帷子川水系を訪ねて ~part.2 帷子川から今井川へ

 今日は横浜駅を起点にして、西区の帷子川から保土ヶ谷区へ、さらに今井川を遡ってみました。
 帷子川水系を訪ねて part1.西区 part.3 分水路分流堰まで part4.菅田川、くぬぎ台川、市沢川

【水系マップ】帷子川  大岡川  入江川・滝野川  宮川・六浦川  侍従川  鷹取川


【幸川~帷子川】

 横浜駅相鉄口
 幸川橋
 南幸橋
 幸橋
 JOINUS駐車場人道橋
 幸川合流地点
 (相鉄本線)
 元平沼橋
 元平沼水道管専用橋(平沼橋)
 平岡橋
 帷子川ガス専用橋
 沼野橋
 新田間川分流地点
 尾張屋橋
 水道橋(すいどうばし)


【今井川】河口橋~元町橋

 今井川流入地点
 河口橋
 (相鉄本線)
 南北橋(なんほくはし)
 逗子橋(づしはし)
 【元絵】東海道53次(隷書東海道)程か谷:新町橋
  注:新町橋は現在の相鉄線天王町駅辺りにあったとされる。
 大門橋(だいもんはし)
 田町橋(たまちはし)
 今井橋(いまいばし)
 中野橋(なかのはし)
 岩井橋(いわいはし)
 神戸橋(ごうどはし)
 JR(湘南新宿ライン、上野東京ライン)
 保土ケ谷橋
 八幡橋(はちまんはし)
 八幡橋水位計(現在1.429m)
 瀬戸ヶ谷中橋(せとがやなかはし)
  注:東海道分間絵図に描かれている茶屋町土橋は、現在の瀬戸ヶ谷中橋あたりに架かっていたと思われる。
 一里塚跡
 仙人橋(せんにんはし)
 瀬戸ヶ谷橋(せとがやはし)
 東伸橋(とうしんはし)
 新大橋(しんおおはし)(国道1号線)
 道明橋(どうめいはし)
 新道明橋(しんどうめいはし)
 今井川地下調節池管理棟
 欅橋(けやきはし)
 宿場橋(しゅくばはし)
 元町橋(もとまちはし)


【今井川】元町橋~

 (無名の橋)
 (横浜横須賀道路)
 権現橋
 (無名の橋)
 法泉橋
 今井橋
 今井川橋(横浜新道)
 たに谷戸橋
 (無名の橋)
 稲荷橋
 入の谷橋
 支流流入地点
 鎌倉橋
 今井高架橋(環状2号線)


【今井川】いこいの水辺
 暗渠上に作られた散歩道がありました。

 大美橋跡
 大美橋欄干
 いこいの水辺
 いこいの水辺標示
 無名の橋
【文献】
環境省水・大気環境局水環境課(2007)今井川いこいの水辺, in 「環境用水の導入」事例集~魅力ある身近な水環境づくりにむけて~, URL:https://www.env.go.jp/water/junkan/case2/pdf/20.pdf, Accessed:2022-11-10.


【今井川支流】

 暗渠からの流入地点
 (無名の橋)
 (無名の橋)
 藤橋
 (無名の橋)
 流入地点(最上流)


