月別アーカイブ: 2018年12月

第60回神奈川県高等学校合唱祭

 本日、茉莉花の所属する合唱部が合唱祭に参加、絵梨花と二人で鑑賞してきました。撮影禁止なので写真は会場となった鎌倉芸術館の外観だけです。
 大船駅から会場に向かう途中で見かけたローズマリーによく似た花は、香りのない別種で、昨年の春にも横浜で見かけました


参加曲:
 ♪ どこまでも~How Far I’ll (女声2部合唱) 【『モアナと伝説の海』劇中歌
   Lin-Manuel Miranda/高橋知伽江(訳)作詞、Lin-Manuel Miranda作曲 西條太貴編曲
 ♬ 荒れ野の果てに:讃美歌106番 (女声斉唱)
 ♫ そりすべり (女声4部合唱)
   Mitchell Parish 作曲 Leroy Anderson 作曲、野渡恵子編曲
【参考】 
オーストラリアン・ローズマリー Westringia fruticosa

冬の鷹取山

 天気予報では曇り。でも、朝から雨模様でしたので、午前中で家に戻りました。今年の落ちないお守り(ヤマコウバシの葉)は6枚限定作成です。

【参考】
 サザンカ Camellia sasanqua
 マサキ Euonymus japonicus
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 クレマチス類(?) Clematis spp.
 鷹取公園
 フヨウ Hibiscus mutabilis
 オオモミジ Acer amoenum
 ノアサガオ Ipomoea indica
 弥勒磨崖仏
 アジサイ Hydrangea macrophylla
 ウツギ Deutzia crenata
 カラスザンショウ Fagara ailanthoides
 虹
 前浅間方面を望む
 ハナシュクシャ Hedychium coronarium
 コセンダングサ Bidens pilosa var. pilosa
 ヤブツバキ Camellia japonica
 ヤマコウバシ Lindera glauca
 ウバユリ Cardiocrinum cordatum
 ヤブラン Liriope muscar
 イロハモミジ Acer palmatum
 キク Chrysanthemum spp.
 首切り観音
 カキノキ Diospyros kaki
 マンリョウ Ardisia crenata
 雷神社

聖地巡礼-20181216

 家内は仕事があるというので、今日は双子と大宮の実家を、そして帰り道には門前仲町を尋ねました。

 娘たちによりますと、門前仲町はバンダイナムコが開発した育成シミュレーションゲーム『アイドルマスター SideM(サイドエム)』の舞台であり、門前仲町商店街では、期間限定でSideMコラボの飾りつけをしているとのことです。加えて、ゲーム中で芸能プロダクション『315(サイコー)プロ』の事務所がある事になっているバンダイナムコスタジオ前、登場キャラがジョギングするという墨田川河川敷などの、聖地(?)を巡りました。
 ターゲットは異なるものの、父にとっては巨樹を訪ね歩くのと同じ感覚で楽しめた一日でした。

WordPress 5.0(bebo)リリース

 一昨日(2018.12.6)から、WordPressのバージョンが、5.0(コードネーム:bebo)となり、エディタが新しくなりました。新エディタGutenbergは、各パーツをブロック管理できるとの売りで、一見、便利そうではありますが、直接タグを書いても勝手に書き換えてくれるので、実際のところあまり便利とは思えません。細かい設定はエディタに任せてしまえば良いのでしょうが、慣れるのにしばらくかかりそうです。
–> やはり、いらんことしいのGutenbergは好きになれません。率直に言って鬱陶しく、精神衛生上も好ましくありませんので、Classic Editorをプラグイン導入して、使うことにしました。(2018.1.4)

栄区、港南区の名木古木を巡って-20181208

 今日は杉田を起点に大船まで歩いてみました。
【主な経路】
(杉田駅)-浄念寺-長光寺-大誓寺-三嶋神社-飯島市民の森-長沼八幡社-正安寺-八坂神社-田谷御霊社-(大船駅)


【マキ:蔵王山正定院浄念寺】港南区野庭町1843
浄土宗寺院浄念寺のイヌマキです。よく目立ちますし、樹勢も旺盛でした。


【クロガネモチ:菅谷山医王院長光寺】栄区小菅ヶ谷4丁目1-27

 何度か訪れたことのある長光寺のクロガネモチの雌樹です。『長光寺のなんじゃもんじゃ』として知られるそうです。「なんじゃもんじゃ」というのは樹種がわからない樹を仮に呼ぶときの名称ですが、雌樹で赤い実も顕のこの樹がなぜなんじゃもんじゃなのかについては不明です。


【ザクロ、サルスベリ、イロハモミジ:西光山普應院大誓寺】栄区小菅ヶ谷3-46-13

 小菅ヶ谷の大誓寺には3本の登録木があり、ザクロとサルスベリは樹齢420年を超えるそうです。イロハモミジは推定樹齢120年とさほど古い木ではありませんが、丁度紅葉の時期を迎えていました。


