秀樹」カテゴリーアーカイブ

鷹取山、朝比奈、釜利谷を経由して杉田へ

 緊急事態宣言を受けてテレワーク率が増えた結果、慢性的な運動不足です。今日は買い置きが切れてしまった乾燥豆腐を買い足しに杉田まで、人混みを避けた経路で歩いてみました。帰りは京急本線利用です。
【主な経路】
(自宅)~浜見台~鷹取山~六浦~朝比奈~常林寺跡~朝比奈北市民の森~釜利谷~能見台~氷取沢~上中里~中原~(杉田駅)


 (中原)熊野神社
 カヤ Cephalotaxus hamingtonia:横浜市指定名木古木 No.201801
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.201802
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.201805
   熊野神社縁起
 当社の由来は建久二年(西暦一一九二年)征夷大将軍になった源頼朝が、鎌倉の山崎にあった泉蔵院の僧 真諦知覚法印に治国安民の祈祷を命じたことに遡る。頼朝の命を受けた知覚法印は、我が国第一の霊場とされて居た紀州熊野に参詣して幣帛を捧げ、三所権現の御分霊を樟の船に乗せ、祈りを込めて海に流した。樟舟は御神意のままに中原の海岸に流れ着き、この事が将軍に伝わり、頼朝は御神慮の有難さを感じて、近くの地に神殿を建てるよう知覚法印に命じた。
 知覚法印は、東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊野三所権現社を祀り、山裾に紀州山桐谷寺を建立すべく同年五月六日に着工し、十一月十五日に完成させた。
 後に桐谷寺は山号を大霊山泉蔵院と改め、、熊野三所権現社の別当として当社に奉仕し、国家安泰・万民和楽の祈願を続けて来た。その間文禄三年九月(一五九四年)社殿再建、正徳五年(一七一五年)、社殿は改築され規模は九尺に二間であった。その後安政四年(一八五七年)にも再度改築が施された。
 明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め、法印は神職となり約七百ねん続いた泉蔵院は廃寺となった。明治四十二年神社統合令により村内の中原明神・諏訪神社の二社が合祀された。大正四年社殿の改築が行われ本殿は二間に一間半の神明造り、幣殿は二間に一間半、拝殿は二間半に二間半向拝付き銅葺きの建物となった。
 昭和六十一年三十五代宮司杉原章夫の折、氏子・崇敬者より社殿新築の議が起こり、氏子総代寺田勝彦氏が建築委員長となり、大同建設株式会社岡田文雄氏・大工棟梁両角賢治氏にて施行され、昭和六十二年(一九八七年)十二月に現社殿が完成した。本殿は二間に一間二五の神明造り、幣殿は二間に一間七五、拝殿は三間半に二間唐破風付き銅葺きである。
 平成四年(一九九二年)には創建八百年の奉祝祭が執り行われた。
          三十六代宮司 杉原博昭
【御祭神】家津美御子大神・伊邪那美大神・事解之男神・伊邪那岐大神
     速玉之大神・天照皇大神・建御名方神・日本武尊命
【境内社】金比羅社・摩利支天社・稲荷社
【祭事】一月一日元旦祭 二月十一日祈年祭 三月初旬泉蔵社祭
    五月下旬摩利支天祭 八月中旬大祭 十一月二十三日新嘗祭


