平成町のエイビイで特大スイカをみかけました。スイカ生産では、作付面積、収穫量ともトップの熊本県産で、外見は黒部スイカ(ラットルスネーク種)によく似ていますが、更に巨大なスイカです。
ウェブ情報によれば、アメリカから導入されたカロライナ・クロス種で、食用には不向き、「でえらいスイカ」という商品名で種子が販売されているようです。
【参考】
でえらいスイカ Citrullus lanatus ‘Carolina Cross’
平成町のエイビイで特大スイカをみかけました。スイカ生産では、作付面積、収穫量ともトップの熊本県産で、外見は黒部スイカ(ラットルスネーク種)によく似ていますが、更に巨大なスイカです。
ウェブ情報によれば、アメリカから導入されたカロライナ・クロス種で、食用には不向き、「でえらいスイカ」という商品名で種子が販売されているようです。
三浦半島での神社の分布を調べていて、熊野神社の多いことに気づきました。
熊野神社は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の神々を勧請した神社の総称です。三浦半島では鎌倉時代の創建が多いようで、グーグルマップで検索しただけでも10社程度がヒットします。摂社、分社等の境内社を含めれば、少なくとも倍以上あるのではないかと推測されます。
今日は、荒崎海岸に行った帰りに西海岸の熊野神社を訪ねました。
熊野神社(長井)
長井地区の総鎮守熊野神社です。加藤山寿の著した三浦古尋録には『鎮守熊野三社権現』と記載されています。7月15日の例大祭の時に奉納される飴屋踊りは横須賀風物百選に選ばれています。
十二所神社(芦名)
三浦古尋録には『鎮守十二天ノ社』となっています。東鑑の寿永元年(1182年)8月11日に三浦十二天として記載されているため、鎌倉時代初期には創建されていたと考えられます。当社は、横須賀風物百選に選ばれています。
熊野神社(秋谷)
大永六年(1526年)の秋谷村の大火によって什器、記録等が失われたため、創建年不明。古くから久留和の熊野権現として知られているそうです。
熊野神社(一色)
この神社も県道207号線からの入口がわかりにくいのですが、三浦アルプスの西側の出口がここなので、これまでにも何度か通りかかったことがありました。『葉山町の歴史とくらし』によれば、
1.出雲松の熊野神社から勧請
2.江戸時代に紀州熊野から漁民が移住してきた際に故郷から熊野三社を勧請
という2説があるそうです。
熊野社(佐島)
この神社には気づいておらず、今日は通り過ぎてしまいました。
主祀神:伊弉諾命
祇園大明神(荻野)
熊野神社系ではないのですが、名前が珍しいので寄ってみました。地図によれば荻野山正蓮寺の近くなのですが、道路からの入口が分かりにくく何度か行き来してやっと辿りつきました。たまたまお会いしたお社を清掃中の方に伺ったところ、一度は近くの祖母社に合祀されたが、荻野地区の鎮守として再度勧請されたとのことでした。社名からして『祭神は素戔嗚尊ですか』とお尋ねしたところ、そうではないそうで、『牛頭天王』ですかとの問いにはそうですとのことでした。詳細は不明ですが、ウェブ情報によれば合祀前の名称は、『祇園社』だっようです。
【文献】
高橋恭一(1967)校訂三浦古尋録下巻
横須賀郷土史研修会(1988)横須賀の史跡を訪ねて
葉山町編集(2015)葉山町の歴史とくらし
以下、本日撮影の写真です。今日は、荒崎海岸で横須賀エコツアー『長井・荒崎コース』が開催されました。
今日は三浦アルプスへ。港ヶ丘側から入り、乳頭山から北側のコースを辿って、森戸川の源流あたりまでは人影を見かけなかったのですが、源流域を過ぎて沢を下って林道の終点付近からはいきなり賑やかとなりました。いかにもといったスタイルのバードウォッチャーやお年寄りの集団が多く、このコースは西側から入るのが定番の様です。
山道では、ヤブミョウガやヤマユリが見頃を迎えていました。
夏祭りのシーズンが続きます。先週末は追浜祭でしたが、この週末は、田浦船越神社、三艘浅間神社、池子神明社、逗子亀ヶ岡八幡宮等々の御祭禮です。近場はさておき、今日は二人でペリー祭が開催されている久里浜を訪ねました。
【ゴジラ復活!までの軌跡】「ゴジラのすべり台」解説文
海と緑と歴史の町、横須賀。温暖な気候と首都圏から70分あまりの位置にある町。そんな魅力的な環境の町が、「基地の町」としていつの間にか他都市からもイメージされる様になった。横須賀市は優れた地域資源を創造的に活用し、魅力を高めて、横須賀のイメージを「基地の町」から「国際 海の手 文化都市」という新しいイメージに変えようと日々努力しています。
