栄区、港南区の名木古木を巡って-20181208

 今日は杉田を起点に大船まで歩いてみました。
【主な経路】
(杉田駅)-浄念寺-長光寺-大誓寺-三嶋神社-飯島市民の森-長沼八幡社-正安寺-八坂神社-田谷御霊社-(大船駅)


【マキ:蔵王山正定院浄念寺】港南区野庭町1843
浄土宗寺院浄念寺のイヌマキです。よく目立ちますし、樹勢も旺盛でした。


【クロガネモチ:菅谷山医王院長光寺】栄区小菅ヶ谷4丁目1-27

 何度か訪れたことのある長光寺のクロガネモチの雌樹です。『長光寺のなんじゃもんじゃ』として知られるそうです。「なんじゃもんじゃ」というのは樹種がわからない樹を仮に呼ぶときの名称ですが、雌樹で赤い実も顕のこの樹がなぜなんじゃもんじゃなのかについては不明です。


【ザクロ、サルスベリ、イロハモミジ:西光山普應院大誓寺】栄区小菅ヶ谷3-46-13

 小菅ヶ谷の大誓寺には3本の登録木があり、ザクロとサルスベリは樹齢420年を超えるそうです。イロハモミジは推定樹齢120年とさほど古い木ではありませんが、丁度紅葉の時期を迎えていました。


【スダジイ:三島神社】栄区飯島町2146

 三嶋神社のスダジイは、主幹が失われていました。


宗教法人 三嶋神社
鎮座地
御祭神 大山祇神 天照大神 大國主命
例祭日 九月十五日
当社は、元和元年十二月十三日創建と稱され飯島村の鎮守として崇敬されて来た。
明治四十二年七月十四日附け神奈川県指令第三一三〇号を以て許可を得、無格社神明社及び同子之神社の両者を合併せり。
社格の沿革 明治六年十二月村社に列せられ大正十五年九月十四日神奈川県告示第三八三号を以て神饌幣帛料供進社に指定せらる。
社殿工作物 拝殿幣殿大正元年建造。昭和四十年瓦屋根に改造す。
鐘楼 鐘は明和元年鋳造であったが大東亜戦争の為撤廃を受け、昭和十九年供出す。
石灯龍 元治初年建造大正十二年関東大地震には左基は倒壊し、傘及び火袋は破損す。昭和二年修理復元す。
鳥居 大正元年建造昭和二十五年修理し、昭和五十三年同形で鉄材により改造し現在に至る。
幟枠幟竿 昭和十二年新調す。
太鼓橋 参道左右水田の埋め立てが進み、昭和四十四年盛土工事の際撤去す。
樹木明治四十二年記録に社地中老松五株あり。蓋し四百年餘の餘のものなりと有り。この松も台風で倒れ、害虫の被害を受け昭和四十六年には姿を消した。
銀杏 大正四年昭和四年境内に植える。(御大典記念)
昭和五十六年九月吉日
氏子中


【ツバキ、ヒイラギ:飯島市民の森】栄区飯島町

 市民グラフヨコハマ115号によれば、飯島市民の森にツバキ1株、ヒイラギ3株のあることになっています。銘板は設置されていませんが、恐らく白旗の森広場にある祠の周囲の木々がそれだと思います。この森にもタイワンリスが多数生息していました。


