杉山神社を巡る-Part1 南部11社

 杉山神社は、現横浜市を中心とした旧武蔵國内に広く分布する神社で、武蔵國風土記には72座が記載されています(戸倉、1978)。その所在地をプロットしてみると南部のクラスタが見えてきます。それらは、帷子川、大岡川に沿って分布しており、11座を数えます。今日は、その11社を廻ってきました。
 その名称と川に近い立地から杉の御神木に出遭うことを予期しましたが、御神木といえるほどの杉は見かけませんでした。

【本日巡検した杉山神社】
  括弧内の数字は、戸倉(1956)の付図『杉山神社考関係地図』の番号
 川島杉山神社:(25)保土ケ谷区川島町896
 上星川杉山神社:(24)保土ケ谷区上星川2丁目12-11
 仏向杉山社:(29)保土ケ谷区仏向町237
 和田杉山神社:(28)保土ケ谷和田町1-10の4
 星川杉山神社:(26)保土ケ谷区星川1丁目19-1
 西久保杉山社:(27)保土ケ谷区西久保町118
 戸部杉山神社:(38)西区中央1丁目13-1
 水天宮/太田杉山神社:(34)南区南太田2丁目2−7−29
 蒔田杉山神社:(35)南区宮元町3丁目48
 子神社:南区堀ノ内町2丁目134
 岡村天満宮:磯子区岡村2丁目13-11


【川島杉山神社】(25)保土ケ谷区川島町896
 天文年間に北条氏康が創建したと伝えられるそうです。境内社として杉山稲荷神社が鎮座していました。

川島杉山神社とは?
 天文年間(1532-1555)、上杉友定との戦の時、北条氏康がこの地に陣を張った夜、日本武尊の東征の夢を見て、その加護により必ず勝てると、祠を建てて武運を祈ったといわれています。戦に勝利した後は、ただちに社殿を新築し、除地(年貢を免除された土地)一反歩(約992㎡)を与えて恩返ししたと伝えられています。
 また、氏康は領民をいたわる気持ちが強く、長い戦乱による住民の困窮を救うために植林を奨励し、植林の祖神である、五十猛尊を合わせて祀ったと伝えられています。明治6年、村社に指定されました。現社殿は昭和30年5月の造営です。


【上星川杉山神社】(24)保土ケ谷区上星川2丁目12-11
 国道16号線杉山神社交差点近くの杉山神社です。


【仏向杉山社】(29)保土ケ谷区仏向町237
 祭神は五十猛尊、境内社は神明社と稲荷社とのことです。


【和田杉山神社】(28)保土ケ谷和田町1-10の4
 和田の村社、境内社は神明社の様です。


【星川杉山神社】(26)保土ケ谷区星川1丁目19-1
 由緒書によれば、式内社「杉山社」を名乗っているようですし、本日廻った杉山社の中では最も立派な造ではありましたが、戸倉(1956)は根拠に乏しいとしています。延喜式神名帳を参照すると『都筑郡一座 小 杉山神社』となっているので、旧都筑郡の区域からは外れている当社が式内社である可能性は低いと考えられます。

◎杉山神社の御祭神
 日本武尊(やまとたけるのみこと)
 国土平定の第一人者、日本武尊は第十二代景行天皇の第一子としてお生まれになり、敵方から日本一強いと尊称され、草薙剱(くさなぎのつるぎ)も一段と冴えわたり、たちまち東国を一蹴しました。
◎御例祭-九月十九日[杉山まつり]
 例祭日は九月の十九日を中心として、第二週または第三週の土・日曜日に行われます
 当日は、本殿での祭儀に引続き神輿の渡御があり、境内では献画展や奉納行事などが催されます。
 また、参道には露店など数多く並び、秋まつりにふさわしい神賑わいを見せております。
◎杉山神社のいわれ
 東にはるか上総の山々、西に霊峰富士をのぞむ丘に鎮まります当社が初めて国史上にあらわれるのは、『続日本紀』です。その承和五年(八三八年)の二月の条に「武蔵国都築郡枌(杉)山神」が霊験あらたかなるをもって官社に列せられたとあり、同十五年(八四八年)五月の条には「武蔵国旡位(むい)枌(杉)山神」が従五位下を奉授されたとあります。
 さらに降って、『江戸名所図会』に「新町より八町あまり北の方下星川村にあり、延喜式内(えんぎしきない)の神社にして云々」とあるように「延喜式」神明帳に武蔵国四十四座の中に「都筑一座(小社)」と記載されており、多摩川以南、都筑・橘樹・久良岐三郡において唯一の式内社との伝承が古くより語り継がれております。
 御祭神日本武尊は、三種の神器草薙剱の神話にもあるように強い意志と決断力の御神格があり、この剱が知恵のことをあらわすことから出世・開運祈願・厄除および商売繁盛・縁結び・交通安全・金運に恵まれるとの御神徳が伝えられ、人々は幾世代にわたりその御神助を祈ってまいりました。
◎御神紋の三本杉
 古来より、神の御心は、神託(しんたく)神符(しんぷ)などで人々に伝えられておりましたが、やがて神の御心は具体的に形でも伝えられるようになりました。それが神紋といわれるものです。
 当社の神紋は、社名の通り天に高くそびえる杉の紋で、三本杉はうっそうとした神聖な森を表しております。
 特に、杉の枝は安産の御守りや魔除けにされたほか、杉の脂は火傷や吹出物などの塗り薬に使用され、杉の樹木そのものは、屋敷の宅神、商売繁盛の福の神として広く信仰されております。
 また、屋久杉・神代杉に見られるように長寿のシンボルとして樹木の崇拝の中心的存在であり、全国的に見ても杉を神木とする神社が数多くあります。


