月別アーカイブ: 2022年7月

藤方豆腐店廃業

 境之谷にある藤方豆腐店が閉店するそうです。半世紀以上にわたる歴史に幕を下ろされることは残念です。
 この豆腐店は、自宅からは少々離れていますので買い物をしたことはなかったのですが、藤棚からの上り坂、野毛山からの尾根道、そして南太田方面の新坂からの道が交わる三叉路に位置しており、この地区を歩き慣れていなかった頃には、大切なランドマークとして利用させていただいておりました。

藤方豆腐店


  閉店のお知らせ
 平素は大変お世話になり、心よりお礼申し上げます。
 さて、このたび弊社は諸藩の事情により、7月30日(土)をもちまして閉店いたすことになりました。豆腐店として、創業より68年にわたり営業を続けて来られましたのは、皆様のご厚情あってのことと感謝いたしております。
 永らくご愛顧いただき、ありがとうございました。
         藤方豆腐店 店主

大宮、そして渋谷へ

 本日は、届け物があるので大宮の実家へ。帰りは武蔵一之宮氷川神社を経由し、Tsutaya渋谷店にも寄りました。


武蔵一之宮氷川神社
 山門
 参道と三の鳥居
 ふくろ絵馬
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 島池(白鳥池)
 Tsutaya SHIBUYA


縣令櫻碑


縣令櫻

以𫝂尤愛推之𫝂敬謂之真敬推𫝂尤敬及
之所愛謂之真愛埼玉縣令𠮷田清英君為
縣大書記官之日移𫝂尤愛庭櫻獻之
氷川大社社檀人民不期而雲聚搬運之晨
者社頭櫻樹數千萬株莫出其右者猶天女
嫣然一笑陽域下蔡無粉黛千載加社殿之
光輝上𫝂好民爭歸或架石梁或脩華表以
贊輪奐之美不一而足豈非推𫝂敬及所愛
呼無幾君拝縣令人民抃喜偁縣令櫻云
明治十五年三月 大教正平山省齊撰文篆額并書
              石工邨上瀧巌謹

   氷川神社(ひかわじんじゃ)
     所在地 大宮市高鼻町四ノ一ノ一
 氷川神社は、社記によると第五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。当社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒のある歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
 古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命(えたもひのみこと)出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~七四九年)のとき「武蔵一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護二年(七六六)の「延喜式神明帳」には、明神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
 このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六六七)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
 その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際して、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇がみずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改造して、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
 祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)稲田姫命(いなだひめのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)
 例大祭は八月一日。そのほか信じの中で特にゆうめぅなのが十二月十日の大湯祭(だいとうさい)
  昭和六十年三月
          埼玉県
          大宮市


氷川神社由緒

2022夏休み3日目~白馬、松本散策

 最終日は軽めの日程にしていましたので、予定より早めに白馬を発って松本城を見てから帰途に就きました。
【主な経路】
ヴィラれんが亭~白馬ジャンプ競技場~細野諏訪神社~詩の小路~白馬駅
白馬(10:29)~信濃大町(11:05-11:16)~松本(12:24-15:50)あずさ38号~八王子(16:49-16:59)~横浜(18:08-18:17)~追浜(18:43)



   「第18回オリンピック冬季競技大会1998/長野」
 1998年2月7日~22日、第18回オリンピック冬季競技大会が「長野」において開催され、、白馬の地がスキー競技の舞台となった。長野オリンピックは、この地において、選手のたゆまざる精進と不屈の闘志、大会関係者とボランティアの献身的な努力、大観衆の熱い声援に支えられ、数々のドラマを生み、大成功のうちに終わった。
 われわれはこのオリンピックを通じて、スポーツのすばらしさだけではなく、実に多くのことを学んだ。滑降のスタート地点問題は、八方尾根の自然のすばらしさを改めて感じさせ、競技会場づくりからは、貴重な植物や動物の生息を知った。ボランティアの活躍は、奉仕する喜びと、協調の尊さを教えてくれた。
 スポーツの祭典オリンピックは、人間の可能性の限界に挑み、その頂点を極めた人に、金メダルを贈る。それは、人類の偉大な歴史と達成とに対する祝福であり、より輝かしい未来への期待である。
 日本オリンピック史上100個目の記念すべき金メダルは、白馬ジャンプ競技場で行われた、ジャンプ団体の日本チームによったもたらされた。われわれは大いなる喜びをもって、それぞれの時代に覇を競って、金字塔を打ち立てた人々を語り継いでゆきたい。長野オリンピックが、われわれに残してくれた勇気と感動を永く記憶し、未来への新しい出発点とするために、ここに記念のモニュメントを設置する。
【金メダルの記録:略】冬季金メダル 夏季金メダル
  白馬村 協力:㈶日本オリンピック委員会 ㈶長野オリンピック冬季競技大会組織委員会


   100 GOLD MEDALS
 第18回オリンピック冬季競技大会「1998/長野」(1998.2.7~22)は、白馬ジャンプ競技場で行われたジャンプ団体の日本チームにより、「日本オリンピック史上100個目の金メダル」がもたらされた記念すべき大会となった。この彫刻は、この偉業達成の感動を末永く語り伝え、未来のさらなる栄光のジャンプ台とするべく、今大会で世界の称賛を浴びた聖火台の製作者、情報彫刻家菊竹清文氏により制作されたものである。
 モニュメントの総高さは、約8Mで、高さ4Mの三角錐上に設けられた直径2Mのスパイラル状の円に配された100個の光り輝く羽が、100個の金メダルの偉業を祝福すると同時に、そのエネルギーが集中し発散する形態が、さらなる栄光の歴史へ展開を祈念している。また、その足部は、金メダルという栄光の頂点を支えたすべてのオリンピック関係者の力強い貢献を称えている。
     情報彫刻家 菊竹清文氏略歴
1944年 福岡県生まれ
1981年 京都国立金出す美術館賞
1985年 文化庁・派遣芸術家在外研究員としてNY在住
1987年 東京国立金出す美術館賞
1989年 フランス芸術文化功労勲シュヴァリエ章
1997年 福岡市文化勲章
1998年 第18回オリンピック冬季競技大会「1998/長野」聖火台製作
     1999年9月 白馬村