そこで、私たち横須賀商工会議所青年部は、横須賀市が数年に渡り市民や企業の協力のもと調査し、イメージアッププランの一つにあげていた「多々羅浜にあったゴジラのすべり台」に着目し、市民の手で「新しい横須賀のイメージ作りに。又、未来の子供達に何かを残してあげられたら…」と考え、準備を進めて参りました。そして私達青年部は、市民の力を借りて、署名活動を行い、12万あまりにも及ぶ署名を集め、要望書とともに神奈川県知事宛に提出をいたしましたが、その結果、環境との調和の観点から適当でないという回答をいただきました。しかしながら、神奈川県と横須賀市で協議をしていただき、「くりはま 花の国」において使用許可をいただきました。そして、大勢の方々かの理解と、市民の協力で実現することができました。遊び心から生まれ、夢とロマンを感じさせ、横須賀をアピールできる。それが「ゴジラのすべり台」です。
夏祭りのシーズン到来です。本日7月9日は、追浜雷神社の天王祭、金沢八景瀬戸神社の天王祭などが開催されました。富岡八幡宮の祇園舟もその一つ。茅の輪で作った舟に穢れを移して流すという神事で、本牧神社のお馬流しに類似性を見出すことが出来ます。
以下、本日撮影の写真です。
【主な経路】
雷神社-瀬戸神社-洲崎神社-金沢八幡神社-稱名寺-金沢緑地-長浜公園-船溜まり-富岡八幡-長昌寺-中原熊野神社-上大岡小学校-西光寺-弘明寺-上大岡駅
【参考】
瀬戸神社の大榧 Torreya nucifera
蛇混栢
クサフグ Takifugu niphobles
源平桃(稱名寺) Amygdalus persica
ハナツルクサ Aptenia cordifolia
オカメザサ Shibataea kumasaca
アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
ネムノキ Albizia julibrissin
タブノキ Machilus thunbergi
ハクウンボク Styrax obassia
ミヤギノハギ Lespedeza thunbergii subs. thunbergii f. thunbergii
コメツキガニ Scopimera globosa
ノウゼンカズラ Campsis grandiflora
マンリョウ Ardisia crenata
ミッキーマウスの木 Ochna serrulata
ススキ Miscanthus sinensis
ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva var. kwanso
オシロイバナ Mirabilis jalapa
キツリフネ Impatiens noli-tangere
ツルハナナス Solanum laxum
ノカンゾウ Hemerocallis fulva var. longituba
ヒメガマ Typha domingensis
ベッコウタケ Perenniporia fraxinea
ハゼラン Talinum crassifolium
富岡山長昌寺
中原熊野神社
中原見守地蔵尊
滝の下庚申塔
道祖神:中原1-12
上大岡小学校の階段絵
道祖神残欠:上大岡東2丁目23
中里石塔群
身代わり地蔵尊(弘明寺)
瑞應山弘明寺
弘明寺商店街
子育て地蔵尊(上大岡)
【熊野神社縁起】
当社は建久三年(西暦1192年)源頼朝が征夷大将軍になった年、鎌倉四家の道場の内、山崎・泉蔵院の僧、真諦智覚法印に治国安民の祈祷を命じた。
頼朝の命を受けた智覚法印は、我が国第一の霊場とされて居る紀州熊野に参籠して幣帛を捧げ、三所権現の御分霊を樟の舟に乗せ祈りを込めて海に流した。樟舟は神意のまにまに旬日後中原の海岸に流れ着き、この事が将軍に伝わり頼朝は御神慮の有難さを感じて近くの地に神殿を建てるよう智覚法印に命じた。
智覚法院は東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊野三所権現社を祀り、山裾に紀州桐谷寺建立すべく同年五月六日に着工し十一月十五日に完成した。後に桐谷山は山号を大霊山泉蔵院と改め熊野権現社の別当として当社に奉仕し国家安泰・万民和楽の祈願を続けて来た。その間文禄三年九月(1594)社殿再建、正徳五年(1715)二十六世善祐の折り社殿を改築され規模は九尺に二間であった。
