今日は先日の続きで入江川の源流近辺まで歩いてみました。
入江川、滝の川マップ 神社 坂道 石塔 ひまわり
西園橋
久保下橋()
暗渠流出口
西園橋()
名称不明の橋 x 2
久保下橋()
暗渠流出口
農園橋
暗渠流入口
第一子園橋
名称不明の橋 x 4
第二子園橋
第二子園橋
名称不明の橋 x 2
a16-18
第三子園橋
名称不明の橋 x 2
第四子園橋
第四子園橋
名称不明の橋 x 5
かばのだいちゃん
「入江川せせらぎ緑道」と下水処理水を有効に利用して水辺を復活したことで。平成10年度「手作り
郷土()賞」に認定されました。
下水道局のキャラクター
かばのだいちゃん
名称不明の橋 x 3
向谷橋
向谷橋
名称不明の橋 x4
松蔭橋
名称不明の橋
暗渠流出口
源流噴出モニュメント
白幡下橋
源流地点
名称不明の橋
【入江川支流】
入江川には、入江川遊水地を源流として水道道下の暗渠を介して合流する支流があるのですが、この支流の側道は来春まで工事中(2020.2.26までを予定)で通行禁止となっていました。名前のついている橋はなさそうですが、来年また尋ねたいと思います。
入江川遊水地
この柵内の入江川遊水地管理地は、地区の運動公園として利用登録団体に午前9時から午後6時まで開放しています。利用時間以外の夜間・早朝には中に入れません。
なお、利用団体の登録並びにご利用申込にあたっては、入江川遊水地多目的広場管理委員会までお尋ねください。
横浜道路局河川管理課 ☎671-2855
宋興寺
開塔山日輪院宗興寺
◎宋興寺とヘボン博士
曹洞宗宋興寺は、上の『神奈川駅中図絵』では権現山の麓に描かれている。
開港当時、アメリカ人宣教師で医師であったヘボン博士がここに施療所を開いた。これを記念する石碑にたてられている。
このヘボン博士は、「ヘボン式ローマ字」でよく知られ、日本で最初の和英辞典を完成し、聖書の翻訳なども行った。後に、明治学院を創設するなど、わが国の教育にも尽力した人である。
滝ノ橋と本陣跡
吉祥山茅草院慶運寺
台座の亀(慶運寺)
浦島観音堂(慶運寺)
◎
慶運寺()
慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世
音誉聖観()によって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、『東国紀行』の天文十四年(一五四四)三月三日の条に「ほどなくかな川につきたり、此処へも
こづくへ()の城主へいひつけられ。旅宿運慶寺にかまへたり」と書いている。開港当時はフランス領事館に使われた。
また、浦島寺とも呼ばれている。浦島太郎が竜宮城より持ち帰ったという観音像など浦島伝説にちなむ遺品が伝わっている。
横浜市地域有形民俗文化財
浦島太郎伝説関係資料
平成七年十一月一日登録
所有者 |
宗教法人慶運寺() |
宗教法人蓮法寺() |
所在地 |
神奈川区神奈川本町一八番地二 |
神奈川区七島町二一番地 |
本尊浦島観音(旧観福寿寺()) 一躯 浦島父子塔(旧観福寿寺旧在) 一基 浦島寺碑(旧観福寿寺旧在) 一基 |
登録資料 |
伝供養塔 三基 顕彰歌碑 太田唯助作 一基 |
横浜市神奈川区にも伝わる浦島太郎伝説は、観福寿寺に伝えられていた縁起書に由来すると考えられますが、同寺は慶応四年(一八六八)に焼失したため、縁起の詳細については確認できません。しかし、『江戸名所図会()』『金川砂子()』などの文献には縁起に関する記述がみられます。