【スダジイ:三島神社】栄区飯島町2146

 三嶋神社のスダジイは、主幹が失われていました。


宗教法人 三嶋神社
鎮座地
御祭神 大山祇神 天照大神 大國主命
例祭日 九月十五日
当社は、元和元年十二月十三日創建と稱され飯島村の鎮守として崇敬されて来た。
明治四十二年七月十四日附け神奈川県指令第三一三〇号を以て許可を得、無格社神明社及び同子之神社の両者を合併せり。
社格の沿革 明治六年十二月村社に列せられ大正十五年九月十四日神奈川県告示第三八三号を以て神饌幣帛料供進社に指定せらる。
社殿工作物 拝殿幣殿大正元年建造。昭和四十年瓦屋根に改造す。
鐘楼 鐘は明和元年鋳造であったが大東亜戦争の為撤廃を受け、昭和十九年供出す。
石灯龍 元治初年建造大正十二年関東大地震には左基は倒壊し、傘及び火袋は破損す。昭和二年修理復元す。
鳥居 大正元年建造昭和二十五年修理し、昭和五十三年同形で鉄材により改造し現在に至る。
幟枠幟竿 昭和十二年新調す。
太鼓橋 参道左右水田の埋め立てが進み、昭和四十四年盛土工事の際撤去す。
樹木明治四十二年記録に社地中老松五株あり。蓋し四百年餘の餘のものなりと有り。この松も台風で倒れ、害虫の被害を受け昭和四十六年には姿を消した。
銀杏 大正四年昭和四年境内に植える。(御大典記念)
昭和五十六年九月吉日
氏子中


【ツバキ、ヒイラギ:飯島市民の森】栄区飯島町

 市民グラフヨコハマ115号によれば、飯島市民の森にツバキ1株、ヒイラギ3株のあることになっています。銘板は設置されていませんが、恐らく白旗の森広場にある祠の周囲の木々がそれだと思います。この森にもタイワンリスが多数生息していました。


【ケヤキ:長沼八幡社】栄区長沼町775

遠くからもよく目立つケヤキが2本、境内の由緒書きによれば、これも名木古木に指定されていました。


長沼八幡社由緒
祭神 第十五代 應神天皇
社殿 相之間造り(拝殿入母屋造り)
鉄筋コンクリート銅板葺
境内坪数 二五八坪
鎮座地  横浜市栄区長沼町字改正七-七七五
例祭日 九月十五日
昭和二十年第二次世界大戦前大部分の氏子が農民であった頃古来は九月十八日であったが戦後社会制度や国民の生活様態が変化して祝祭日でないと例祭行事に支障をきたすまで氏子で協議の結果変更する。
由緒沿革
慶長十年(一六〇五年)四月の創建で古来は長沼の鎮守であった。新編風土記稿に(八幡宮村の鎮守なり祭禮九月十八日金戒寺持)とある如く古くは八幡宮の称せられ金戒寺が別当であった。古来の社殿は総欅造りの荘厳な造営であったが、社殿の損傷が激しく昭和四十八年に御造営の内相談が始まったが、昭和五十年九月二日夜半不審火の災禍にあった。不幸中幸いにも近隣の氏子への延焼がなかった事は有難いことであった。氏子崇敬者は早速対策を協議建設委員会を組織し、万難を排し氏神への奉仕の誠を捧げ建設にあたった。社殿建設と同時に境内の石段のぼり竿を建立。
竣工式遷座祭 昭和五十二年九月十日斎行
建設費 氏子及び崇敬者の浄財により
総工費 二千四百七十万円
社殿石段のぼり竿施工 株式会社吉森工作所
追録
 境内の欅は凡そ三百八十年の古木で横浜市の名木古木第五一九号第五二〇号と昭和四十九年度指定を受ける。
昭和五十四年十月台風二十号により境内傾斜地崩壊する。南側擁壁は急傾斜崩壊危険区域に指定され、県の予算で昭和五十七年に完成。北側擁壁は横浜市により交通災害施行工事として昭和六十年に完成。
昭和六十二年九月吉日建立 氏子中


