今日は、逗子の桜山と小坪で廻り残しの社を廻った後、葉山町へ足を延ばしてみました。
【主な経路】
自宅-沼間隧道-五霊神社-(桜山上)神明社-亀岡八幡宮-八大龍王社-八大龍王社元宮-諏訪神社-秋葉権現社-披露山公園-波切不動(白滝不動)-逗子海岸-(桜山下)田越神明社-鳴鶴公園-須賀神社-諏訪神社-稲荷社-日吉神社-森戸神社-(堀内)庚申塔-椎森稲荷社-新逗子
【(桜山上)神明社】逗子市桜山5丁目4-39
桜山に三社ある神明社の内、上の社です。
【萬榮稲荷大明神】逗子市逗子5丁目2(亀岡八幡宮境内社)
主祭神は、
五穀豊穣・家内安全・商売繁盛の福の神として祀られています。
イナリとは(稻生り)が変化した言葉で全国に四万社あるといわれています。
当稲荷は、昔の市役所の南側にあったものを、
大正十二年二月十五日境内に移して新築し更に
旧警察署(今の市役所入り口付近)建設にあたり現在地に鎮座しました。
亀岡八幡宮 氏子会
【八大龍王社】逗子市小坪5丁目20
三浦半島には、龍神を祭ったお社がいくつかありますが、この社もそのひとつです。かつて大崎公園の南側の三崎突端に座したそうですが、現在この元宮は石の階段や鳥居が崩れ去って石碑だけが残されています。今日は大潮(月齢29.0)でしたから、磯伝いに比較的楽に辿りつくことが出来ました。
八大龍王の由来
八大龍王は、漁業に携わる者の守護神で、主として水中に住み、雨や雲を起こす神通力を持つと信じられ、「法華経」で釈迦が同教を説いたときに、その説法を聞いた八尊の龍王の名が「八大龍王」と総称されている。
また、八大龍王は蛇の形をした鬼神で、天竜八部衆の一つであるとつたえられ、法華経序品に挙げられる八つの龍王で水神信仰などとして祀られている。
「小坪の漁業と八大龍王社」昔、小坪湾は鷺の浦と呼ばれ、白鷺が舞う美しい海辺であった。
寿永元年(一一八二)の頃、小坪は六十戸余りの漁村で、源頼朝をはじめ多くの武将の往来があり、しばしば小坪に来遊している。
隣接する鎌倉の和賀江港(貿易港)の築港は、小坪の歴史に大きなかかわりがあり、開港によって、全国から物や人々が容易に鎌倉に入るようになった。この周辺の海に目をつけたのが、伊勢の商人であった。
そこで志摩の漁師を小坪に移住させ、徐々に小坪集落が形成されてきたと考えられている。小坪の磯は、昔から特産のワカメが繁茂し、サザエやアワビ等の魚介類が豊漁で、志摩の海人によって、人々に海の恵みを与えてきた。
海の守り神として祀られている伊勢町八幡宮、亀大神、竜王社などは、伊勢、志摩の漁村に見られ、小坪にも寄進され、そのルーツを知ることができる。
この龍王社は、歴史的にも古くから存在しており小坪の漁師の厚い信仰があり、現在に伝えられている。
小坪漁業協同組合
【秋葉権現社】逗子市小坪4丁目15
当社はGoogleMapにも記載がないのですが、納められた御札によれば、材木座光明寺裏の秋葉権現社を勧請したお社の様です。
【田越神明社】逗子市桜山8丁目16
現在名は田越神明社ですが、桜山の下社にあたる神社です。鳥居の脇には、なかなか立派なタブノキとカヤが育っていました。
当神社は
祭神は
伊勢神宮の内宮、
元禄十六年は江戸時代・東山天皇の
以後三〇〇ねん、氏子十五軒にてお守り致しています。
当
平成十五年(二〇〇三年)一月一日
田越神明社氏子
【須賀神社】葉山町堀内44
なぜか拝殿にはウサギの彫刻が在りました。
【諏訪神社】葉山町堀内218
キツネが守って居る境内社は稲荷社かと思えば、秋葉神社お札が収められていました。拝殿に向かって右側にも石の社が三基ありますが、由緒は不明です。
【稲荷社】葉山町堀内284
清浄寺の持と思われる稲荷社です。すぐ隣の石のお社の由緒は不明です。
【日吉神社】葉山町堀内295
境内社に稲荷社が三社、隣には地蔵堂もありました。
【森戸神社】葉山町堀内1025
森戸大明神 御由緒
永暦元年(一一六〇年)伊豆の蛭ヶ小島に配流された源頼朝公は三嶋神社を深く信仰して、源氏の再興を祈願した。
治承四年(一一八〇年)その神助を得て旗上げに成功して、天下を治めた頼朝公は自らが信仰する三島神社の御分霊を、鎌倉に近き元山王の社地であった此の景勝の地に勧請して、永く感謝の誠を捧げたと伝えられる。
当時のことは、社宝として奉蔵の後二條院並びに花園院の院宣によっても篤く崇敬された様子がうかがわれ、又、吾妻鏡には、この地で加持祈祷が行われ、源氏はもとより三浦、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正十九年(一五九一年)にし徳川家康公により社領七石が寄進されている。