八方尾根名木山(なぎやま)スキーリフト発祥の地碑
 昭和二十九年十二月 当社がこの地に、八方尾根では最初のスキーリフトを建設して以来、本年で満三十年を迎えた。当初木柱による構造で発足したが、その後改造を重ね、現在では、ペアとパラレルのリフトが各一基を有し、人工降雪設備、ナイター整備をもつ近代的なスキー場に変った。
 八方尾根も、この名木山スキーリフトを礎として、スキーリフトの建設が始まり、自然景観の素晴らしさに加え、設備が整い、日本有数のスキー場へと発展した。
 ここに当社の創業三十周年を記念し、先達の貢献に感謝の意をこめ、八方尾根スキーリアと発祥の地として記念碑を建立し、八方尾根が永遠に愛され、発展することを願うものである。
 昭和五十九年六月十八日
    株式会社 八方名木山スキーリフト


白馬村指定・天然記念物 江戸彼岸桜 (白馬村八方区5137番地)
 本種は属にヒガンザクラヤアズマヒガンとよばれていますが、交配種のヒガンザクラと区別するためにこの名を用いてします。北安曇地方南部一帯の山野に自然分布する野生桜の一種ですが、白馬では少なく、自然林の中に生えているものも雑木薪炭用材などに使われ、大きなものは残っていません。樹齢数百年にもなるこの樹は、お堂の信仰とも結びついて保護され、八方区の歴史を物語っています。


【薬師堂】
 地域の信仰の場として江戸時代初期に建てられ、木食山居上人(1655~1726)作、聖観音菩薩立像(中)、地蔵菩薩立像(右)、阿弥陀如来立像(左)が祭られています。木食仏で三尊が揃っている例はあまりなく、白馬ではここだけです。(現在の建物は昭和30年に建て直されたものです。)
木食山居上人(もくじきさんきょしょうにん)
 山居上人は明暦3年(1657)松本在、山辺細荒井に生まれました。13歳の時、誤って幼児を井戸に墜落死させた責任を感じ、その後仏道に入り虫倉山に籠って木食行に入った人です。
木食行=「貧・瞋・痴」の三毒を除去するため、深山幽谷に分け入り、人間の生命の限界ぎりぎりの生活により不撓不屈の人格を形成するためにする修行のこと。


白馬村指定文化財
細野諏訪社の大スギ(昭和四十九年十月一日指定)
 この大スギは旧県天然記念物に指定されたこともある。目通り十メートル余り、高さは四十一メートルに及ぶ県下でも有数の巨木です。推定樹齢は一〇〇〇年余りで、木肌が美しく幹の上部からは数本の緑濃い枝が天空に向かって伸びています。治承元年(一一七七年)ら八田弥五兵衛という地元の人が献木したとの伝承があり、この神社のご神木となっています。
 また、この惠で位にはスギの大木が三十本余り林立し、うっそうたるスギ林の景観は神々の地にふさわしいものがあり、風土の森として親しまれています。


大定智悲(だいじょうちひ)地蔵
  二、飢餓道 大徳清浄(だいとくしょうじょう)地蔵
  三、畜生道 大光明(だいこうみょう)地蔵
  四、修羅道 清浄無垢(しょうじょうむく)地蔵
  五、人間道 大清浄(だいしょうじよう)地蔵
  六、天道 大堅固(だいけんご)地蔵
 我々の住む世界(娑婆)は、この六つの世界から成り立っています。人間は人間界にいますが、この世で悪行を繰り返せば、畜生や地獄に生まれ変わり、善いことを積み重ねれば天(神々の国)に生まれ変わります。これを六道輪廻(ろくどうりんね)と呼びます。
 地蔵菩薩は、娑婆世界を守ることが使命なので、この六道すべてを守護すると言われており、一つの世界に一体ずつ地蔵を配した六地蔵が作られたといわれています。
 道祖神信仰と習合しまして、白馬町の結界の守護神として、また、白馬村を訪れた人々の心の癒しとなればと願い白馬町活性化委員会が建立致しました。


  三九郎~ふるさとの川 めとば川~
 川辺では、そこを舞台とした、人々の心にいつまでものこる行事や遊びがたくさんあります。
 夏には女鳥羽川で、願いを込めた七夕飾りを流し、お盆にはとうろう流しが行われます。川の流れによって別の世界へと通じる、という意識が人の心にはあるのでしょう。冬には河原でお菜洗いをしたり、子供たちし三九郎をやります。
 松本地域では、正月の門松やしめ飾り、だるまなどを、子供たちが家々をまわって集め、河原や空地に高々と積みあげて燃やし、無病息災を祈る行事を「三九郎」とよびます。女鳥羽川の河川敷でもいくつもの三九郎が作られ毎年1月14日ごろ燃やします。
 このとき子供たちは、お米の粉で作った繭玉型のだんごやおもちを、柳の枝の先につけて、燃やした火で焼いて食べます。大きな火が燃えるのを見ながら、大勢でもちを焼いて食べる子供たちの楽しげな姿は、松本の冬の風物詩として親しまれています。


