植物」カテゴリーアーカイブ

今年も巾着田へ

 昨年はバスツアーで訪れた埼玉県日高市の巾着田を二人で尋ねました。ヒガンバナの季節はもう殆ど終わりでしたが、心配されていたお天気もなんとかもってくれましたので、近くの日和田山から巾着田の全景を望むことが出来ました。


巾着田(きんちゃくだ)
     所在地 日高市大字高麗本郷
 刈場坂峠付近に源を発する高麗川の流れは複雑な起伏の山峡を東流し、関東平野に出たところで、南東から北東にその流れの方向を変えます。
 この大きな蛇行した姿は、あたかも円を描いたような流れとなって、他で見ることができない珍しい地形を形成しました。
 水の流れは、永い歳月をかけ外縁の土地を侵食して急崖をつくり、内側には川原が形成され、その内側は自然堤防となり、自然林の木立が生育しています。。
 更にこの内側には上流部から運ばれてきた土砂が堆積し、この土地を利用して古くから水田耕作が営まれていました。
 地元の人は、ここを川原田と呼んでおり、この地に市原田、内野、新田、八ヶ下が字として存在し、面積は約22haに及びます。
 また、慶長2年(1597年)高麗本郷全域にわたり、検地がおこなわれたことが検地帳に記されており、中世末期には巾着田が耕地化されていたものと推定されます。
 上空から見ると、この姿が巾着袋のように見えるので、俗称として「巾着田」と呼ばれるようになりました。日和田山から眺めるとその姿を確認することができます。
           日高市・日高市観光協会


天皇皇后両陛下行幸啓記念
 平成29年9月20日、天皇皇后両陛下が日高市に行幸啓されました。両陛下は高麗神社ほ参拝後、ここ巾着田曼殊沙華公園を視察され、深紅に染まる満開の曼殊沙華群生地を散策されました。散策中は巾着田の地形や動植物に関心を示され、担当者の説明に耳を傾けられました。途中、両陛下の前をカワセミが飛翔する場面もあり、秋の日高の豊かな自然をご覧いただきました。
         平成30年9月吉日
           日高市長 谷ヶ崎照雄


【参考】
 ヒガンバナ Lycoris radiata
 シロバナマンジュシャゲ Lycoris x albiflora
 コスモス Cosmos bipinnatus
 キバナコスモス Cosmos sulphureus
 スイフヨウ Hibiscus mutabilis cv. Versicolor
 キンモクセイ Osmanthus fragrans
 オクラ Abelmoschus esculentus
 コムラサキ Callicarpa dichotoma
 シロミノコムラサキ Callicarpa dichotoma f. albifructa
 サンショウ Zanthoxylum piperitum
 高麗駅前
 昼食は阿里山Cafeで
 巾着田遠望
 巾着田全景
 金刀比羅神社
 金刀比羅神社二の鳥居下で
 昭和天皇皇后両陛下行幸啓記念碑

スベリヒユ属の植物たち

 本日、大宮の実家で熱帯アメリカから帰化したと考えられているヒメマツバボタン(ケツメクサ)を見かけました。同種は最近分布が広がっているように感じますし、同属(スベリヒユ属)の栽培種との関係も気になりましたので、少し文献を紐解いてみました。


 夏の暑い盛りにも元気な花の代表というと、サルスベリ、キョウチクトウ、ノウゼンカズラなどを思い浮かべる事が多いと思いますが、かつては、夏の路傍で足元に目を移せば小さな黄色い花を咲かせたスベリヒユがあちらこちらに生えていたものです。スベリヒユは、世界中の熱帯域を中心に広く分布する普通種で、食用になりますので、非常用食料の普及のために選定された夏の七草にも選ばれています。
 スベリヒユ属の園芸種としてはマツバボタンが江戸時代末期から知られていましたが、最近では属名のポーチュラカとして流通しているカラフルな花のハナスベリヒユを園芸店でよく見かけます。いずれも逸出して半野生化しているのを時折みかけます。

 APG植物分類体系第3版(APG III)で、スベリヒユ科(Portulacaceae)はスベリヒユ属(Portulaca)1属に整理され、現在世界中に約100種が知られています。逸出も含めると本邦に自生する同属の植物は、スベリヒユ、ヒメマツバボタン、マツバボタン、オキナワマツバボタン、タイワンスベリヒユの5種、本州に限るならスベリヒユ、ヒメマツバボタン、マツバボタンの3種になります。

 これらのうちスベリヒユは食用として利用され(Aberoumand, 2009)、その栽培品種の一つがタチスベリヒユです。その他のスベリヒユ属も(試したことはないですが)美味しくて栄養豊かな食材として利用できるそうです。園芸用のマツバボタンはヒメマツバボタンの亜種とされることもありますが、遺伝子の解析結果(Ocampo & Columbus, 2012)によると他系統の独立種というのが正解のようです。ポーチュラカの名前で流通しているハナスベリヒユの由来は明らかでないようですが、スベリヒユとマツバボタンとの交配種とも考えられているそうです。

