町73-1
 庚申塔(2基):川島町73-1
 オオイヌホウズキ Solanum nigrescens
 トキリマメ Rhynchosia acuminatifolia
 サザンカ Camellia sasanqua
 水道局西谷浄水場
 水道記念館跡
 みなとみらい方面(水道坂より)
 水道坂碑:川島町579
 蔵王高根神社
 センリョウ Sarcandra glabra
 光栄橋
 上星川駅
 コウテイダリア Dahlia imperialis
 ヤマザクラ Cerasus jamasakura


   庚申さまの由来(菅田町344の説明版より)
■庚申
庚申(かのえさる)の日に。仏教では帝釈天と青面金剛を、神道では猿田彦をまつる行事です。平安時代に中国から伝わり、江戸時代に盛んになりました。町では流行病をなくすために祈ったり、村では豊作を願う風習があります。
■道祖神
村里の入り口や分かれ道で、悪霊の侵入を防ぎ、通行人を守る道路の神で、塞の神といいます。旅行安全、縁結び、安産、子供を守る神として、信仰する風習が東日本に広まりました。
■さいと焼き
どんど焼き、左義長などともいいます。この町では【せいと焼き】と呼び、門松やしめ飾りを燃やして、その勢いで書き初めが高くあがるのを喜ぶ光景もありました。餅や団子を焼いて食べ健康を祈り、燃えさしの松を戸口にさしこんで家内安全を願う風習も続いています。
 現在では以上の三つが結びつき、その火祭りが正月十四日におこなわれています。
  平成八年一月吉日 上菅田町下地区庚申講


【文献】
横浜市公共下水道台帳

帷子川水系を訪ねて ~part.3 今井川合流地点から帷子川分水路分流堰

 帷子川水系を訪ねて part1.西区  part.2 帷子川から今井川へ part4.菅田川、くぬぎ台川、市沢川
【水系マップ】帷子川  大岡川  入江川・滝野川  宮川・六浦川  侍従川  鷹取川


今井川流入地点から光栄橋

今井川流入地点
天王橋(てんのうはし)
帷子橋(旧東海道)
古町橋(ふるまちはし)(古東海道)
愛染橋
常盤橋(ときわはし)
水道管(常盤橋)
(河童)
川辺公園
柳橋人道橋(やなぎはしじんどうきょう)(下)
柳橋(やなぎはし)
柳橋人道橋(やなぎはしじんどうきょう)(上)
星川下橋(ほしかわしもばし)
星川駅
星川橋人道橋(ほしかわはしじんどうきょう)
星川橋(ほしかわはし)
宮川橋(みやかわはし)(水道道)
すみれウォーク
川田橋(かわだはし)
星和橋(せいわはし)
保土ケ谷陸橋
平和橋(へいわはし)
和田橋(わだはし)
和田町駅
製缶橋
宮崎跨線橋
水道管(宮崎橋)
宮崎橋
(相鉄本線)
光栄橋(こうえいはし)


相鉄・JR直通線からふれあい橋

(相鉄・JR直通線)
両郡橋
人道橋(両郡橋)
稲荷橋
川島橋
(環状2号線)
かるがも橋
新橋(しんばし)
鷲山橋(わしやまはし)
菅田川流入地点
学校橋(がっこうはし)
くぬぎ台川合流地点(耕地橋)
(無名の橋)
(東海道新幹線)
逆田橋(さかたはし)
上逆田橋(かみさかたはし)
田原橋(たわらばし)
公園
(相鉄本線)
中田橋(なかたはし)
新井川流入地点
下中田橋(したなかだばし)
ふれあい橋
帷子川分水路分流堰
愛宕橋



天王町駅
帷子橋復刻(天王町駅前公園)
古町橋(ふるまちはし)


横浜市地域史蹟
 旧帷子橋(かたびらばし)
         登録年月日 平成十年十一月九日
         所在地   保土ケ谷区岩間町一丁目五番地
         所有者   横浜市
         登録区域  保土ケ谷区岩間町一丁目五番地の一部
 江戸時代、東海道が帷子川を渡る地点に架けられていた帷子橋は、絵画に描かれていたり、歌や俳句に詠まれるなど、保土ケ谷宿を代表する風景として知られていました。中でも初代広重の「東海道五十三次之内 保土ケ谷」は特に有名です。
 大橋や新町橋とも呼ばれていた帷子橋について、『新編武蔵風土記稿』の帷子町(保土ケ谷宿のうち)の項には、「帷子橋 帷子川ニ架ス板橋ニテ髙欄ツキナリ、長十五間、幅三間、御普請所ナリ」という記載がみられます。昭和四十九年(一九六四)七月に、帷子川の流れがそれまでの相鉄線天王寺駅南側から北側に付け替えられたのに伴い、帷子橋の位置も変わりました。かつての帷子橋跡地は、現在の天王町駅前公園の一部にあたります。