 ここには江戸時代に大手橋と呼ばれた木橋が架けられていた。明治九年松本城大手門石垣の石材を用い石橋に架けえを千歳橋(せんさいはし)とその名を改めた。昭和三十九年現在の近代的な格子合成折橋に作り替えた。
 長い間女鳥羽川のせせらぎとともに人々に親しまれてきた千歳橋の往時をしのび、石橋の姿をここにとどめて、その由緒を伝えることとした。
 昭和三十九年三月
  撰立 松本市長 降旗徳弥
  制作 上條俊介


四柱神社(よはしらじんじゃ)
御祭神
  天之御中主神(あまのみなかぬとのかみ)
  高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
  神皇産霊神(かみむすびのかみ)
  天照大神(あまてらすおおみかみ)
御神徳
 古事記の冒頭に「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高皇産霊神、次に神産巣日神」と記されており、我国の歴史の上で最初に出現された神様です。造化の三神とも申し上げるこの神々の御力によって、天地万物が生成されたと言われております。
 天之御中主神の御名の示します通り、天の中央に坐します主の神として、産巣日神(産霊神)の御はたらきを統一される神様です。高皇産霊神・神産巣日神は宇宙創造根元の神様で、御神明の「ムスビ」は実をむすぶ、苔がむす等と同様に生産し、果実し、調和させる力を示します。天照大神は、この造化の三神の御神意を地上に顕現させる神様で、伊勢の神宮、宮中賢所に奉斎される最高至貴の大祖神様です。
 このような大変に高い御神徳の神様をお祀り申し上げる四柱神社は、すべての願いが相叶うという意味から「願いごとむすびの神」として全国各地より語崇敬をいただいております。


 その昔。「繩手」は松本城のお堀と女鳥羽川の清流にはさまれた“縄のように細く長い土手”でした。明治12年に四柱神社が建立され、繩手はその参道として発達してきました。車馬通行止め(今でも歩行者天国)の通りは、祭事にはずらりと露店が並び。通りに沿って流れる女鳥羽川の水辺では、「河鹿蛙」が美しい鳴き声をかなでていました。境内から流れる太鼓の音、アセチレン灯の臭い、啖呵売の声、金魚すくいに打ち上げ花火など、独特の情緒がただよう通りでした。
 しかし、いつの頃からか、川が汚れ河鹿蛙は上流に追いやられ、通りも活気を失った時期がありました。昭和47年「かえる大明神」を祀り、もう一度、水清く・活気ある通りにカエようと新たなとりくみが始まり、以来「かえねの街」として、市民や旅の人々がホッとできる通りとして現在に至っています。


平成の名水百選
  東門の井戸 Higashimon no Ido Well
冷たくてきれいな松本の自然の水です。大切にご利用ください。
 松本市役所 都市政策課
Japan’s 100 remarkable waters. Please rnjoy pure spring water. Let’s keep the place clean and orderly.


国宝松本城天守
         所有者 国(文部科学省)
         管理団体 松本市
名称構造          建築
 天守 五重六階本瓦葺   指定文禄二~三年 城主 石川康長
 乾小天守 三重四階本瓦葺 上(右)に同じ
 渡櫓 二重二階本瓦葺   上(右)に同じ
 辰巳附櫓 二重二階本瓦葺 寛永年代 城主 松平直正
 月見櫓 一重地下一回附本瓦葺 上(右)に同じ
特徴
 五棟の建物は天守を中心に北には乾小天守を渡櫓でつなぎ東には辰巳附櫓と月見櫓ほ付属させたいわゆる連結複合式と呼ばれる独特の構成で、その外壁は各重とも白漆喰の大壁で腰には黒漆喰塗りの下見板を張ってある。月見櫓は天守建築にし珍しい殿舎風造りで三方に朱塗りの回縁をめぐらしてある。
国宝指定
 昭和十一年四月二十日(国宝保存法)
 昭和二十七年三月二十九日(文化財保護法)
修理
 昭和二十五~三十年度(全建物解体修理)


塩市と(飴市)と牛つなぎ石《町内古老口伝》
 永禄十一年(一五六八年)一月十二日、本町と伊勢町との辻角に建つ「牛つなぎ石」に越後の武将上杉謙信公の義侠心に依る塩を積んだ牛車が塩の道を通りたどりついたと伝承されて居ります。当時松本地方は甲州の雄武田信玄の支配下にあり、この武田方と敵方に当たる今川・北条方は太平洋岸の南塩の道筋を封じ、甲州。信州の民人を困窮させた。これを知った謙信公は武田方とは敵対関係にありましたが日本海岸の北塩を糸魚川経由で松本方面に送りました。この日を記念して上杉謙信公の義侠心を讃え塩に対する感謝の日として初市の日になったと伝えられて居ります。
 塩は明治三十八年(一九〇五年)国の専売となった為、又当時松本地方は飴の生産日本一を誇って居り市内の飴屋さんが塩俵に因んだ飴を作り、爾来飴市の方が通用するに到りました。昔日は一月十日・十一日の初市に行っておりましたが、近頃はこの日に近い一月の第二の土・日に催されます。子供は専らダルマを売り将来の商人の原点を学びます。
    本町一丁目


