龍峰寺八景-国分八景公園

 たまたま通りかかった国分(こくぶ)八景公園には、元禄年間(1688-1704)に黄檗宗の禅僧鉄牛道機が海老名市国分北にある瑞雲山龍峰寺に滞在した折に詠んだという八景詩を記念するモニュメント群がありました。この八景は、厳密には瀟湘型をとってはいませんが、下記のように相当すると見做せますし、それぞれ漢詩が添えられています。

 大山夕照 –> 夕照
 土峯晴雪 –> 慕雪
 鳴澤瞑煙 –> 夜雨
 清水鐘聲 –> 晩鐘
 島間春耕 –> 落雁
 湘浦度船 –> 帰帆
 官社秋月 –> 秋月
 祇林緑樹 –> 晴嵐
 三浦半島の八景巡り

【龍峰寺八景】
大山夕照
 遠野煙生晩色濃 遥看大麗夕陽春
 半如錦纈半如黛 滿目滄瓏千里重
解釈:大山を臨む夕ばえの景は春のように思われる。野末遠く夕もやが立ちこめて夜のとばりはおりようとしている。見はるかす遠方大山の山麓は夕日が沈むのをためらうがごとく半ばは錦や蝋れつ染めのように美しい色彩を呈しながら、はや半ばはまゆずみのように山の端が黒く細く薄れてゆく。見る見る中に見渡す限りの広い野は青黒く変わって行ってその濃淡が幾重にもかさなりつつ全ての景象を暗黒の中に包み込んで行く。


土峯晴雪
 西嶺千秋積雪繁 雲間湧出到銀盆
 無涯景況一清絶 倚遍欄干占暁昏
解釈:これは冬晴の早朝の富士の眺めである。
西の峯のいただきには千年の雪が降りつもり、その純白の峯は雲の間を抜け出して丸いお月様にまで届きそう。さえぎるものとてないその景色はまことに清絶の一語につきる。寺の欄干によりそうて暁の暗さの中にくっきりと浮かび上がっているその姿。


鳴澤瞑煙
 鳴澤渺茫沙路脩 夕陽瞑色一堆愁
 曾從圓位遺歌詠 千古令人傷素秋
解釈:鴨立沢は遥か霧の彼方に薄れて定かにはわからないが、そこに向かうらしい砂浜の道が一すじ長く見える。夕日が沈むにつれて景色はほのぐらくなって秋のかなしびが胸にしみる。昔、西行法師が「心なき身にもあはれば知られけり鳴き立つ沢の秋の夕ぐれ」と和歌を残してから、後世いつまでも俗人の心にまで秋を悲しませている。


清水鐘聲
 清水樓臺遠近晴 隔山聽得□華鯨
 何人能解發深省 送盡百年是此聲
解釈:清水寺水堂観音の堂宇のあるあたりは遠く近くよく晴れて、この竜峰寺からは一山隔てているがその梵鐘の音に耳をかたむけることが出来る。この金の音で多くの人が深い反省を以て信心の念をいだいていたことであろう。まことにみの鐘の声はもう百年も鳴り続いているのである。(さぞ多くの人々を度脱させたことであろう)


島間春耕
 漠々平田接縁蕪 春鴻落處秩初敷
 憑誰乞與ニ三頃 兩笠煙蓑了晩途
解釈:果てしなく広がる、天平の昔を偲ぶ一帯の水田は緑の森につづいている。
春になると雁がねが田に下り立つと田仕事がはじまるのである。確か私に二三頃の田をくれる人があれば、私は雨の日も蓑笠を着て耕作に従事し晩年をおえようが、まさかそんな人もあるまいて。


湘浦度船
 溶漾滄□水拍天 行人幾度渉湘川
 早知世路風波嶮 來往可愛艶預船
解釈:これは夏の景であろう。相模川は水かさも増し、天を打つ程に流れは激しい。旅人達はさぞ幾度かこの川を渡渉したことであろう。
この川を渡りするのを思うにつけても、世の中をわたる道のまことに風波けわしいことが思いやられるのである。しかし今は幸いに渡し船があって行くも来るもエンヨエンヨとこの急流を難なくおし渡ってくれる。まことに愛すべき存在だ。


官社秋月
 海嶽雲收轉桂輪 上方秋色最清新
 欲求佳句寫幽賞 蘋潦先羞菅姓神
解釈:海上の彼方の雲も山のべの雲もすっかり消えうせて、まん丸い月のみ中天に輝く、まことに空き(秋?)の中空は清新そのものだ。よい句を作ろうとこの月夜の幽賞をほしいままにする道すがら、私はこの天道様まで来てしまつた。それでまず浮き草やにごり酒といった粗末な供物を捧げてどうかよい句が出来ますようにとお祈りをする。


祇林緑樹
 鬱密幽叢祇樹林 薫風殿閣滴清陰
 區々紫陌紅塵外 來此應須洗客心
解釈:うっそうと緑樹におおわれた聖域。今やさつきの快い風が寺の建物を包んで木陰も清く緑したたるばかり。市街地の紅塵万丈の雑踏から遠く隔たったこの境内こそ、ここに来ればきっと旅にけがれた心もすっかり洗い落とされることであろう。


三浦半島の八景巡り

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です