【西久保杉山社】(27)保土ケ谷区西久保町118
 帷子川水系今井川から近くの国道16号線沿いに鎮座する杉山社です。境内社に塩田稲荷社があるほか、境内には、庚申塔、道祖神、堅牢地神塔なと石塔が多数ありました。


【戸部杉山神社】(38)西区中央1丁目13-1
 帷子川水系石崎川近くの社で西区では唯一の杉山神社です。扁額によれば、この社も式内社を名乗っているようですが、文献から見る限り当社が式内社である可能性は極めて低いと思われます。ここの神社には狛犬のほかに狛鼠もいました。御神木はケヤキです。

戸部杉山神社由緒
 御祭神 大己貴神
 当神社ハ白鳳三年弥生二十日出雲大社ノ御分霊ヲ勧請ス・武相ノ地杉山神社多キモ延喜式内ノ杉山神社ハ当社ナリト云傳フ。当神社ノ効顕ノ著シキヲ以テ各近隣二杉山社ノ名稱多クナレリトモ云フ。古くヨリ武藏國戸部村ノ鎮守ニシテ当地開拓ノ祖神ナリ。歴代ノ國主地頭代官等ノ尊信甚ダ厚ク幕府ヨリハ御朱印ヲ附與シアリ。御祭神ハ天孫降臨以前二己二國土開拓経営二威霊ヲ発揮セラレ給フ。即チ日本最初ノ神社祭神ナリ。貧賤病弱ヲ救癒シ産業ヲ授ケテ富益ヲ増シ醫藥ノ道ヲ興シテ氏族ノ繁栄ノ基ヲ計リ剣争ヲ用ヒズシテ温和ノ中二諸事泰平ノ國本ヲ培養セラレ國治家齊ノ法ヲ授ケ給フ。智謀悟道ノ祖ヲ開き國利民福を念トシ自ヲ苦反シ以テ他ヲ憐ミ給フ。即チ当地開拓ノ先哲達人先ズ此ノ大神ヲ奉祀シ鎮護祈願センタメ勧請セシナリ。
       昭和丙辰年(1976年)弥生二十日  奉納学校法人石川学園理事長 石川和平

※白鳳は私年号のため西暦年は不詳です。白鳳=白雉との説を取れば、西暦652年となるので、当社が式内社である可能性もありそうですが、当地は旧久良岐郡地域ですので、まずその可能性はなさそうです。


【水天宮/太田杉山神社】(34)南区南太田2丁目2−7−29
 横濱水天宮として知られるこの神社が、水天宮と太田杉山神社が合祀されたことは扁額からも窺い知ることができます。


【蒔田杉山神社】(35)南区宮元町3丁目48
 蒔田駅近くの杉山神社境内には、幼稚園が設置されており、昼間は立ち入ることができませんでした。夜間は参拝可能とのことでした。祭神は、市杵島姫命、天照皇大神、宇賀御魂命の三柱です。


【子神社】南区堀ノ内町2丁目134
 南区堀ノ内町の鎮守子神社です。『南区の歴史』によれば、『字柿ヶ谷に鎮座した杉山神社の社殿を移して拝殿にしたとの記述があります。その拝殿も老朽化が進んだため2020年に建て替えの予定だそうです。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が、合祀前の柿ヶ谷杉山神社の御神体と思われます。

鎮座地 横浜市南区堀ノ内町2-134番地
御祭神 大国主命・倉稲魂命
御神徳 産業加護・医薬・縁結びの神
由緒 昭和20年4月15日戦災により全焼して創立何月日不明なるも古老言によれば………、起源は磯子区岡村の三殿台の山続きであること等により古墳時代と推定される。何時の頃から江戸時代までは室生寺別当が兼帯したが明治16年2月村社に列せられる。戦後宗教法人となり昭和28年に氏子中の協力により本殿・社務所・神楽殿が復興して今日に至る。例祭日 毎年8月25日・26日頃
御神木 いちょう 樹齢約500年余
※地鎮祭・初宮等各種祈祷お受け致します。
    子之神社 社務所