【参考】
 石塔群:白馬村八方
 馬頭観音:白馬村八方
 白馬ジャンプ競技場
 ガマズミ Viburnum dilatatum
 八方の街並み
 八方尾根スキーリフト発祥の地碑(小沢相順書)/作品84-1:丸山譲
 イワオトギリ Hypericum scanense subsp. mutiloides syn. H. kamtschaticum var. hondoense
 ハリイ Eleocharis pellucida
 コヌカグサ Agrostis gigantea
 ノゲシ Sonchus oleraceus
 ノアザミ Cirsium japonicum
 リョウブ Clethra barbinervis
 ツルマンネングサ Sedum sarmentosum
 コメツガ Tsuga diversifolia
 江戸彼岸(えどひがん)Cerasus x yedoensis
 薬師堂:白馬村八方区5137番地
 スギ Cryptomeria japonica:細野諏訪社
 細野諏訪社拝殿:白馬村北城八方
 シバツメグサ scleranthus annuus
 サボンソウ Saponaria officinalis
 ホソバウンラン Linaria vulgaris
 キクイモモドキ Heliopsis helianthoides
 ネムノキ Albizia julibrissin
 イタドリ Fallopia japonica
 タチジャコウソウ Thymus vulgaris
 ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva
 ウバユリ Cardiocrinum cordatum
 キジ Phasianus versicolor
 イヌゴマ Stachys japonica
 クサフジ Vicia cracca
 クガイソウ Veronicastrum japonicum
 オオマツヨイグサ Oenothera erythrosepala
 カナダアキノキリンソウ Solidago canadensis
 セイヨウクサレダマ Tarenaya hassleriana
 クモノスバンダイソウ Sempervivum arachnoideum
 ヤネバンダイソウ Sempervivum tectorum
 アメリカノウゼンカズラ Campsis radicans
 ビロードモウズイカ Verbascum thapsus
 ハルシャギク Coreopsis tinctoria
 コウリンタンポポ Hieracium aurantiacum
 スモモ Prunus salicina
 木流しかさ地蔵:詩の小径
 オニグルミ Juglans ailantifolia
 ウワミズザクラ Padus grayana
 オオバギボウシ Hosta sieboldiana
 オニドコロ Dioscorea tokoro
 ニジマス Oncorhynchus mykiss
 詩の小径
 オオハンゴンソウ Rudbeckia laciniata
 大糸線


 女鳥羽川(めとばがわ)
 花いっぱい運動発祥の地碑:松本市大手3丁目3
 千歳橋(せんさいはし)
 四柱(よはしら)神社
 かえる大明神:松本市中央2丁目10-4
 カエルの街ナワテ通り
 東門の井戸:松本市大手4丁目10-13
 大名井戸:松本市丸の内4
 松本城天守
 牛つなぎ石:松本市中央2丁目3
 七夕の人型
 からくり時計:松本市中央1丁目18
 車窓より

2022夏休み2日目~雨飾山へ

 雨飾山は高山植物の種類が豊富なことで知られていて、高校生の頃から一度は訪れたいと考えていた山です。当時は東側に位置する信濃町側から火打山までは何度か来ていたのですが、雨飾山と火打山の間に位置する焼岳の噴火可能性があるため入山禁止となっていたため、今回が初めての訪問でした。
 宿泊地を白馬にしたため行動時間に制限があったので頂上までは辿りつけないことも想定していたのですが、それよりも大分手前で雪渓に行く手を阻まれてしまいました。アイゼンなどの装備がないとこれ以上は危険と考え、戻ったことが幸いして、下山後バスの終点まで舗装路を歩いているときに激しい雨となり、最近の天気状況を考えると絶妙な晴れ間に有効に過ごすことが出来ました。
 行き帰りともお世話になったバスの運転手さんによれば、この時期まで登山路に雪渓が残っていることは珍しいとのことで、今年は雪解けが遅れているようです。
【主な経路】
白馬(6:28)~南小谷(7:17-7:25)~雨飾高原(8:06)~登山口~ブナ平~荒菅沢~(雪渓の残る沢)~荒菅沢~ブナ平~登山口~雨飾高原(17:11)~南小谷(17:52-17:56)~白馬(18:14)


新渠土碑

中土村在信之北安曇郡北隅地多荒壤而之水
利民以為不便明治十三年戸長横川才蔵等與
村人白澤横澤諸氏相議謂中谷川上流懸崖而
下幾七十丈今鑿新渠以引其水則稻田可得也
余時為北安曇郡長深嘉其議則請於官興工於
是村人相競就役鑿渠七千八十間始於十四年
竣於十八年用工若千人糜貨數千金遂得田七
十余町其𠬧二千餘石云村人謀勤石傳其責於
後乃来曰此舉始子取奘勵悉其顛末莫若子者
願記其事余以為此舉經費頗多村民不能無困
獘雖然一旦之勞遂為永年之利闔村頼其慮者
多救子孫凶歉之謀莫善焉而於為昭代之民庶
 不負乎之不辭而述其概如此
 大蔵大臣正三位勲三等渡邉國武篆額
   衆議院議員窪田畔夫撰并書
 明治二十六年四月建