 オキナワマツバボタンとタイワンスベリヒユ(帰化種)は奄美諸島と沖縄諸島に限って分布しており、本土での自生は未確認の様です。オキナワマツバボタンは、奄美諸島と沖縄諸島の固有種でかつてヒメマツバボタンの亜種とされていましたが、遺伝子解析の結果、現在では独立種として扱うことが提案されています(Kokubugata et al. 2013)。同種は、2018年版の環境省レッドリストでCR(絶滅危惧IA類:ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの)として記載されています。同種には、2013年に記載されたアマミマツバボタンという変種が含まれます(Kokubugata et al. 2013, 2016)。

 スベリヒユの仲間は、夜のうちに気孔を開いて二酸化炭素を蓄えておき、昼間は気孔を閉じて蒸散を防ぎながら光合成することが出来るCAM植物(Crassulacean Acid Metabolism Plant)です。このため夏の盛りでも多少水やりを忘れたくらいでは枯れることなく花を咲かせ続けてくれます。C4植物でもあり、C4型光合成の中間代謝物であるリンゴ酸を蓄積するため、独特の酸味があると考えられます。
 葉序の基本は互生ですが、茎の上部では、類対生、輪生などになることがあり、これを属内のクレード識別に利用する試みもあるようです(Ocampo & Columbus, 2012)。


 以下、これまでに撮影したスベリヒユの仲間です。

【参考】
 スベリヒユ Portulaca oleracea、英名:Common purslane
  タチスベリヒユ P. oleracea var. sativa、英名:purslane
 ヒメマツバボタン P. pilosa、英名:Shaggy purslane
 マツバボタン P. grandiflora、英名:Moss-rose purslane
  ハナスベリヒユ P. oleracea x P. grandiflora、英名:Green purslane
 タイワンスベリヒユ P. quadrifida、Syn: P. psammotropha、英名:Chikenweed
 オキナワマツバボタン P. okinawensis
  アマミマツバボタン P. okinawensis var. amamiensis

【参考文献】
 米倉浩司(2014)スベリヒユ科、in 日本維管束植物目録、北隆館、東京、163-164.
 長田武正(1976)ヒメマツバボタン、in 原色日本帰化植物図鑑育、保社、大阪、319.
 北村四郎・村田源(1961)すべりひゆ科、in 原色日本植物図鑑草本遍[II]・離弁花類、保育社、大阪、276-278.
 Murdy W (1995)スベリヒユ科、in 世界の植物、朝日新聞社、東京、7-278 – 7-285.
 Ocampo G & Columbus JT (2012) Molecular phylogenetics, historical biogeography, and chromosome number evolution of Portulaca (Portulacaceae), Mol. Phyl. Evol., 63(1), 97-112、accessed 2018-9-25.
 The Angiosperm Phylogeny Group(2009) An update of the Angiosperm Phylogeny Group classification for the orders and families of flowering plants: APG III, Bot J London Soc, 161. 105-121、accessed 2018-9-25.
 環境省(2009)レッドリスト植物Ⅰ維管束植物、accessed 2018-9-25.
 Kokubugata G, Ito T and Yokota M (2016) Confirmation of the Occurrence of Portulaca okinawensis var. amamiensis (Portulacaceae) in Kakeroma Island of the Ryukyus Archipelago, Japan using Morphological and Molecular Data, Bull Matl Mus Nat Sci, Sre B, 42(2), 67-71., accessed 2018-9-26.
 Kokubugata G, Nakamura K, Hirayama Y and Yokota M (2013) Taxonomic reexamination of Portulaca okinawensis (Portulacaceae) in the Ryukyu Archipelago of Japan based on molecular and morphological data, Phytotaxa, 117, 11-22, accessed 2018-9-26.
 Ezekwe MO, Omara-Alwala TR and Membrahtu T (1999) Nutritive characterization of purslane accessions as influenced by planting date, Plant Foods for Human Nutrition, 54(3), 183-191, accessed 2018-09-29.
 Aberoumand A (2009) Nutritional Evaluation of Edible Portulaca oleracia as Plant Food, Food Analytical Methods, 2:204. https://doi.org/10.1007/s12161-008-9049-9, Accessed 2018-10-05.

