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三浦海岸桜まつり2016

 今日は、家内と河津桜を見に行ってきました。


 小松ヶ池にあった水利権和解の記念碑の碑文、また帰りに立ち寄った米が浜よねがはまの三浦帝釈天の説明文を採録しておきます。

【小松ヶ池利水権和解記念碑】
 小松ヶ池は古来より、当組合専用にかかる農業用灌漑池にして、組合員等協同して堤塘、水門、水路等水利施設の設置、維持管理、回収に当り、かつ配水の統制、管理を行い現在に至ったものである。
 然るに近時小松ヶ池周辺地域における開発の進展に伴い、当組合及び組合員等の同池に対する用水利用権並びに敷地所有権が危殆に瀕せしめられる事態が発生するに及んだ。
 よって、当組合及び組合員等五拾五名は、横浜地方裁判所に対し、三浦市との間における水利権、並びに所有権確認の訴訟を提起し、参年有餘に亙り、審理を遂げてきたところ昭和五拾四年拾弐月四日要旨左記の如き和解が成立するに至った。
   記
一 当組合及び組合員等は、小松ヶ池につき、農業用灌漑水利権を有すべきこと。
一 小松ヶ池敷地所有権につき、三浦市がなした保存登記は現状のままとするも。水利保全行爲を除き譲渡その他の処分若しくは現状を変更する行爲については、当組合及び三浦市において協議し、合意のうえこれを行うべきこと。
一 一般市民は前記水利権に支障を生ぜしめない限度において、自由に小松ヶ池を利用し得べきこと。
 右和解成立を記念するとともに、関係者当事者において、同條項を確実に遵守することにより、当組合及び組合員等の各利権が永久に保全さるべきことを期して、ここに本記念碑を建立する。
昭和五十五年四月吉日
   小松ヶ池水利組合健之

【三浦帝釈天】
 三浦帝釈天は、平安後期から戦国時代にかけて、三浦半島を中心に勢力を誇示していた豪族・三浦一族、1253年房州から、この米が浜よねがはまに辿り着いた日蓮上人、聖人隊の石井長勝公とも深い因縁で結ばれています。日蓮上人が一ヶ月余り籠ったお穴さま、聖人、霊跡の龍本寺、三浦大本山・大明寺開基石渡左衛門など米が浜には数々の霊威と霊験が残る三浦半島最大の霊地であります。かつて華やいだ米が浜の人々の活気は、今は昔となり、日蓮宗の修法師しゅほっし達が米が浜の篤信の人々に乞われご祈祷し続けた所、三浦帝釈天が湧出しました、この地は元々観念寺と呼ばれていましたが、1889年に米が浜が埋め立てられ更に1926年頃まで数回の埋め立て工事が行われ現在の市街地が形成されました。この三浦帝釈天の出現は、日蓮上人を助けた地元の石渡左衛門更に観念寺と呼ばれていた時代の米が浜の土地の因縁がもたらして出現した現代の護法の善人といえます。帝釈天は、悪魔降伏の尊形です。私達が心から祈りを捧げれば、病気平癒・家内安全・商売繁盛・財宝金銭・恋愛成就・学業増進・厄除けその他一切の災難を払いのけ、帝釈天が必ず守護し災難を退散させてくれるご利益があります。三浦帝釈天は平和と活力を与え、人々の心に安らぎ氏希望をもたらします。
  平成二十年三月三日    発願人 岡 枝渡子    開堂主 日研修 豊栄教会 楠山泰行

日野のシイ

 日野にスダジイの大木があると以前から聞いていたのですが、今日、日野八景を廻るにあたり思い出し、訪ねてみました。
 港南の歴史(1974)によれば、樹勢に懸念がある時期もあったそうですが、傷んだ樹幹も適正に処置されているようで、今はとりあえず元気のようでした。
 シイノキとして特段大きいようには見えませんでしたが、巨樹・巨木データベースによれば、横浜市内のスダジイとしては最大のようですし、地元の人から愛されて、歌まで作られている樹として特筆すべきです。


 以下、港南の歴史(1974)からこのシイノキのために作られた「シイの木音頭」を再録しておきます。

◎シイの木音頭 作詩:織茂春子、作曲:鈴木昌桃
一、
 鎌倉街道みちのシイの木は
 三百年のその昔 サテ
 誰が植えたかこの老樹 枝も栄えて葉も茂る
 ふくろうの親子も啼いている 皆さん一度は来てごらん
 シイの木音頭で踊ろうよ