   明才堰
 明才堰は、地形が急峻で推理の乏しい中谷川一帯から北小谷三ヶ村にかけて。新しく水田を開墾するため作られた灌漑用水路である。
 開鑿は、地形が厳しく、豪雪地であり、、岩場も多く、すべてを手作業による難儀を極めた一大事業であった。口伝によると、測量は夜間に提灯を比べて水平を測ったり、岩盤トンネルは佐渡の金山石工でくりぬいたとも伝えられる。
 しかし、完成後の自然災害や、生産性の低い立地条件などにより用水路の維持さえ困難となり、昭和60年代に至ってついにその用を閉じた。
  事業の概要
用水路の規模 中谷川支流大海川大渕より源八沢まで約16km
       上幅182cm 底幅121cm 深さ91cm
着手     明治12年9月15日  竣工 明治16年11月 1日
工費     15969円88銭 2厘  人足 延26213人(一説では4万5千人)
組合員    約200名      開墾地見込み 80ヘクタール
 主導者 横川才蔵
弘化 4年(1847) 7月   小谷村中土塩之久保古沢佐左衛門の長男に生る 幼名 房吉
元治 1年(1864)     小谷村中土松本 横川才蔵の養子となる
慶応 3年(1867)     養父病死 家督相続 才蔵襲名
明治 7年(1874) 6月26日 学校世話役を命ぜられる。
明治 8年(1875) 6月10日 中谷村副戸長仰せ付けらる
明治12年(1879) 6月30日 中谷村戸長拝命 明才堰開発の責任者としておよそ200戸の先頭に立って努力
明治15年(1882) 6月30日 戸長退任 以後新堰開鑿担当人として努力
明治19年(1886) 6月30日 新堰開鑿担当人を横沢市五郎へ引継ぎ
大正 5年(1916)11月15日 病死(69才)
 氏は、筆も立ち、構想力もあり、政治力もあった。時の郡長窪田畔夫と親交し、大野県令・渡辺尚武大蔵大臣らを動かして事業を成功させ、先見をもって村民をリードし、剛腹よく幾多困難を切り開き、もって大業を成し遂げた手腕と力量は高く評価され、新堰名も明治の明と才蔵の才から明才堰と名付けられた。

【参考】
 ヴィラれんが亭
 雨飾高原(バス終点)
 雨飾荘
 ガクウツギ Hydrangea scandens
 トリアシショウマ Astilbe thunbergii var. congesta
 ヒヨドリバナ Eupatorium makinoi
 タイヤマウツボグサ Prunella prunelliformis
 クロヅル Tripterygium regelii
 オカトラノオ Lysimachia clethroides
 ガクアジサイ Hydrangea macrophylla f. normalis
 イワガラミ Schizophragma hydrangeoides
 雨飾山山頂付近遠望
 明才堰碑
 マタタビ Actinidia polygama
 ヤグルマソウ Rodgersia podophylla
 木道
 ミズバショウ Lysichiton camtschatcensis
 ミヤマシシウド Angelica pubescens var. matsumurae
 サンカヨウ Diphylleia grayi
 イワカガミ Schizocodon soldanelloides
 イヌブナ Fagus japonica
 ズダヤクシュ Tiarella polyphylla
 ブナ平
 ヤマモミジ Acer amoenum var. matsumurae
 クマザサ Sasa veitchii var. veitchii
 ハウチワカエデ Acer japonicum
 コバノガマズミ Viburnum erosum
 マイヅルソウ Maianthemum dilatatum
 ミヤマカタバミ Oxalis griffithii
 アオイスミレ Viola hondoensis
 ノウゴウイチゴ Fragaria iinumae
 ヒロヒダタケ Oudemansiella platyphylla
 アキアカネ Sympetrum frequens
 布団菱
 カナヘビ Takydromus tachydromoides
 マガリケムシヒキ Neoitamus angusticornis
 ミヤマカラマツ Thalictrum filamentosum var. tenerum
 ウワバミソウ Elatostema umbellatum
 荒菅沢
 オオバキスミレ Viola brevistipulata
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 キカワゲラ Xanthoneuria sp.
 ニリンソウ Anemone flaccida
 雪渓の残る登山道
 本日の到達点遠望
 リョウブ Clethra barbinervis
 サルナシ Actinidia arguta
 バイカウツギ Philadelphus coronarius

2022夏休み1日目~白馬散策

 八王子から利用した特急あずさは、2017年に投入された新型車両で全席指定制、でも松本から大糸線にはいるとICカードは使えないそうで、事前にチケットを購入しておいて正解でした。
 信濃は双体道祖神が多いことでも知られていますので、初日は足慣らしも兼ねて、石碑を中心に白馬を散策しました。
【主な経路】
追浜(6:42)~横浜(7:10-7:18)~八王子(8:23-8:33)~白馬(11:41)
白馬駅~薬師の湯~大出公園~蕨平~白馬グリーンスポーツの森~深空~ヴィラれんが亭~白馬駅~ヴィラれんが亭(宿泊)


E353系【鉄道博物館:レイルウェイ・ガーデン・プロムナードの説明表示より】
 中央線特急「あずさ」「かいじ」などで運行する車両です。東京から中央線主要駅を結んでいます。乗り心地は、JR東日本初の「空気ばね式車体傾斜制御」装置を搭載し、左右の揺れが少なく自然な乗り心地としています。


   塩の道 千国街道
 千国街道の名は。遠く中世以前にさかのぼるものである。北陸道からは姫川沿いに信州への。東山道。木曽街道からは、松本平・安曇野を縦貫して、越後へ通ずる道であった。
 近世にあっては、越後では松本街道、信州川では糸魚川街道とも呼んだ。松本城下から糸魚川までの、百二十余キロの間を言うのであるが、信州と越後を結ぶ動脈として、塩・麻など海陸物資の交流は繁く、新道の整備される明治二十年前後まで、主街道の座にあって、経済路線としての役割は極めて大きかった。荷物の輸送は、すべて牛馬とボッカによるものであった。
 千国街道は安曇野の豊かな田園地帯を貫き、仁科三湖を巡り、北アルプスを仰ぎ、渓谷に沿うなど、稀にみる美しい風景の地を辿っているが、白馬小谷地方は豪雪地帯である上に険路が多く、物資の郵送は難渋を極めたのであった。街道時代には、大名行列の往還や参詣路としての華やかさはなく、わずかに旅芸人の通うところであったが、薄の穂波に見え隠れする庶民の汗の道として、また山村風俗・自然・石仏の宝庫として、激しい郷愁を誘う道ともなっている。
 戦国期、敵に塩をおくるという美談で知られる越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に、牛馬の隊列を整えて塩をおくったというのも、この街道であった。


