緋桜の丘へ

 今日は、本牧山頂公園の緋桜の丘へ。先週来からの予測通り、満開の横浜緋桜を楽しむことが出来ました。


【参考】
 横浜緋桜(よこはまひざくら)Cerasus jamasakura cv. Kenrokuen-kumagai x C. campanulata
 スモモ Prunus salicina
 ホソバヒイラギナンテン Mahonia fortunei

桜の季節に向日葵を…

2010.7.31撮影、於:三次市君田町藤兼


 桜の季節に向日葵を… part2  ひまわりを訪ねる(GoogleMap)
と、言っても花は咲いていないので……。

【所在】
 ひまわり美容室(追浜町2丁目64)
 ひまわり耳鼻咽喉科(追浜町3丁目2-2)
 居酒屋ひまわり(金沢区泥亀1丁目16-1)
 ひまわり鍼灸整骨院(金沢区能見台通8丁目8-2枦山ビル1-2)
 ひまわり薬局(金沢区富岡西7丁目19-10)
 ひまわり動物病院(磯子区杉田6丁目5-34カワハラマート)
 ひまわり薬局 磯子店(磯子区磯子3丁目13)


 桜は、神代曙(じんだいあけぼの)大島桜(おおしまざくら)が咲き始め、横浜緋桜(よこはまひざくら)が見頃、といったところです。



【参考】
 桜 Cerasus spp.
  横浜緋桜(よこはまひざくら)Cerasus jamasakura cv. Kenrokuen-kumagai x C. campanulata(姫小島水門址)
  神代曙(じんだいあけぼの)Cerasus x yedoensis‘Jindai akebono’(西柴)
  山桜(やまざくら)Cerasus jamasakura(能見台)
  神代曙(じんだいあけぼの)Cerasus x yedoensis‘Jindai akebono’(鳥見塚)
  染井吉野(そめいよしの)Prunus x yedoensis(鳥見塚)
  大島桜(おおしまざくら)Cerasus speciosa(杉田)
  染井吉野(そめいよしの)Prunus x yedoensis(磯子台)
 雷神社、雷神社奥の院
 ヒメツルニチニチソウ Vinca minor
 カラスノエンドウ Vicia sativa
 レッドロビン Photinia glabra × P. serrulata
 花桃 Amygdalus persica
 カリン Chaenomeles sinensis
 ラナンキュラス Ranunculus spp.
 口紅スイセン Narcissus poeticus
 ニワウメ Cerasus japonica
 ハナニラ Ipheion uniflorum
 ゴモジュ Viburnum suspensum
 オニタビラコ Youngia japonica
 ムスカリ Muscari neglectum
 ベニバナトキワマンサク Loropetalum chinense var. rubra
 ヤエムグラ Galium spurium
 オランダミミナグサ Cerastium glomeratum
 ヒメウズ Semiaquilegia adoxoides
 シラユキゲシ Eomecon chionantha
 土筆(スギナ Equisetum arvenseの胞子茎)
 スミレ Viola mandshurica
 ユキヤナギ Spiraea thunbergii
 モッコウバラ Rosa banksiae
 ムラサキツメクサ Trifolium pratense
 ハナズオウ Cercis chinensis
 タチツボスミレ Viola grypoceras
 カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
 セイヨウヒイラギ Ilex aquifolium


【雷神社奥の院の碑】追浜町3丁目12
雷神社故址
雷神社田浦町浦郷村社也祠奮在此地天正九年朝倉影隆遷之於今地云蓋本祠創建在承平
元年距今實一千年也當時海水變入圍繞陸地白波拍手自爲一島名築島長汀曲浦相接万過
寂寞一漁村耳爯来星霜幾百年四境變爲塩田構居營生者漸多矣傳云天正年閒里人避雨於
祠畔時黒雲掩天電光閃々迅雷擘耳凄氣迫人終轟然震地衆駮然既而雲霽雨收則祠前柏樹
幹枝折裂而無復一人死傷者乃相謂曰是神以樹代人也一村崇信愈篤一株枯木現在地中央
枝朽皮剥僅存残骸耳民至今祈塞不怠爲接地有池盖往時海水之遺跡也近時槍桑之變附近
畫爲田圃里落故址亦将歸荒廢里人憂之望月勘作君以任侠聞自謂吾少社来住地土受里人
庇保有年以得能成今日之巷豈可無𫝂酬呼乃進約當故址修築之工池原爲田川氏𫝂屬田川
氏名平三郎一郷素封也常致力於公益有衆望欣然割其𫝂屬一半提供之呼田甚右衛門氏亦
有奉公之志寄附宅地數歩於是決議起工拮据數閲月修築乃成實昭和六年六月也故址幅員
凢四十歩東方擁池々廣五千歩築以圓石混凝土數株青松護枯木風致閒雅神威自嚴然頃曰
望月君又投數百金欲立碑傳其事蹟嘱丈於余々與君有舊不可辭乃記其梗概勒之銘曰
  滄桑三變  里巷聿榮  神域釐革  載見民情     大塚孝惟撰并書
 昭和六年九月