歴史の道
古町橋(ふるまちばし)
江戸時代初期の東海道
 現在知られている「旧東海道」は、慶長6年(1601年)に保土ケ谷宿が成立した当時のものではなく、慶安元年(1648年)に竣工されてものでねそりまで追分(宮田町1丁目)から上方(かみがた)方面の東海道はここを通っていました。現在、追分から神明社あたりまでの道筋は判明していますが、そこから境木までの道筋には諸説があります。
古町通(ふるまちどおり)
 このあたりには江戸初期まで屋敷や寺が多くありましたが、新道の造成に伴い屋敷は街道沿いに移され、新しい街並みを形成しました。ここから追分へ至る道は「新町」(現:岩間町、帷子町)に対比して「古町通」と呼ばれ、元禄年間の書物には「古町通屋敷跡」の字が見られます。
旧古町橋
 この場所には江戸時代初期の東海道が帷子川をわたる「古町橋」がありました。慶安年間の新道の開通にともなって架けられた旧帷子橋は、これに対応して、「新町橋」と呼ばれていました。また、かねてから暴れ川として氾濫を繰り返していた帷子川の改修が昭和38年(1963年)に決定され、帷子川の流路は北側に変更されました。それにともない、現在の古町橋は昭和41年(1966年)に、ここから葯120メートル北に架設されています。
     平成16年3月 保土ケ谷区役所


市沢川(陣ヶ下渓谷)

(私用橋)
くぬぎ橋
神社下橋
(嬬恋神社より)


帷子川分水路

分流地点の水門
下白根橋(しもしらねばし)
帷子川分水路通水記念碑(帷子川ふれあい広場)
帷子川分水路


平成2年度 都市河川緊急整備工事
 (帷子川分水路 分流堰ゲート)
 純径間   6.5m
 扉高    5.2m
 門数    3門
 開閉速度  開時 0.3m/min
       閉時 1.0m/min
 扉体重量  9.7t (1門分)
 製作年月  平成3年3月
 製作    IHI 石川島播磨重工業株式会社


 その他の写真です。帷子川流域は、杉山神社が多く分布することでも知られており、以前にもこの地域を訪ねたことがありました。

金沢文庫駅で
南太田駅前
霞橋(かすみばし)
初代霞橋
藤方豆腐店跡
クチナシ Gardinia jasminoides
イソギク Chrysanthemum pacificum
キダチチョウセンアサガオ Brugmansia suaveolens
県営藤棚団地8号棟
ばらの幼稚園
願成寺坂(がんじょうじざか)
ヤマハギ Lespedeza bicolor
シネマノヴェチェント:中央2丁目1-8
東京ガス平沼整圧所
カワウ Phalacrocorax carbo
カワラバト Columba livia
アカミミガメ Trachemys scripta
コイ Cyprinus carpio(川田橋)
クロガネモチ Ilex rotunda
(和田)杉山神社:和田1丁目10-4
和田町商店街
和田地蔵尊:和田1丁目17-5
ホトトギス Tricyrtis hirta
ハシボソガラス Corvus corone
(川島)杉山神社:川島町896
嬬恋稲荷:川島町901-1
センダングサ Bidens biternata
ラッコ:西谷町公園
ウサギ:西谷町公園
ブラシノキ Callistemon speciosus


横浜市認定歴史的建造物
 霞橋
  建造年 1928(昭和3)年
  レンガ壁・門柱 1913(大正2)年
  設計者 内務省復興局
 2004 横浜市


かながわの橋100選 霞橋


霞橋 Kasumi Bridge
 初代の霞橋は大正2(1913)年に架けられましたが、関東大震災により損壊しました。現在の霞橋は、レンガ壁や門柱に初代の橋のものを再使用し、昭和3(1928)年に竣工した2代目です。この橋は、「かながわの橋100選」と「横浜市認定歴史的建造物」に指定されています。城壁を思わせる重厚な構造(鉄筋コンクリートアーチ橋)は、地域のランドマークになっています。
 明治末期から大正期にかけて横浜電気鉄道の路線網は拡大し、大正10(1920)年に横浜市営電気鉄道(横浜市電)となりました。東側から橋下の道路へ下りる階段が、休憩所と一体的にレンガで築造されているところに当時の面影を見ることができます。初代霞橋の下の道は、電車が通る専用軌道でしたが、市電久保山線は、モータリゼーションの発展に伴い、マイカーの普及で街中に自動車が氾濫したため、昭和44(1969)年に廃止されました。
 この付近は古くは霞耕地と呼ばれ、大正期に入ってから別荘などが建てられるようになっていましたが、震災を機に、被災がひどかった市中心部からの避難地となり、住宅地となりました。「霞ヶ丘」は、昭和10(1935)年に町会町名整理により字名に因んで町名となりました。霞は雲霞のカスミの他に、カ(処)スミ(住み)、即ちスミ(住)カ(処)のこととも言われています。