    泉蔵社縁起
 建久二年(西暦一九九二年)征夷大将軍となった源頼朝は、鎌倉の山崎にあった泉蔵院の僧 真諦知覚法印に治国安民の祈祷をさせ、紀州熊野三所権現の御分霊が流れ着いた中原のこの山上に熊野権現社を祀り、山裾に寺を開創するように命じた。
 知覚法印は同年五月六日に着工し、十一月十五日に完成させた。権現社落慶の日、頼朝は梶原を奉幣使として当社に派遣し、山裾の寺に「紀州山桐谷寺」の次号を与え、知覚法印を別当に命じた。
 ニ世栄源法院の折、梵鐘を造立、三世浄奉法印の頃(推定)鎌倉の兵火を避けて山崎泉蔵院を引き払い当地に移り山号を「大霊山泉蔵院」に改めた。五世祐賢法印が正応二年(一二八九年)に社記を書き、二十六世善祐法印がこの社記を書写した。二十八世祐仙法印の折、二間に二間半の観音堂が創建されたが、当時本堂の規模は五間半に五間であった。
 泉蔵院は約七百年らわたり熊野三所権現社の別当として国家安泰・万民和楽の祈願を続けて来たが、明治初年の神仏分離令により、熊野三社権現社は社名を熊野神社と改め、泉蔵院は廃寺となった。
 昭和六十三年(一九八八年)熊野神社御社殿新築落成の嘉き年に当たり、かつて熊野三所権現社に祀られていた大神宮・貴布祢・八幡・牛頭天王・船玉の諸神と泉蔵院に祀られていた不動様・衿迦羅童子・制多迦童子・観音様・お釈迦様・地蔵様・大黒天様・神変菩薩・四天王の諸神をお祀りし社名を「泉蔵社」とした。毎年三月初旬に泉蔵社祭を斎行している。
          三六代宮司 杉原博昭



【参考】
 マルバウツギ Deutzia scabra
 カワラタケ Trametes versicolor
 コウヤボウキ Pertya scandens
 スイカズラ Lonicera japonica
 ヤブヅバキ Camellia japonica
 沼間のスダジイ Castanopsis sieboldii
 シロヨメナ Aster ageratoides
 マンリョウ Ardisia crenata
 アオキ Aucuba japonica
 ヤブコウジ Ardisia japonica
 ヤマコウバシ Lindera glauca
 カラマツソウ Thalictrum aquilegiifolium
 ヘクソカズラ Paederia scandens
 親不知
 子不知
 アセビ Pieris japonica
 釈迦如来像
 アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
 ルリシジミ Celastrina argiolus ladonidea
 ヒメユズリハ Daphniphyllum teijsmannii
 コカマキリ Statilia maculataの卵巣
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 ツルグミ Elaeagnus glabra
 紫月(ルビーネックレス) Senecio Othonna capensis Syn. Crassothonna capensis
 ジンチョウゲ Daphne odora
 ヒメツルソバ Persicaria capitata
 イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia:横浜市指定名木古木 No.48140
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 ゴモジュ Viburnum suspensum
 カワニナ Semisulcospira libertina
 シマアメンボ Metrocoris histrio (無翅型)
 コサギ Egretta garzetta
 カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
 サネカズラ Kadsura japonica の花托
 岩船地蔵尊
 ヤドリギ Viscum album
 水神

神奈川区西部の名木古木、など

 今日は昨年から引き続きで神奈川区の名木古木を巡ってみました。
名木古木マップ  神奈川区東南部の名木古木  石塔  神社
【主な経路】
 (横浜駅)-三ツ沢-羽沢-菅田-鳥山-(新横浜)


イチョウ No.48047:法照山豊顕寺(神奈川区三ツ沢西町16-1)
イチョウ No.48046:神奈川区羽沢町907
イチョウ No.48045:照光山平本院青蓮寺(神奈川区羽沢町762)


豊顕寺ぶげんじ市民の森
 三ッ沢公園に続く市民の森です。花と木が多いお寺の石段は、静かな古都の風情を漂わせ、桜の名所としても有名です。樹齢600年を超える、市指定名木・古木のイチョウの木があります。


  豊顕寺ぶげんじ
 当寺は、法照山と号す法華宗陣門龍総本山本成寺末の寺院です。
 三河国多米ため村(現愛知県豊橋市多米町)の郷士多米元興は、先祖菩提のたるに永正えいしょう12年(1515)多米村に本顕寺を建立しました。元興の父元益は、伊勢七騎の一人でした。(伊勢はのちに北条氏と称す)元興は天文てんぶん年間(1532~1555)北条氏が関八州を領有した頃、青木の地に城砦を構えていましたが、のちに連信斉と名乗り三ッ沢のこの地に隠棲して本顕寺を移し、豊顕寺と改称しましたル元興の没後、その子長宗は青木城を領し、元興の隠棲の地を当寺に寄進し、堂宇を造営したので地方には稀な巨刹となりました。
 享保きょほう5年’1720)本宗の檀林として学舎5棟、学寮25棟を建設し開講式を挙行しました。学徒は300人を下らぬ盛況を極めたといいます。その後も再建・増築をし宏大な規模になりましたが、明治期になり火災による焼失、大正期の地震による倒壊によって檀林は廃絶いたしました。
 境内には、鷲津(静岡県)の本興寺から根分けした藤を記念しての碑が藤棚の下にあり、また、江戸から保土ケ谷宿に来宿し、宿内の人々に歌学を教授した山平伴鹿の歌碑があります。多米家歴代の墓は、境内左側にあります。
     横浜市教育委員会文化財課
     財団法人横浜国際観光協会
            平成5年3月