啓翁桜も開花-2020.03.12

 務め帰りに通りかかった大通公園で啓翁桜が既に開花しているのをみつけました。オカメは既に葉桜直前、大岡川沿いのソメイヨシノも早い樹では開花が始まっています。


啓翁桜(けいおうざくら) Cerasus‘Keio-zakura’】
 啓翁桜は、彼岸桜の枝変わりとされているようです。写真の樹の由来は不明ですが、主幹がはっきりせず、灌木状の個体です。
【文献】
 森脇和郎・勝木俊雄(2011)遺伝研のさくら、151p.、遺伝学普及会、三島

今年も花桃の丘へ-青葉区、都築区の名木古木など

 早咲き系の桜の開花が落ち着いたので、今日は元石川の花桃の丘を訪ねました。
【花桃の丘】青葉区元石川町


【主な経路】
(あざみ野駅)-花桃の丘-新石川-荏田-牛久保西-大棚町-勝田-茅ケ崎-(センター南駅)


横浜市指定名木古木
【影顕山西勝寺】青葉区新石川1丁目10-8
 イチョウ No.49430


 エノキ No.50344(青葉区荏田町328)


【養老山真福寺】青葉区荏田町432-8
 イチョウ No.49434
 カヤ No.49435


【劔神社】青葉区荏田町822
 エノキ、サクラ、ケヤキ(2本)
 名木古木の指定番号表示がありませんでした。市民グラフヨコハマ115号(2001)に記載のあったサワラについては確認できず、伐採跡があるので滅失と思われます。


【弘願山長徳寺】都筑区牛久保西3丁目9-1
 ヤマモミジ No.60009

 市民グラフヨコハマ115号(2001)に記載のあった『ヤマグミ』の樹種を確認したかったのですが、そもそも存在を確認できませんでした。


【鵜目山清林寺】都筑区大棚町250
 シラカシ No.49387
 イチョウ No.49390
 エノキ No.49389

 No.49389のエノキは、表示板だけ残されていました。


【大杉山龍福寺】筑区大棚町495
 ケヤキ No.51045、51046

 アラカシとコブシは確認できませんでした。


【勝田山最乗寺】筑区勝田町1277
 イチョウ No.48171
 ハクモクレン No.48172


【慈眼院壽福寺】都筑区茅ケ崎東1丁目7-1
 ヤマザクラ No.59014
 シラカシ No.59015


【豊川稲荷神社】青葉区元石川町5269


 庚申塔(2基):青葉区元石川町3543-51


【驚神社】青葉区新石川1丁目24-9

   驚神社
鎮座地 横浜市緑区新石川一丁目二十四番地九
由緒
 創立年代詳かならざるも、往古より延喜式所載の武蔵國石川牧の総鎮守ナリしと云ふ。其の当時、石川牧の地域は頗る広汎にして旧都築郡内は旧山内村石川・同荏田・旧中川村大棚・同茅ヶ崎・同中里村黒須田・同大場・同鐵・同麻生・同鴨志田・同早野・同王禅寺・橘樹郡内は旧向丘村菅生・宮前村土橋・同有馬・同馬絹・同野川・同梶ヶ谷等の大字に亘れるものゝ如し。依て昭和十四年横浜市に合併当時まで、此の石川に秣場と称する馬料共有地五十餘頼朝の臣畠山重忠篤く崇敬せりと云へり。明治六年十二月村社に列し、昭和十年五月二十七日拝殿を再建し、全く社殿の面目を一新し昭和五十七年拝殿屋根を銅板葺に改修、当神社の名称は右の如く馬を大切にいる意から馬を敬う即ち「驚」がついたものと云ふ。
御祭神 素戔嗚尊
 此の大神は伊邪那岐神の御子にして天照大御神の御弟神に坐して農業・漁業・山林の守護神として全国的に篤く崇敬されし神なり。又、清明を尊び人命救助の神、罪を祓う神、荒神鎮斎、鎮疫神としても崇められし神なり。
恒例祭 歳旦祭   一月一日    午前〇時式典執行
    祈年祭   二月十七日   午前十時式典執行
    例祭    体育の日の前日 午前十時例祭式典執行
    七五三祭  十一月中旬   午前十時式典執行
    勤労感謝祭 十一月二十三日 午前十時式典執行