【イヌマキ:長沼山正安寺】栄区長沼町636

 きれいに掃き清められた境内で、元気に生育しているイヌマキです。


【スダジイ:八坂神社】栄区金井町1431

 横浜市のウェブ情報で、金井町1431にあるとされるスダジイはこの木と思われます。


【ケヤキ:田谷御霊社】栄区田谷町1506

 本日最後は、田谷御霊社のケヤキです。主幹が失われ、樹勢はあまりよくないようです。いずれ展葉期に再訪したいと思います。


田谷御霊神社のしおり(現地配布資料より転載)
祭神:鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)
縁起:桓武天皇の曽孫高望王の五男平良文が東国平定に際して関東に至り、今の藤沢市宮前の村岡に居を構え、京極御霊宮を祀ったと伝えられています。良文の玄孫(やしゃご)村岡影政の時、村岡御霊宮は関東平氏五家(鎌倉市氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏)の始祖を祀るようになり、鎌倉時代になると執権北条時頼の命により村岡御霊社に影政(鎌倉権五郎景政)を合祀し、祭神としました。村岡御霊宮は後に十三社に分霊、勧請されて周囲の郷の五霊神社、御霊神社として祀られました。
田谷御霊社はその一つで、鎌倉時代から祭神を鎌倉権五郎景政として田谷の地で祭祀しれてきました。
社殿の傍らに祀る天照大神と日吉神社の祠は、大正12年村社昇格の際、遷座合祀されました。
建物:社殿の中宮は、天保5年(1835年)に改築された総欅材の精緻を尽くした社殿造りの貴重な建物です。拝殿は明治30年(1897年)に改築され、竣工式は4月23日に挙行されました。棟梁は鎌倉市大町の宮内三衛門です。
土地は旧田谷町十三塚1506番地、面積392坪で太平洋戦争後無償払下げを受けています。
境内には市指定天然記念物などの老樹が多く、ことに以前は社殿の背後左に樹齢数百年を経た杉の大木があり、藤沢の材木商に払下げました。その杉の一部で御霊社の扁額が記念に寄進されましたが、所在不明です。
鎌倉権五郎景政:
村岡影政は後三年の役(1083~1087)に源義家に従い16歳で出陣し、戦いで影政は左目を敵に射られながらも屈することがなく、射手を倒して帰還しました。左目に突き刺さった矢を抜こうと三浦平太為継が影政の顔に足をかけたところ、影政は横たわったまま刀を抜き、為継の鎧のくさずりをとらえて上げざまに突こうとしました。思いがけない事態に為継が驚くと、影政は「弓矢に当って死するは武士の本望なり。それを足で面部を踏むとは何事ぞ。汝を敵として我ここで死なん。」い言いましたので、為継は自分の行為を謝り。膝をつき顔を手で抑えて矢を抜いたということです。
影政は平安時代後期の1100年代初頭には鎌倉阪ノ下に住んで鎌倉権五郎と称し、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭氏らの鎌倉武士団を率いて、当時は野原であった現在の湘南地方一帯の開墾、地域開発を促進しました。
このような武勇と知略の伝承から、鎌倉権五郎景政を祭神とする御霊神社は悪疫や災厄を鎮め、学業成就、必勝招来、志の成就などがかなえる神徳があるとして祀られて来ました。
祭礼:
初詣 元旦
祭礼 9月第2土曜日(宵宮)、第2日曜日(本宮)
かつては鎌倉権五郎景政の命日の前日の9月17日が本宮でしたが、時勢に合わせて変更となりました。
鎌倉周辺の御霊神社:
湘南を中心に神奈川県内に鎌倉権五郎景政を祭神とする同系統の神社が多数存在します。鎌倉周辺の主な御霊神社は次のとおりです。(祭神が替わって名称が替わった神社、鎌倉権五郎景政を祭神としていない御霊神社は除きます。)
村岡御霊神社 藤沢市宮前560 (江ノ島バス・村岡宮前下車)
川名御霊神社 藤沢市川名656 (JR藤沢駅から徒歩20分)
坂ノ下御霊神社 鎌倉市坂ノ下4-9 (江ノ島電鉄長谷駅下車徒歩5分)
梶原御霊神社 鎌倉市梶原1-12-27 (湘南モノレール湘南深沢駅下車)
長尾御霊神社 横浜市栄区長尾台町372 (神奈中バス・宮の前下車)
田谷御霊神社(田谷御霊社) 横浜市栄区田谷町1506番地
公田御霊神社 横浜市栄区公田町445-6 (JR本郷台駅下車、徒歩16分)
汲沢五霊神社 横浜市戸塚区汲沢町1273 (JR戸塚駅下車、バス10分五霊神社下車)
深谷御霊神社 横浜市戸塚区深谷町1026 (JR戸塚駅下車、バス10分御霊神社前下車)
中田御霊神社 横浜市泉区中田北3-42-1 (市営地下鉄中田駅下車)

(平成30年9月作成、参考資料:田谷町内会会員名簿、戸塚区郷土史、戸塚の散歩道、他)


横浜市指定名木古木

No.48068 マキ(蔵王山正定院浄念寺)
指定番号不明 クロガネモチ(菅谷山医王院長光寺)
No.48202 ザクロ(西光山普應院大誓寺)
No.48203 サルスベリ(西光山普應院大誓寺)
No.48204 イロハモミジ(西光山普應院大誓寺)
No.49521 スダジイ(三嶋神社)
指定番号不明 ツバキ(飯島市民の森)
指定番号不明 ヒイラギ3株(飯島市民の森)
No.49519、No.49520 ケヤキ(長沼八幡社)
No,49518 イヌマキ(長沼山正安寺)
No.49522 スダジイ(八坂神社)
No.49524 ケヤキ(田谷御霊社)

【迎陽隧道】

迎陽隧道の由来
明治四十年、上野庭ハ、峻険ナル坂道相続キ、且ツ屈、甚ダシク、車馬ハ勿論徒歩ニ於テスラ、困難オキワメ、隧道掘削ヲ決意地元民総出デ開鑿シタ。当時機械力モナク総テハ、手堀ニ依ルモノデアッタ。大正四年秋、隧道口崩壊防止工事完成ノ時、迎陽隧道ト名ヅケラレテ、今月二至ッテ居ル。
近年交通量ノ増大二伴イ、災害防止ノ為、横浜市ハ、改修二着手シ、昭和五十三年八月、コレオ完成スル。
昭和五十三年八月
上野庭町内会文化部