それらによると、相州三浦の住人浦島太夫が丹後国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。太郎が二〇歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたり、そこで暮らすこととなった。三年の後、澄の江の浦へ帰ってみると、里人に知る人もなく、やむなく本国の相州へ下り、父母のことを訪ねたところ、三百余年前に死去しており、武蔵国白幡の峯に葬られたことを知る。これに落胆した太郎は、神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮へ戻り、再び帰ることはなかった。そこで人々は神体をつくり浦島大明神として祀った、という内容です。
この浦島太郎伝説が伝わっていた観福寿寺の資料は、同寺とゆかりの深い慶運寺(本寺)と、大正末期に観福寿寺が所在した地に移転してきた蓮法寺(神奈川区七島町二一番地)に残されています。
慶運寺に移された浦島観世音は、浦島太郎が龍宮から玉手箱とともに持ち帰ったとされるもので、亀の形をした台座の上に「浦島寺」と刻まれた浦島寺碑や浦島父子塔とともに、浦島伝説を今日に伝えるものです。
横浜市教育委員会
宋興寺に掲示された説明文(最後の一段落以外は同文でした)
大口通商店街
◎大口通商店街
アーケードに沿って個性的な懐かしい店が並ぶ、気取りのない生き生きとした商店街で、近所の人たちの台所を支えています。周辺の商店街とあわせ、その安さには定評があります。
曹洞宗徳雄山建功寺
曹洞宗徳雄山建功寺
建功寺は、永禄年間(一五六〇頃)当寺二世聲庵守聞和尚が寺尾城主諏訪馬之助の帰依を受けて創建し師の伊勢原龍散寺三世大州長譽和尚を勧請、開山した禅寺で、慶長十四年(一六〇九)この地に堂宇を建立した。開基諏訪氏の定紋諏訪梶を寺紋とし、寺宝として延宝三年(一六七五)鋳造の法堂鐘がある。
平成七年七月 第十七世 大観信歩代
馬場の赤門(旧澤野家長屋門)
馬場の赤門(旧澤野家長屋門)
人類は太古の昔より地上に石を立て土を盛り上げてそれが碑となり塚となって後世に傳えられた。我が家の祖先は二百有余年前此の地に分家祖先三代にわたりよく働き郷土郷党のために尽した。
東西馬場北の寺尾西四ヶ村徳川幕府直領の総代名主として名字帯刀並びに間口八間半の長屋門に紅殻塗を許された人稱して、「赤門」と呼び近郷の目標となる。明治の初年には土地所有の面積十八万坪記録したが第二次世界大戦敗戰の余波は我が家にも及び、所有地の大部分が解放を命せらるに至った。
之は歴史の興亡を考へれば止むなきを得ない事ではあるが子々孫々に至るまで祖先の功労威徳に報いる事、守護神伏見稲荷の祭祀を忘るべからず。
心今もいこい
在さむ自然林
永久に傳えむ鳥のすみかに
昭和五十二年七月 *)
沢野家九代豊ス々選文建碑
川崎市会議員篠田茂男書
*:近くに石碑もあり、仮名遣いの違いなどを除けば同文だが、そちらでは「昭和四十八年五月」となっていて、篠田氏の名前もない。
【板碑】
告
馬場の赤門【板碑】
江戸時代の名主(代官の支配下に村内の民政を扱った)屋敷の長屋門で幕府より紅がらぬりを許された。安政年間一八五五年に建てられ東寺尾、北寺尾、西寺尾、馬場、四ヶ村総代名主当時の建物です。
ふるさと新発見
寺尾奉行
【大理石碑】
赤門
江戸時代の名主(代官支配下に村内民政を扱った)屋敷の長屋門で幕府より紅がらぬりを許るされた。安政年間(一八五五年)に建てられ東寺尾北寺尾西寺尾馬場四ヶ村総代名主当時の建造物
昭和四十五年十二月
寺尾郷土研究會
馬頭観音像:鶴見区馬場5丁目1-9
馬頭観音像:鶴見区馬場5丁目1-9
告
馬頭観世音像
鶴見区内には十五基ほどある観世音像にはほとんどが個人で建てたものだがこの像は台石正面に「寺尾村池谷講中」と書かれてあり、村で建てた珍しいものである。
寺尾城から来た馬が立ち止まって動かない事から馬の完全祈願として建てられた説と、運搬馬として神川宿への助郷に〇われたという二つの謂われがあり文化二年(一八〇五に建てられた。
ふるさと発見
寺尾奉行