秋の彼岸前日-2018年

 本日、横須賀学院の楠木祭でした。


【参考】
 横須賀学院
 記念艦三笠(三笠公園)
 ねっしーふわふわ(ハウジングプラザ横須賀)
 ビロウ Livistona chinensis

逗子の名木古木を訪ねて

 今日は久しぶりの完全オフ。天気も回復したので、逗子でかまくらと三浦半島の古木・名木50選に選ばれた木々を中心に訪ねてみました。

【主な経路】
(自宅)-沼間のスダジイ-鈴木家・桐ケ谷家のケヤキ-五霊神社-秋元家のクスノキ/タブノキ-福富稲荷社のエノキ-熊野神社のタブノキ-新宿のタブノキ-六代御前のケヤキ-亀ヶ岡八幡宮のケヤキ/イチョウ-(新逗子駅)

【沼間のスダジイ】逗子市沼間
 まずは、浜見台から鷹取山へのハイングコースにある沼間のスダジイです。


スダジイ かまくらと三浦半島の古木・名木50選


【鈴木家・桐ヶ谷家のケヤキ】逗子市沼間2丁目23-24
 今日は鷹取山へは向わずに沼間4丁目に降りて、個人宅のケヤキに向いました。

ケヤキ かまくらと三浦半島の古木・名木50選


【五霊神社の社叢林】逗子市沼間3丁目10-34


 沼間の五霊神社の社叢林は、県の天然記念物に指定されており、20本以上ある主な樹木が、逗子市が指定する保存樹木となっています。逗子市みどり条例施行規則に示されている基準「地上から1.3メートルの高さにおける幹の周囲が3メートル以上であるもの」に相当する保存巨木も4本あります。


神奈川県指定天然記念物『五霊神社の大イチョウとその周辺の樹木』
逗子市指定保存樹木
 巨18 ケヤキ
 巨20 アカガシ
 巨21 イチョウ 樹高25メートル、胸高周囲6.7メートル
 巨22 スダジイ
 木41ケヤキ、木42~46タブノキ、
 木47-1タブノキ、木47-3タブノキ、木47-4エノキ、木47-5ムクノキ
 木47-6タブノキ、木47-7アラカシ、木47-8イヌマキ、木47-9タブノキ
 木47-10ケヤキ、木47-11スダジイ、木47-12イヌマキ


神奈川県指定天然記念物『五霊神社の大イチョウとその周辺の樹木』
          昭和四十二年七月二十一日指定
 五霊神社(ごりょうじんじゃ)の社叢林は、規模こそ約二、三〇〇平方メートルと小さいが、住宅密集地の中にあってひときわ緑が映え、遠くからもそのこんもりとした姿をはっきりと確認できる。タブノキの大木が中心で、スダジイ・アラカシ・シロダモ・ヤブツバキなどの自然生の常緑広葉樹のほか、ケヤキやイヌマキの高木も生育している。林内が遊園地として利用されていることから人の出入りも多く、そのため林床植物の生育は貧弱で、根本が露出している木も少くないが、樹勢は良好である。
 また、この林の中にそびえるイチョウは、樹齢八〇〇~一、〇〇〇年と推定され、樹高二十五メートルに達する高木である。
 自然植生の林は、特に都市部において消滅が著しく、今日、その姿はわずかとか残っていない。貴重な郷土の森として長く後世に伝えるために、県指定の天然記念物として保護するものである。
     昭和五十八年三月     神奈川県教育委員会


【秋元家のクスノキ/タブノキ】逗子市沼間1丁目82
 二双子山へのハイキングコース近くの屋敷林の中の2本です。周囲の木々に埋もれて樹冠は定かでありませんが、樹勢は良好です。


 クスノキ かまくらと三浦半島の古木・名木50選/逗子市保存樹木 保存木12、樹高15m、幹周220cm、平成5年12月13日指定
 タブノキ かまくらと三浦半島の古木・名木50選
 ケヤキ 逗子市保存樹木 保存木11 樹高17m、幹周126cm、平成5年12月13日指定


【福富稲荷社のエノキ】逗子市池子3丁目16
 境内に石抱きのエノキがあったとのウェブ情報がありますが、それらしい木は見当たりませんでした。既に滅失したと思われます。


【熊野神社のタブノキ】逗子市山の根2丁目4-1
 山の根の熊野神社の石段下に二本で一組と思われるタブノキがあります。石段上には逗子市が指定する保存樹木になっているスギ2本もありました。


  熊野神社由来
祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊
社殿 本殿 神明造 二間半x一間半
   幣殿 一間半x一間半
   拝殿 三間x二間
祭礼 初詣 一月一日~三日
   例祭 七月最終日曜日
   七五三祝い 十一月中旬
   年越祭 十二月三十日
由緒
明治二年社殿炎上のため古記録は無いが、源頼朝の勧請と伝えられている。当時荘厳な社殿と松並木が続く参道があったとされる。明治二年廃仏毀釈となった旧松本寺の建物を神社の神殿とした。境内の水鉢は天保四年の銘があり、旧松本寺の遺物である。昭和十二年、氏子の総力で現社殿を再建した。平成十年、本殿屋根の葺替え等の大修理と境内の改修・整備を行った。