【上野庭の庚申塔と堅牢地神塔】


【新橋延命地蔵尊】小菅ヶ谷3丁目64

光誉浄春禅定門、正保四丁亥年十月三日 施主田中
四の字の次の字が不明ですが。正保四年(一六四七年)は、ひのといの年ですので丁亥の二字を入れました。
嘆誉栄讃禅定尼 慶安三庚寅年正月廿一日
安の上の字と三の次字が不明ですが、年号表によると正保の次が慶安ですので慶の一字を、慶安三年(一六五〇年)は。かのえとらの年ですので庚の一字を入れました。又御戒名も判然としておりませんが、小菅ヶ谷、大誓寺にのこる過去帳の廿一日の欄の古い多くの御戒名の最初に記されております。
施主田中とありますが、田村家の旧姓は田中で、明治時代田村に改姓したと聞いており田村家の遠い祖先です。県下で二番目に古い石地蔵と云われており、前山のやぐらに昔からありましたのを、平成九年三月にこゝに移しました。
平成九年三月吉日 施主 田村三郎 リカ子


【春日神社】栄区小菅ケ谷3丁目57-17

 石鳥居の脇に庚申塔、本殿に至る途中の境内社は弁天様なのでしょうか。ここには庚申塔と双体観音(?)の石仏があります。境内には大木が沢山あって、横浜市指定の天然記念物となっています。本殿脇の覆殿には、向って左から稲荷社、八幡社、神明社、白山社が合祀されていました。


春日神社と龍光院 旧小菅ヶ谷村社
春日神社は、古く本郷六村の総鎮守であったと伝えられ、天児屋根命(あめのこやねのこみと)外三柱の神を奉斎し、末社には、神明(桂・公田)八幡(鍛冶ヶ谷)、白山(上郷)、稲荷(中野)の本郷各村の村社がある。
「新編相模風土記稿」によれば、永禄8年(1565年)に、小田原北条氏の公田の地頭職であった宇部左京亮(うべさきょうのすけ)の子息、宇部松菊丸(うべまつぎくまる)が再建したといい、社伝にもこれを伝えている。しかし、春日神社の総社である奈良の春日大社は、奈良時代初期の創建で、藤原氏の氏神と祖先神が祭られており、平安時代を通じて藤原氏の拡大発展とともに全国に流布され、藤原一族支配の地域神として、村社・鎮守・総鎮守となったという。本郷の地は平安時代、山ノ内荘本郷といわれた。山ノ内荘は柏尾川流域を経営した秀郷流藤原氏の名族、山内首藤(やまうちすどう)氏の荘園である。本郷は奈良朝尺度郷(さかどごう)の中心地であり、山ノ内荘の中心的穀倉地帯であることを考えると、この春日神社は、山内首藤氏により創建されたとするのが自然である。
山内首藤氏は荘園領主であるばかりでなく、在地武士団でもあり、源義家(よしいえ)以来、源氏と深く関係していた。山内俊通(やまうちとしみち)とその子俊綱(としつな)は、保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)の折、源義朝の挙兵の折は俊通の次男経俊(つねとし)が頭領であり、当然頼朝を援けると思われたが、頼朝方弱小とみて平家方に味方した。このため後に鎌倉に入府した頼朝は経俊を捕らえ、山ノ内荘を土肥実平(とひさねひら)にあずけ、後に和田義盛に与えた。このため、崇敬の中心山内首藤氏を失った春日神社は、次第に衰亡したものと考えられる。戦国時代の末、新しく小田原北条氏から「本郷公田(ほんごうくでん)」の領主に任ぜられた宇部氏は、周辺に威勢を振るう政策の一つとして、春日神社とその別当寺の龍光院(明治に廃寺となる=現在は、春日神社社務所)を再建し、その昔の総鎮守の力を示すため、当時の本郷各村の村社を末社として記録したと考えられる。要するにこの春日大社は伝えられるよりは、はるかに古い平安時代の創建と考えられる。
平成2年3月


【笠間稲荷社】栄区飯島町


 その他本日撮影の写真です。


【参考】
イヌマキ Podocarpus macrophyllus
クロガネモチ Ilex rotunda (雌)
ザクロ Punica granatum
サルスベリ Lagerstroemia indica
イロハモミジ Acer palmatum
スダジイ Castanopsis sieboldii
ツバキ Camellia japonica
ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
ケヤキ Zelkova serrata
ヒマラヤスギ Cedrus deodara
カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
ツタ Parthenocissus tricuspidata
イチョウ Ginkgo biloba
横浜港南台教会:港南区港南台7丁目8-29
キク Chrysanthemum spp.
ヤマノイモ Dioscorea japonica
フヨウカタバミ Oxalis variabilis
ネリネ Nerine spp.
サカキ Cleyera japonica
カクレミノ Dendropanax trifidus
トネアザミ Cirsium comosum ver. incomptum
フユザクラ Cerasus x parvifolia ‘Fuyu-zakura’
タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis
ハゼノキ Toxicodendron succedaneum
メキシコハナヤナギ Cuphea hyssopifolia
アレチウリ Sicyos angulatus