後、安政四年(1857)再度改築された。明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め法印は神職となり約七百年続いた泉蔵院は廃寺となってしまった。
明治四十三年神社統合令により村内の中原明神・諏訪明神の二社が合祀された。
大正四年社殿の改築が行なわれ、本殿は二間に一間半の神明造り、幣殿は二間に一間半、拝殿は二間半に二間半向拝付銅葺の建物になった。
昭和六十一年に社殿新築の議が起こり、寺田勝彦氏が建築委員長となり、大同建設株式会社岡田文夫氏が大工棟梁○○賢治氏にて施工を請持ち、昭和六十二年十二月に現社殿が完成した。
本殿は二間に一間二五神明造り、幣殿二間に一間七五、拝殿三間半に二間唐破風付銅葺である。
宮司 三十五世 杉原章夫
「御祭神」家津美御子大神
伊邪那美大神
事解之男神
伊邪那岐大神
速玉之男神
天照皇大神大神
建御名方命
日本武命
「境内社」金毘羅社・摩利支天社・稲荷社
「祭事」 一月初 新年祭
二月十一日 祈念祭
五月下旬 摩利支天祭
八月中旬 例大祭
十一月二十三日 新嘗祭
追浜では、今日が雷神社天王祭の宵宮、明日が本宮となります。お隣の瀬戸神社でもほぼ同じスケジュールで天王祭ですが、狭いながら縁日の出る追浜のほうが賑やかでした。山道ではヤブミョウガの開花が始まっています。
【本日の主な経路】
雷神社-傍示堂-三艘-六浦-朝比奈小学校-朝夷奈切通-熊野神社-鎌倉宮-鶴岡八幡宮-北鎌倉-巨福呂坂洞門-大船-公田-上郷-朝比奈-宮ヶ谷-金沢文庫-金沢八景-六浦-追浜
庚申塚
此処に有る庚申塚は裏面に享保九辰年(一七二四年)や寛文十年(一六七〇年)の文字が刻まれて居ます。この頃、建てられたものですが庚申信仰は中国の道教が日本に伝わり日本の仏教や神教と混合して独特の信仰形態になったと云われます。本体で一般的なのは青面金剛菩薩ですが帝釈天・猿田彦命や三猿等形態はさまざまです。疫病や不幸を防ぐ力が有ると信じられ他村からそれ等悪いものが村へ入らないようにと昔は村の入口や四辻等に祀られて居ました。明治十年頃迄は三艘の民家三十六軒中三十軒が三艘橋から現在の六浦南一-三六-二一(早川邸)まで集落を形成して村の中心でした。そして侍従川-三艘橋-象ヶ谷に通ずる川の中心が字三艘と字川の村境でした。従って三艘橋が字三艘の入口であったと思われています。
【参考】
ミツデウラボシ Selliguea hastatus var. Syn. Crypsinus hastatus
キンギョソウ Antirrhinum majus
イソトマ Isotoma axillaris
サルスベリ Lagerstroemia indica
ウズアジサイ Hydrangea macrophylla ‘Uzuazisai’
センダングサ Bidens biternata
ムラサキエノコロ Setaria viridis f. purprascens
ヒメヒオウギズイセン Crocosmia x crocosmiiflora
ツユクサ Commelina communis
ノウゼンカズラ Campsis grandiflora
ヒルガオ Calystegia japonica
ユーカリ Eucalyptus spp. の林
チヂミザサ Oplismenus undulatifolius
ニオイコベニタケ Russula mariae
イグチの一種(?)
コテングタケ Amanita porphyria
オカトラノオ Lysimachia clethroides
ヒメヤブラン Liriope minor
ヤブラン Liriope muscari
ウチワタケ Microporus affinis
スエヒロタケ Schizophyllum commune
キツネノボタン Ranunculus quelpaertensis
ヤブミョウガ Pollia japonica
コンロンカ Mussaenda parviflora
アカザ Chenopodium album
ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva
アフリカハマユウ Crinum bulbispermum (Syn.Crinum latifolium)
タラヨウ Ilex latifolia
ガビチョウ Garrulax canorus
ハナズオウ Cercis chinensis
キンシバイ Hypericum patulum
雷神社
庚申塔(三艘会館)
六地蔵(三艘浅間神社)
三郎の滝(朝比奈切通)
浄明寺熊野神社
荏柄天神社
マリア像(ルルドの洞窟)
鶴岡八幡宮
うさぎの看板と満月