 タブノキ 逗子市保存樹木 保存巨木8 樹高25m、幹周620cm、平成5年10月21日指定
 スギ 逗子市保存樹木 保存木3、樹高20m、幹周162cm、平成5年10月21日指定
 スギ 逗子市保存樹木 保存木4、平成5年10月21日指定


【新宿のタブノキ】逗子市新宿4丁目7-32
 私有地内なので、垣根の外から撮影。遠いためか、タブノキとしては、さほど大きいとは思えませんでした。近くにはこれと同じくらいの大きさのタブノキがもう一本生えています。


【六代御前のケヤキ】逗子市桜山8丁目2-1-7
 石段の左右に一本ずつ大きなケヤキが育っています。2本セットでの登録と思われます。六代御前は第六天の関係ではなく、平清盛の曾孫にあたる歴史上の人物とのことです。


かまくらと三浦半島の古木・名木50選 ケヤキ
逗子市指定保存樹木 木16 ケヤキ 樹高8m 幹周500cm (石段に向って右側)
          木17 ケヤキ 樹高8m 幹周430cm (石段に向って左側)


     逗子市指定史跡
      六代御前の墓伝説地
        指定年月日 昭和五十三年二月二十一日
 六代御前は平維盛(たいらのこれもり)の嫡男で、文治元年(一一八五)平家滅亡の時、捕らえられて処刑されるところ、文覚(もんがく)上人のおかげで助けられました。その後文覚の弟子となり、名も三位(さんみ)の禅師と改め、平安の日々を送りましたが、正治元年(一一九九)源頼朝(みなもとのよりとも)が亡くなると、再び捕らえられることになりました(異説もあります)。
 平家物語には、「さる人の子なり、さる人の弟子なり。頭をば剃ったりとも、心をばよも剃らじとて、鎌倉殿より頻に申されければ、安判官資兼(あんほうがんすけかね)に仰て、田越川にて斬られてんげり。」と記されています。桜山柳作(やなぎさく)の、この岡が六代御前の墓とされています。
   平成二十一年三月
             逗子市教育委員会


【亀ヶ岡八幡宮のケヤキ/イチョウ】
 新逗子駅から歩いて1分もかからない場所ですが、ここも巨樹の多いところです。逗子市の定める保存巨木は5本とのことです。


逗子市指定保存樹木
保存巨木
 巨1 ケヤキ 樹高17m、幹周320cm
 巨2 ケヤキ 樹高18m、幹周369cm
 巨3 ケヤキ 樹高20m、幹周347cm
 巨4 イチョウ 樹高26m、幹周570cm(310cm+260cm)
 巨5 イチョウ 樹高25m、幹周370cm
保存木
 木34 クロマツ 樹高26m、幹周150cm
 木35 クロマツ 樹高20m、幹周130cm
 木37 イチョウ 樹高23m、幹周180cm
 木38 ケヤキ 樹高17m、幹周233cm
 木39 クロマツ 樹高18m、幹周120cm
 木40 クロマツ 樹高20m、幹周132cm


 以下、その他本日撮影の植物等の写真です。


【参考】
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 ケヤキ Zelkova serrata
 クスノキ Cinnamomum camphora
 タブノキ Machilus thunbergii
 エノキ Celtis sinensis
 イチョウ Ginkgo biloba
 アカガシ Quercus acuta
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 コムラサキ Callicarpa dichotoma
 ナミアゲハ Papilio xuthus
 カラマツソウ Thalictrum aquilegiifolium
 コナラ Quercus serrata
 アオバハゴロモ Geisha distinctissima
 ヤブラン Liriope muscar
 キンミズヒキ Agrimonia pilosa
 シラヤマギク Aster scaber
 シロダモ Neolitsea sericea
 マユミ Euonymus hamiltonianus
 クズ Pueraria lobata
 ノブキ Adenocaulon himalaicum
 ヒガンバナ Lycoris radiata
 シロバナマンジュシャゲ Lycoris x albiflora
 ハナカンナ Canna spp.
 クロガネモチ Ilex rotunda
 ツマグロヒョウモン Argyreus hyperbius
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 ウチワサボテン(オプンティア) Opuntia sp.