HDDを換装(4+6TB -> 4+10TB)

 前回のセカンドドライブ換装から4年経ち、10TBドライブの価格が落ち着いているようなので、この機に換装してみました。前回利用したお手軽クローニングに失敗したため、今回はブートドライブ(4TB)と3TBx2台の外付けドライブの空き領域を介して、ほぼ一週間かけてのお引っ越しとなりました。

 購入したのは、Western Degital社のWD RED 10TB(写真の右)で、Seagate社のIron Wolfとどちらにするか半年以上に渡って悩んだのですが、以下の理由でWD REDに決定しました。
【選定理由】
1) 低振動
 Iron Wolfは、NAS用なので振動対策が施されています。しかし、自身が振動してしまっては、他の内蔵機器に悪影響を与えかねません。ウェブに公開されていた比較テストでIron Wolfより振動が少ないとの報告のあったWD REDを選んだというのが、一番の理由です。
2) 価格も手頃
 Iron Wolfならば、後5,000円出せば、12TBモデルが手に入ります。しかしながら、4,000円/1TBが一応の目安と考おり、WD REDもこの価格を切ったので、決断しました。
3) (10TBでは唯一の)5400rpmモデル
 2年くらい前から出揃ってきた10TBモデルですが、WD REDを除くと回転数が全て7200rpm以上になっています。勿論、回転数が早ければ読み書きは早くなるのですが、発熱、延いては耐久性の点で不利になります。流体軸受け、ヘリウム充填という条件が同じであれば、回転数の低い方を選びたいと考えました。今年度末から来年度にかけて、MAMR(マイクロ波アシスト記録)とHAMR(熱アシスト記録)の技術投入ににより、さらに大容量化が予定されているHDDですので、今後は大容量化に伴う高速化は避けられないのだと思います。低速な5400rpmのモデルはこれが最後になるのではないかと推測したことが三つ目の理由です。
4) ブランドの統一
 大した理由ではないですが、現在のブートドライブがWD REDだったことも一因です。IBMがHDD事業から撤退してからはSeagate社製メインに組んでいた時代もあるのですが、最近では高速性より安定性重視です。因みに外付けドライブもWD REDとWD BLUEの2台入りで、いずれも5400rpmです。RAIDドライブの方は、まだSeagate社製ディスクも残っています。

【現在の主なスペック】
DELL XPS8910 (税込¥134,978、2016/11/19)
CPU:第6世代インテルCORE i7-6700(4.0GHz,8MBキャッシュ)
OS:Windows10 Pro 64-bit –> Windows11 Pro 64-bit(2021/6/29)
実装メモリ:DDR4 2133MHz SDRAM 16GB
グラフィック:NVIDIA GeForce GTX 750Ti (2GB GDDR5グラフィックメモリ付き)
光学ドライブ:トレイロード式内臓DVDスーパーマルチドライブ
モニタ:DELL ST2220Tタッチモニタ (税抜¥33,600、2012/1/14)

【現在の内蔵ドライブ構成】
HDD EFIブートドライブ:WD RED 4TB (税込¥14,208、2016/12/21)
HDDセカンドドライブ:WD RED 10TB (税込¥39,602、2018/11/28)

【主な外付け構成】
ブルーレイドライブ Pioneer BDR-XS06J(税込¥14,829、2018/11/25)+ACアダプター DCA-003 (税込¥3,387、2018/11/26)
プリンタ&スキャナ EPSON EP-879AR (税込¥26,904、2016/11/19)
トラックボール LOGICOOL SW-M570 (税込¥6,000、2015/7/26)
トラックボール LOGICOOL TrackMan Marble FX (税抜¥12,000、1998/4)
USB接続RAIDケース(HDD2台用) RATOC Systems RS-EC32-U3R (税込¥6,950、2015/8/30)
WD RED 3TB WD30EFRX (税込¥13,980、2015/8/30)
WD BLUE 3TB WD30EZRZ/AFP (税込¥9,530、2017/2/8)
【参考】
TeraStationを換装 (2017/2/11)
パソコンを更新 (2017/1/1)
HDD換装 (4TB->8TB)(2014/9/20)
本日、移設 (2014/3/2)

くりはま花の国へ-早咲きのツバキと県木見本園

いつまでも暖かい今年の冬ですが、そろそろツバキも咲き始めたころと思い、くりはま花の国のツバキ園を訪ねてみました。
【本日の主な経路】
(京急久里浜駅)-久比里若宮神社-JR久里浜駅-久里浜八幡神社-御瀧神社-久里浜天神社-くりはま花の国-住吉神社-ペリー公園-(京急久里浜駅)


ヤブツバキ Camellia japonica
中部白鶴
玉霞
八朔絞
桜葉源氏椿
八重侘助
チャイナ・レデイ
風折(かざおれ)