霞橋 Kasumi Bridge
The original Kasumi bridge was built in 1913 (Taisho 2), but was destroyed in the Great Kanto Earthquake. The current Kasumi bridge is the Second version of the bridge, and was built in 1928 (Showa 3), reusing the brick walls and pillars of the original bridge. This bridge has been selected as one of “Kanagawa’s Top 100 Bridges” and has been designated as one of “Yokohama’s Recognized Historic Architectures.” The sturdy structure (an arched bridge made of reinforced concrete) which reminds one of a rampart is a landmark of the region.
From the end of the Meiji period to the Taisho period, Yokohama Electric Railway’s network expanded until it become Yokohama Electric Tramway (Yokohama Tramway) in 1920 (Taisho 10). A trench in a hill was made when Yokohama Tramway’s Kuboyama Line was being constructed, and Kasumi Bridge was built to bridge the two crests of the hill. under the east side of the bridge, one can still see the vestiges of the old brick rest stop and stairs leading down to the road. Although the road under the original bridge was initially used exclusively by tramcars, the city become flooded with automobiles as private cars become popular with the development of motorization, and Yokohama Tramway`s Kuboyama Line was forced to discontinued service in 1969 (Showa 44).
This area used to be known as Kasumi fields, and in the Taisho period, vacation homes and the like started to be built in the area. however, with the Great Kanto Earthquake it become an evacuation site for people from the heavily damaged city center, and later become a residential area. Kasumigaoka gained its town name during the organization of town borders and names in 1935 (Showa 10). Other than the character kasumi of the word “cloud and haze” in Japanese, it is also said that kasumi id reordering of the word sumika which means dwelling place.


初代霞橋。橋と橋詰の階段は一体のレンガ造。橋の下の道は電車が通るため。小さなアーチ橋であった。
The original Kasumi Bridge. The bridge and its stairway were made of bricks and build as a single structure. Since only tramvars passed under the bridge, the arch was relatively low.
横浜開港資料館所蔵


【文献】
横浜市、だいちゃんマップ、横浜市行政地図情報提供システム、Accessed:2022-11-12.
ROIS-DS、帷子川分水路 [1400010007] 帷子川水系 地図 | 国土数値情報河川データセット、Accessed:2022-11-12.
神奈川県(2014)帷子川水系河川整備計画, 、Accessed:2022-11-12.

今日は近場で ~ 秋色を尋ねて


【参考】
 ヤクシソウ Youngia denticulata
 ツワブキ Farfugium japonicum
 ラセイタソウ Boehmeria biloba
 スイカズラ Lonicera japonica
 ツタバウンラン Cymbalaria muralis
 ボタンクサギ Clerodendrum bungei
 ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla
 ヒメツルソバ Persicaria capitata
 トマト Solanum lycopersicum
 チャノキ Camellia sinensis
 イヌタデ Persicaria longiseta
 トネアザミ Cirsium comosum ver. incomptum
 ヒヨドリバナ Eupatorium makinoi
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 ビワ Eriobotrya japonica

晩秋の等々力渓谷

 等々力渓谷は、23区内で唯一の渓谷とのことです。


【参考】
 ゴルフ橋
 チャノキ Camellia sinensis
 クマザザ Sasa veitchii var. veitchii
 シラキ Sapium japonicum
 ヤツデ Fatsia japonica
 サザンカ Camellia sasanqua