【岡村天満宮】磯子区岡村2丁目13-11

岡村天満宮
 「岡村の天神さま」として、土地の人々から親しまれてきました岡村天満宮の創立年代は不詳ですが、縁起によると鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に源頼朝の家臣が京都の北野天満宮の分霊をいただいて、この地に社を創建したといいます。明治43年、杉山神社と大神宮を合祀して、杉山天満宮と称するようになりましたが、昭和5年、永らく親しまれてきた町名をとって、岡村天満宮と改称しました。
 大正期には、元町薬師、野毛山不動とともに三大縁日としてにぎわいました。境内には、「撫でれば患部の苦痛が除かれる。」という石の牛像を始め筆塚、針塚などや、大正の頃ハマッ子に親しまれた大阪役者「市川荒二郎」らの寄進した石灯篭もみられます。
 また、この神社ゆかりの横浜人形「西瓜天神」や絵馬は特色のあるものです。
                 社団法人 横浜国際観光協会
                 横浜市教育委員会文化財課
                        平成2年3月
社殿御造営記念
 當社ハ鎌倉時代建久年間二京都北野天満宮ノ御分靈コイタダキテ創建サレ以来七百年御霊験極メテ高ク関東一圓ハモトヨリ遠ク関西ニマデ廣ク信仰ヲ集メタリ明治四十三年同町鎮座ノ天照皇大神ト杉山神社ノ二社ヲ合祀シテ杉山天満宮ト稱セシガ其ノ後昭和五年町名ヲ入レテ岡村天満宮ト改稱シ今日二到レリ旧社殿、木造茅葺ノユカシキ形容ニテ崇敬者二親シマレシガ最近各所ガ老朽化セシ為昭和四十六年宮總代会ノ議ヲ經テ社殿御造營ヲ決シ昭和四十九年二月起工同年九月上棟シ昭和五十年五月竣工セリ。旧社殿ハ御内殿ハ祖霊殿トシ本殿左側二奉斉セリ。御造營二當リ氏子各位並ビニ一般崇敬者ノ御奉賛ヲ仰ギシガ碑面ノ限度二依リ記名ハ高額者ノミニ留メタリ。
 昭和五十年五月吉日健之   宮司杉原敏之撰 瑞邨謹書㊞


【文献】
 戸倉英太郎(1956)杉山神社考(復刻版,1978)、232p.
 皇典講究所(1929)延喜式巻第九、延喜式:校訂.上巻、p.314、参照http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/192
 南区の歴史発刊実行委員会(1976)南区の歴史、650p.


【杉山稲荷神社】
 川島杉山神社の境内社と思われます。


【蔵王高根神社】保土ケ谷区坂本町140
 明治43年から昭和24年まで仏向杉山社に合祀されていたという蔵王社と高根社の二社がこの神社に祀られているそうです。境内社は稲荷神社と思われます。


【伏見稲荷社】
 星川杉山神社の境内社です。


◎境内神社-伏見稲荷社
●御祭神
 本社と同一境内に鎮座する伏見稲荷社の御祭神、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)の「うか」「うけ」は古く食物を意味する言葉で、また稲荷は「稲生り」「稲成り」の意味で神像が稲を担っているところから「稲荷」の字があてられたといわれています。
 稲荷の神はもともと農業の神ですが、米一粒が何倍にも殖えるように、広く殖産の神として商売繁盛の福の神はもとより諸産業の守護神として、あらゆる職業の人から信仰されています。
●御神徳
 商売繁盛・家内安全・交通安全・災難除・子孫繁栄また。学業成就・芸能上達などです。


【神戸下町神明社】保土ヶ谷区神戸町107
 970年(天禄元年)創建と伝えられる神戸(ごうど)に鎮座する神明社です。本社天照太神宮(祭神:天照大御神)、摂社豊受大神宮(祭神:豊受大御神)をはじめとして境内社が11社あるそうです。


神明社御由緒(旧伊勢神宮領榛谷御厨総鎮守)
 今から一千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷(はんがや)と呼ばれていた平安時代の中頃、天禄(てんろく)元年(970)当社の御祭神・伊勢の天照大御神が、武州御厨(みくりや)の庄の内、榛谷の峯に影向(ようごう)し、それから川井、二俣川、下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄(かろく)元年(1225)神託があって、神明の下宮を建て、当地を神戸(ごうど)と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜(ねぎ)社人(しゃにん)供僧(ぐそう)・巫女が仕え、年に七十五度の祭祀(さいし)を営み隆盛を極めたという。
 その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正十八年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、四石一斗の御朱印地(ごしゅいんち)安堵(あんど)された。また元和五年(1619)宮居(みやい)を神戸山々頂から現在の場所に遷し、社殿の造営や境内の整備が行われた。
 明治2年の修営には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦(ほうれん)安置所の御用材を下賜された。明治6年村社に列せられ、神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう)供進(ぐしん)の神社に指定された。