二、
 年を重ねて幾年いくとせ
 風雨に耐えてたくましく サテ
 若葉もえたつその頃は 香りゆかしき花も咲く
 こけむすいらかに蔭つくる 皆さん一度は来てごらん
 シイの木音頭で踊ろうよ

三、
 空をつくよな シイの木は
 往き来る人の足とめる サテ
 横浜はまの宝だ末永く 緑りたたえよ限りなく
 枝も広げよ江南に 皆さん一度は来てごらん
 シイの木音頭で踊ろうよ

四、
 シイの木さんはいったとさ
 若しもぼくが枯れたなら サテ
 誰がふくろう見てくれる ちょいと気になる身も細る
 可愛い小鳥も淋しかろ これでは未だ未だまいられぬ
 シイの木音頭で踊ろうよ

注、シイの木音頭は昭和53年、「かながわのうた50選」に選ばれている。

【参考文献】
 港南区役所(2010)日野のシイの木 available from <http://www.city.yokohama.lg.jp/konan/koho/koho2010/k-1009-rn.html>(accessed 2016-02-20).
 港南の歴史発刊実行委員会(1974)県の天然記念物シイノキ、in 港南の歴史、p.527
 港南の歴史発刊実行委員会(1974)シイの木音頭、in 港南の歴史、p.768
 巨樹・巨木データベースavailable from <http://www.kyoju.jp/data/index.html>(accessed 2016-02-21).

三崎八景を巡る

 今日は、当初雨とされていた天気予報が変わったので、三崎口を起点に歩いてみました。このエリアは1月2日にも訪ねているのですが、今回は反時計回りで廻りました。

【三崎八景】参考文献:高橋恭一(1968)三浦半島の八景、横須賀雑考、p.466-477.
 北条夜雨、光念寺晩鐘、房州帰帆、三崎晴嵐、海南秋月、城島落雁、向崎夕照、富嶽慕雪

【富嶽慕雪】
 三崎八景には、遠景を取り入れた東京湾の対岸と富士山の二景が入っています。富士山はどこからでも見えそうですが、今日は小網代こあじろ経由で歌舞島かぶじまを尋ねました。

【海南秋月】
 海南神社は、由緒書きによれば貞観8年(866年)に亡くなった藤原資盈すけみつを祭ったことを起源とする古社で、ご神木のイチョウも樹齢800年とされています。境内社相州海南高家神社には磐鹿六雁むつかりのおみ命が祭られているそうです。城ヶ島内にも三崎海南神社を分霊した城ケ島海南神社があるのをみつけました。

【光念寺晩鐘】
 見龍山無量寿院光念寺は、文治年間(1185~90年)の創建と伝えられる浄土宗の寺院です。現在の三浦七福神の弁財天は海南神社となっていますが、宝暦6年(1756年)刊行の三崎志に、光念寺の筌龍せんりゅう弁財天の記述があるそうで、こちらが本家のようです。


【三崎晴嵐】
 三崎地区には港があるくらいで、今は晴嵐を思い起こすような景色は残っていませんでした。

【北条夜雨】
 北条湾に降る雨の様子を撰した景でしょうか。河津桜がすでに見頃でした。

【向崎夕照】
 向崎には諏訪神社がありました。神社の裏の高台からは三崎港方面が望めます。

【城島落雁】
 城ヶ島はウミウの生息地として知られており、雁ではなく海鳥の飛び交うさまを撰したと考えられているそうです。城島落雁は、三浦半島八景にも選ばれています。

【房州帰帆】
 これも遠景を撰したもので、いろいろな場所から見えますが、名前のこともあり、安房崎灯台まで足を運びました。三崎地区ではありませんが、帰りに立ち寄った三浦市最高峰岩堂山(86.8m)から見たほうが良い眺めかも知れません。

以下は、本日撮影した写真です。
 三崎口駅前の河津桜は三分咲きといったところでしょうか。
帰りには、すかなごっそまで足を延ばして、三浦野菜を買って帰りました。


【本日購入】
 三浦大根(山下ファーム)4.4kg 350円
 春キャベツ(湖水農園) 110円
 ロマネスコ(カヤマ農園) 130円

大宮で観梅

 実家を訪ねた後、家内と大宮第二公園の梅を見に行きました。同公園は1980年にオープンとのことで、知らぬ間に梅の名所となっているようです。園内には44品種600本以上の梅があるそうで、既に開花していた何品種かの写真を撮ってみました。