  驚神社力石の由来
 此の力石は、江戸時代中期より明治初期にかけて氏子の若人が、神社の境内に於て卵形の石をかつぎ力を競うため、記念として奉納されたものといわれて、関東のみならず西国にも其の風習があった。その指標とするところは、かつぐことによって神の霊験を知る石占であるとされる。
 当社に伝わる此の石は、大明神元文四己末年皇紀二三九九年西紀一七三九年下石川村と明記され四十貫五百目と註されている。
 実に桜町天皇の御代八代将軍徳川吉宗の治世にあたり、珍しく古い年代に属する。
 かつぐことの出来た人名は之を刻んでいないか明治大正以後、石川草相撲の名行司とうたわれた飯島勇吉が之をかついだのを最後とする。
 下石川村とあるは恐らく下谷中村の両部落、即ち宮元を指すものと思われる。蓋し石川村の発祥地ともいうべきか。
   昭和四十九年七月吉日
   平成十六年九月吉日
   奉納者 あざみ野 金子健一
   新石川 横溝智美


横浜市指定無形民俗文化財
 牛込獅子舞(うしごめししまい)
     平成三年十一月一日指定
     保存団体 牛込獅子舞保存会
     「牛込獅子舞」は、平成十三年二月十三日、横浜市指定文化財が解除され、神奈川県重要文化財に指定されました。
行われる時期及び場所
 十月九日 緑区あざみ野一丁目三十番三号 神明社
 十月十日 緑区新石川一丁目二四番九号  (おどろき)神社
 牛込獅子舞し、関東・東北・信越地方に分布する一人立ち三頭獅子舞(さんとうししまい)の横浜における代表的存在です。約三〇〇年前、元禄年間の悪疫流行の際に始まると伝えられています。丘陵を隔てた川崎市高津区初山の獅子舞と芸態や歌詞が酷似しており、十八世紀中頃に移入されたものと推定されます。
 獅子頭(ししがしら)は三個で、剣角(けんかく)巻角(まきづの)を持つ雄獅子二個と宝珠(ほうじゅ)を頂く雌獅子一個とからなり、鶏の毛で飾り、赤い布を垂れます。武蔵野一帯に分布する頭と同系に属します。
 舞手三人は裁著(たつつけ)・白足袋・草履ばきで、締太鼓をつけ、バチを打ちながら舞います。その他に、はい追い(幣負い)、ササラ子、万灯持(まんとうもち)、小万灯持の各役が加わります。
 以上の役につくものは牛込地区で生まれた成年までの男子に限られ、獅子役の三人とはい追いは長男の役とされています。この他にホラ貝三人、笛数人。歌上げ数人は大人で、牛込地区の古老があたります。
 当日は獅子宿で支度して、道行きの曲に合わせて神社まで練って行き。神前に祭詩を述べてから、曲に合わせ三角形になったり、一列になったりまた円形になって舞います。「わが国で、わが国で、雨が降るげで、雲が立つ。おいとま申していざ帰る。」と祭神に舞い終りの挨拶をします。
  平成四年三月  横浜市教育委員会


【伏見稲荷社】青葉区荏田町328


【下宿庚申塔】都筑区中川3丁目38

   いわれ(由来)
 この庚申塔は、その昔寛政五年(西暦一、七九三年)徳川時代中期に荏田村下宿の婦人達によって建てられたもので当時盛んだった庶民信仰の一つに疫病、厄払いの為六十日ごとの庚申(かのえさる)の日に講中の人(女)が集まって眠らずに祈願し、一夜を過ごす風習(ならわし)があったそうです。
 ここは昔栄えた大山街道の道筋で江戸を()った旅人の一日目の宿場の入口でもあり道標(みちしるべ)としても親しまれてきました。又、交通安全、幼童安穏(あんのん)の神としても知られ遠方から訪れる人もあります。本年下宿講中の仲間が集まり昔を偲び心のよすがにもと古びた(ほこら)を改築いたしました。
  平成六年十一月  下宿庚申講