白露錦
遠房(とおぶさ)
白牡丹咲錦魚葉椿(しろぼたんざききんぎょばつばき)
白玉絞り
数寄屋侘助
白侘助
タイワンツバキ Gordonia axillaris
サザンカ Camellia sasanqua
寒椿
立寒椿


【県木の広場】:くりはま花の国
花の国には、都道府県木の見本園があります。


01北海道 エゾマツ Picea jezoensis
02青森  檜葉(ヒバ) Thujopsis sp., 県の花:リンゴ(セイヨウリンゴ) Malus pumila
03岩手  南部赤松(アカマツ) Pinus densiflora
04宮城  ケヤキ Zelkova serrata
05秋田  秋田杉(スギ) Cryptomeria japonica
06山形  サクランボ(セイヨウミザクラ) Cerasus avium
07福島  ケヤキ Zelkova serrata
08茨城  ウメ Armeniaca mume
09栃木  トチノキ Aesculus turbinata
10群馬  クロマツ Pinus thunbergii
11埼玉  ケヤキ Zelkova serrata
12千葉  イヌマキ Podocarpus macrophyllus
13東京  イチョウ Ginkgo biloba
14神奈川 イチョウ Ginkgo biloba
15新潟  ユキツバキ Camellia rusticana
16富山  立山杉(スギ) Cryptomeria japonica
17石川  阿天(アテ)(アスナロ) Thujopsis dolabrata
18福井  マツ Pinus sp.
19山梨  カエデ Acer sp.
20長野  シラカバ Betula platyphylla
21岐阜  イチイ Taxus cuspidata
22静岡  モクセイ Osmanthus fragrans
23愛知  ハナノキ Acer pycnanthum
24三重  神宮杉(スギ) Cryptomeria japonica
25滋賀  モミジ Acer sp.
26京都  北山杉(スギ) Cryptomeria japonica
27大阪  イチョウ Ginkgo biloba
28兵庫  クスノキ Cinnamomum camphora
29奈良  スギ Cryptomeria japonica
30和歌山 ウバメガシ Quercus phillyraeoides
31鳥取  大山伽羅木(ダイセンキャラボク)(キャラボク) Taxus cuspidata ver. nana
32島根  クロマツ Pinus thunbergii
33岡山  アカマツ Pinus densiflora
34広島  モミジ Acer sp.
35山口  アカマツ Pinus densiflora
36徳島  ヤマモモ Morella rubra
37香川  オリーブ Olea europaea
38愛媛  マツ Pinus sp.
39高知  魚梁瀬杉(ヤナセスギ)(スギ) Cryptomeria japonica
40福岡  ツツジ Azalea sp.
41佐賀  クスノキ Cinnamomum camphora
42長崎  ツバキ Camellia japonica、ヒノキ Chamaecyparis obtusa
43熊本  クスノキ Cinnamomum camphora
44大分  ブンゴウメ Prunus mume var. bungo
45宮崎  フェニックス(カナリーヤシ) Phoenix canariensis
46鹿児島 海紅豆(カイコウズ)(アメリカデイゴ) Erythrina crista-galli、クスノキ Cinnamomum camphora
47沖縄  リュウキュウマツ Pinus luchuensis
横須賀 オオシマザクラ Cerasus speciosa


【(久比里)若宮神社】久比里1丁目4-8


久比里の鎮守若宮神社です。八雲神社、稲荷神社、他多数の境内社があります。鶴岡八幡宮若宮を勧請したとの記載があり、祭神は八幡神(応神天皇)の子である第16代仁徳天皇です。御神木のイチョウはこの界隈ではかなりの巨木と思われます。


社殿改築記念
鎮守若宮神社御祭神は仁徳天皇に座します。享禄四年(1531年)千葉之介常胤の後裔臼井宗左エ門尉なるもの鎌倉より源家の旧縁により鶴岡若宮明神を奉戴して此地に移住し當社を建立し以て氏神となし崇敬奉祀す。尓来氏子の崇敬益々厚く常に社宇の廃頽を憂ひ屢々(是?)が改築を為し現に慶長十六年及寛永六年正保二年の御造営の棟札を存す。殊に旧社殿は明和七年の建造に係り其荒廃甚しく氏子一同之を恐擢し、大正四年村社に列格の際改築の議起り爾来資金を蓄積し今日に至り機漸く熟し茲に全く社殿の改築共に境内整理の完成を告ぐ。依て之を永遠不朽に傳へんとて此の碑を建つ。
昭和十年八月         社掌 感見彦治謹誌


御社殿再建記念
昭和五十八年五月二十日の深夜、先人達が永年蓄財して建立した総欅造りの御社殿を不審火により焼失しました。火中御神体を救出して、西叶神社に無事遷し奉りました。これを励みとした氏子並びに崇敬者の早期再建の願いに応えて、町内の有志、七百余名の浄財を受けて、昭和六十年六月竣工七月六日遷座、翌七日神社本庁より献幣使が参向し竣工奉祝大祭を斎行しました。僅か二年の短期間で再建が叶ったことは、当神社の御神威と崇敬者各位の総力の賜ものです。その他、神輿二基及び参道などの工事を実施し、更に篤志の方々より鳥居二基の奉納を受けて再建事業を完了しました。 茲に碑を建て記念します。
昭和六十二年一月吉日     若宮神社 宮司 感見 武
再建委員会