その後、明治の御代に移り、葉山に御用邸が造営され、ご滞在の折には天皇、皇后両陛下を始め皇族の方々の御参拝を仰ぎ、葉山郷の総鎮守として近郷近在より多くの参詣を得ている。
特に境内より富士、箱根、伊豆、江ノ島を望む光景は絶景で、「森戸の夕照」としてかながわの景勝五十選に選定されている。
御祭神
御祭日 例大祭 九月 八日
潮神楽 六月十六日
史跡
飛柏槙(町指定天然記念物)(かながわの名木100選)
樹齢 八百年余り
元歴元年(一一八四年)頼朝公が当社を参拝の折、三嶋神社から種子が飛来し発芽したものと伝えられ当社の御神木である。
千貫松
頼朝公が衣笠城に向う途中森戸の浜で休憩した時、岩上の松を見て「如何にも珍しき松よ」とほめたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松とよび候」と答えたという由来がある。
【おせき稲荷社】
森戸神社の境内社です。
(案内板より)
おせき稲荷社
古来より「せきが止まらない人」又「咽を使う職業の人」たちの篤い信仰があります。
【山王日吉社】
森戸神社の由緒書によれば、頼朝が三嶋神社を勧請する以前から鎮座していた山王社と思われます。飛柏槙のすぐ下に祀られています。
【椎森稲荷神社】葉山町一色
【妙法山神社】葉山町一色
【亀岡八幡の庚申塔群】逗子市逗子5丁目2
路傍に青面金剛を祀って、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿を刻んだ庚申塔がある塚を庚申塚といいます。
昔は鳥居の外側の路傍にありましたが、昭和二十年代末期に行われた道路拡張工事でここに移されました。
中国の道教に由来する禁忌で、庚申の夜に眠ると人身中の
左から二・三番目が庚申塔で、小さい方が天保三年(一八三二)建立の笠型塔で、一面六臂の青面金剛が合掌して立ち、下部中央に前向きの「聞かざる」、両側に横向きの「言わざる」と「見ざる」が彫られています。
大きい笠型塔は寛文十一年(一六七一)の建立です。寛文年間に建てられた市内の庚申塔七基中で笠型塔はここだけ、他は舟型塔です。
一面六臂の青面金剛像が逆蓮華座に乗っており、三猿は塔の三面に各一体ずつ彫られ、正面が「聞かざる」、右側が「見ざる」で、左面が「言わざる」です。
鎌倉で青面金剛像が彫られた最古の庚申塔は、坂の下御霊社にある延宝元年(一六七三)なので、寛文十一年(一六七一)建立の逗子の方が、鎌倉より二年早く笠型塔を拵えていたのです。
左端の堅牢地神塔は大地をつかさどる地天(地の神)をお祀りして天保三年(一八三二)二月の建立です。
右端の馬頭観音塔は馬の保護神として、江戸時代に広く信仰されました。
【向原庚申塔群】葉山町堀内
【葉山教会】葉山町堀内1882
【實教寺の庚申塔群】葉山町葉山町一色1355
舟型光背の庚申塔のご本尊はお地蔵さんの様です。
以下、その他本日撮影の写真です。
【参考】
五霊神社のイチョウ Ginkho biloba
サンショウ Zanthoxylum piperitum
フヨウ Hibiscus mutabilis
ウスヒラタケ Pleurotus pulmonarius
コンボルブルス・サバティウス Convolvulus sabatius
サギソウ Pecteilis radiata
イソヒヨドリ Monticola solitarius
江の島
ムラサキウニ Heliocidaris crassispina
アゴハゼ Chaenogobius annularis
フナムシ Ligia exotica
カメノテ Capitulum mitella
海食洞から見た逗子マリーナ
アオノリュウゼツラン Agave americana
ツルナ Tetragonia tetragonioides
ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus
ノカンゾウ Hemerocallis fulva var. disticha
ヤブミョウガ Pollia japonica
波切不動(白滝不動)
ハマゴウ Vitex rotundifolia
太陽の季節碑
タブノキ Machilus thunbergii
カヤ Torreya nucifera