【養老山真福寺】青葉区荏田町432-8

 真福寺(現本尊千手観音立像)は、ここより北方3.4km離れた処にありましたが、老朽化により当時観音堂(本尊千手観音立像)であった当地に大正10年(1921)真福寺(本尊薬師如来坐像)並びに釈迦堂(本尊釈迦如来立像)を移し、それぞれの本尊を客仏として安置しました。
 本尊の木造千手観音立像(一木造)は、県重文で平安時代末期の作。ふくよかな顔、肩、下腹部・腰の線、衣文の浅い彫り口とともに全体に藤原時代の作風を見せています。手は八臂で、一部に彩色の痕跡が見られます。十二年毎の子歳に開帳される秘仏です。
 客仏の木造釈迦如来立像(寄木造)は、国重文で鎌倉時代の作。頭髪は縄をまいたような形で、首まで衣が覆い、複雑な衣文を鋭い彫法でたくみに美しく掘り出し、顔はやさしい表情をたたえた清凉寺式釈迦とよばれる形式の仏像です。県内には、この他に国重文の指定を受けている称名寺像(金沢区)と極楽寺(鎌倉市)がありますが、全国的にも数少ない釈迦像の一つです。
     (社)横浜国際観光協会
     横浜市教育委員会文化財課
          平成4年3月


   釈迦如来立像 昭和八年一月二十三日 国重要文化財指定
  木造 寄木造 鎌倉時代
 本造は、京都清凉寺本尊を摸刻した像で、頭髪は縄をまいたような形で、首まで衣が覆い、複雑な衣文は鋭い彫法でたくみに美しく彫り出し、顔はやさしい表情をたたえた清凉寺式釈迦とよばれるものである。
 県内には、この他に称名寺像と極楽寺像が重文の指定を受けているが、全国的にも数少ない釈迦像の一つである。
   千手観音立像 昭和四十一年七月十九日 県重要文化財指定
  木造 一木造 藤原時代(平安末期)
 本像は、真福寺本尊で、前面は頭から裾まで一木の木で彫られ、天冠や頭髪をていねいに彫り、顔はふくよかで、衣文も藤原様式で統一されている。一部に彩色の痕跡があり、もとは彩色像で見事であったと思われる。
  昭和四十八年十一月   緑区役所


横浜市指定無形民俗文化財
 荏田真福寺の奉納絵馬および奉納額等 一括二〇八点
     平成十五年十一月四日 指定
     所有者 宗教法人 真福寺
 荏田は近世において大山街道の宿場として賑わいを見せていた所で、また近在の農村の物資集散地でもありました。真福寺という名称は大正年間に改めて付けられた付けられたもので、それ以前は観音堂と呼ばれており、荏田の住民だけでなく、近在の農村からも信仰を集め、多くの絵馬が奉納されました。(観音堂本尊は木造千手観音立像(県重文)で、小机三十三子歳観音霊場として子年のみにご開帳される秘仏です。)
 現在残されている絵馬で最古の紀年銘をもつものは、寛政十二年(一八〇〇)のもので、同年の絵馬が三枚あります。絵馬は個人が願望を実現するために奉納したものと考えられ、村人が仏の前で拝む姿を描いた絵馬、馬そのものを描いた絵馬などがあります。
 絵馬以外に、宝暦十年(一七六〇)の紀年銘を含む奉納額、扁額、算額、また珍しい奉納物として藁蛇があります。
 現在、大絵馬を中心に七十四点が、真福寺本堂内に飾られ、残りは横浜市歴史博物館に収蔵されています。
  平成十六年三月  横浜市教育委員会


【稲荷社】青葉区荏田町432


【劔神社】青葉区荏田町822

  劔神社誌
 新編武蔵風土記稿は当社について曰く「村の中央字榎木谷にあり劔明神と号す当所の総鎮守なり本地不動の像今は別当観福寺に安置せり本社に上屋を設く云々」また伝説に曰く「昔陸奥国より炭を商うもの鎌倉へ往来して鍛冶のもとへかの炭を売ること年久しければ鍛冶もかの商人が来ることを謝して己が作りたる刀一口を贈れり。商人よろこびてこれを携へ国へかえらんとしてここをすぎ泉谷の辺りにとどまりて路のつかれをしばしやすめんといこいしに喉のかれたりしかばありあう泉を掬して呑けるに酒に酔いしごとく、覚えず倒れ伏したりしを側なる松の木の上より大蛇ねらいよりて呑んとす時に携えたる刀自ら抜き出て蛇を斬殺しけるにそ、かのもの危き命をたすかりしとなん。よりて劔を祀りて劔明神と号す云々」と。この伝説は八俣の大蛇退治の伝説に類似し草薙劔を彷彿せしめるとともに、祭神を素戔嗚尊として崇めていることなどからして開拓神ないし農業神として祀られ鎌倉時代の創建になるものと云われている。
 かつて当地は宿谷戸赤城社、小黒谷戸明神社、同八幡社、柚木谷戸熊野社、渋沢谷戸十二社の五社の谷戸宮が鎮座坐し、四谷戸が年番にて祭礼を執行うを常とした。
 その後大正三年これら四谷戸五柱の大神を当社に合祀し同十一年当社は神饌幣帛供進社に指定されたのである。現存する拝殿は明治二十七年に奥社は昭和四十六年に各々建立されたものである。