宝暦七丁丑年三月に建立されたこの鳥居は二百三十年の歳月で風化し且つ柱が折損して崩壊の虞があったので、御社殿再建を記念してこれを建て替えて旧社号額および柱の一部を此処に移して保存します。
昭和六十一年十月吉日
鳥居奉納者一同


【不明の社】久比里1丁目3-3


【太刀花稲荷】久比里1丁目2-7


【久里浜八幡神社】久里浜2丁目17-9


拝殿に向って左に豊川稲荷、右側に伏見稲荷の境内社がある他、国津神である猿田彦大神碑、近年造られた海軍工作神社もありました。


八幡神社御由緒
御祭神   応神天皇
配祀御祭神 天照大神  素戔嗚尊
大物主大神 大山衹大神
菅原道真公

縁起
日本書紀が書かれた養老四年(七二〇)当時の武人たちによって創建されたと伝えられております。
応神天皇は仲哀天皇と神功皇后との間の皇子西暦二三九年第十五代天皇であり、大和国と九州を統合し、日本の統一国家の基礎をつくり、その治世に新しい産業文化の育成を図られ、技術導入にも御熱心であったことから、先取的な事、発展的な事に御利益があるとされ、お祀りされております。
当神社境内から弥生式土器が出土しているので古墳が点在していたことが立証されます。
特に前方後円墳(たで原遺跡)の発見は当時有力な豪族のもとで稲作が行われていたと思われ、たで原と八幡地区が生活の中心であり最も栄えたといわれます。
天正十八年豊臣秀吉は天下統一の最後の小田原攻めにより三浦の北条氏を滅ぼし鶴岡八幡宮に祈願し、栗浜(現久里浜)八幡神社には米三石を寄進され、徳川歴代将軍もこれにならい継承し武運長久祈願に武具などを奉納し幕府の直轄地(天領)と定め米三石、社領約千余坪の御朱印を賜りました。
その後明治三十一年黒田内閣により「八幡宮」の御名を賜り大正年間神饌幣帛料供進神社に指定、第二次世界大戦後、日本国憲法の制定により戦前の神道が廃止され、御社名がもとの八幡神社と称して今日に至っております。


海軍工作学校跡:久里浜公園
建設之趣旨
昭和四十六年此の地に建設された海軍工作学校は従来工機学校の一分科であった2作科が始めて独自の教育機関を持った画期的なもので、その後更に沼津分校の設立にまで発展して行ったのであります。その間、数万の学生、練習生に工業技術(金工、木工、潜水)教育を施し大きな成果を挙げました。
此の学校を卒業した若者或は職員として深いゆかりのあった、工作科関係の多数の人達が太平洋戦争に殉じ尊い生命を捧げ、北海の果て又は南冥の戰場に散華されましたことは誠に痛恨に堪えません。戰後復員した者達は、本校等で習得した技術と旺盛な精神力を夫々の分野に於て発揮し祖國復興に大きな役割を果し、平和日本建設の原動力となってものと確信致します。
今此の母校後に祈念の碑を建設し、謹んで海軍工作科関係戰歿英霊のご冥福をお祈りするとともに此の地を訪れる卒業生、遺族並びに関係皆様が當時を偲ぶよすがとし、永くさの業績を称えたいと念願するものであります。
昭和五十二年三月           發起人一同 謹書


【(久村)稲荷大明神】久村655
小さなお社ですが、由緒不明の境内社もあります。


【御瀧神社】久村535


御瀧神社の由来
一、祭神 滝口五郎盛定 速玉男命
相殿 天照大神
二、例祭 九月十八日 (現在八月第一土・日曜日)
滝口盛定は、民部大輔藤原盛重の子として成長し白河天皇に仕え、その後高尾山に登って入道した。
盛定は、後三浦党の幕賓となって平作に居住していた。
その郎党、捨平は、盛定が高尾山の神護寺に参詣してり帰り道拾い上げ養育されていたが、成長するに従い慢心がつのり、主名に逆らって手打ちになるところを海雲和尚の命乞いにより救われた、伴われて久村の草庵に帰り行を修めた。
ある日、捨平が老桜にからむつるを抜き取ると清泉が湧き出て瀧となって流れ落ちた。以前から、水不足で苦しんでいた久村郷民は救われたのである。捨平は新田を開発して名主に挙げられ。瀧本盛兼と名乗った。
この清泉の神木老桜が枯れたおり、盛兼は済戒沐浴の上そのむ神木をもって恩主瀧口盛定の像を彫り祠を建て水神として祀り御瀧権現と称へたとの口碑である。
これが久村の鎮守と崇められた。併せて文治年間開創記との伝えもある。
明治六年六月に村社に列せられ同四十一年十月左記神社と合祀した。
神明社 祭神 天照大神 (由緒不明)
久村町内会


