祇園舟-梅雨間の夏祭り

夏祭りのシーズン到来です。本日7月9日は、追浜(いかづち)神社の天王祭、金沢八景瀬戸神社の天王祭などが開催されました。富岡八幡宮の祇園舟もその一つ。茅の輪で作った舟に穢れを移して流すという神事で、本牧神社のお馬流しに類似性を見出すことが出来ます。

以下、本日撮影の写真です。

【主な経路】
雷神社-瀬戸神社-洲崎神社-金沢八幡神社-稱名寺-金沢緑地-長浜公園-船溜まり-富岡八幡-長昌寺-中原熊野神社-上大岡小学校-西光寺-弘明寺-上大岡駅
【参考】
瀬戸神社の大榧 Torreya nucifera
蛇混栢(じゃびゃくしん)
クサフグ Takifugu niphobles
源平桃(稱名寺) Amygdalus persica
ハナツルクサ Aptenia cordifolia
オカメザサ Shibataea kumasaca
アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
ネムノキ Albizia julibrissin
タブノキ Machilus thunbergi
ハクウンボク Styrax obassia
ミヤギノハギ Lespedeza thunbergii subs. thunbergii f. thunbergii
コメツキガニ Scopimera globosa
ノウゼンカズラ Campsis grandiflora
マンリョウ Ardisia crenata
ミッキーマウスの木 Ochna serrulata
ススキ Miscanthus sinensis
ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva var. kwanso
オシロイバナ Mirabilis jalapa
キツリフネ Impatiens noli-tangere
ツルハナナス Solanum laxum
ノカンゾウ Hemerocallis fulva var. longituba
ヒメガマ Typha domingensis
ベッコウタケ Perenniporia fraxinea
ハゼラン Talinum crassifolium
富岡山長昌寺
中原熊野神社
中原見守地蔵尊
滝の下庚申塔
道祖神:中原1-12
上大岡小学校の階段絵
道祖神残欠:上大岡東2丁目23
中里石塔群
身代わり地蔵尊(弘明寺)
瑞應山弘明寺
弘明寺商店街
子育て地蔵尊(上大岡)

【熊野神社縁起】
当社は建久三年(西暦1192年)源頼朝が征夷大将軍になった年、鎌倉四家の道場の内、山崎・泉蔵院の僧、真諦智覚(しんだいちかく)法印に治国安民の祈祷を命じた。
頼朝の命を受けた智覚法印は、我が国第一の霊場とされて居る紀州熊野に参籠して幣帛を捧げ、三所権現の御分霊を樟の舟に乗せ祈りを込めて海に流した。樟舟は神意のまにまに旬日後中原の海岸に流れ着き、この事が将軍に伝わり頼朝は御神慮の有難さを感じて近くの地に神殿を建てるよう智覚法印に命じた。
智覚法院は東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊野三所権現社を祀り、山裾に紀州桐谷寺建立すべく同年五月六日に着工し十一月十五日に完成した。後に桐谷山は山号を大霊山泉蔵院と改め熊野権現社の別当として当社に奉仕し国家安泰・万民和楽の祈願を続けて来た。その間文禄三年九月(1594)社殿再建、正徳五年(1715)二十六世善祐の折り社殿を改築され規模は九尺に二間であった。
後、安政四年(1857)再度改築された。明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め法印は神職となり約七百年続いた泉蔵院は廃寺となってしまった。
明治四十三年神社統合令により村内の中原明神・諏訪明神の二社が合祀された。
大正四年社殿の改築が行なわれ、本殿は二間に一間半の神明造り、幣殿は二間に一間半、拝殿は二間半に二間半向拝付銅葺の建物になった。
昭和六十一年に社殿新築の議が起こり、寺田勝彦氏が建築委員長となり、大同建設株式会社岡田文夫氏が大工棟梁○○賢治氏にて施工を請持ち、昭和六十二年十二月に現社殿が完成した。
本殿は二間に一間二五神明造り、幣殿二間に一間七五、拝殿三間半に二間唐破風付銅葺である。
宮司 三十五世 杉原章夫
「御祭神」家津美御子(けつみみこ)大神
伊邪那美(いざなみ)大神
事解之男神(ことさかのをのかみ)
伊邪那岐(いざなき)大神
速玉之男神(はやたまのをのかみ)
天照皇大神(あまてらすすめ)大神
建御名方命(たけみなかたのかみ)
日本武命(やまとたけるのみこと)
「境内社」金毘羅社・摩利支天社・稲荷社
「祭事」 一月初 新年祭
二月十一日 祈念祭
五月下旬 摩利支天祭
八月中旬 例大祭
十一月二十三日 新嘗祭

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