称名晩鐘の地を訪ねて

 今日は朝からサーバーの不調につき、休日出勤。復旧作業はすぐ済んだので、帰りに寄り道しました。
 寄り道のテーマは称名晩鐘。天保・嘉永年間(19世紀中頃)に出版された歌川広重作の大判錦絵による名所絵揃物『金沢八景』の一つ『称名晩鐘』に描かれた景色を探してみました。

 まずは、広重作の錦絵を見てみると、右手の山が恐らくは称名寺が麓にある金沢三山の最高峰金沢山(標高76m)と思われます。手前の水面が入江だとすれば、現在の海の公園、あるいは寺前あたりから見た図だろうと考えられているようです。
北東側から
北東側から
 北東側の柴シーサイドファームの方からみると、右手に金沢三山の最高峰金沢山、中央に稲荷山、右手に低く日向山の順になっていました。
南南東側から
南南東側から
 野島山の中腹から北側を見ると金沢ポンプ場の向うに金沢山が見えました。右手に稲荷山が低く続き、日向山はモアクレストマリンシティの白い建物群の後ろになっています。手前に見えるのは、今が収穫期終盤となった野島の海苔篊です。金沢山までの直線距離は約2kmです。
拡大すると


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 野島山の山頂展望台からズームをかけて撮影すると称名寺の屋根(右手)も見えてきました。この時期は葉を落としているイチョウの大木もわかります。左手の黄緑色の屋根の建物が金沢文庫です。前景となっているポンプ場辺りは1970年代の埋立地ですから、当時は入江だったことになります。金沢山と稲荷山の間から能見台の高層マンション『シティータワー横浜サウス』が見えています。
 どうやら件の錦絵は、ほぼ真南から見た景色と一致する様です。錦絵で一棟だけ低い位置にある建物が現在の本殿の位置と一致します。
南南西側より
南南西側から
 帰ってから地図を見ていて気づいたのは、家も称名寺のほぼ南側であることです。ザ・パークハウス追浜マウントサイドフォート8階(推定標高80m)からみると、ランドマークタワーの手前に見えるのが金沢山、その右手が稲荷山でした。直線距離で約4kmです。
拡大すると
 ズームをかけると、金沢文庫と称名寺が見えてきました。背景にはランドマークタワー、クインズタワー、ホテルパシフィコも見えています。800年近い歴史のある関東地方を代表する寺院と現代横浜のランドマーク群を一望できるヴューポイントです。ちなみにランドマークシティまでの直線距離は約16kmです。
その他、本日撮影した写真です。

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