松阪城址散策

 昨日は、伊勢市へ出張で松阪に泊まりでした。朝、列車の時間を待つ間に松坂城址まで足を延ばしてみました。
 大手門跡近くの開運地蔵尊は、地域が発展するにつれ二遷三遷とされているそうですが、地域の人々に大切に護られているようでした。梢にいたツグミ類はアカハラTurdus chrysolausでしょうか。

鎌倉八景を巡る

 双子は友達とディズニーシー、家内も姉妹で会う約束があるとのことで、今日はひとりで鎌倉の八景を歩いてみました。
 青木・榊原(2007)によれば、鎌倉には3つの八景が知られているようです。いずれも8つの景が選ばれていますが、厳密に瀟湘型に沿っているのは1914年に撰された八景のみです。

鎌倉八景1、撰者、撰年とも不詳
 霊山の白雨、長谷の晩鐘、(帰帆は不明)、鶴ヶ岡の晴嵐、大佛の秋月、松渓の清籟、光明の夕照、比企の慕雪、
鎌倉八景2、撰者不詳、1914年(大正3年)
 大塔の夜雨、長谷の晩鐘、由比の帰帆、松葉谷の晴嵐、大仏の秋月、鶴ヶ丘の落雁、光明寺の夕照、比企の慕雪
鎌倉八景3、撰者、撰年とも不詳
 大塔の白雨、長谷の晩鐘、由比の帰帆、鶴ヶ丘の晴嵐、大佛の秋月、二階堂の松籟、七里ガ浜の夕照、建長の慕雪

 今回は、ほとんど文献調査をしておらず、範囲もそこそこ広いので、早出して田浦-逗子経由で朝7時には材木座光明寺に到着し、相模湾側から巡検しました。

【光明の夕照、光明寺の夕照】
 天照山蓮華院光明寺は、浄土宗の関東大本山で仁治元年(1240年)佐助ヶ谷に開創した蓮華寺を起源とするそうです。『光明寺裏山の展望』はかながわの景勝50選に選ばれています。早起きのおかげで(明け六つ相当の)朝7時の鐘の音を聴くことができました。


【由比の帰帆】
 滑川河口西側の海岸を由比ガ浜と呼びます。帰帆の絵になる漁船はみかけませんでしたが、滑川河口には魚籃観音の碑がありました。

【霊山の白雨】
 霊山山りょうぜんさんは、稲村ケ崎にある山で、かつては霊山寺仏法寺という寺があったそうです。鎌倉海浜公園のロベルト・コッホ記念碑の近くから跡地の山頂に行くことができました。霊山ヶ崎の異名を持つ稲村ヶ崎はかながわの景勝50選に入っています。

【七里ガ浜の夕照】
 七里ガ浜は、稲村ヶ崎と小動岬こゆるぎみさきの間にある砂浜で、日本の渚百選に撰されているそうです。

【長谷の晩鐘】
 海光山慈照院長谷寺は、長谷観音の通称で知られています。創建は、創建は奈良時代とされており、比較的新しい寺院が多い鎌倉としては古くからある寺院です。梵鐘は、重要文化財に指定されています。

【大佛の秋月】
 大異山高徳院清浄泉寺は、材木座光明寺の末寺で、阿弥陀如来像は『鎌倉大仏』と呼び習わされています。東鑑によれば寛元元年(1243年)開眼供養とあるそうですが、出自に関しては不明のことも少なくないとのことです。肝心の大仏は現在改修工事中で、公開再開は3月11日だそうです。

【松渓の清籟】
 松渓というのは、松谷まつがやつのことでしようか。ウェブ情報によれば、佐助地区には松谷寺しょうこくじという寺があったそうです。清籟は『清らかな風の音』とのことです。

【比企の慕雪】
 比企谷ひきがやつには、日蓮宗本山の長興山妙本寺がありました。

【松葉谷の晴嵐】
 松葉ヶ谷まつばがやつには、日蓮宗の妙法蓮華山安国論寺があります。日蓮上人が『立正安国論』を著したことにより、避難することになったという南面屈が今も残されています。松葉ヶ谷まつばがやつには、同じ日蓮宗の楞厳山りょうごんざん妙法寺もあります。

【鶴ヶ岡の晴嵐、鶴ヶ丘の落雁、鶴ヶ丘の晴嵐】
 国幣中社鶴岡八幡宮は、治承4年(1180年)に源頼朝が現在地に遷したといわれ、2016年の初詣には250万人が訪れたそうです。