【地蔵堂】都筑区大棚町414


【大杉山龍福寺】筑区大棚町495



【参考】
 モモ Amygdalus persica
 イチョウ Ginkgo biloba
 カヤ Torreya nucifera
 エノキ Celtis sinensis
 ケヤキ Zelkova serrata
 サクラ Cerasus sp.
 ヤマモミジ Acer amoenum subsp. matsumurae
 ハクモクレン Magnolia denudata
 シラカシ Quercus myrsinifolia
 ヤマザクラ Cerasus jamasakura
 カロライナジャスミン Gelsemium sempervirens
 タイワンツバキ Gordonia axillaris
 スモモ Prunus salicina
 枝垂れ梅 Armeniaca mume f. pendula
 ボケ Chaenomeles speciosa
 ギンヨウアカシア Acacia baileyana
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 ヒサカキ Eurya japonica
 寒緋桜(かんひざくら)Cerasus campanulata
 ジンチョウゲ Daphne odora
 バイモ(アミガサユリ) Fritillaria thunbergii
 ハナニラ Ipheion uniflorum
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 エヒメアヤメ Iris rossii
 二ホンスイセン Narcissus tazetta
 サザンカ Camellia sasanqua
 ツルニチニチソウ Vinca major
 トサミズキ Corylopsis spicata
 オナガガモ Anas acuta
 ヒイラギナンテン Mahonia japonica
 ユスラウメ Prunus tomentosa
 スナックひまわり:都筑区牛久保東3丁目22
 シキミ Illicium anisatum
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 オナガ Cyanopica cyanus
 キンカン Fortunella spp.

大船フラワーセンターの玉縄桜

 大船フラワーセンターにある玉縄桜の原木が昨年の台風15号により大きな被害を受けたそうです。今は丁度開花時期ですので、一応、花はつけていましたが、瀕死の状態から復活の途上です。



2019年9月に発生した台風15号の悲劇からの復活木
玉縄桜の原木の危機
 2019年9月8日~9日にかけて発生した大型の台風15号によって、根元から倒れてしまいました。すぐに根が乾かないようにシートで被う作業や、木に負担がかからないよう、枝や葉を半分以上落とす作業が行われました。




【参考】
サクラ Cerasus sp.
 玉縄桜たまなわざくら
 マメザクラ’雪嶺’ x 八重咲寒緋桜 C. incisa “Sentsurei’ x C. campanulata
 大寒桜 C. x kanzakura cv. Oh-kanzakura’
コサギ Egretta garzetta
ボリジ Borago officinalis
深山含笑みやまがんしょう Michelia maudiae
梅’思いのまま’ Armeniaca mume ‘Omoi-no-mama’
地湧金蓮ちゆうきんれん Musella lasiocarpa
メキシコハナヤナギ Cuphea hyssopifolia
ドンベヤ・ワリッキー Dombeya wallichii
ブーゲンビリア Bougainvillea sp.
金花茶きんかちゃ Camellia petelotii (syn. C. chrysantha)
デュランタ Duranta erecta
振分珊瑚花ふりわけさんごばな Jacbinia colorata
紅茉莉べにまつり Rondeletia odorata
ソラナム・シーフォーシアヌム Solanum seaforthianum
アコウ Ficus superba var. japonica
極楽鳥花ごくらくちょうか Strelizia reginae
ネッタイスイレン Nymphaea spp. cv. ‘Dauben’
グレビレア ‘ピグミーダンサー’ Grevillea spp. ‘Pigmy Dancer’
アカシア・ブアマニー Acacia boormanii
雲南黄梅うんなんおうばい Jasminum mesnyi
黄梅おうばい Jasminum nudiflorum
マトリカリア ‘カルロス’ (ナツシロギク) Tanacetum Parthenium
白衣観音(仏海山大船観音寺)
ヤクシマスミレ Viola iwagawai
パンジー Viola × wittrockiana
 ’ミニフリフリ’
 ’虹の谷のティコ’
 ’スターラビット’
 ’パンダスミレ’
 ’森のピュアリー’
 ’カリフォルニア アイボリーオレンジ’
 ’スイートラブ’
 ’ドラキュラ’
 ’マリアの微笑み’
 ’ラビットビオラ’
 ’マリア ブルーオーシャン’
 ’ヌーヴェルヴァーグ’