タブノキ No.51001:(羽沢)神明社
タブノキ No.51002:(羽沢)神明社
イチョウ No.48032(左), 48033(右):正寿山長導寺
ヤマモミジ(確認できず):八幡宮



アカガシ No.48034:(菅田)神明社
シラカシ No.53005:(菅田)神明社
モチノキ No.53006:(菅田)神明社
ヒイラギ(確認できず):(菅田)神明社
イトヒバ No.49045:熊野山最勝寺
タブノキ No.48035:熊野山最勝寺
最勝寺さいしょうじ
 静かなたたずまいのお寺には、市指定名木・古木のタブノキ・イトヒバがあります。お寺の横には、区内にある三つの富士塚の中で最も大きい、熊野堂の富士塚があり、頂上から周辺の景色を眺めることができます。



イチョウ No.48153:鳥山八幡宮
シラカシ No.48154:鳥山八幡宮
シラカシ No.49357(左)、49358(右):鳥山八幡宮
サワラ No.49359:鳥山八幡宮
イチョウ No.49363:瑞雲山三念寺
サルスベリ No.201418:瑞雲山三念寺
ケヤキ No.49366:瑞雲山三念寺



   よこはま道
安政5年(1858)6月の日米通商条約調印によって開国にふみきった幕府は、神奈川(横浜)の開港を翌年6月と定めた。
 しかし、ミナト横浜の町づくりは開港3ヶ月前の3月になって、やっと工事が始まった。当時は、東海道筋から、横浜への交通はまことに不便を極めたことから、幕府は、東海道筋の芝生しぼう村(現:浅間町のこの地点)から横浜(関内)に至る「よこはま道」と呼ばれる道路を開いた。
 これは、芝生しぼうから湿地帯であった岡野・平沼の各新田を経て戸部村まで1直線に通ずる道路を築くと共に新田間あらたま、平沼・石崎の三つの橋を架け、併せて戸部坂・野毛の切通を開き、野毛橋(現:都橋)、大田橋(吉田橋)を架けたものである。
 記録によると、当時の橋の幅は3間(約6m弱)で道路もおそらくこれと同程度であったものと考えられる。
 なにしろ、工期3ヶ月の突貫工事であったことと、橋材が過ぎと松を使用した仮普請であったことから「3年ももつまい…」と噂されたが、それでも戸部村までの経費で、4470両かかった。


土地改良記念碑(神奈川区菅田町2408)
  事業の状況
 設置認可 昭和四十二年十一月一日
 解散認可 昭和五十三年三月九日
 改良面積 五ヘクタール
 橋梁   新菅田橋外六基
 道路工  一二二六米
 水路工  一二七〇米
 総工費  二八二〇万圓



【参考】
 イチョウ Ginkgo biloba
 タブノキ Machilus thunbergii
 アカガシ Quercus acuta
 シラカシ Quercus myrsinifolia
 モチノキ Ilex integra
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 イトヒバ Chamaecyparis obtusa ‘Pendula’
 サワラ Chamaecyparis pisifera
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 ケヤキ Zelkova serrata
 アツバキミガヨラン Yucca gloriosa
 マサキ Euonymus japonicus
 マンリョウ Ardisia crenata
 ハクサイ Brassica rapa subsp. pekinensis
 キャベツ Brassica oleracea var. capitata
 キカラスウリ Trichosanthes kirilowii var. japonica
 ブロッコリー Brassica oleracea var. italica
 枝垂桜(しだれざくら)Cerasus spachiana (菅田史跡富士浅間)
 キンカン Fortunella spp.
 ダイオウショウ Pinus palustris
 オナガ Cyanopica cyanus
 ソヨゴ Ilex pedunculosa


