金沢八景の今

金沢八景の今

 今日は朝から春の嵐。そこで、これまで撮影した金澤八景縁の地の写真を整理してみました。金沢八景の地がどこであったかについては、主として金沢文庫の整理した文献を参考にしました。
【参考文献】
 神奈川県立金沢文庫(2012)金澤八景いま昔、64p.
 金沢区生涯学習”わ”の会(2010)新版かねざわの歴史辞典、142p.+31p.

小泉夜雨こずみのやう
 かつて小泉弁財天の祠があった岬に降る雨が撰されたとされています。現在、弁天社は手子神社の境内社となっており、弁天像はいつでも公開されています。宇賀神タイプの弁天様で蛇身となっています。


手子神社(2011/12/11)

竹生島弁財天(2011/12/11)

称名晩鐘しょうみょうのばんしょう
 金沢山称名寺は、北条氏の氏寺として13世紀に創建された真言律宗別格本山です。八景成立当時の面影を残している数少ない場所で、1301年鋳造と伝えられる梵鐘を今も見ることができます。


野島山より(2015/2/28)

称名寺山門(2012/10/25)

称名寺本堂と阿字ヶ池(2013/4/27)

称名寺反橋(2012/10/25)

乙艫帰帆おっとものきはん
 乙艫海岸は1970年代の埋め立て事業で海の公園として生まれ変わっています。天然アサリの潮干狩りや海水浴の楽しめる海岸として四季折々に賑わっています。


八角堂から望んだ東京湾(2013/4/27)

野島から海の公園方面を望む(2013/4/27)

海の公園に沈む夕日(2015/12/25)

花火大会(2014/8/23)

洲崎晴嵐すさきのせいらん
 現在の洲崎町が埋め立てられる前の海岸線を須崎と呼んだそうです。今は寺院の多いエリアで金澤七福神の大黒天-知足山龍華寺、毘沙門天-嗣法山傳心寺もこのエリアにあります。


須崎神社(2014/1/2)

ウナギ料理の隅田川(2015/11/29)

大黒天 (2016/1/9)

毘沙門天 (2016/1/9)

瀬戸秋月せとのしゅうげつ
 瀬戸橋あたりから眺めた名月と言われており、あたりには12世紀には成立していたといわれる瀬戸神社(瀬戸三島明神)、江戸時代から続く料亭千代本などがあります。


琵琶島からみた名月(2015/11/28)

正月の提灯飾り(2015/1/2)

料亭千代本(2015/11/29)

カヤの大木(2011/9/25)

平潟落雁ひらがたのらくがん
 平潟湾の大部分は昭和30年代に埋め立てられて柳町になっています。町の中心のロータリーには、清水多嘉示作の母子像がありました。


清水多嘉示作母子像(2014/1/25)

野島夕照のじまのせきしょう
 野島は現在野島橋、夕照橋の二橋により陸続きとなっていますが、少し離れれば島の景観がよく残されています。歌川広重の錦絵の場所を特定できる数少ない景です。夕照橋は『ゆうしょうばし』と読ませるそうです。


夕照ゆうしょう橋からみた落日(2013/4/13)

八景島より(2013/2/24)


海苔ひび(2015/2/22)

内川暮雪うちかわのぼせつ
 心越禅師が能見台で八景詩を読んだ頃には、瀬戸橋の内陸側まで入り江が広がっており、このあたりを内川入江と称したそうです。その後干拓が進むにつれ、異説が増えていき、金龍院版の八景図では現在の六浦方面へ移動しているとのことです。


内川橋(2015/11/29)

(今はなき)志なのやの狸像(2015/11/29)

【能見堂跡地】
 明からの亡命僧東皐心越とうこう しんえつが17世紀末に七言絶句の漢詩に詠んだことで金沢八景の地が比定されたそうです。現在は雑木林に阻まれてそれほど眺めがよいわけではありませんが、春先には梅の名所として知られています。


金澤八景根元地碑(2015/1/2)

能見堂跡地の梅林(2013/3/3)

【九覧亭跡地】
 昇天山金龍禅院は、鎌倉建長寺末で14世紀後半に創建された寺院で、江戸時代には多数の八景図を発行していたことで知られています。裏山には、八景に加えて富士山も望めることができたために九覧亭と名付けられた四阿があったそうてですが、今の眺めは木間に八景地を望める程度でした。


昇天山金龍院(2014/9/23)

九覧亭跡地より(2014/9/23)

【四望亭】
 室の木にあったと伝えられる小高い展望地で、金沢八名木のひとつ「雀浦一つ松すずめがうらのひとつまつ」はこの地に生えていたとも言われます。海軍に平削されたため、今は跡地もなく、現在は公務員宿舎のあるあたりと言われます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です