ゆく秋に… 2018年

 午後には降り続いた雨が止みました。雷神社の鎮座する和田山では、まだツクツクボウシが鳴いていますが、漸く秋らしくなってきました。


【参考】
 ススキ Miscanthus sinensis
 雷神社境内
 銀杏 Ginkgo biloba
 使い魔たち
 稲荷大明神御神体
 ジュズダマ Coix lacryma-jobi
 ハス Nelumbo nucifera

もうすぐ秋の彼岸日-2018年

大分秋らしくなってきた本日、雨の残る中で横浜創学館高校の夕照祭がはじまりました。


【参考】
ヒガンバナ Lycoris radiata
ヌスビトハギ Desmodium podocarpum subsp. oxyphyllum
シャリンバイ Rhaphiolepis indica var. umbellata
ニラ Allium tuberosum
オキナワスズメウリ Diplocyclos palmatus
ベニゴウカン Calliandra eriophylla
八景島の花火

ニーオンが満開

 今日は、朝から在宅勤務。午後から家内と金沢八景まで買い物に出かけました。追浜では、この界隈で唯一のニーオンの花が満開です。


【参考】
 ニーオン Leucophyllum frutescens
 ケヤキ Zelkova serrata
 夕照橋と野島
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 ブラシノキ Callistemon speciosus
 ブラジルヤシ Butia capitata
 ヤドリフカノキ (ホンコンカポック) Schefflera arboricola cv.”Hong Kong”

キリン横浜工場を見学

 本日、振替休日。事前に予定されていましたので、予約を入れておいたキリンビール横浜工場を見学してきました。試飲で戴いた三種類のうち、一番おいしかった一番搾りプレミアムの秘密は、キリン独自に育成したホップの品種「IBUKI」に由来する独特な芳香にあるようです


【参考】
 ヒメイワダレソウ Phyla canescens var. repens
 ノリウツギ・ライムライト Hydrangea paniculata‘Limelight’

東西の浦賀を散策

 本日、浦賀を中心に歩いてみました。
浄林寺のムクロジ】馬堀町4-14-1
 七重山宝寿院浄林寺には『かまくらと三浦半島の古木・名木50選』に選ばれているムクロジがあります。サルスベリも夏の日差しの中、満開でした。


【西徳寺のイヌマキとビャクシン】鴨居2丁目20-4
 東光山無量寿院西徳寺には、『かまくらと三浦半島の古木・名木50選』に選ばれているイヌマキとビャクシンがあります。ビャクシンはさほどの大木ではありませんが、枝ぶりが見事なので撰されたものと思われます。


  西徳寺
 鎌倉の光明寺の末寺として、永禄三年(一五六〇)法誉順性(ほうよじゅんしょう)上人により開かれました。
 境内には、三浦一族の武将、和田義盛が出陣に際し、戦勝を祈願したと伝えられる「和田地蔵」が祀られています。
 また、樹齢四〇〇年以上の大きなイヌマキとビャクシンの木があり、三浦半島の名木・古木五十選紹介されています。
 裏山には、義盛の剃刀塚ゆ幕末期に江戸湾のの防備のために、この地に来た会津藩士の墓十一基があり、中には白虎隊士の身内の墓もあります。
   浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ


【白山神社跡】浦賀1丁目9-10
 浦賀駅からほど近いお社だったようです。草に覆われてわかりにくい入口近くにダンドクが咲いていました、
–> 『古老が語るふるさとの歴史南部編』にある『合わせ神社』が、この社なのかも知れません。要調査です。(2020.1.4)


【稲荷神社】鴨居1丁目31
 この地区に多数分布する稲荷社のひとつです。境内にはミニサイズの稲荷社や庚申塔群がありました。


【鴨居八幡神社】鴨居3丁目5-5
 頼朝勧請と伝えられる八幡社です。由緒書きから天満社、須賀社が合祀されているようです。境内に稲荷社、御神木のイチョウは結構見事です。


  八幡神社由緒
 祭神は誉田別尊(第十五代應神天皇)治承四年(一、一八〇)源頼朝鎌倉に入り幕府の礎石を築くに当り三浦氏は軍功のあった当三浦郡を領し一族門葉最も栄えた時である。
 其項三浦大介義明の第四子多々良四郎義春が鴨居の領主として他の三浦党と共に三浦一円に勢威を張っていた。
 当社は義春が源家の命を受け養和元年(一、一八一)鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられる。
 新編相模國風土記には、
 「八幡社村の鎮守なり祭礼は八月十五日縁起には養和元年六月頼朝卿当縣遊覧の折勧請ありし由記せり」とある。
 明治六年村社に列せられ四十二年十月二十二日神饌幣帛料供進社に指定せらる。
祭事
 歳旦祭     一月一日
 齋燈      一月十五日
 祈年祭(初神楽) 一月十五日
 天満社例祭   五月二十五日
 大祓式     六月三十日
 須賀神社例祭  七月最終土日
 八幡神社例祭  九月十五日
 新嘗祭(終神楽) 十一月二十五日
 大祓式     十二月三十一日


  鴨居(地名の由来)
 応安(一三七三)の室町幕府の記録に「相模国 鴨江」とあります。地名の由来については、(1)アイヌ語のカムイ(神)からという説、(2)鴨の群集すると所、家居、村落とする説、(3)カモを神とする説、(4)浦のある水辺とする説など、諸説があります。
 上の台中学校の敷地からは弥生時代中期から古墳時代初期にかけての大規模な住居跡がある上の台遺跡が発見されました。
 江戸時代には、「鴨居のタイ」は逸品として知られ、江戸城の料理に用いられたといわれています。
 幕末期に江戸湾海防の任にあたった会津藩士の墓は、腰越(こしごえ)西徳寺(さいとくじ)能満寺(のうまんじ)などにあります。
   浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ


【佛嵜山観音寺跡】鴨居3丁目15-2
 三浦三十三観音霊場第十四番札所だった観音寺の跡地に再建された寂光堂です。すぐ裏に駆逐艦村雨の記念碑もありました。


  観音寺跡
 明治十三年(一八八〇)観音崎に陸軍砲台がつくられることになり、翌年、観音崎灯台の下にあった観音寺や海蝕洞穴に祀られていた鵜羽山権現はこの亀崎に移されました。
 本尊は奈良時代の僧行基の作と伝えられる十一面観音で、船守観音とも呼ばれていました。村人や完全な航海を祈る人達の海上守護仏として信仰が厚く、観音崎の地名の由来といわれています。
 この寺は、三浦三十三観音第十四番札所でしたが、昭和六十一年(一九八六)の火災で本尊を含めて焼失しました。
 現在、吉井の真福寺で札所の代行をしています。
   浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ


【越越稲荷大明神】鴨居3丁目23
 入口が民家の奥になっていてわかりにくかったのですが、近所の方に教えていただき、辿りつくことが出来ました。


【稲荷社】鴨居2丁目23
 こちらも稲荷社。覆殿の戸を開けると中もきれいに掃除されていました。赤いサルスベリの花の色が印象的でした。


【明神神社】鴨居3丁目19
 社名はGoogleMapによるもので、多くの神々を祭ったとも取れますが、奇妙な名称です。誤記の多いGoogleMapですので、後日文献調査をしたいと思います。


【不明の社】鴨居3丁目12
 観音寺の入口付近でみつけたお社です。祭神等は不明です。すぐ隣に庚申塔が二基ありました。


【稲荷大明神】鴨居2丁目24
 こちらも稲荷神を祀っているお社です。扁額によれば、原本の扁額は能満寺蔵とのことです。


【東叶神社】東浦賀2丁目21-25
 浦賀の八幡宮、東叶神社です。社叢林は県指定の天然記念物になっています。


     昭和五十二年市制施行七十周年記念
      横須賀市風物百選
       東叶神社
 祭神は、京都の石清水八幡宮と同じ応神天皇(第十五代の天皇)です。
 この神社は、養和元年(一一八一)八月十五日、高雄山神護寺の僧文覚が、源氏の再興を願って石清水八幡宮の霊を迎えたことに始まるといわれ、その後、源頼朝によって、その願いが叶ったことから叶大明神の名で呼ばれるようになったと伝えています。また、このほか新編相模国風土記稿や皇国地誌残稿などには、この神社に関する記事が載っています。
 神社の裏山を明神山と呼び、標高は約五十メートルです。
 後北条家の頃、しばしば房総半島の里見水軍が、三浦半島に攻撃をかけてきましたので、それを防ぐために、この明神山に水軍を配置しました。山頂には、この神社の奥宮があり、その左手に「勝海舟断食の場」の標柱が立っています。
 明神山の素晴らしさは、よく保全された自然林で、木々の種類も豊富なことです。特にウバメガシの自生は、県内でもこの明神山だけで、ここが分布の北限とされています。この学術的に貴重な明神山一帯は、「県指定天然記念物・叶神社の社叢林」となっています。


【叶神社奥院】東浦賀2丁目21-1
 明神山の山頂近くの東叶神社の奥の院です。境内社に神明社と東照宮、この一帯は浦賀城址でもあるそうです。


  浦賀城址
 戦国時代に小田原北条氏が三浦半島を支配した時に房総里見氏からの攻撃に備えて北条氏康が三崎城の出城として築いたといわれています。
 水軍の根城として山頂には空堀など城の遺構が残り、下田山・城山とも呼ばれていました。
 昔から眺望の素晴らしい所で対岸に房総半島、正面に浦賀八勝の一つ燈明堂がみられます。
 この明神山は自然の社叢林で県の天然記念物に指定されています。
 嘉永六年(一八五三)ペリーの黒船四隻が浦賀沖に来航した時、眼下の左辺りに停泊しました。
 下の絵は安藤広重の武相名所の旅日記の56景の一枚です。
   浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ


【三浦稲荷社】東浦賀2丁目11-2
 東林寺の境内に鎮座する稲荷社です。


  深本、雷電、三浦稲荷社
 南無阿弥陀佛と刻まれた六字念仏塔は祐天寺六世祐全(ゆうぜん)上人による名号(みょうごう)石塔で、江戸屋半五郎によって建立されました。名号の掘りも深く、半五郎の信仰の深さがうかがわれます。半五郎は浦賀で遊郭を営み繁盛していましたが、後にすべての財産を処分して遊女たちに分け与えて開放してやりました。自らは京都青龍寺で得度し、生き仏といわれた徳本上人の弟子深本(しんぽん)(深心(しんしん))となり仏門に帰依しました。
「浦賀事績考」によれば東林寺境内の稲荷前では文化六年(一八〇九)、当時の花形力士の雷電(らいでん)為右衛門(ためえもん)の相撲興業が行われたと記されています。
 三浦稲荷社の稲荷神は倉稲魂(うかのみたま)で五穀豊穣、開運出世、商売繁盛の神です。
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【浦賀山立像院東林寺】東浦賀2丁目10
 観音像など石像の沢山ある浄土宗寺院です。


【東耀稲荷(須賀神社)】東浦賀2丁目6
 案内板によれば、須賀神社が合祀されている稲荷社です。


東耀稲荷(とうよういなり)
 創建は天明二年(一七八二年)で、倉保命(うけもちのかみ)をお祀りしています。東耀稲荷の名の由来は、隣接する東耀山顕正寺の山号からとったもので、古くは顕正寺の境内にあったといわれています。さほど大きくありませんが、欄間や格天井(ごうてんじよう)などには見事な彫刻が施されています。
 屋根には恵比寿と大黒天の飾り瓦がのり、干鰯で栄えた東浦賀の繁栄ぶりを今に偲ばせてくれます。
 また、この稲荷には、火伏の神としても崇拝されています。
 合祀されている須賀神社は新町(しんちょう)の鎮守で、創建年代はわかりませんが、昔、悪い疫病(コロリ)が大流行したとき、新町にも何人かの死者がでたため、里人が、当社(祭神、素戔嗚尊)を勧請し、病気をしずめたと伝えられています。


【八雲神社】東浦賀1丁目17
 向背の龍は漆喰でつくられているそうです。


  八雲神社
 祭神は須佐男命(すさのおのみこと)です。この社の建物は江戸時代ののもので、もとは大谷(おおがや)満宝(まんぽう)院八雲堂という修験の寺でした。明治の廃仏毀釈で神社に変わりましたが建物はそのままで、寺の形式であるお堂建築になっており、鳥居もありません。現在も寺の宝珠が屋根に乗っています。
 お堂の内部には修験の護摩壇があります。向拝(ひさし)には漆喰で作られた龍が取り付けられ、長さ一間半の大きな木刀は大山信仰の初山競いの武勇伝が伝えられています。
 東浦賀一丁目の鎮守様として毎年六月に祭礼が行われ、須佐男命が乗った山車と猩々坊(厄除け人形)が出ます。
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【津守稲荷神社】東浦賀1丁目14


【船守稲荷神社】東浦賀1丁目11


【西叶神社】西浦賀1丁目1-13
 西叶神社は改修工事中でした。


【花水稲荷跡地】西浦賀2丁目4
 東福寺の裏手にあるとグーグルマップに示されていたお社です。何度か行きつ戻りつしてやっと見つけたのですが、既に遷座していました。


【花水稲荷】西浦賀2丁目3−20
 今年六月に遷座したばかりのお社、旧地のご近所のご婦人に教えて戴きました。日月院のお向かいで、真新しい鏡が納められていました。元講中の方に戴いた情報によれば。御神体は桐の箱に納められているとのことです。


【日月院】西浦賀2丁目6-21
 説明文によれば、月日神(国常立之神)とは関係がない様です。


   日月院(旧不動院)のこと
 大正十三年五月坂口法道師が諸願成就殊には眼疾平癒祈願の為の不動明王を祀り不動院を建て開祖となりました。
 護摩修行水行托鉢と日夜修行に専念して居りましたが昭和十一年四月に惜しくも三十四才の若さで亡くなってしまいました。
 その後何代が人が変り昭和四十三年大黒天の不思議な導きにより法浄院が引き継ぎました。昭和六十年に古くなったお堂を新築した折に不動院を通称「日月院」と改めました。月日院の正式名は単立宗教法人「三縁山法浄院」と称します。
大祭 正月 五月 九月 二十八日
      大護摩修行 午後二時
毎月二十八日 護摩修行 午後二時
 御安置佛
本尊 日月不動明王 大黒天 阿彌陀如来 地蔵菩薩
   弘法大師 宝海龍王 伏見稲荷 観世音菩薩
     法浄院二世住職 田中誠道
本山 法浄院 東京都大田区大森南
別院 日徳庵 静岡県伊東市一碧湖畔
別院 御嶽観音堂 長野県木曽御嶽山 三合目