初春の鷹取山

 まだ寒い日もありますが、ウグイスカグラにオニシバリと里山ではもう早春を飾る花たちで賑わっていました。
 


【参考】
 ヤブツバキ Camellia japonica
 アオキ Aucuba japonica
 ウラシマソウ Arisaema urashima
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 タブノキ Machilus thunbergii
 モミジイチゴ Rubus palmatus var. coptophyllus
 ヤブニッケイ Cinnamomum yabunikkei
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 ヒメカンスゲ Carex conica
 キブシ Stachyurus praecox
 コウヤボウキ Pertya scandens
 沼間のスダジイ Castanopsis sieboldii
 マルバウツギ Deutzia scabra
 シャリンバイ Rhaphiolepis indica var. umbellata
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 アスカイノデ Polystichum fibrilloso-paleaceum
 ツルマサキ Euonymus fortunei
 マルバグミ Elaeagnus macrophylla
 ヒメウツギ Deutzia gracilis
 寒緋桜系の桜 Cerasus spp. (横浜緋桜に似ていますが、花季が早すぎるようです)
 ヤツデ Fatsia japonica
 イワタバコ Conandron ramondioides
 ワイヤープランツ Muehlenbeckia axillaris
 乙女椿 Camellia japonica f. otome
 アメリカフウロ Geranium carolinianum
 アンズ Prunus armeniaca
 ハナニラ Ipheion uniflorum
 スイカズラ Lonicera japonica

サクラの開花状況 ~ 横浜イングリッシュガーデン、など

先週からオカメが咲き始めています。河津桜はそろそろ葉桜、今見頃なのは玉縄桜です。


 阿亀(おかめ)Cerasus campanulata x Cerasus incisa cv. ‘Okame’
 玉縄桜(たまなわざくら)
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 寒緋桜(かんひざくら)Cerasus campanulata
 エレガンスみゆき Cerasus x Armenica mume‘Elegance Miyuki’
 ウメ’日光’ Armenica mume

 ハーデンベルギア Hardenbergia violacea
 ツグミ Turdus eunomus
 ロウバイ Chimonanthus praecox
 マンサク Hamamelis japonica
 ギンヨウアカシア Acacia baileyana
 サンシュユ Cornus officinalis
 オオイヌノフグリ Veronica persica
 寒咲花菜(かんざきはなな)Brassica sp.
 スイセン Narcissus ‘February Gold’
 ハクモクレン Magnolia denudata
 シャコバサボテン Schlumbergera truncata
 ペラルゴニウム Pelargonium x Hortorum
 ジャノメエリカ Erica canaliculata
 マユミ Euonymus sieboldianus
 クサノオウ Chelidonium majus


 不明の祠:南区永田南2丁目1-3

サクラの開花状況 ~ 戸塚区2020

 今日は名木古木を訪ねて、戸塚区へ。戸塚区でも開化の始まっているサクラが沢山ありました。
【主な経路】
 (JR東戸塚駅)-品濃町-秋葉町-舞岡-上倉田-下倉田-小菅ヶ谷-(港南台駅)


横浜市指定名木古木



 No.48197 イヌマキ(品濃山北天院
かながわの名木100選 昭和59年12月指定
北天院のイヌマキ 和名:イヌマキ(マキ科)
 幹が大きく3本に分かれ、枝も広がり、情景も整った古木である。
 横浜市の名木古木に指定されている。
 樹高 18メートル 胸高周囲 3.5メートル 樹齢 約500年(推定)
 イヌマキは、関東地方から沖縄の照葉樹林に分布する常緑高木で沿岸地域では庭木として植えられることが多い。
 樹高20メートル、胸高周囲7メートル、樹齢600年に達するものもあると言われている。



 No.201045 ヤマモモ (ニューシティ東戸塚管理センター)
横浜市の名木古木 ヤマモモ(平成22年度横浜市指定)
 本州中部以南の暖地に生える常緑高木で、雌雄異株ですがこの木は雌木なので実をつけます。実は初夏に甘く熟し生食できますが、ジャムや果実酒などにも利用できます。推定樹齢220年の横浜市有数の大木で、この街の移り変わりを今後も見続けていくことでしょう。
     パークヒルズ


 No.2012501 ムクノキ Aphananthe aspera (戸塚区舞岡町21)


 No.49530 ゴヨウマツ Pinus parviflora 長蔵寺(戸塚区秋葉町348)