市場村一里塚
市場村一里塚
市場村一里塚由来記
昔街道一里毎に塚を築は塚上に榎を植えて標示した。これもを一里塚という。江戸日本橋を起点に東海道に造られた市場村一里塚もその一つで今(昭和三十八年)から三百六十年前、即ち慶長九年徳川家康が東海、東山、中山、諸道を修理する時築いたものが明治初年
までは相對して道の兩側に同じ塚があったが取りこわされ一方のみ残る。日本橋から数えて五里(三十粁)に當る。永い間風雨にさらされ土が崩れ流れるもので地元有志これを惜しみ昭和二十五年八月大谷石をもって土止めをしこえて三十八年五月補修を加えこの碑を達つ
昭和三十八年五月
熊野神社宮司 萩原豊英
一里塚保存会代表 鈴木菊蔵
松本喜代之介
外 有志一同
市場の一里塚
慶長9年(1604)徳川幕府は、江戸から京都までの街道を整備し、あわせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。
里程の目標として人馬の休憩のための目安として、江戸日本橋から一里(約4km)毎に街道の両側に五間四方(9m四方)の塚を築造し、塚の上には榎を植えました。
ここは江戸より五里目の塚に当り、市内で最初の一里塚です。明治9年(1877)地租改正にあたり払下げられ、左側の塚が現存しています。昭和初期までの塚の上には榎の大木が繁茂していました。
昭和8年(1932)6月「武州橘樹郡市場村一里塚」(添田担書)の碑が建立されました。
平成元年(1989)横浜市地域文化財として登録されました。
横浜市教育委員会
財団法人横浜国際観光協会
平成5年3月
その他の写真
キンクロハジロと思って望遠撮影していたカモ類はスズガモでした。最近一段と視力が落ちているようです。
キダチロカイ Aloe arborescens
雷神社(須賀市追浜本町1-9)
浦谷山法福寺(横須賀市追浜本町1-19)
青木山延命院本覺寺(神奈川区高島台1-2)
立町歩道橋上より東を望む
スズガモ Aythya marila
エビヅル Vitis ficifolia
鷲の湯(神奈川区七島町151)
大口駅前
入江川公園
ハシボソガラス Corvus corone
福助湯
コサギ Egretta garzetta
デイサービスひまわり畑:横浜市鶴見区馬場3-18-22
庚申塔:鶴見区東寺尾6丁目36
大阪(東寺尾)
熊野神社:寺谷1丁目21-7
熊野神社:寺谷1丁目21-7
弁天社;弁天池(鶴見区寺谷1丁目16-13)
鶴見川
鶴見川橋
下町稲荷:鶴見区市場下町9-23
庚申堂:鶴見区市場下町9
稲荷社:市場一里塚
【参考】
キダチロカイ Aloe arborescens
イチョウ Ginkgo biloba
スズガモ Aythya marila
エビヅル Vitis ficifolia
ハシボソガラス Corvus corone
コサギ Egretta garzetta
雷神社(須賀市追浜本町1-9)
浦谷山法福寺(横須賀市追浜本町1-19)
青木山延命院本覺寺(神奈川区高島台1-2)
開塔山日輪院宗興寺(神奈川区幸ヶ谷10-6)
吉祥山茅草院慶運寺(神奈川区神奈川本町18-2)
台座の亀(慶運寺)
浦島観音堂(慶運寺)
立町歩道橋上より東を望む
鷲の湯(神奈川区七島町151)
大口通商店街
大口駅前
入江川公園
福助湯
徳雄山建功寺:鶴見区馬場1丁目2-1
馬場の赤門(旧澤野家長屋門):横浜市鶴見区馬場1丁目10-23
稲荷社:鶴見区馬場2丁目23-13
デイサービスひまわり畑:横浜市鶴見区馬場3-18-22
庚申塔:鶴見区東寺尾6丁目36
大阪(東寺尾)
熊野神社:寺谷1丁目21-7
弁天社;弁天池(鶴見区寺谷1丁目16-13)
鶴見川
鶴見川橋
下町稲荷:鶴見区市場下町9-23
庚申堂:鶴見区市場下町9
稲荷社:市場一里塚