八方口改名記念
 四ッ家(四っ屋)の名は、古文献に明記され、明治二十二年新道が開通するまでは、塩の道として知られる千国街道(北国街道脇往還)の宿駅として、あるいは細野道、蕨平道の中継地として存在した。四ッ家の名の示す如く小部落ではあったが、四ヶ庄平のほぼ中
央に位置して往昔、海陸交易の物資輸送のため、牛馬ボッカの往来が繁く、この地に杖を留めるものも多かった。
 太平洋戦争後社会情勢の著しい変貌の中で、戸数、人口共に飛躍的な増加をみ、生業もまた農業に依存するばかりでなく、観光事業が大きな力を占めるに至った。この新しい時代の波の中で、部落の愈々発展することを願い、昭和四十八年四月一日を期して八方口」と改名呼称することとなった。今幾星霜馴れ親んできた「四ッ家」に限りない惜別の想をこめつつ、茲に部落の歴史と改名の経緯の概略を述べ石に刻して永き記念とする。
    昭和四十九年三月一日  八方口区一同


 平川神社
当社は白馬町の産土神である。
 祭神 誉田別尊 息長足比売令
神紋は三ッ巴、祭事として、新年祭、御日待祭・春祭・風祭・例祭・日岐目講・秋祭・大祓祭などが行なわれている。境内に護国神社を合祀する。
白馬町は明治期「平川」と言い、大正七年「四ッ谷」と改め、さらに昭和二十九年に「白馬町」と改めて今日に至ったものである。
神社の前を南北に走る道は。明治初期まで、信州の松本安曇地方と越後を結ぶ、唯一の動脈であった千国街道である。
塩・麻などを中心とする海陸物資交易の要路として。牛馬やボッカの往来が絶えなかったのである。
境内に、天然記念物(白馬村指定)の大山桜がある。


大出村観音堂
 大出の観音堂の由来不明であるが文化四年(一八〇七年)に焼失し、再建したと言われている。江戸時代より大出の谷家では馬の〇〇〇〇農村に稲などの運搬に使い家族円満大事家内安全をこの観世音菩薩に祈願していた。他の村からも大勢参拝に来て大変賑わったものであった。
 木食山居という僧が作った観音菩薩など三体を祀っているが、一体は両手が折れている。これは火災の時に運び出して折ったか、子供が観音様をそりに乗せて遊んでいて折ってしまったとも伝えられている。
 この観音堂は平成十六年十一月新築したものである。


神城断層の活断層露頭(蕨平下の露頭)
 ここでは糸魚川-静岡構造線断層帯の神城断層を。露頭で直接見ることができます。露頭では過去に姫川などが流れ堆積した礫層の上に、より古い凝灰角礫岩層(北城盆地東側の丘陵をつくる大嶺帯上部層)が載っています。両層は粘土化帯を伴う断層関係で接しており、断層の走向はN58°E、傾斜は30°SEで、東へ傾く低角な衝上断層です。露頭は東から礫層に衝上する凝灰角礫岩層を西側から見た断層のため、両層が接する断層はほぼ水平に見えています。
      白馬村教育委員会 (監修 廣内大助信州大学教授)


   蕨平観音堂と筆塚
 この観音堂には古く江戸期から大正期半ばまで六代の尼僧が住し、修行や研学に励んだ。又、ここでは尼僧が師匠となり寺子屋が開かれていた。白馬村誌によると、江戸中期から興り、学習内容は「読み・書き・算盤」が主であったという。
 明治期寺子屋師匠を務めた、小豆島出身の「佐伯誓信」和尚による「筆」の書を明示二十七年に筆塚として建立された。


この村にまつわる話
 この観音堂に安置されたお地蔵様は延命地蔵、万能地蔵とも呼ばれ、多くの人々に親しまれてきました。
 ある晩のこ事、堂守の尼僧が、ただならぬ気配にふと、外に出で見るとお地蔵様の首が跡形も無くなっていた。信じがたい出来事に、あわててお堂に戻り一心不乱になってお経を唱え続けた。
 すると突然外の方から荒い息遣いが聞こえ「ああよかったやっと生まれた。なかなにかの難産でわたしも久しぶりに汗をかいてしまった」と独り言が聞こえた。不思議に思って外に出て見ると、驚いた事にさっきまで消えていたお地蔵様の首が、元通りになって一段とほほ笑みを豊かにしていたという。
 昔は山深い集落では病院もなく産婆さんも少なく、お産は大変な事であった。日ごろの地蔵信仰にお地蔵様が人助けをした心温まるお話が伝えられている。
 境内には、多くの観音様、馬頭観音、庚申塔、六地蔵が祭られ。筆塚や堂守りの回国僧の墓など、いずれも村人のあつい信仰心を今日に伝えている。このお堂外にも庚申塔、馬頭観音等々の神が祭られている。          蕨平区、蕨平景観保存会