【参考】
 横浜道分岐点
 日本ホーリネス教団横浜教会
 横浜市戦没者慰霊碑(三ッ沢公園)
 石塔群(庚申、地蔵):神奈川区羽沢町907
 双体道祖神:神奈川区羽沢町907
 不明の社:神奈川区羽沢町776
 堅牢地神塔:
 史蹟硯松:神奈川区羽沢町993
 羽沢富士塚:神奈川区羽沢町917
 馬頭観音(羽沢富士塚)
 庚申祠:神奈川区菅田町2000
 道祖神:神奈川区菅田町2000
 稲荷社:神奈川区菅田町1944
 稲荷社:神奈川区菅田町2311
 土地改良記念碑(神奈川区菅田町2408)
 新菅田橋跡:神奈川区菅田町2250
 八幡橋跡:神奈川区菅田町2249
 八幡宮:神奈川区菅田町2535
 道祖神:港北区鳥山町371
 庚申塔群:港北区鳥山町281
 双体道祖神:港北区篠原町1262
 TPHO
 鷹取山夕照

令和三年、賀新春!

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 早々のお年賀を頂戴しました皆さま、ありがとうございます。新年のご挨拶は、当サイトに代えさせて戴いておりますこと、ご容赦ください。


過去の年賀状ギャラリー

歳の瀬の鷹取山

 昨日の金沢八景権現山に続いて、今日は鷹取山を歩いてみました。ヤブツバキの花の時期には少し早いので少々淋しい季節なのですが、木本植物の葉など今の季節でないと気づくことの出来なかった彩に気づきます。遠目に白い花のように見えたのは、シロヨメナの総苞片でした。


C-252 シロダモハコブフシ【湯川(1996)を転記】
 シロダモタマバエ Pseudosphondylia neolitseae Yukawa(1974) によって葉に形成される虫えいである。展開直後の葉表には直径2~3mmの赤い斑点が現れ、その後急速に生長し、初夏には成熟する。虫えいの葉表部には黒褐色で先端の丸くなった円錐形、葉裏部は茶褐色で半球形を呈する。九州南部では、高さは2.8~5.0mm、直径は2.1~3.5mmで、葉表部の突出の方が葉裏部のそれよりも大きい。暖かい地方ではこの傾向がさらに強くなるが、九州北部などでは、逆に、葉裏の半球形の部分が大きくなり、葉表の円錐形の部分が小さくなる。内部はほぼ球形の幼虫室があり、淡黄褐色の幼虫が1匹入っている。成虫は虫えいの葉裏部から羽化する。多いときには、葉当たりの虫えい数が100個にも達することがあり、葉が折れ曲がったり、捻じれたりする。
 生態 基本的には年1世代であるが、まれに2年1世代のものもある(図II-17)。成虫は4月上~中旬に羽化し、20~40mmに伸びた新芽の中に産卵する。羽化した幼虫は新葉に潜入し、その部分が赤斑点になり、初夏には顕著な虫えいとなる。1齢で越夏し、秋には2齢から3齢に進み、翌春、虫えい内で蛹化する。2年1世代のものは2年目の秋まで1齢のままで、その後、年1世代のものと同じような経過をたどる。これまで内部寄生蜂としてコガネコバチ科のGastrancistrus sp.、外部寄生蜂としてシロダモタマバエコマユバチ Bracon tamabae Maetô(1991) (=Ibobracon scurra Fischer)が知られている(436ページ参照)。
 分布 本州、佐渡、伊豆諸島、四国、九州、種子島、屋久島、南西諸島。
(参考文献) 井手(1928)、Maetô(1991)、Sunose(1982)、巣瀬(1986d)、鈴木(1980)、Takasu & Yukawa(1984)、薄葉(1977)、山内ら(1982)、矢野(1964)、Yukawa(1974, 1976b, 1983a)、湯川(1979a, 1984a, 1988d)、Yukawa et al.(1976)、湯川・松岡(1992)、湯川・巣瀬(1988)。
虫癭ちゅうえい = 虫こぶ。

