帰宅訓練2022-最短距離で

 職場の移転後、初めての実施となる災害時の帰宅訓練、設定された1時間では訓練にならないので、休日を利用して実施しました。2019年の時に作製した野帳留めが今回も役に立ちました。今回は地図を使わずに記憶で予定経路を辿った結果、掘割川の久良岐橋に出るつもりが中村橋に出てしまったのが間違い箇所でした。
【記録】所要時間:6時間14分、総歩数:34,480歩、総距離:(72cm/歩で換算)24.8km、平均時速4.0km/hr


【経路概要】
 本部(テクノウェイブ100)-神奈川公園-みなとみらい大橋-新高島駅-みなと博物館-桜木町駅-日ノ出町駅-坂東橋公園-中村橋-八幡橋-浜マーケット-磯子駅-新杉田駅-鳥見塚-富岡六地蔵-能見台駅-片吹-泥亀公園-瀬戸神社-金沢八景駅-泥牛庵-内川橋-傍示堂-雷神社-追浜駅-(自宅)

 
GoogleMap

区間毎速度の変化


【撮影場所】
 本部(テクノウェイブ100)
 神奈川公園
 みなとみらい大橋
 新高島駅
 すずかけ通り西
 神奈川大学みなとみらいキャンパス
 いちょう通り西
 けやき通り西
 Yokohama Air Cabin
 みなと博物館
 桜木町駅
 日ノ出町駅
 黄金橋
 栄橋
 坂東橋公園
 中村橋
 天神橋
 八幡橋
 浜マーケット
 芦名橋公園
 磯子中央病院
 磯子駅入口
 磯子駅
 磯子郵便局
 新杉田駅
 磯子スポーツセンター
 鳥見塚
 東富岡
 富岡六地蔵
 能見台駅
 堀口
 眼鏡市場横浜金沢文庫店
 片吹
 君ヶ崎稲荷
 泥亀公園
 姫小島水門跡
 瀬戸神社
 金沢八景駅
 泥牛庵
 六浦橋
 内川橋
 傍示堂
 雷神社
 追浜駅
 追浜南町入口
 自宅



安藤橋の由来
 磯子の今日は、八十七年前の海浜埋め立てに始まる。半農半漁の村に新時代の息吹を運ぶ大工事であり、中心となったのが安藤組(現在の安藤建設株式会社)である。総面積十一万坪余り。機械化されていない時代の難事業で、その労苦は言語によ絶するものがあったと聞く。犠牲者も少なくなかった。
 明治三十二年(1899年)に着手し、完成は大正十三年(1924年)実に二十五年の歳月をかけての大工事であった。 埋め立て地の中心に架設された橋は、施工者の名を取り「安藤橋」と名付けられた。
 橋は第二次世界大戦を挟む激動時代を背景として長い間、磯子の人々に親しまれてきた。しかし昭和三十八年(1963年)新しい時代の埋め立て工事で、もう一度磯子が生まれ変わったとき多くの人々に愛された橋は歴史上のものとなった。
 それから二十余年。今「ドルフ安藤橋」の丹治陽とともに橋は再び私どもの心の中に蘇った。
 ここに、安藤組初代社長、安藤庄太郎氏、二代目社長 安藤徳之助氏の偉業をしのび、この地に「安藤橋」の親柱を記念保存することになった。
              本文は、作家 津村秀介氏の寄稿による。
   昭和六十一年九月吉日
          安藤徳二郎(徳之助ニ男)

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