【建長の慕雪】
 巨福山こふくさん建長興国禅寺は、建長寺の名で親しまれている臨済宗建長寺派の総本山です。寺史(大本山建長寺(2010))によれば、建長3年(1251年)に落慶供養が行われたそうで、鎌倉五山筆頭にして、この界隈には建長寺の末寺が多数存在しています。八景の関連では浦郷(北郷)八景の獨園晩鐘で知られる獨園寺が建長寺派ですし、金澤八景一覧の地『九覧亭』のあった昇天山金龍禅院も建長寺末です。

【大塔の夜雨、大塔の白雨】
 大塔宮おおとうのみやは、護良親王もりながしんのうを祭神とする官幣中社鎌倉宮の別名です。白雨は『にわかあめ』のことですから、夜雨に対して昼間の雨を表しているのでしょうか。早咲きの桜が既に満開を過ぎており、花季から考えてヒカンザクラ系と思われます。

【二階堂の松籟】13
 松籟は『松の梢を吹く風』の意です。二階堂は源頼朝が建立したとされる永福寺ようふくじのことで、応永12年(1405年)の火災で廃寺となったそうですから、永福寺跡の松林のを撰したものかも知れません。永福寺ようふくじ跡地は、現在整備工事中となっています。

【参考文献】
青木楊二、榊原英子編(2007)八景の分布と最近の研究動向、国立環境研究所報告、第197号、256p.
大本山建長寺(2010)建長寺.

 以下、本日撮影した写真です。


【参考】
 ハアザミ Acanthus spp.
 ジョウビタキ Phoenicurus auroreus
 トウネズミモチ Ligustrum lucidum
 ヒヨドリ Hypsipetes amaurotis
 紅梅 Prunus mume
 マルバアカシア Acacia podalyriifolia

吉井八景を巡る

 今日(2016年1月24日)は、久里浜周辺に位置する吉井八景縁の地を訪ねました。吉井八景は横須賀雑考に記載がありますが、撰年も撰者も不明とされています。数は8つ揃っていますが瀟湘型になっておらず、秋月が観月、帰帆が釣船となっており、慕雪の代わりが曉色になっています。
【池田落雁】
 まずは、池田地区の最高峰池田山に登ってみました。山は住宅地になっていて、今も造成工事中です。頂上付近には桜、おそらくはオオシマザクラの大木が沢山ありましたので、今度は春に尋ねてみたいものです。


【吉井夕照】
 午前中に横浜横須賀道路の北側の吉井鎮守の安房口神社を、午後に南側の吉井山清水院眞福寺を尋ねました。池田山もそうでしたが、眞福寺の御林おはやしはドングリでいっぱいでした。

【森崎夜雨】
 森崎では妙覚寺を尋ねました。大きなスダジイや竹林が印象的でした。

【萱山晩鐘】
 普門山慈眼院じげんいんのすぐ裏手に茅山かやま貝塚があります。慈眼院に梵鐘はないようですが、このあたりの景と思われます。

【矢部晴嵐】
 現在「矢部」の名前の付く地名は小矢部と大矢部がありますが、今回は大矢部を歩いてみました。義明山満昌寺は、三浦義明の墓所がある臨済宗の寺です。近くには、三浦義明を祭神とする近殿神社や薬師寺跡もあります。横浜横須賀道路の南側の市営公園墓地内の林も当時の風情を残しているようです。

【佐原暁色】
 瀟湘八景型であれば、慕雪とすべきところを曉色としているようです。現在佐原には横浜横須賀道路の佐原インターチェンジができて、大きく様変わりしています。佐原2丁目公園にはサッカー場もできていました。

【久村釣船】
 この地域に海はないので釣船としたのでしょうが、現在の久村には船が運航できるような河川も見かけなくなっています。少し離れた平作川ひらさくがわには船が舫われていました。

【城山観月】
 秋月とすべきところが観月になっています。吉井城山にあった怒田城にかかる月を愛でたものと推定されます。額田城址は、現在吉井貝塚として公開されています。奇しくも今日は満月の日です。

【参考文献】
 高橋恭一(1968)三浦半島の八景、横須賀雑考、p.466-477.