 現地確認できませんでした。恐らく滅失と思われます。本堂近くに、後継木と思われる若木がありました。


品濃山北天院:戸塚区品濃町1745-1
品濃山北天院由緒
 当北天院の創立年代は不詳だが、佛光國師草鞋ぬぎの古道場
として古くから言い伝えられており、遠く鎌倉時代上期より存
在したものと思われます。今から七百年余前、時の執権、北條
時宗公のお招きによりまして中国より渡来された、佛國光師が
鎌倉入りをされるに先立ち衣替えをされた一庵が当北天院で、
その後建武元年八月(西一三三四年)足利直義、当秋庭の郷(現
品濃、名瀬、秋葉、等)を鎌倉建長寺内に在る正續院に寺領と
して寄進、更に至徳元年七月(西一三八四)後亀山天皇勅を以
て当村を圓覺寺祖塔、正續院に寺領として寄進しておられます
。因に正續院が建長寺より圓覺寺に遷塔せられたのは建武二年
で夢想國師が後醍醐天皇の勅命を仰いで行ったものです。尚、
寛永十年頃の圓覺寺末寺帳に依りますと、当北天院は開山祖塔
正續院の唯一の末寺であり、延宝二年頃は本山直末十ヶ寺の内
に月桂寺、関興寺等と並び挙げられており、又、圓覺寺派で御
本山の開山様を迎え、開山と仰いでいる末寺で当北天院ただ一
ヶ寺で、誠に由緒のある古刹であります。
 この度、日本国有鉄道、東海道本線増線工事(昭和四十八年
頃より)の為、寺墓地を総移転しなければならなくなり、其の
代替地として旧境内地を選び、新たに裏山を開発、諸堂宇の新
築再建と相成り、十年の歳月を以て現在に至ったものです。
         昭和五十九年四月吉日
             当山四世 一渓 謹誌


品濃白旗神社:戸塚区品濃町518-7

御由緒
 康元元年(一二五六)源義経公を御祭神と崇め創建、御社殿は天正三年、天保十一年に夫々改築された。白旗とは源平争乱の際、敵味方を区別するための旗の色、平家の赤旗に対する源氏の白旗、源氏そのものを象徴する名である。
 源氏の武将が祀られる「白旗」の名の付く神社は全国神社本廳傘下八十余社あり、その内「義経公」を祀る神社は八社であるが由緒は不明である。
 天正十九年以来は、當地の知行となった新見(しんみ)氏が明治初頭まで當神社の隆興に尽力した。大正十二年関東大震災の際
には御社殿は倒壊したが氏子には被害が無かったので、時の部落長が「宮柱うちくだけても倒れても氏子の怪我なきぞ尊き」と献詠し、村人たちは「鎮守さまが身代わりににってくださった」と感激して翌年再建に着工、九月二十八日に竣工しこの日に因んで例祭日となる。
 その後八十余年、世の変遷を乗り越えた御社殿も平成十九年十二月不審火により焼失。然しながら氏子への被害も無く、再び御神威に助けられ、平成二十四年十月氏子の尽力により御社殿を再建した。
【白旗神社と新見氏】
 徳川家康との厚い信頼関係を築いていた旗本新見氏は、天正十八年(一五九〇)に新見正勝が相州品濃・山田を領地として家康より賜った後、明治維新に至るまで、変わること
なく領地を治めた。正勝は家督を譲ったのみ品濃に隠居、寛永十九年(一六四二)没後白旗神社脇へ埋葬されたと伝えられている。
 幕末に入り、ペリー来航には新見正興が領主となっていた。安政五年(一八五八)欧米五ヶ国との間に修好通商条約が締結され、翌年、正興は外国奉行と神奈川奉行を兼帯。
幕府の要人を務めながら、白旗神社の隆興にも尽力したと伝えられている。
【御祭神】
 源 義経命(みなもとのよしつねのみこと)  外二柱 天照大神御神(あまてらすおおみかみ) 豊受姫命(とようけひめのみこと)
【年間祭事】
 初詣    一月随時
 祈年祭   四月十一日   (五穀豊穣祈願祭)
 夏越し大祓 六月最終日曜日 (年の前半の清祓)
 例大祭   九月二十八日  (年に一度の神社大祭)
 七五三詣  十一月随時   (人生儀礼)
 新嘗祭   十一二十八日  (五穀豊穣感謝祭)
 年越し大祓 十二月三十日  (年の後半の清祓)