【ケヤキ:長沼八幡社】栄区長沼町775

遠くからもよく目立つケヤキが2本、境内の由緒書きによれば、これも名木古木に指定されていました。


長沼八幡社由緒
祭神 第十五代 應神天皇
社殿 相之間造り(拝殿入母屋造り)
鉄筋コンクリート銅板葺
境内坪数 二五八坪
鎮座地  横浜市栄区長沼町字改正七-七七五
例祭日 九月十五日
昭和二十年第二次世界大戦前大部分の氏子が農民であった頃古来は九月十八日であったが戦後社会制度や国民の生活様態が変化して祝祭日でないと例祭行事に支障をきたすまで氏子で協議の結果変更する。
由緒沿革
慶長十年(一六〇五年)四月の創建で古来は長沼の鎮守であった。新編風土記稿に(八幡宮村の鎮守なり祭禮九月十八日金戒寺持)とある如く古くは八幡宮の称せられ金戒寺が別当であった。古来の社殿は総欅造りの荘厳な造営であったが、社殿の損傷が激しく昭和四十八年に御造営の内相談が始まったが、昭和五十年九月二日夜半不審火の災禍にあった。不幸中幸いにも近隣の氏子への延焼がなかった事は有難いことであった。氏子崇敬者は早速対策を協議建設委員会を組織し、万難を排し氏神への奉仕の誠を捧げ建設にあたった。社殿建設と同時に境内の石段のぼり竿を建立。
竣工式遷座祭 昭和五十二年九月十日斎行
建設費 氏子及び崇敬者の浄財により
総工費 二千四百七十万円
社殿石段のぼり竿施工 株式会社吉森工作所
追録
 境内の欅は凡そ三百八十年の古木で横浜市の名木古木第五一九号第五二〇号と昭和四十九年度指定を受ける。
昭和五十四年十月台風二十号により境内傾斜地崩壊する。南側擁壁は急傾斜崩壊危険区域に指定され、県の予算で昭和五十七年に完成。北側擁壁は横浜市により交通災害施行工事として昭和六十年に完成。
昭和六十二年九月吉日建立 氏子中


【イヌマキ:長沼山正安寺】栄区長沼町636

 きれいに掃き清められた境内で、元気に生育しているイヌマキです。


【スダジイ:八坂神社】栄区金井町1431

 横浜市のウェブ情報で、金井町1431にあるとされるスダジイはこの木と思われます。


【ケヤキ:田谷御霊社】栄区田谷町1506

 本日最後は、田谷御霊社のケヤキです。主幹が失われ、樹勢はあまりよくないようです。いずれ展葉期に再訪したいと思います。


田谷御霊神社のしおり(現地配布資料より転載)
祭神:鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)
縁起:桓武天皇の曽孫高望王の五男平良文が東国平定に際して関東に至り、今の藤沢市宮前の村岡に居を構え、京極御霊宮を祀ったと伝えられています。良文の玄孫(やしゃご)村岡影政の時、村岡御霊宮は関東平氏五家(鎌倉市氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏)の始祖を祀るようになり、鎌倉時代になると執権北条時頼の命により村岡御霊社に影政(鎌倉権五郎景政)を合祀し、祭神としました。村岡御霊宮は後に十三社に分霊、勧請されて周囲の郷の五霊神社、御霊神社として祀られました。
田谷御霊社はその一つで、鎌倉時代から祭神を鎌倉権五郎景政として田谷の地で祭祀しれてきました。
社殿の傍らに祀る天照大神と日吉神社の祠は、大正12年村社昇格の際、遷座合祀されました。
建物:社殿の中宮は、天保5年(1835年)に改築された総欅材の精緻を尽くした社殿造りの貴重な建物です。拝殿は明治30年(1897年)に改築され、竣工式は4月23日に挙行されました。棟梁は鎌倉市大町の宮内三衛門です。
土地は旧田谷町十三塚1506番地、面積392坪で太平洋戦争後無償払下げを受けています。
境内には市指定天然記念物などの老樹が多く、ことに以前は社殿の背後左に樹齢数百年を経た杉の大木があり、藤沢の材木商に払下げました。その杉の一部で御霊社の扁額が記念に寄進されましたが、所在不明です。
鎌倉権五郎景政:
村岡影政は後三年の役(1083~1087)に源義家に従い16歳で出陣し、戦いで影政は左目を敵に射られながらも屈することがなく、射手を倒して帰還しました。左目に突き刺さった矢を抜こうと三浦平太為継が影政の顔に足をかけたところ、影政は横たわったまま刀を抜き、為継の鎧のくさずりをとらえて上げざまに突こうとしました。思いがけない事態に為継が驚くと、影政は「弓矢に当って死するは武士の本望なり。それを足で面部を踏むとは何事ぞ。汝を敵として我ここで死なん。」い言いましたので、為継は自分の行為を謝り。膝をつき顔を手で抑えて矢を抜いたということです。
影政は平安時代後期の1100年代初頭には鎌倉阪ノ下に住んで鎌倉権五郎と称し、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭氏らの鎌倉武士団を率いて、当時は野原であった現在の湘南地方一帯の開墾、地域開発を促進しました。
このような武勇と知略の伝承から、鎌倉権五郎景政を祭神とする御霊神社は悪疫や災厄を鎮め、学業成就、必勝招来、志の成就などがかなえる神徳があるとして祀られて来ました。
祭礼:
初詣 元旦
祭礼 9月第2土曜日(宵宮)、第2日曜日(本宮)
かつては鎌倉権五郎景政の命日の前日の9月17日が本宮でしたが、時勢に合わせて変更となりました。
鎌倉周辺の御霊神社:
湘南を中心に神奈川県内に鎌倉権五郎景政を祭神とする同系統の神社が多数存在します。鎌倉周辺の主な御霊神社は次のとおりです。(祭神が替わって名称が替わった神社、鎌倉権五郎景政を祭神としていない御霊神社は除きます。)
村岡御霊神社 藤沢市宮前560 (江ノ島バス・村岡宮前下車)
川名御霊神社 藤沢市川名656 (JR藤沢駅から徒歩20分)
坂ノ下御霊神社 鎌倉市坂ノ下4-9 (江ノ島電鉄長谷駅下車徒歩5分)
梶原御霊神社 鎌倉市梶原1-12-27 (湘南モノレール湘南深沢駅下車)
長尾御霊神社 横浜市栄区長尾台町372 (神奈中バス・宮の前下車)
田谷御霊神社(田谷御霊社) 横浜市栄区田谷町1506番地
公田御霊神社 横浜市栄区公田町445-6 (JR本郷台駅下車、徒歩16分)
汲沢五霊神社 横浜市戸塚区汲沢町1273 (JR戸塚駅下車、バス10分五霊神社下車)
深谷御霊神社 横浜市戸塚区深谷町1026 (JR戸塚駅下車、バス10分御霊神社前下車)
中田御霊神社 横浜市泉区中田北3-42-1 (市営地下鉄中田駅下車)

