杉田から富岡へ

 運動不足解消のため少しだけ歩いてみました。
【主な経路】杉田~中原~栗木~坪呑~釜利谷~富岡


横浜市指定名木・古木 Machilus thunbergii:(中原)熊野神社
 No.201806、No.201803



1金沢道と向坂庚申塔 【磯子の史話より転記】
 栗木の根岸線下の新道四つ角の杉田よりに、旧道の四つ角があります。旧金沢街道は、この付近が住宅造成され、根岸線ができて様替りしましたが、四つ角のすぐ南側、高梨家右側に南東にはいる道があります。約五〇mで左折し、次に右カーブして人家の間をぬって行くと、浜中グランドの南辺の道に出ます。小坂を登ると草地の中でT字路に突当り右折すると山路にかかります。切通しにかかるといかにも古道らしい風情です。下りかかった時に左手を見ると、左の支尾根にはいる山道がみえます。杉田台のうら山尾根を伝って坪呑に下り杉田へ行く古道で、鎌倉五山の僧たちが東漸寺へ往来した道です。
 切通しの金沢道を下ると、そまはずれの右側に庚申塔と道標など三基の石塔があります。
 ひとつは、浮彫の青面金剛像で、日・月・六臂の青面金剛・鬼・とり・三猿などがそろっています。享保元年(一七一六)一一月四日下に寄進者八名の名があります。碑の両面に道案内として、左側にこれより左新町道、右側にこれより右杉田道とあります。
 二つめは、青面金剛と文字で書かれ、寛政一三辛酉天二月彼岸、中里念仏講中と刻まれています。もう一つは道標で、正面に、左新まち道、右に杉田道とあり、これも中里念仏講中とあります。後者の二碑は、石といい古さといい全く同じものです。同時に造立されたものでしょう。
 左の新町道は、今は廃道になっていて、やぶにおおわれています。はいってみると古道の面影があり、崩れた所の先に切通しがあります。山腹をぬって新川まで五〇〇mぐらいです。
 金沢道は山腹をぬって南に続いています。樹林の中を歩く風情はいいものです。下の低地に新道が出来るまでは、この道が中里・氷取沢への大切な街道で国道四五号線でした。大正初年に国道一六号線ができてから、この道は村道に転落し、下に市道ができてからは人通りも少なくなって、今では歴史の道、よい散策の道となっています。
 古道の面影をなつかしみながら行くと、やがて人家が現われて、ここは字向坂となります。左へ杉田の小名台への道をわけています。
【参考文献】
磯子区制50周年記念事業委員会「磯子の史話」出版部会 編(1978)磯子の史話、762p .


【参考】
杉田教会
向坂庚申塔・道標(磯子区上中里)
一杯水(いっぺい水):磯子区杉田9丁目1
ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
岩船地蔵尊:磯子区上中里町
京急富岡駅下人道トンネル
曲っ坂
円海山(京急富岡駅ホームより)
白梅 Armenica mume
スイカズラ Lonicera japonica

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