東京都指定名勝
  等々力(とどろき)渓谷
     所在地 世田谷区等々力二丁目外
     指定  平成十一年三月三日
 等々力渓谷は、国分寺崖線(ハケ)の最南端に位置する約一キロメートルの都区内唯一の渓谷である。谷沢川(やさわがわ)が国分寺崖線に切れ込んで浸食したもので、台地との標高差は約10メートルある。渓谷の斜面には、武蔵野の代表的な樹木であるケヤキをはじめ。シラカシ、コナラ、ヤマザクラ、イロハカエデなどとともに。常緑シダ類のような湿性植物が繁茂しており、渓谷内には至るところから湧水の出現が認められる。
 玉川全円耕地整理組合が、昭和五年から十三年にかれて谷沢川の流路を整備し、小径を設けるまでは、不動の滝からゴルフ橋にいたる渓谷内は殆ど人の立ち入ることも稀で、雉などの鳥類や、イタチ、キツネなどの小獣類、各種昆虫類の宝庫であった。
 都区内とは思えないほどの鬱蒼とした樹林と渓谷美は、幽邃な景観を呈し、武蔵野の面影をよく残している。東京を代表する自然地理的名勝として貴重であり、植生学、地質学及び地形学上重要である。
     平成十一年九月
     東京都教育委員会

帷子川水系を訪ねて ~part.2 帷子川から今井川へ

 今日は横浜駅を起点にして、西区の帷子川から保土ヶ谷区へ、さらに今井川を遡ってみました。
 帷子川水系を訪ねて part1.西区 part.3 分水路分流堰まで part4.菅田川、くぬぎ台川、市沢川

【水系マップ】帷子川  大岡川  入江川・滝野川  宮川・六浦川  侍従川  鷹取川


【幸川~帷子川】

 横浜駅相鉄口
 幸川橋
 南幸橋
 幸橋
 JOINUS駐車場人道橋
 幸川合流地点
 (相鉄本線)
 元平沼橋
 元平沼水道管専用橋(平沼橋)
 平岡橋
 帷子川ガス専用橋
 沼野橋
 新田間川分流地点
 尾張屋橋
 水道橋(すいどうばし)


【今井川】河口橋~元町橋

 今井川流入地点
 河口橋
 (相鉄本線)
 南北橋(なんほくはし)
 逗子橋(づしはし)
 【元絵】東海道53次(隷書東海道)程か谷:新町橋
  注:新町橋は現在の相鉄線天王町駅辺りにあったとされる。
 大門橋(だいもんはし)
 田町橋(たまちはし)
 今井橋(いまいばし)
 中野橋(なかのはし)
 岩井橋(いわいはし)
 神戸橋(ごうどはし)
 JR(湘南新宿ライン、上野東京ライン)
 保土ケ谷橋
 八幡橋(はちまんはし)
 八幡橋水位計(現在1.429m)
 瀬戸ヶ谷中橋(せとがやなかはし)
  注:東海道分間絵図に描かれている茶屋町土橋は、現在の瀬戸ヶ谷中橋あたりに架かっていたと思われる。
 一里塚跡
 仙人橋(せんにんはし)
 瀬戸ヶ谷橋(せとがやはし)
 東伸橋(とうしんはし)
 新大橋(しんおおはし)(国道1号線)
 道明橋(どうめいはし)
 新道明橋(しんどうめいはし)
 今井川地下調節池管理棟
 欅橋(けやきはし)
 宿場橋(しゅくばはし)
 元町橋(もとまちはし)


【今井川】元町橋~

 (無名の橋)
 (横浜横須賀道路)
 権現橋
 (無名の橋)
 法泉橋
 今井橋
 今井川橋(横浜新道)
 たに谷戸橋
 (無名の橋)
 稲荷橋
 入の谷橋
 支流流入地点
 鎌倉橋
 今井高架橋(環状2号線)


【今井川】いこいの水辺
 暗渠上に作られた散歩道がありました。

 大美橋跡
 大美橋欄干
 いこいの水辺
 いこいの水辺標示
 無名の橋
【文献】
環境省水・大気環境局水環境課(2007)今井川いこいの水辺, in 「環境用水の導入」事例集~魅力ある身近な水環境づくりにむけて~, URL:https://www.env.go.jp/water/junkan/case2/pdf/20.pdf, Accessed:2022-11-10.


【今井川支流】

 暗渠からの流入地点
 (無名の橋)
 (無名の橋)
 藤橋
 (無名の橋)
 流入地点(最上流)