(平成30年9月作成、参考資料:田谷町内会会員名簿、戸塚区郷土史、戸塚の散歩道、他)


横浜市指定名木古木

No.48068 マキ(蔵王山正定院浄念寺)
指定番号不明 クロガネモチ(菅谷山医王院長光寺)
No.48202 ザクロ(西光山普應院大誓寺)
No.48203 サルスベリ(西光山普應院大誓寺)
No.48204 イロハモミジ(西光山普應院大誓寺)
No.49521 スダジイ(三嶋神社)
指定番号不明 ツバキ(飯島市民の森)
指定番号不明 ヒイラギ3株(飯島市民の森)
No.49519、No.49520 ケヤキ(長沼八幡社)
No,49518 イヌマキ(長沼山正安寺)
No.49522 スダジイ(八坂神社)
No.49524 ケヤキ(田谷御霊社)

【迎陽隧道】

迎陽隧道の由来
明治四十年、上野庭ハ、峻険ナル坂道相続キ、且ツ屈、甚ダシク、車馬ハ勿論徒歩ニ於テスラ、困難オキワメ、隧道掘削ヲ決意地元民総出デ開鑿シタ。当時機械力モナク総テハ、手堀ニ依ルモノデアッタ。大正四年秋、隧道口崩壊防止工事完成ノ時、迎陽隧道ト名ヅケラレテ、今月二至ッテ居ル。
近年交通量ノ増大二伴イ、災害防止ノ為、横浜市ハ、改修二着手シ、昭和五十三年八月、コレオ完成スル。
昭和五十三年八月
上野庭町内会文化部


【上野庭の庚申塔と堅牢地神塔】


【新橋延命地蔵尊】小菅ヶ谷3丁目64

光誉浄春禅定門、正保四丁亥年十月三日 施主田中
四の字の次の字が不明ですが。正保四年(一六四七年)は、ひのといの年ですので丁亥の二字を入れました。
嘆誉栄讃禅定尼 慶安三庚寅年正月廿一日
安の上の字と三の次字が不明ですが、年号表によると正保の次が慶安ですので慶の一字を、慶安三年(一六五〇年)は。かのえとらの年ですので庚の一字を入れました。又御戒名も判然としておりませんが、小菅ヶ谷、大誓寺にのこる過去帳の廿一日の欄の古い多くの御戒名の最初に記されております。
施主田中とありますが、田村家の旧姓は田中で、明治時代田村に改姓したと聞いており田村家の遠い祖先です。県下で二番目に古い石地蔵と云われており、前山のやぐらに昔からありましたのを、平成九年三月にこゝに移しました。
平成九年三月吉日 施主 田村三郎 リカ子