 平成十年十月、鎮座一〇三〇年祭・当地遷座七七〇年祭・伊勢神宮鎮座二〇〇〇年祭を記念して「平成の大造営」が行われ、三八〇年ぶりに御本社・摂末社・神楽殿等総ての境内建物十二棟が一新された。平成十二年四月、神奈川県神社庁献幣使(けんぺいし)参向(さんこう)神社に指定された。

   ※御厨(みくりや)伊勢神宮直轄の神領地
   ※影向(ようごう)神様が現れること
   ※鳳輦(ほうれん)天皇陛下の御車

 御祭神は、天照大神
 社殿建築様式は、本殿・拝殿とも神明造り
 例大祭は、八月第四日曜日、及び六月十六日 九月十六日
 氏子区域は、十六町、四十五自治会・町内会
  狩場町、権太坂、境木本町、境木町、藤塚町、法泉、初音ヶ丘、岩崎町、霞台、保土ヶ谷町、月見台、帷子町、桜ケ丘、天王町一部、岩間町、神戸町(約二万世帯)
 社有地は、境内・風致林あわせて、約六千坪
                                社務所


【庚申堂】

庚申堂改修再建趣旨
 吾が神戸下町神明社前ノ庚申堂ハ元禄七年當時ノ當町有志各位ノ奉仕ニヨリ建立セラレタルモノニシテ風雨星霜二百四十余年幾度カノ天災其他ニヨリテ毀損セラレタルコトアルモ其都度有信家各位ノ精進ニヨリテ兎モ角原体を維持シテ今日二逗モ誰ガ供ヘルトナク常二香煙ヲ絶タザルモ本年九月七日夜半偶々一不德運轉手ノ車輪ニカゝリ大毀損ヲ招キタリ標而之ヲ椅縁トシテ有志相計リ尊体ヲ修理シ小堂ヲ再建シテ温故知新ノタヨリトナスト共二以テ交通ノ安全ヲ謀リ併而以テ町内ノ康寧ト福趾ノ増進ヲ祈ル所以ナリ矣
 維持昭和十一年十月五日誌之


【塩田稲荷社】
 西久保杉山神社の境内社です。


【稲荷社】
 蒔田の森公園のすぐ隣の谷戸に鎮座する稲荷社です。


【蒔田の森公園】
 谷戸を利用した居心地の良い公園です。


蒔田(まいた)の森公園
 平成九年、森正勝氏から、庭園、林等、約7,000㎡の土地を横浜市に寄付されました。横浜市では、この貴重な緑を保全して次世代に残すため蒔田の森公園として整備しました。
寄贈 ふるさとの動物たち
 キツネ・タヌキ・イタチ・サル
 横浜ニューポートライオンズクラブ設立30周年記念
 2000・10・14


【白笹稲荷大明神】
 岡村天満宮の境内社です。


稲荷社について
 御祭神は白笹稲荷大明神様
商売繁盛を守護する神であり人間生活に欠く事の出来ない、衣、食、住を司る神である。着る事、食べる事、住むことは大地の恵みを受けることに他ならない。
 太陽の恵み(天の恵み)に対する地の恵みであり、本来は稲(命根(いね))を初め五穀の豊饒を司る「大地の恵み」を象徴する神であり人間の実生活に対して霊験あらたかな神である。
   平成元年 岡村天満宮 宮司


 以下、本日撮影のその他の写真です。


【参考】
 モンキアゲハ Papilio helenus
 (昔日の)西谷駅
 オオブタクサ Ambrosia trifida
 ヤクシソウ Youngia denticulata
 東海道新幹線
 和田町商店街
 帷子川土手
 ヒヨドリバナ Eupatorium chinense
 ヤマジノホトトギス Tricyrtis affinis
 キバナコスモス Cosmos sulphureus
 アゲハ Papilio xuthus
 グリーンロード藤棚

【本日の主な経路】
 相鉄線西谷駅-川島杉山神社-上星川杉山神社-蔵王高根神社-仏向杉山社-相鉄線和田町駅-和田杉山神社-星川杉山神社-神戸(ごうど)神明社-西久保杉山社-グリーンロード藤棚-戸部杉山神社-横浜市中央図書館-京急線日ノ出町駅-水天宮/太田杉山神社-蒔田杉山神社-子神社-岡村天満宮-京急上大岡駅

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