【不明のお社】西浦賀2丁目9-7


【吉岡稲荷大明神】西浦賀2丁目13


【田中稲荷跡地】西浦賀1丁目
 お社の中は空っぽで遷座先は不明です。


【浦島稲荷跡地】西浦賀2丁目
 ここも遷座先は不明です。


【寶船稲荷社】西浦賀1丁目9-1
 愛宕山公園の入り口近くのお社で、これまでに何度か通りかかったこともありました。


【上町稲荷】西浦賀4丁目1
 鳥居の扁額に表示があったので、ここの神社名は確かです。境内には道祖神碑がありました。


【榊神社大禄天】西浦賀5丁目14
 浦賀奉行所を見下ろす位置に鎮座している神社で、境内社として関田五社稲荷大明神があります。


  大六天榊神社
 川間(西浦賀町五丁目)の鎮守様で、主祭神は面足彦命(おもたりひこのみこと)(猿田彦神)です。
 この神社の正式名称は榊神社大禄天神(だいろくてんじん)といい、当初は川間奥にある通称お伊勢山の中腹にありました。明治の初めに現在地に移されました。
 大禄天は第六天(多化自在天多化自在天(たけじざいてん))に語呂が通じ、修験者の信奉した仏神といわれています。
 道の分かれる所を守り邪霊の侵入を阻止する神としてお祀りしています。
 お社の漆喰彫刻は浦賀の神社仏閣に見られる特徴です。
 祭日は五月中旬の土・日曜日です。
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【為朝神社】西浦賀4丁目3-7
 虎踊が保存されていることで知られる為朝神社です。


為朝神社
 祭神 源為朝公
 御神威 疱瘡除け
 航海安全
 例祭 六月第二土曜日 宵宮祭(奉納舞 虎踊り)
        日曜日 神輿渡御


県指定重要無形文化財 虎踊
国選択無形民俗文化財 横須賀の虎踊
     所在地 横須賀市西浦賀四丁目(浜町)
     指定年月日 昭和五十一年(一九七六年)十月十九日
     選択年月日 平成十六年(二〇〇四年)二月六日
 虎踊は、享保五年(一七二〇年)、奉行所が伊豆下田から浦賀に移った時に伝えられたといわれています。
 近松門左衛門の国姓爺合戦における和藤内の虎刈りの場面を取り入れた芸能で、ここ為朝神社に特設舞台をつくって演じられます。
 和藤内の登場に始まり、太唐人が引き連れた唐子の踊り、そして虎の出現と虎の舞(舞台上を自由に振舞い数種の芸を披露)と進行し、最後に和藤内が虎を神符で成敗し、みえを切ります。
 虎は親子二体で、親虎には青年、小虎には少年が二人ずつ入り、和藤内には男児、唐子は女児、太唐人は成人男子が演じます。
〇「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択された「横須賀の虎踊」は、浦賀と野比の虎踊が対象です。
 平成二十年(二〇〇八年)三月十五日
          横須賀市教育委員会


【仲稲荷】西浦賀4丁目5
 境内社も稲荷社の様です。


【花稲荷神社】西浦賀4丁目5
 境内社の由緒は不明です。


【大禄天社】西浦賀5丁目
 山道を登った先のお社で、入口が分からず、通りかかった御婦人に教えて戴いたのですが、着いてみると来たことがあることに気づきました。でも、それが何時だったか、記録も記憶もありません。
 名称からして祭神は神世七代第六代と思われ、榊神社の説明文にある旧地がここなのでしょう。


【荒巻稲荷】浦賀6丁目1
 ここは、何度も来たことがあるのですが、最後に立寄ってみました。鎮座地は浦賀八景の「柳涯夜雨」の地であり、かつての花街です。


 その他、本日撮影の写真です。


【参考】
 ダンドク Canna indica
 ムクロジ Sapindus mukorossi
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 イヌマキ Podocarpus macrophyllus
 ビャクシン Juniperus chinensis
 サンゴジュ Viburnum odoratissimum
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 ソテツ Cycas revoluta
 ノウゼンカズラ Campsis grandiflora
 ヒマワリ Helianthus annuus
 イチョウ Ginkgo biloba
【主な経路】
(浦賀駅)-白山神社跡-浄林寺-馬堀自然教育園-稲荷神社(鴨居1丁目)-西徳寺-鴨居八幡神社-佛嵜山観音寺跡-越越稲荷大明神-稲荷社(鴨居2丁目)-明神神社-稲荷大明神-東叶神社-叶神社奥院-三浦稲荷社-東林寺-耀稲荷(須賀神社)-八雲神社-津守稲荷神社-舟守稲荷神社-西叶神社-花水稲荷跡地-花水稲荷-日月院-吉岡稲荷大明神-田中稲荷跡地-浦島稲荷跡地-寶船稲荷社-上町稲荷-榊神社大禄天-為朝神社-仲稲荷-花稲荷神社-神天禄大社-荒巻稲荷-(浦賀駅)