【今井川支流】

 流入地点
 暗渠上の小径
 暗渠最上部


  東海道保土ケ谷宿の松並木と復元事業
保土ケ谷宿の松並木
 我が国に於ける街道並木の歴史は古く奈良時代まで遡のますが、全国的な規模で取り組まれるよいになったのは、江戸時代に入ってからです。全国的な規模で取り組まれるようになったのは、江戸時代に入ってからです。慶長9年(1604)、幕府は諸国の街道に並木を植えるよう命じました。以来、夏は木陰を作り、冬は風雪を防ぎ、植樹帯は旅人の休息場所になることから、官民挙げて大切に保護されました。
 保土ケ谷宿の松並木は、この付近から境木(さかいき)まで3kmあまり続き、広重や北斎などの浮世絵師にも度々描かれていました。その後、昭和初期までは比較的良好な状態で残されてきましたが、時代とともに減り続け、旧東海道の権太坂付近を最後に、現在では見られなくなりました。
松並木、一里塚、上方見附の復元事業
 区民が主体となって結成した「東海道保土ケ谷宿松並木プロムナード実行委員会」に採択され、平成19年2月に、国道1号線拡幅工事と今井川の河川改修工事により創出される公共空間において、旧東海道を象徴する松並木や一里塚の復元を行いました。
 「上方の松原」と呼ばれていた今井川に沿った約300mの区間に松などを植樹しました。
 明治時代のはじめ、宿場制度の廃止に伴って姿を失った一里塚は、この付近(現在の車道上)にありました。場所の制約から文献にあるような「五間約9m)四方」に相当する大きさを気づきことができませんでしたが、塚の上には昔のように榎を植えました。
 平成21年3月には上方見附を復元し、松並木や一里塚と併せて宿場時代の再現に努めています。
 「東海道保土ケ谷宿並木プロムナード委員会」は平成19年4月より「東海道保土ケ谷宿プロムナード水辺愛護会」と名を改めね立派な松並木となるよう活動を行っています。
ぜひ東海道の並木づくりにご協力ください。
 令和元年12月 東海道保土ケ谷宿並木プロムナード水辺愛護会 横浜市保土ケ谷区役所


  歴史の道
一里塚跡
 街道の距離の目安として、一理ごとに設置されたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に土盛りした小山を作り、その上に遠くからでも目立つよう榎など木々が植えられていました。この付近にあった一里塚は、江戸から八番目のものず。
上方見附跡
 保土ケ谷宿の京都(上方)側の出入口となる上方見附は、保土ケ谷郷土史によれば外川神社の前にあったとされています。見附は、土盛をした土塁の上に竹木で矢来を組んだ構造をしており、「土居」とも呼ばれています。この上方見附かせ江戸方見附までは、家屋敷が街道に沿って立ち並び、「宿内(しゅくうち)」と呼ばれています。


『今井川地下調節池』てなーんだ?
 この広場の地下約60mの深さのところには、直径10.8mのトンネルが掘られています。また、この広場のまわりには、この大きなトンネルに大雨の時に、この水を落とし込むための『取水施設』があります。トンネルや排水施設、取水施設などをあわせて『今井川地下調節池』と呼んでいます。
今井川地下調節池って、なんのための施設ですか?
 昭和30年代から急激に進んだね都市化のためにおこった浸水被害を防止するための施設です。
 今井川流域に降った大雨がそのまま下流に流れてゆくと、下流の方で川の水が溢れ出て水害になります。そこで、地下に掘ったトンネルの中に川の水の一部を落として貯めね下流に流れていく水を少なくして水害を防ぎます。
 トンネルに貯められた水は、雨が小降りににり川の水が少なくなり始めたら、地下にあるポンプで今井川に汲み上げます。
どんな大きさの施設ですか?
60m下の地下トンネルの
  直径(内径)          10.8m
  延長            2,000m
  貯留量(貯められる水の量) 178,000㎥
取水施設の堰の長さ        80m
工事はいつからいつまでかかったの?
 平成5年から平成16年までの10年以上の年月をかけて工事しました。
ここの施設はなんですか?
 ここの施設は、今井川の水が増えたときに地下のトンネルへ水を取り込むための『取水施設』です。
 増えた川の水は、右側の壁を乗り越えて下の落ち、『沈砂池』をとおり、含まれている砂などを取り除かれて、地下のトンネルに貯められます。


 以下、本日、その他の撮影です。

【参考】
 ゲジ Thereuonema tuberculata
 サンゴジュ Viburnum odoratissimum
 コイ Cyprinus carpio(南北橋)
 アオサギ Ardea cinerea
 ヒヨドリジョウゴ Solanum lyratum
 アレチウリ Sicyos angulatus
 ケヤキ Zelkova serrata (横浜市指定名木古木 No.48075)
 湯殿山供養塔(外川神社)
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 コサギ Egretta garzetta
 道祖神:保土ケ谷区今井町533
 馬頭観音:法泉境木自治会館
 庚申塔/堅牢地神塔:保土ケ谷区権太坂1丁目2-4
 狩場第一トンネル
 夕景

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