【春日神社】栄区小菅ケ谷3丁目57-17

 石鳥居の脇に庚申塔、本殿に至る途中の境内社は弁天様なのでしょうか。ここには庚申塔と双体観音(?)の石仏があります。境内には大木が沢山あって、横浜市指定の天然記念物となっています。本殿脇の覆殿には、向って左から稲荷社、八幡社、神明社、白山社が合祀されていました。


春日神社と龍光院 旧小菅ヶ谷村社
春日神社は、古く本郷六村の総鎮守であったと伝えられ、天児屋根命(あめのこやねのこみと)外三柱の神を奉斎し、末社には、神明(桂・公田)八幡(鍛冶ヶ谷)、白山(上郷)、稲荷(中野)の本郷各村の村社がある。
「新編相模風土記稿」によれば、永禄8年(1565年)に、小田原北条氏の公田の地頭職であった宇部左京亮(うべさきょうのすけ)の子息、宇部松菊丸(うべまつぎくまる)が再建したといい、社伝にもこれを伝えている。しかし、春日神社の総社である奈良の春日大社は、奈良時代初期の創建で、藤原氏の氏神と祖先神が祭られており、平安時代を通じて藤原氏の拡大発展とともに全国に流布され、藤原一族支配の地域神として、村社・鎮守・総鎮守となったという。本郷の地は平安時代、山ノ内荘本郷といわれた。山ノ内荘は柏尾川流域を経営した秀郷流藤原氏の名族、山内首藤(やまうちすどう)氏の荘園である。本郷は奈良朝尺度郷(さかどごう)の中心地であり、山ノ内荘の中心的穀倉地帯であることを考えると、この春日神社は、山内首藤氏により創建されたとするのが自然である。
山内首藤氏は荘園領主であるばかりでなく、在地武士団でもあり、源義家(よしいえ)以来、源氏と深く関係していた。山内俊通(やまうちとしみち)とその子俊綱(としつな)は、保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)の折、源義朝の挙兵の折は俊通の次男経俊(つねとし)が頭領であり、当然頼朝を援けると思われたが、頼朝方弱小とみて平家方に味方した。このため後に鎌倉に入府した頼朝は経俊を捕らえ、山ノ内荘を土肥実平(とひさねひら)にあずけ、後に和田義盛に与えた。このため、崇敬の中心山内首藤氏を失った春日神社は、次第に衰亡したものと考えられる。戦国時代の末、新しく小田原北条氏から「本郷公田(ほんごうくでん)」の領主に任ぜられた宇部氏は、周辺に威勢を振るう政策の一つとして、春日神社とその別当寺の龍光院(明治に廃寺となる=現在は、春日神社社務所)を再建し、その昔の総鎮守の力を示すため、当時の本郷各村の村社を末社として記録したと考えられる。要するにこの春日大社は伝えられるよりは、はるかに古い平安時代の創建と考えられる。
平成2年3月


【笠間稲荷社】栄区飯島町


 その他本日撮影の写真です。


【参考】
イヌマキ Podocarpus macrophyllus
クロガネモチ Ilex rotunda (雌)
ザクロ Punica granatum
サルスベリ Lagerstroemia indica
イロハモミジ Acer palmatum
スダジイ Castanopsis sieboldii
ツバキ Camellia japonica
ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
ケヤキ Zelkova serrata
ヒマラヤスギ Cedrus deodara
カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
ツタ Parthenocissus tricuspidata
イチョウ Ginkgo biloba
横浜港南台教会:港南区港南台7丁目8-29
キク Chrysanthemum spp.
ヤマノイモ Dioscorea japonica
フヨウカタバミ Oxalis variabilis
ネリネ Nerine spp.
サカキ Cleyera japonica
カクレミノ Dendropanax trifidus
トネアザミ Cirsium comosum ver. incomptum
フユザクラ Cerasus x parvifolia ‘Fuyu-zakura’
タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis
ハゼノキ Toxicodendron succedaneum
メキシコハナヤナギ Cuphea hyssopifolia
アレチウリ Sicyos angulatus

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