【参考】
 イソギク Chrysanthemum pacificum
 シロヨメナ Aster ageratoides
 ツルマサキ Euonymus fortunei
 コゴメウツギ Stephanandra incisa
 ナンテン Nandina domestica
 カニクサ Lygodium japonicum
 イタビカズラ Ficus nipponica
 オオバウマノスズグサ Aristolochia kaempferi var. kaempferi
 エビヅル Vitis ficifolia
 マルバウツギ Deutzia scabra
 シロダモ Neolitsea sericea
 マンリョウ Ardisia crenata
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 前浅間
 コウヤボウキ Pertya scandens
 キヅタ Hedera rhombea
 マユミ Euonymus hamiltonianus
 ハゼノキ Rhus succedanea
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 トネアザミ Cirsium comosum ver. incomptum
 ヤマブキ Kerria japonica
 ヤマコウバシ Lindera glauca
 親不知
 子不知
 ビワ Eriobotrya japonica
 ヤブツバキ Camellia japonica
 アセビ Pieris japonica
 壁画群
 リュウノヒゲ Ophiopogon japonicus
 ハリギリ Kalopanax septemlobus
 シロダモハコブフシ
 ヤツデ Fatsia japonica
 コセンダングサ Bidens pilosa var. pilosa
 サルトリイバラ Smilax china
 アオキ Aucuba japonica
 アケビ Akebia quinata
 釈迦如来像
 ミツバアケビ Akebia trifoliata
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 サザンカ Camellia sasanqua
 セイヨウヒイラギ Ilex aquifolium
 ギョリュウバイ Leptospermum scoparium
 夕照橋よりみた富嶽


参考文献
渡邉-東間加奈・大井-東間哲雄(2016)日本産オオバウマノスズクサ群の分類学史およびオオバウマノスズクサとアリマウマノスズクサの混同について、Bunrui, 16(2):131-151、URL: https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunrui/16/2/16_01602-06/_pdf/-char/ja、accesed: 2020-12-29.
湯川淳一(1996)日本原色虫えい図鑑、p.201.

歳の瀬の金沢八景権現山

 計画から5年以上経ってしまった金沢八景西公園(仮称)は八景権現山公園に名称が決まって、円通寺客殿再建築工事を伴う整備事業が行われています。実際に工事をしている所はあまり見かけませんが、完成予定は2020年3月31日とのことです。
 権現山の金沢八景側の上り口は石敢當が守っていたのですが、今日はみつけることが出来ませんでした。ヤブツバキはまだ咲始めといったところです。


 八景権現山公園
 イヌマキ Podocarpus macrophyllus
 ハリギリ Kalopanax septemlobus
 ヤマモミジ Acer amoenum var. matsumurae
 スエヒロタケ Schizophyllum commune
 シロヨメナ Aster ageratoides
 ノダフジ Wisteria floribunda
 イタビカズラ Ficus nipponica
 イヌガヤ Cephalotaxus hamingtonia
 ツルマサキEuonymus fortunei var. fortunei
 紅葉
 サルトリイバラ Smilax china
 ヤブツバキ Camellia japonica
 シーパラダイス、富津方面
 笠森稲荷神社
 ヤツデ Fatsia japonica
 不動祠(上行寺)
 イヌガヤ Cephalotaxus hamingtonia (横浜市名木古木 No.49292):上行寺
 11月で廃業したそよ風食堂

大宮を訪ねて-2020年12月

 今日は、大宮の母を訪ねました。いつもにも増して元気そうで、孫たちの作った昼食も喜んでくれました。


【参考】
 本日のメニュー
  オムライス、ジャーマンポテト、サーモン生春巻き付きサラダ、デザート(ガナッシュケーキ、アップルトルテ、焼きプリン)
 武蔵一之宮氷川神社で時差初詣
 帰りに寄ったアニメイト池袋本店【ベツレヘムの星の代わりにごちうさのティッピー
 池袋のクリスマスイルミネーション

