屛風ヶ浦八景を巡る

 磯子には明治末年に選ばれたという屛風ヶ浦八景があります。この八景は、私の知る限りでは、杉田八幡宮宮司の三浦豊氏が著わした屛風浦郷土誌(1953年)および磯子区制50周年記念に刊行された磯子の史話(1978年)に8首の和歌が載っているくらいですので、日本全国で1000か所はあるとされる八景の中でも最もマイナーな八景のひとつと思われます。
 屛風ヶ浦八景は、北は本牧から南は富岡の海岸線に比較的コンパクトに分布しているのですが、今日はこの八景ゆかりの地を散策してみました。なお、順番は今回廻った順番で、基本的に南から北へと辿りました。

富岡暮雪
 富岡の雪夕くれに来て見れば松にも白く花ぞ咲きける
 このあたりは、昭和初期の海軍航空隊開隊の地で、戦後は米軍に接収、返還後は公務員宿舎が建設されましたが、その宿舎も閉鎖が決まり、また景観が変わっていくのかも知れません。


富岡総合公園北台展望台

遠くみなとみらいが望めます

ランドマークタワー

雪の富岡八幡宮(2014.1.14撮影)

杉田落雁
 夕霧にかげこそ見へね声近く杉田へ落る雁のひと連れ
 かつて、梅の一大産地であったという杉田。今では、梅林は勿論、一枚の田んぼもありません。大正から昭和に埋め立てられた昭和町の杉田臨海緑地を訪ねました。


杉田臨海緑地

磯子のガントリークレーン

咲き始めの紅梅

杉田梅(梅林小学校)

中原晴嵐(清風)
 中原の浦山嵐吹き絶へて夕浪の上に月の浮べる
 瀟湘八景の様式に従うと晴嵐となるところ、屛風浦郷土誌で『清風』となっているのは誤植と思われます。中原地区もすっかり宅地化が進んでいますが、1294年(永仁2年)開山と伝えられる梅照山願行寺を訪ねました。
 新杉田から西の方にこんもりとした小さな林があります。一見、大きな孤立木にも見える林は、タブ、サクラなどの集まりで中原の高台にあります。


梅照山願行寺

手押しポンプの井戸

白梅

中原の高台にある林

香宋庵晩鐘
 夕煙麓に見へて寂しくも木の間もり来る山寺のかね
 建長寺派東漸寺末とされる鳳林山篁修禅寺には、今でも立派な梵鐘がありました。


山門までの石段

拈華堂

梵鐘

鳳林山篁修禅寺の銘がある

葦名橋夕照
 磯山をさやかに見せて葦名橋入り日のかげの照り渡るかな
 葦名橋の下を流れていた禅馬川は今はなく、芦名橋バス停に名前が残されています。芦名橋公園の柵は、葦名橋欄干だったそうです。


芦名橋バス停

芦名橋公園

芦名橋こどもプール

なぜか懐かしい浜マーケット

八幡橋歸帆
 八幡橋見渡す船の眞帆片打連りて歸る夕ぐれ
 八幡橋はいまでも残っており、近くには舟宿があります。帆かけ舟はみられませんが、今でも面影を残す一景です。


国道16号線にかかる八幡橋

近くの船宿

八幡神社

二トリの近くでした

根岸夜雨
 岸洗ふ浪にはあらで淋しきは蚤の苫屋の夜の村雨
 根岸夜雨がどの辺りであったか知る縁はありません。かつて根岸湾の眺望の地であったという白滝不動尊を訪ねてみました。不動尊の裏手には、アルバム『ひこうき雲』に収録された佳曲『海をみていた午後』に出てくるレストラン『ドルフィン』が今でもあるそうです。


百段程階段を上ります

これが白滝

本堂

JX日鉱日石エネルギーのコンビナート

本牧秋月
 澄みのぼる浪路淸くも本牧の海原照らす秋の夜の月
 11時過ぎに京急杉田を出て、途中さんざん寄り道したので本牧臨海公園に着く頃にはすっかり日が暮れてしまいました。本牧秋月が詠まれた地も今となっては知る由もありませんが、天上影は今も変わりませんので、いつか満月の日に再訪したいと思います。


記念碑

ふぐの碑

八聖殿

本日の月齢は3.6

 以下、本日撮影した写真です。

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