大宮、そして渋谷へ

 本日は、届け物があるので大宮の実家へ。帰りは武蔵一之宮氷川神社を経由し、Tsutaya渋谷店にも寄りました。


武蔵一之宮氷川神社
 山門
 参道と三の鳥居
 ふくろ絵馬
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 島池(白鳥池)
 Tsutaya SHIBUYA


縣令櫻碑


縣令櫻

以𫝂尤愛推之𫝂敬謂之真敬推𫝂尤敬及
之所愛謂之真愛埼玉縣令𠮷田清英君為
縣大書記官之日移𫝂尤愛庭櫻獻之
氷川大社社檀人民不期而雲聚搬運之晨
者社頭櫻樹數千萬株莫出其右者猶天女
嫣然一笑陽域下蔡無粉黛千載加社殿之
光輝上𫝂好民爭歸或架石梁或脩華表以
贊輪奐之美不一而足豈非推𫝂敬及所愛
呼無幾君拝縣令人民抃喜偁縣令櫻云
明治十五年三月 大教正平山省齊撰文篆額并書
              石工邨上瀧巌謹

   氷川神社(ひかわじんじゃ)
     所在地 大宮市高鼻町四ノ一ノ一
 氷川神社は、社記によると第五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。当社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒のある歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
 古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命(えたもひのみこと)出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~七四九年)のとき「武蔵一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護二年(七六六)の「延喜式神明帳」には、明神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
 このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六六七)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
 その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際して、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇がみずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改造して、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
 祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)稲田姫命(いなだひめのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)
 例大祭は八月一日。そのほか信じの中で特にゆうめぅなのが十二月十日の大湯祭(だいとうさい)
  昭和六十年三月
          埼玉県
          大宮市


氷川神社由緒

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