入江川を遡る~西園橋から源流地点まで

 今日は先日の続きで入江川の源流近辺まで歩いてみました。
 入江川、滝の川マップ  神社  坂道  石塔  ひまわり


 西園橋さいえんはし
 名称不明の橋 x 2
 久保下橋くぼしもはし
 暗渠流出口



 農園橋
 暗渠流入口
 第一子園橋
 名称不明の橋 x 4



 第二子園橋
 名称不明の橋 x 2


a16-18
 


 名称不明の橋 x 2

 第四子園橋
 名称不明の橋 x 5


「入江川せせらぎ緑道」と下水処理水を有効に利用して水辺を復活したことで。平成10年度「手作り郷土ふるさと賞」に認定されました。
  下水道局のキャラクター
   かばのだいちゃん
 名称不明の橋 x 3



 向谷橋
 名称不明の橋 x4



 松蔭橋
 名称不明の橋
 暗渠流出口
 源流噴出モニュメント
 白幡下橋
 源流地点
 名称不明の橋


【入江川支流】
 入江川には、入江川遊水地を源流として水道道下の暗渠を介して合流する支流があるのですが、この支流の側道は来春まで工事中(2020.2.26までを予定)で通行禁止となっていました。名前のついている橋はなさそうですが、来年また尋ねたいと思います。


 この柵内の入江川遊水地管理地は、地区の運動公園として利用登録団体に午前9時から午後6時まで開放しています。利用時間以外の夜間・早朝には中に入れません。
 なお、利用団体の登録並びにご利用申込にあたっては、入江川遊水地多目的広場管理委員会までお尋ねください。
 横浜道路局河川管理課 ☎671-2855


宋興寺


◎宋興寺とヘボン博士
 曹洞宗宋興寺は、上の『神奈川駅中図絵』では権現山の麓に描かれている。
 開港当時、アメリカ人宣教師で医師であったヘボン博士がここに施療所を開いた。これを記念する石碑にたてられている。
 このヘボン博士は、「ヘボン式ローマ字」でよく知られ、日本で最初の和英辞典を完成し、聖書の翻訳なども行った。後に、明治学院を創設するなど、わが国の教育にも尽力した人である。


滝ノ橋と本陣跡


慶運寺けいうんじ
 慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世音誉聖観おんよしょうかんによって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、『東国紀行』の天文十四年(一五四四)三月三日の条に「ほどなくかな川につきたり、此処へもこづくへ小机の城主へいひつけられ。旅宿運慶寺にかまへたり」と書いている。開港当時はフランス領事館に使われた。
 また、浦島寺とも呼ばれている。浦島太郎が竜宮城より持ち帰ったという観音像など浦島伝説にちなむ遺品が伝わっている。


横浜市地域有形民俗文化財
 浦島太郎伝説関係資料
        平成七年十一月一日登録

  所有者 宗教法人慶運寺けいうんじ 宗教法人蓮法寺れんぽうじ
  所在地 神奈川区神奈川本町一八番地二 神奈川区七島町二一番地
本尊浦島観音(旧観福寿寺かんぷくじゅじ) 一躯
浦島父子塔(旧観福寿寺旧在) 一基
浦島寺碑(旧観福寿寺旧在) 一基
  登録資料 伝供養塔 三基
顕彰歌碑 太田唯助作 一基
 横浜市神奈川区にも伝わる浦島太郎伝説は、観福寿寺に伝えられていた縁起書に由来すると考えられますが、同寺は慶応四年(一八六八)に焼失したため、縁起の詳細については確認できません。しかし、『江戸名所図会えどめいしょずえ』『金川砂子かながわすなご』などの文献には縁起に関する記述がみられます。
 それらによると、相州三浦の住人浦島太夫が丹後国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。太郎が二〇歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたり、そこで暮らすこととなった。三年の後、澄の江の浦へ帰ってみると、里人に知る人もなく、やむなく本国の相州へ下り、父母のことを訪ねたところ、三百余年前に死去しており、武蔵国白幡の峯に葬られたことを知る。これに落胆した太郎は、神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮へ戻り、再び帰ることはなかった。そこで人々は神体をつくり浦島大明神として祀った、という内容です。
 この浦島太郎伝説が伝わっていた観福寿寺の資料は、同寺とゆかりの深い慶運寺(本寺)と、大正末期に観福寿寺が所在した地に移転してきた蓮法寺(神奈川区七島町二一番地)に残されています。
 慶運寺に移された浦島観世音は、浦島太郎が龍宮から玉手箱とともに持ち帰ったとされるもので、亀の形をした台座の上に「浦島寺」と刻まれた浦島寺碑や浦島父子塔とともに、浦島伝説を今日に伝えるものです。
          横浜市教育委員会


