春と秋の社日(地神の祭日)は、彼岸日に最も近い
三浦半島の道祖神と地神 地神・道祖神マップ (作成中)
横須賀市、三浦市には、殆ど地神塔が現存しません。既存の文献にもその理由に言及したものは見当たらず、そもそも地神講を知る者さえ少なくなっている中で、今後、地神塔分布の背景が明らかとなる可能性はあまりないと思われます。
しかしながら、三浦半島地域でも地神信仰が存在していたことは、土地の伝承により明らかです。横須賀市が1980年代に編集した『古老が語るふるさとの歴史』には、『地神は石祠に祀られていた』という記載もあり、そうであれば、横須賀市、三浦市にも多数の由緒不明の石祠が残されているので、それらが地神の社であったのかも知れません。
今となっては検証する術はなさそうですが、三浦半島で地神塔がないのは、塔を建てて地神を祀る風習がなかったためではないかと考えられます。
横須賀市内で唯一確認できた地神(牛宮神社境内社)
【文献引用】
地神講
旧家の庭や畑の片隅に、小さな石の祠を見かける。これが農事の神を祀ったものである。古老の話では、昔、地に鍬を入れる時、そこに神が居るといけないので、塩を撒いて清めるか、「どいてください」と声をかけたという。子供のころに立ち小便をしようとしたら、年寄りに「どいてください」と言えとしかられた記憶がある。
地神様の日は農事は休みで、これを犯すと足が腐るといわれたものだ。
(小原台・飯田磯吉)
地神講
三月と九月の暦の上の社日には、農家は仕事を休みます。これは収穫のお礼をするということで、田畑の土には一切さわりません。もしこの日、田畑に鋤鍬を入れたりすると神のたたりがあると言い伝えられていました。
(武・青木宗五郎)
地神講
秋と春の社日(暦に出ている)には、講中全員が宿に集まり、掛け軸を飾り、鍬を祀ってお詣りをし、飲んだり食べたりして一日を過ごしました。その日は農家は一日仕事を休み、田畑の土は一切掘り起こさないことになっていました。今では講の集まりはなくなってしまいましたが、まだ私の家では秋春の社日には地神様を祀って供養をしております。
(衣笠・竹本一郎)
地神講
地神様の掛け軸をかけ、一人分の御馳走を上げて豊作を祈りました。昭和四十四年頃までは当日無尽をし、クジを引いて当たるとそのお金で農具を買うのが立て前でしたが、今は一休みの格好です。
(平作・鈴木惚太郎)
【文献】
飯田磯吉(1982)地神講、in 古老が語るふるさとの歴史 南部編、p173-174、横須賀市市長室広報課、横須賀.
青木宗五郎(1982)地神講、in 古老が語るふるさとの歴史 西部編、p167、横須賀市市長室広報課、横須賀.
竹本一郎(1983)地神講、in 古老が語るふるさとの歴史 衣笠編、p208、横須賀市市長室広報課、横須賀.
鈴木惚太郎(1983)地神講、in 古老が語るふるさとの歴史 衣笠編、p208、横須賀市市長室広報課、横須賀.