 以下、本日撮影した写真です。

初声八景、宮田八景を巡る

【初声八景と宮田八景】
 三浦市では三崎八景が比較的よく知られているようですが、横須賀市との境付近の北部地区にもふたつの八景があったそうです。

初声八景、大正11年(1922年)、撰者不詳
 波島夜雨、実相晩鐘、矢作帰帆、長浜晴嵐、若宮秋月、新田落雁、黒崎夕照、丸山慕雪
宮田八景、撰年、撰者とも不詳
 黒崎夜雨、実相寺晩鐘、矢作帰帆、長浜晴嵐、若宮秋月、原下落雁、亀島夕照、波島暮雪

 現在の地名で初声(はっせ)の名前が残っているのは、三浦市の初声町和田、初声町入江、初声町下宮田、初声町三戸、初声町高円坊の五つです。今日は、下宮田、入江、和田を歩いてみました。

【初声八景丸山慕雪】初声町下宮田
 初声町下宮田に『丸山公園』の名前が残っていました。住宅地の中の小さな公園ですが、少し離れるとあたりはキャベツ畑や大根畑が広がっていました。


【若宮秋月】初声町下宮田
 キャベツ畑の向こうにこんもりとした岡が見えて、その麓にあるのが若宮神社です。この神社は、新編相模国風土記稿の下宮田村の項に『永正中北條早雲三浦道寸と合戦の時、兵火に罹りしと云』とありますので、少なくとも16世紀初頭にから村の鎮守だったことになります。今はすぐ隣が初声小学校、総合体育館『潮風アリーナ』もすぐ近くです。

【初声八景波島夜雨、宮田八景波島慕雪】初声町入江
 波島(はじま)の周囲はすっかり埋め立てられ、平成20年3月に神奈川県の開発許可が下りたにも拘わらず、そのまま放置されているようです。

【初声八景実相寺晩鐘、宮田八景実相晩鐘】初声町下宮田
 歓喜山實相寺は鎌倉本覚寺の末で、新編相模国風土記稿によれば、『鐘楼 享保八年時の地頭水野右近元朝起立す』となっていますが、梵鐘は太平洋戦争時に供出されたため、当時のものとは別とのことです。

【初声八景黒崎夕照、宮田八景黒崎夜雨】初声町下宮田
 三戸海岸と長浜海岸の境となっている岬が黒崎の鼻です。天気が良ければ富士山が正面に見える筈の景勝地ですので、日を改めて再訪の予定です。

【矢作帰帆】初声町和田
 矢作地区には小さな漁港がありますので、その情景を撰したものと思われます。残念ながら海に出ている船は見当たりませんでした。

【長浜晴嵐】初声町和田
 長浜は、砂浜が1km近く続く海岸です。岩礁部では緑藻の緑がきれいでした。

【初声八景新田落雁】場所不詳
 入江新田のことではないかと思われますが、開発の時代等につき、もう少し文献調査をしてみたいと思います。

【宮田八景亀島夕照、原下落雁】場所不詳
 亀島、原下という地名(?)を調査中です。『宮田八景』ですので、今度は東京湾側の上宮田のほうも歩いてみる予定です。

【参考文献】
 高橋恭一(1968)三浦半島の八景、横須賀雑考、p.466-477.
 青木楊二、榊原英子編(2007)八景の分布と最近の研究動向、国立環境研究所報告、第197号、256p.
 新編相模国風土記稿第五巻

 以下、本日撮影した写真です。1月2日に三浦七福神を廻った際に時間切れで辿り着けなかった延壽寺に立ち寄ったほか、園得寺の魚籃観音も尋ね、長浜から荒崎に抜ける際に通りかかった佃嵐崎つくだらしざきでは海鳥が多数休んでいるのを見かけました。岩礁域なのでイソヒヨドリかと思った鳥は、ズームしてみるとツグミでした。ウミウかカワウかは識別できませんでした。


【参考】
 カワヅザクラCerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 オルレア Orlaya grandiflora
 アラセイトウ Mathiola incana
 キンセンカ Calendula officinalis
 ブロッコリー Brassica oleracea var. italica
 カリフラワー Brassica oleracea var. botrytis
 青首大根 Raphanus sativus var. longipinnatus
 タゼッタスイセン Narcissus spp.
 マサキ Euonymus japonicus
 不明種 Scenicio spp.(?)
 白梅 Prunus mume
 キダチロカイ Aloe arborescens
 ハマダイコン Raphanus sativus
 ツグミ Turdus eunomus
 ユリカモメ Larus ridibundus
 ハマボウフウ Glehnia littoralis
 ウミウ Phalacrocorax capillatus
 カワウ Phalacrocorax carbo
 イチョウ Ginkgo biloba
 キズイセン Narcissus jonquilla

鶴と亀の八幡宮

 今日は久しぶりに鎌倉へ。鶴岡八幡宮から長谷寺を廻った後、帰りは逗子経由で亀岡八幡宮にも立ち寄りました。


【参考】
 カイヅカイブキ Juniperus chinensis
 タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis
 トビ Milvus migrans
 タブノキ Machilus thunbergii
 タイワンツバキ Gordonia axillaris