 宋興寺に掲示された説明文(最後の一段落以外は同文でした)



◎大口通商店街
 アーケードに沿って個性的な懐かしい店が並ぶ、気取りのない生き生きとした商店街で、近所の人たちの台所を支えています。周辺の商店街とあわせ、その安さには定評があります。



曹洞宗徳雄山建功寺
 建功寺は、永禄年間(一五六〇頃)当寺二世聲庵守聞和尚が寺尾城主諏訪馬之助の帰依を受けて創建し師の伊勢原龍散寺三世大州長譽和尚を勧請、開山した禅寺で、慶長十四年(一六〇九)この地に堂宇を建立した。開基諏訪氏の定紋諏訪梶を寺紋とし、寺宝として延宝三年(一六七五)鋳造の法堂鐘がある。
 平成七年七月 第十七世 大観信歩代



馬場の赤門(旧澤野家長屋門)
人類は太古の昔より地上に石を立て土を盛り上げてそれが碑となり塚となって後世に傳えられた。我が家の祖先は二百有余年前此の地に分家祖先三代にわたりよく働き郷土郷党のために尽した。
東西馬場北の寺尾西四ヶ村徳川幕府直領の総代名主として名字帯刀並びに間口八間半の長屋門に紅殻塗を許された人稱して、「赤門」と呼び近郷の目標となる。明治の初年には土地所有の面積十八万坪記録したが第二次世界大戦敗戰の余波は我が家にも及び、所有地の大部分が解放を命せらるに至った。
之は歴史の興亡を考へれば止むなきを得ない事ではあるが子々孫々に至るまで祖先の功労威徳に報いる事、守護神伏見稲荷の祭祀を忘るべからず。
心今もいこい
    在さむ自然林
永久に傳えむ鳥のすみかに
 昭和五十二年七月 *)
沢野家九代豊ス々選文建碑
 川崎市会議員篠田茂男書
*:近くに石碑もあり、仮名遣いの違いなどを除けば同文だが、そちらでは「昭和四十八年五月」となっていて、篠田氏の名前もない。


【板碑】
   告
  馬場の赤門【板碑】
江戸時代の名主(代官の支配下に村内の民政を扱った)屋敷の長屋門で幕府より紅がらぬりを許された。安政年間一八五五年に建てられ東寺尾、北寺尾、西寺尾、馬場、四ヶ村総代名主当時の建物です。
     ふるさと新発見
        寺尾奉行


【大理石碑】
  赤門
江戸時代の名主(代官支配下に村内民政を扱った)屋敷の長屋門で幕府より紅がらぬりを許るされた。安政年間(一八五五年)に建てられ東寺尾北寺尾西寺尾馬場四ヶ村総代名主当時の建造物
 昭和四十五年十二月
    寺尾郷土研究會


馬頭観音像:鶴見区馬場5丁目1-9


     告
 馬頭観世音像
鶴見区内には十五基ほどある観世音像にはほとんどが個人で建てたものだがこの像は台石正面に「寺尾村池谷講中」と書かれてあり、村で建てた珍しいものである。
寺尾城から来た馬が立ち止まって動かない事から馬の完全祈願として建てられた説と、運搬馬として神川宿への助郷に〇われたという二つの謂われがあり文化二年(一八〇五に建てられた。
     ふるさと発見
       寺尾奉行



     市場村一里塚由来記
昔街道一里毎に塚を築は塚上に榎を植えて標示した。これもを一里塚という。江戸日本橋を起点に東海道に造られた市場村一里塚もその一つで今(昭和三十八年)から三百六十年前、即ち慶長九年徳川家康が東海、東山、中山、諸道を修理する時築いたものが明治初年
までは相對して道の兩側に同じ塚があったが取りこわされ一方のみ残る。日本橋から数えて五里(三十粁)に當る。永い間風雨にさらされ土が崩れ流れるもので地元有志これを惜しみ昭和二十五年八月大谷石をもって土止めをしこえて三十八年五月補修を加えこの碑を達つ
     昭和三十八年五月
          熊野神社宮司   萩原豊英
          一里塚保存会代表 鈴木菊蔵
                   松本喜代之介
                   外 有志一同


