浦郷八景(北郷八景)を巡る

 午後から天気が回復したので、三浦半島の八景巡りの締めくくりとして浦郷八景を巡ってみました。浦郷八景(北郷八景)は、旭松閣吉隆が安政5年(1858年)に撰したと伝えられる八景で、その根拠は坂中山観音寺に残されている扁額です。観音寺は見魚台きんぎょだいと言われる高台に位置しており、ここから眺めた景色を和歌に詠んだとされています。ここの八景縁の地は、半分が一般人が立ち入れなくなっており、僅か160年ほど前の当時を偲ぶことは困難になっています。

【浦郷八景(北郷八景)】旭松閣吉隆撰、撰年1858年(安政5年)
 夏島秋月、勝力帰帆、箱崎夜雨、吾妻晴嵐、洲口落雁、榎戸夕照、亀島慕雪、独園晩鐘
浦郷八景か北郷八景か


【箱崎夜雨】
 箱崎や明けなばいかに夜もすがら、雨の音そふ岸の松風
 箱崎半島は、現在、米軍横須賀基地内ですので立ち入ることができません。

【独園晩鐘】
 かならずと暁かけてちきりしも、ひとり園生のいりあひのかね
 深浦山獨園寺は、臨済宗建長寺派、追浜町自得寺の末寺で、見魚台のすぐ下の谷に位置します。現在、八景に関する碑を見ることができるのはこの寺だけとなっています。

【勝力帰帆】
 もののふの矢よりも早き勝力の、真帆うちかけて帰る釣舟
 勝力半島も米軍横須賀基地内です。今日は、田浦の静圓寺から眺めてみました。

【吾妻晴嵐】
 嵐ふく吾妻の峯に雲晴れて、とふねもなみの花ぞきにける
 吾妻山は、箱崎半島にあるため、立ち入り禁止です。かつて山頂近くにあったといわれる吾妻神社は対岸の吾妻隧道の上あたりに移転しています。

【夏島秋月】
 夏島や四方の海原うちはれて、ながめつきせぬ秋の月
 かつて島だった夏島も今は地続きとなっており、一部は海洋研究開発機構(JAMSTEC)の敷地になっています。山頂近くからは貝塚が発見されましたが、今は立ち入り禁止となっていて近づくことはできません。今日は観音寺近くの見魚台から眺めてみました。

【洲口落雁】
 見渡せばかりがね落るすのくちの、岸によるなみ音もどだへて
 深浦湾からの出口あたりの洲を洲口と呼んだようですが、自衛隊の敷地となっていて立ち入ることができません。

【榎戸夕照】
 榎戸や夕づく日なたさしむかひ、てりそう影の深きうらうら
 榎戸港は漁港もありますが、ヨットハーバーのほうが面積を占めているようです。

【亀島慕雪】
 としつもる亀島山のしら雪は、むらがりやすむ鷺にぞありける
 亀島は平削され埋め立てられて、今は東邦化学工業の敷地となっているようです。亀島にあった亀島神社は、深浦の大国主社に合祀されたとのことです。現在の当該地の近くには地蔵尊が祭られていました。

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