【今井川支流】

 流入地点
 暗渠上の小径
 暗渠最上部


  東海道保土ケ谷宿の松並木と復元事業
保土ケ谷宿の松並木
 我が国に於ける街道並木の歴史は古く奈良時代まで遡のますが、全国的な規模で取り組まれるよいになったのは、江戸時代に入ってからです。全国的な規模で取り組まれるようになったのは、江戸時代に入ってからです。慶長9年(1604)、幕府は諸国の街道に並木を植えるよう命じました。以来、夏は木陰を作り、冬は風雪を防ぎ、植樹帯は旅人の休息場所になることから、官民挙げて大切に保護されました。
 保土ケ谷宿の松並木は、この付近から境木(さかいき)まで3kmあまり続き、広重や北斎などの浮世絵師にも度々描かれていました。その後、昭和初期までは比較的良好な状態で残されてきましたが、時代とともに減り続け、旧東海道の権太坂付近を最後に、現在では見られなくなりました。
松並木、一里塚、上方見附の復元事業
 区民が主体となって結成した「東海道保土ケ谷宿松並木プロムナード実行委員会」に採択され、平成19年2月に、国道1号線拡幅工事と今井川の河川改修工事により創出される公共空間において、旧東海道を象徴する松並木や一里塚の復元を行いました。
 「上方の松原」と呼ばれていた今井川に沿った約300mの区間に松などを植樹しました。
 明治時代のはじめ、宿場制度の廃止に伴って姿を失った一里塚は、この付近(現在の車道上)にありました。場所の制約から文献にあるような「五間約9m)四方」に相当する大きさを気づきことができませんでしたが、塚の上には昔のように榎を植えました。
 平成21年3月には上方見附を復元し、松並木や一里塚と併せて宿場時代の再現に努めています。
 「東海道保土ケ谷宿並木プロムナード委員会」は平成19年4月より「東海道保土ケ谷宿プロムナード水辺愛護会」と名を改めね立派な松並木となるよう活動を行っています。
ぜひ東海道の並木づくりにご協力ください。
 令和元年12月 東海道保土ケ谷宿並木プロムナード水辺愛護会 横浜市保土ケ谷区役所


  歴史の道
一里塚跡
 街道の距離の目安として、一理ごとに設置されたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に土盛りした小山を作り、その上に遠くからでも目立つよう榎など木々が植えられていました。この付近にあった一里塚は、江戸から八番目のものず。
上方見附跡
 保土ケ谷宿の京都(上方)側の出入口となる上方見附は、保土ケ谷郷土史によれば外川神社の前にあったとされています。見附は、土盛をした土塁の上に竹木で矢来を組んだ構造をしており、「土居」とも呼ばれています。この上方見附かせ江戸方見附までは、家屋敷が街道に沿って立ち並び、「宿内(しゅくうち)」と呼ばれています。


『今井川地下調節池』てなーんだ?
 この広場の地下約60mの深さのところには、直径10.8mのトンネルが掘られています。また、この広場のまわりには、この大きなトンネルに大雨の時に、この水を落とし込むための『取水施設』があります。トンネルや排水施設、取水施設などをあわせて『今井川地下調節池』と呼んでいます。
今井川地下調節池って、なんのための施設ですか?
 昭和30年代から急激に進んだね都市化のためにおこった浸水被害を防止するための施設です。
 今井川流域に降った大雨がそのまま下流に流れてゆくと、下流の方で川の水が溢れ出て水害になります。そこで、地下に掘ったトンネルの中に川の水の一部を落として貯めね下流に流れていく水を少なくして水害を防ぎます。
 トンネルに貯められた水は、雨が小降りににり川の水が少なくなり始めたら、地下にあるポンプで今井川に汲み上げます。
どんな大きさの施設ですか?
60m下の地下トンネルの
  直径(内径)          10.8m
  延長            2,000m
  貯留量(貯められる水の量) 178,000㎥
取水施設の堰の長さ        80m
工事はいつからいつまでかかったの?
 平成5年から平成16年までの10年以上の年月をかけて工事しました。
ここの施設はなんですか?
 ここの施設は、今井川の水が増えたときに地下のトンネルへ水を取り込むための『取水施設』です。
 増えた川の水は、右側の壁を乗り越えて下の落ち、『沈砂池』をとおり、含まれている砂などを取り除かれて、地下のトンネルに貯められます。


 以下、本日、その他の撮影です。

【参考】
 ゲジ Thereuonema tuberculata
 サンゴジュ Viburnum odoratissimum
 コイ Cyprinus carpio(南北橋)
 アオサギ Ardea cinerea
 ヒヨドリジョウゴ Solanum lyratum
 アレチウリ Sicyos angulatus
 ケヤキ Zelkova serrata (横浜市指定名木古木 No.48075)
 湯殿山供養塔(外川神社)
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 コサギ Egretta garzetta
 道祖神:保土ケ谷区今井町533
 馬頭観音:法泉境木自治会館
 庚申塔/堅牢地神塔:保土ケ谷区権太坂1丁目2-4
 狩場第一トンネル
 夕景