  市場の一里塚
 慶長9年(1604)徳川幕府は、江戸から京都までの街道を整備し、あわせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。
 里程の目標として人馬の休憩のための目安として、江戸日本橋から一里(約4km)毎に街道の両側に五間四方(9m四方)の塚を築造し、塚の上には榎を植えました。
 ここは江戸より五里目の塚に当り、市内で最初の一里塚です。明治9年(1877)地租改正にあたり払下げられ、左側の塚が現存しています。昭和初期までの塚の上には榎の大木が繁茂していました。
 昭和8年(1932)6月「武州橘樹郡市場村一里塚」(添田担書)の碑が建立されました。
 平成元年(1989)横浜市地域文化財として登録されました。
          横浜市教育委員会
          財団法人横浜国際観光協会
                 平成5年3月


その他の写真
 キンクロハジロと思って望遠撮影していたカモ類はスズガモでした。最近一段と視力が落ちているようです。


【参考】
 キダチロカイ Aloe arborescens
 イチョウ Ginkgo biloba
 スズガモ Aythya marila
 エビヅル Vitis ficifolia
 ハシボソガラス Corvus corone
 コサギ Egretta garzetta
 雷神社(須賀市追浜本町1-9)
 浦谷山法福寺(横須賀市追浜本町1-19)
 青木山延命院本覺寺(神奈川区高島台1-2)
 開塔山日輪院宗興寺(神奈川区幸ヶ谷10-6)
 吉祥山茅草院慶運寺(神奈川区神奈川本町18-2)
 台座の亀(慶運寺)
 浦島観音堂(慶運寺)
 立町歩道橋上より東を望む
 鷲の湯(神奈川区七島町151)
 大口通商店街
 大口駅前
 入江川公園
 福助湯
 徳雄山建功寺:鶴見区馬場1丁目2-1
 馬場の赤門(旧澤野家長屋門):横浜市鶴見区馬場1丁目10-23
 稲荷社:鶴見区馬場2丁目23-13
 デイサービスひまわり畑:横浜市鶴見区馬場3-18-22
 庚申塔:鶴見区東寺尾6丁目36
 大阪(東寺尾)
 熊野神社:寺谷1丁目21-7
 弁天社;弁天池(鶴見区寺谷1丁目16-13)
 鶴見川
 鶴見川橋
 下町稲荷:鶴見区市場下町9-23
 庚申堂:鶴見区市場下町9
 稲荷社:市場一里塚

恵比寿ガーデンプレイスへ

 来年2月で閉店する三越恵比寿店へ行ってきました。コロナ禍の平日とはいえ確かに人出が少ないようで、ビアステーション恵比寿でゆったりと食事が出来ました。生、ハーフ&ハーフ、プレミアムブラックと飲み比べた結果、やはりヱビスは生がベストのようでした。


Baccarat Etrenal Lights -歓びのかたち-
 2020年11月14個~2021年1月11日
バカラは今から256年前、フランス・ロレーヌ地方バカラ村で創設されたクリスタルブランドです。毎冬、この恵比寿ガーデンプレイスで明かりを灯し、今年、21回目を迎えました。2020年は、世界にとって、苦難の1年となりました。このシャンデリアの灯りは、日本中の医療従事者、並びに日常の生活を支えていただいた多くの方への感謝の明かりです。そしてこの250灯の輝きによって、一人でも多くの皆様に希望、勇気、夢や笑顔が生まれる事を、私たちは願います。
 主催:恵比寿ガーデンプレイス バカラ パシフィック株式会社
 特別協賛:SUS株式会社  後援:在日フランス大使館
【本日の昼食】
 ヱビス 生ビール
 ヱビス ハーフ&ハーフ
 ヱビス プレミアムブラック
 トルコライス
 酸辣湯麺(韓国麺)

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