  蕨平観音堂の「なんぢゃもんぢゃの木」
 なんぢゃもんぢゃの木とは辞典などでその地域での珍しい樹木の呼び名であるとしている。
 このなんぢゃもんぢゃの木は「このお堂のお坊さんが植えたものだ」と昔から言い伝えられてきた。昭和七年発行の「安曇野郡誌」には「北城村蕨平の観音堂にある木でまだ何の木だとも確かめられていない。単に今から三百五十年前のお堂建立の際に奉仕の僧が植えたもの」と書かれている。
 又、「定本柳田國男集第二十二」には昭和六年の論文「なんぢゃもんぢゃの樹」の一覧に十六ヶ所の所在中、八番目に「長野県北城村蕨平区観音堂・・・・樹種不明」と書かれている銘木です。


  地蔵堂について
 本尊は一切の異生を教化する地蔵菩薩にて災障消除諸願成就にて霊験新たかなりと銘板裏面に記されている。安永八年(1779年)造立の延命地蔵で、いぼとり地蔵の名で多くの人に親しまれ、古くから多くの村人や近隣の人々が「いぼとり」の恩恵を受けてきた。願いを叶えてくれる身近な仏様として篤く信仰されています。
 現在のお堂は昭和五十三年八月「蕨平船山会」の手により再建された。


空峠庚申塚石仏群
 庚申信仰し日本における庶民信仰の代表的なもので、全国各地に見られるものである。太平洋戦争後衰退した、いくつかの神仏信仰の中にあって、庚申を祀る慣しは、形式化をたどりつつも、今なお命脈を保っている。江戸末期からの庚申塔の多くは「庚申塔」の三文字を刻んでいるが、文化文政期以前は、上部に日月、下部に二鶏三猿を配したものが普通で、六十年毎に巡る庚申の年に建てられてきた。
 昭和五十五年は庚申の年にあたり、白馬村でも各所に建てられた。六十年をさかのぼると、大正九年、万延元年、寛政十年、元文五年、延宝八年であるが、文化年間以前には庚申の年でなくても建てられている。
 庚申塔は大体部落の入口出口にあって、部落に入ろうとする悪魔や疫病を退散させたり、五穀豊饒や鳥虫駆除までしてくれるなど、何でも願いを聞き届けてくれるのであるが、元々は、人間の体内にいて、庚申の夜には出てきて、その人の罪業などを帝釈天に告げ口する、三尸という虫を押さえるために、夜を徹して番をしなくてはならないことから始まった信仰と言われている。中国からの伝来思想である。
 ここでは、庚申塔五基(元禄九、元文五、寛政十二、万延元、大正九)のほか
  道祖神(双体抱肩像) (文化五年)
  如意輪観音像     (延享三年)
  大乗妙典百五十部供養塔(文化二年)
  二十三夜供養塔    (文化二年)
  大日如来像      (寛政二年)
  馬頭観音像
など、五十余基がある。 明治初年まで牛馬やボッカの往来の多かった千国街道沿いにあって、村人は勿論、旅人の信仰を集めたところである。数多い馬頭観音は、牛馬とともにあった昔の生活をよく物語っている。


A GROUP OF BUDDHIST STONE STATUES ON THE KOSHIN MOUND AT SORA-TÔGE
  Koshin belief in Japan became associated with the worship of the guardian deities usually engraved with three monkey(monkey corresponds to the zodiacal symbol shin). It is one of representative forms of popular belief Japan.
  Although the custom of deifying koshin is being reduced just matter of formality after Wold War II the tradition still remain to the day.
  The koshi stone monuments at the entrance to the village, has served as a guardian the chase away the evil spirits and discases trying to enter the community. This caution was brought in form China.
  Here there are six koshin stone monuments include the one erected in 1724, and about thirty Buddhist stone statues.


 白馬駅の履歴
昭和七年(一九三二)十一月二十日、信濃四ッ谷駅として開業。開業当時の村名は北城村であったが、四ッ谷地籍のため駅名は信濃四ッ谷駅とし、昭和四十三年(一九六八)十月一日に白馬駅と改称した。


【参考】
 あずさ5号(E353系)
 ヒマワリ Helianthus annuus
 庚申塔:白馬村北城6008
 石塔群:白馬村北城399-9301
 薬師堂:白馬村北城399-9301
 薬師の湯:白馬村北城399-9301
 地蔵尊:白馬村八方口5957-3
 石塔:白馬村護国神社
 白馬村護国神社:白馬村北城6934
 平川神社:白馬村北城6934
 庚申塔2基:平川神社
 イトバハルシャギク Coreopsis verticillata
 キクイモモドキ Heliopsis helianthoides
 キバナノコギリソウ Achillea filipendulina
 ヒメジョオン Erigeron annuus
 ソバ Fagopyrum esculentum
 ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva
 ヤエザキハンゴンソウ Rudbeckia laciniata var. hortensis
 石塔群:白馬村大出7157-1
 大出観音堂:白馬村大出7157-1
 喫茶カミニート:白馬村北城1152-1
 カゲロウの一種 (Ephemeroptera)
 姫川:大出公園
 ウラギンシジミ Curetis acuta paracuta
 ヤマアジサイ Hydrangea serrata
 北野神社:白馬村北城7230
 ヤブレガサ Syneilesis palmata
 トチバニンジン Panax japonicus
 イワガラミ Schizophragma hydrangeoides
 ヘメロカリス Hemerocallis sp.
 猿田彦大神道祖:白馬村蕨平
 神城断層露頭
 庚申塔:白馬村北城
 庚申塔:白馬村北城
 双体道祖神:白馬村北城
 オオバギボウシ Hosta sieboldiana
 延命地蔵尊:蕨平観音堂
 蕨平石仏群:白馬村北城21698
 歴代尼僧の墓所:蕨平観音堂
 ヤマトアオダモ Fraxinus longicuspis(蕨平観音堂のなんぢゃもんぢゃの木) ツリバナ Euonymus oxyphyllus
 スギ Cryptomeria japonica
 クマザサ Sasa veitchii var. veitchii
 シデシャジン Asyneuma japonicum
 オニグルミ Juglans ailantifolia
 タケニグサ Macleaya cordata
 あずさ46号
 キクイモモドキ Heliopsis helianthoides
 石祠:白馬村深空396
 空峠庚申塚石仏群:白馬村深空682
 双体道祖神:空峠石仏群
 カキネガラシ Sisymbrium officinale
 双体道祖神:白馬村北城895
 シモツケソウ Filipendula multijuga
 ユウスゲ Hemerocallis citrina
 玄蕃稲荷神社:白馬村北城895
 ネムノキ Albizia julibrissin
 ブルーベリー Vaccinium corymbosum
 オモダカ Sagittaria trifolia
 セイヨウフウチョウソウ Tarenaya hassleriana
 (旧)信濃四ッ谷駅
 クサキョウチクトウ Phlox paniculata
 ユリアザミ Liatris pycnostachya
 ウラベニホテイシメジ(?) Entoloma sarcopum