辨財天宮:品濃白旗神社境内社
品濃白旗神社境内相殿
 左から、空き、日本武尊、素戔嗚尊、如来坐像(上品)、空き


地蔵堂、庚申塔、地神塔:戸塚区品濃町518-6


稲荷社:戸塚区舞岡町3709


第六天祠:戸塚区舞岡町3710
 『相刕?岡村金子氏』銘


増威八幡社:戸塚区秋葉町343
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  増威八幡社 由緒
祭神  品陀別命(ほんだわけのみこと) (第十五代應神天皇)
例祭  七月二十五日  所管 神社廰
鎮座地 横浜市戸塚区秋葉町三四三番地
 当社の創建は古く規模は大きかった。
一 創建は天平元年六月十五日(紀元一、三八九 西暦七二九)宇佐八幡宮創建の四年後であり、石清水八幡宮の百三十一年前である。中川、川上地区内の神社としては最も古い
二 祭神は品陀別命(ほんだわけのみこと)のほか天照大神(あまてらすおおみかみ)天兒屋根命(あまこやねのみこと)を含む八柱であった。之は純朴な崇敬心の表れと言へよう。
三 被災二回の都度御神體は海から出現し給うたとの傳承は海が遠い現状では分かりにくいところであるが最近三十年間の土木工事中に鎮座地周辺は深い入り江であったことが二ヶ所に於て實證された。
四 ゆかりの土地はその昔「秋庭の里」と云い神楽畑が鎮座地に隣接するほか鳥居跡の「鳥居戸」祭禮競馬の「馬場谷」神主横山志摩守の居住地「殿屋敷」が柏尾村に在り祭禮市の「市場谷」が上樫尾に在る。
五 増威八幡は源義家東征の折当社に立寄られ神社名を問われた神職が自分の名前(増井)を答へたところ「威を増すとし幸先が良い」と喜んだと傳へ現用の社號額(明治期の物と推定)は「増威社」である。
特殊神饌としては「十二味供養」があり山菜、野菜の十二種を叮嚀に盛り合せる。尚、当神社には次の俗稱がある。毎年祭禮には、小麦の神饌を現用しているので小麦八幡とも言う。
     平成十年七月二十五日
          寄贈 松井貞雄



堅牢地神塔:戸塚区下倉田町1239



力石:戸塚区下倉田町1231
 昔娯楽の少なかった時代の若者達がここに集まっては石を持ち上げ力自慢をしあったといわれています


【参考】
 イヌマキ Podocarpus macrophyllus No.48197:戸塚区品濃町1745-1(品濃山北天院)
 ヤマモモ Morella rubra No,201045:戸塚区品濃町553-1(ニューシティ東戸塚管理センター)
 寒桜(かんざくら)Cerasus x kanzakura ‘Praecox’
 ウメ Armeniaca mume
 寒緋桜(かんひざくら)Cerasus campanulata
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 ひまわり歯科(戸塚区品濃町543-4)
 ミツマタ Edgeworthia chrysantha
 堅牢地神塔:戸塚区下倉田町1239
 力石:戸塚区下倉田町1213

金沢自然公園の梅など

 午後から訪ねた金沢自然公園では梅が見頃を過ぎようとしていました。
【主な経路】
(自宅)-六浦-浄行寺東遺跡-御伊勢山-釜利谷-金沢自然公園-氷取沢-坪呑-(京急杉田駅)



【参考】
 ウメ Armeniaca mume
  紅千鳥(べにちどり)
  光輝(こうき)
  鶯宿(おうしゅく)
  白加賀(しらかが)
  八重唐梅(やえとうばい)
  長谷川寒紅(はせがわかんこう)
  見驚(けんきょう)
  枝垂れ見驚(しだれけんきょう)
  豊後梅(ぶんごうめ)
  佐橋紅(さばしこう)
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 ヤブツバキ Camellia japonica
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 ヤツデ Fatsia japonica
 シロバナタンポポ Taraxacum albidum
 由緒不明の祠(御伊勢山)
 ルビーネックレス Othonna capensis
 アケボノアセビ Pieris japonica f. rosea
 アセビ Pieris japonica
 スダジイ Castanopsis sieboldii:釜利谷市民の森
 ハナサフラン(クロッカス) Crocus vernus
 ジャノメエリカ Erica canaliculata
 ミツマタ Edgeworthia chrysantha
 寒咲花菜(かんざきはなな)Brassica sp.
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 トサミズキ Corylopsis spicata
 アカバナマンサク Hamamelis japonica var. obtusata f. incarnata
 シャクナゲ Rhododendron spp.
 ヒメウズ Semiaquilegia adoxoides
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 キバナアマ Reinwardtia indica
 ビャクシン Juniperus chinensis:牛頭山妙法寺