【通信学校神社】久里浜2丁目3-15
亀養山長安字の境内社です。由緒書きなどはありませんでしたが、久里浜八幡神社の境内に座す海軍工作神社と同趣旨で明治の頃に造られた社の様です。


【久里浜天神社】久里浜5丁目19-3
イオン久里浜店の隣に座す天神様です。御神木のケヤキは、推定樹齢300年とのことで、主幹は失われているもののまだまだ元気の様です。拝殿脇の梅の木の洞から芽生えたヤマウルシの色づいていた葉が印象的でした。


天神社 由緒
一、鎮座地 横須賀市久里浜五-十九-三
一、御祭神 菅原道真公
一、相殿神 天照皇大神 八雲大神(須佐之男命)
一、境内社 稲荷社 祖霊社
一、例祭日 八月二十五日(今は十日に近き土、日曜日)
一、由緒沿革
社伝によれば大阪の義人砂村新左衛門、官許を得て往古は入海(いりうみ)なりし内川入江一帯の広漠たる葦原を開墾し、一村を作らんと「内川新田」開発の志を立てしが工事容易ならず。茲に神明の加護を待つべしと悟り、万治元年(一六六〇年)六月、郷里なる摂州西成郡上福島村の天満宮を勧請し、内川新田鎮護の神として、此の地ら奉斎したのが創祀である。
爾来、人々篤く崇敬し。世を豊饒なる一村を興す。諸人神慮の広大無辺なるを奉謝し今日に至る。
現在の当社は、広く三浦半島全域に鎮座する八十余りの神社の内菅原道真公を主祭神として祀る唯一の神社であり、「久里浜の天神さま」と親しまれ。近郷各地よりの参詣も多い


【住吉神社】久里浜8丁目29-1
由緒書きによれば、住吉三神のうち中筒之男命を祭った神社です。他4柱は、合祀によるものでしょう。境内社は、稲荷神社と幸神社です。「幸神社」の読み方は不明ですが、「幸神」は「塞ノ神(さいのかみ)」に通じているとのウェブ情報があるようです。


ご由緒
創建
年代不詳・吾妻鏡・相模風土記、等により、約千年前と想定されます。
御祭神
中筒之男命(なかつつのおのみこと)
金山毘古神・天照大神
表筒之男命・素戔嗚尊
御神徳
禊祓(除災招福)、航海、漁業、産業貿易、和歌の祖神として仰がれ、広くあまねく崇敬されております。
例大祭
七月二十九日、現在は七月末日の日曜日に行われます。
三浦一族と源頼朝の関係(吾妻鏡による)
三浦一族の水軍の船霊として信仰され、治承四年、三浦義澄は、衣笠城々落の前夜、一 族郎党を引連れ、栗濱大明神(現住吉神社)に祈願、山頂の松に幟を立て(旗掛の松)源頼朝と共に房州に渡る。
寿永元年八月。頼家誕生に佐原十郎義連を使者として御馬を奉納。
文治元年一月、源頼朝、政子と共に参詣。
建久六年自由月、北条五郎時連等が参詣。
境内社
稲荷社・倉稲魂命・商売繁盛・家内安全
幸神社・猿田彦命・交通安全
住吉神社
奉納 (有)高橋義弘建設
奉納 萩野工務店


その他、本日撮影の写真です。


【参考】
ベニバナボロギク Crassocephalum crepidioides
ユウガギク Aster iinumae
ヒサカキ Eurya japonica
アフリカン・マリーゴールド Tagetes erecta
プラタナス Platanus sp. (JR横須賀駅前)
ツルムラサキ Basella alba
クロガネモチ(雌) Ilex rotunda (御瀧神社)
カラスウリ Trichosanthes cucumeroides
ヤマウルシ Toxicodendron trichocarpum (天神社)
ツワブキ Farfugium japonicum
富山(とみさん)(房総)遠望
クルメツツジ Rhododendron x obtusum
ゴジラ像:よこすか花の国
アジサイ Hydrangea macrophylla
ヒメウズ Semiaquilegia adoxoides
ミツマタ Edgeworthia chrysantha
フラワートレイン
コウテイダリア(皇帝ダリア) Dahlia imperialis
ホソバウンラン Linaria vulgaris
フレンチ・マリーゴールド Tagetes patula
サザンカ Camellia sasanqua
スモモ Armeniaca salicina
ケソケイ Jasminum multiflorum
オキザリスの一種 Oxalis regnellii
デュランタ Duranta erecta
ストレリチア Strelitzia reginae
サキシマフヨウ Hibiscus makinoi
キフゲットウ Alpinia Zerumbet ‘variegata’
ローズマリー Rosmarinus officinalis
ミドリハコベ Stellaria neglecta
ノアサガオ Ipomoea indica
キバナコスモス Cosmos sulphureus
スイセン Narcissus tazetta ‘Paper White’
二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
キダチロカイ(アロエ) Aloe arborescens
旧株式会社ニチロ久里浜工場跡地碑 1961~2007
ペリー記念館:ぺリー公園
ナイトバザール:追浜駅前