【文献】
 長沢栄史・本郷次雄(1999), ウラベニホテイシメジについての新学名の提案, 日本きのこセンター菌蕈研究所, 37, 1-6, URL: https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010611245.pdf, Accessed: 2022-07-27.

新宿御苑で

 新宿御苑に温室があることに気づき、訪ねてみました。変わったハオルシア属の一種(Haworthia asperiuscuta)が展示されていたのですが、あまりにも他のハオルシアとは異なっており、寧ろHaworthiopsisに近いのではないかと思われます。
Haworthia asperiuscula は、Gildenhuys & Klopper(2013)により、Haworthiopsis viscosaの変種とすることが望ましいとして記載されていました。ただし、この論文は遺伝子解析に基づくものではないので、今後さらに変更されることもありそうです。(2022-07-11)


【参考】
 チユウキンレン Musella lasiocarpa
 ビロウ Livistona chinensis
 ピナンガヤシ Pinanga coronata Syn. Pinanga kuhlii
 パイナップルリリー Eucomis autumnalis
 ベニマツリ Rondeletia odorata
 フィロデンドロン Philodendron sp.
 サガリバナ Barringtonia racemosa
 カカオノキ Theobroma cacao
 オウコチョウ Caesalpinia pulcherrima
 フイリウスバリュウゼツラン Agave angustifolia var. marginata
 ヒメオニソテツ Encephalartos horridus
 ススキノキ Xanthorrhoea preissii
 タマツルクサ Bowiea volubilis
 ハオルチオプシス・ビスコサ Haworthiopsis viscosa var. viscosa, Syn.Haworthia asperiuscula
 マクロザミア・ポーリ-ギリエルミ Macrozamia pauli-guilielmi
 リュウケツジュ Dracaena draco
 キッショウテン Agave parryi var. huachucensis
 オボロヅキ Graptopetalum paraguayense
 タマツヅリ Sedum morganianum
 ホシフリュウゼツ Aloe davyana
 アレカヤシ Dypsis lutescens
 アリアケカズラ Allamanda cathartica
 ベニラタンヤシ Latania lontaroides
 カラテア・リーツェイ Calathea lietzei
 ストレプトカルパス・イオナンタス Streptocarpus ionanthus
 ヘリコニア・ロストラータ Heliconia rostrata
 マンゴー Mangifera indica
 アケビバナナ Musa velutina
 サンゴノボタン Medinilla speciosa
 メディニラ・マグニフィカ Medinilla magnifica
 クスダマジンジャー Tapeinochilos ananasae
 レッドジンジャー Alpinia purpurata
 リカステ・アロマティカ Lycaste aromatica
 ベニヒモノキ Acalypha hispida
 トックリヤシモドキ Hyphotbe verschaffeltii
 トックリヤシ Hyphotbe lagenicaulis
 プルメリア Plumeria frangipani
 ヤタイヤシ Butia yatay
 ヒマラヤスギ Cedrus deodara
 サイトウ(隠元豆) Phaseolus vulgaris
 アカメガシワ(雌花) Mallotus japonicus


【文献】
Gildenhuys SD & Klopper RR (2013) A synoptic review and new infrageneric classification for the genus Haworthiopsis (Xanthorrhoeaceae: Asphodeloideae). URI: http://hdl.handle.net/2263/57046, Accessed: 2022-07-11
Haworthiopsis viscosa (L.) var. viscosa Gildenh. & Klopper comb. nov. 【属を移動】
 = Haworthia asperiuscula Haworth (1819:60)
 ≡ Aloe asperiuscula (Haw.) Roemer & Schultes (1829:653)
 ≡ Haworthia viscosa f. asperiuscula (Haw.) Pilbeam (1983:141)

夏の日に金沢文庫へ-2002-07-02

 今日も一日猛暑。暑さが落ち着いた夕方に少しだけ歩いてみました。


【参考】
 トウネズミモチ Ligustrum lucidum
 シチヘンゲ Lantana camara
 ハマオモト Crinum asiaticum
 スイレンボク(水蓮木) Grewia occidentalis
 アサリナ・バークレイアナ Asarina barclaiana
 アオギリ Firmiana simplex