本日、振替休日につき、三浦半島中部の名木・古木を訪ねました。京急大津から京急新逗子までの間のかまくらと三浦半島の古木・名木50選に選ばれた木々を辿ってみました。
【主な経路】
(京急大津駅)-信誠寺-大津高校-金井家-大蔵寺-永嶋家-大昌寺-須藤家-玉蔵院-(新逗子駅)
【信誠寺のイチョウ】横須賀市大津町4丁目20-10
京急大津駅近くの
なお、坂本龍馬の妻だったことのある楢崎龍(西村ツル)の墓がある
本願寺派の末寺で本尊は阿弥陀如来です。
境内の「逆さ銀杏」は蓮如上人が杖を逆さに差したところ枝葉が繁茂したいわれ祈願をすると乳の出が良くなる信仰が伝えられています。
「竜灯木古跡」には海中から火の玉が飛んできて木の梢で燃え続けたのを人々は竜灯と呼び大津の港の目印になったという伝説があります。
山門下には江戸湾沿岸を防備した川越藩士の墓、墓地の奥正面には初代三浦郡長を務めた小川茂周の墓があります。
幕末期に寺子屋が設けられ明治十年(一八七七)大津小学校ができるまで寺の庫裡には小学校の前身となった郷学校が置かれていました。
大津行政センター市民協働事業・大津探報くらぶ
【大津高校のメタセコイア】横須賀市大津町4丁目17-1
メタセコイア属は1941年に化石種として記載され、その後すぐの1945年に中国四川省で原生樹が発見され「生きた化石」として話題になりました(塚越、2016)。日本への初めての導入は1949年ですから、樹齢70年を超える樹は本邦にはまだ存在しません。来歴等は示されていませんでしたが、今から半世紀ほど前には、新発見の生きた化石として小中学校等にこの樹を植えるブームがありましたので、その一環かも知れません。1950年にアメリカから日本に導入された100本は神奈川県には植樹されなかったので、残念ながら日本で最初のメタセコイアではないようです。
【文献】
塚越 実(2016)メタセコイアの発見と普及-三木 茂博士の発見から75年-、化石、100、1-2 accessed 2018-10-04.
Tsukagoshi M, Momohara A and Minaki M (2011) Metaseqouia and the life and work of Dr. Shigeru Miki, Jpn J Histr Bor, 19(1-2), 1-14, accessed 2018-10-06.
【金井家のカキノキ】横須賀市平作2丁目28-10
個人宅の柿の古木です。この季節で既に殆ど落葉していて実もありませんでした。今年がたまたま裏年なのかも知れませんが、行く末が少々心配です。
【大蔵寺のタチバナ】横須賀市平作5丁目13-1
明登山大蔵寺
タチバナは日本の固有種で、概ね本州南岸線の南側に自生するとされています。最近の研究成果(Shimizu et al.,2016)によれば、柚子、花柚、日向夏、黄金柑などの親である可能性があるとのことです。『京都御所から譲り受けた』実から育てたとのウェブ情報があり、これが事実であれば
同寺の境内には瘡守稲荷があり、使い魔のキツネたちが沢山いました。
当山は天文二十一年(一五五二年)三月、妙応院日善 現在地の南字、
その後永禄二年(一五五九年)十月、第三世智教院日昌 堂宇を
山内勧請の稲荷尊は宝暦四年(一七五四年)第十世日性 霊感により妙王自在天を山内鎮護と村内守護の厄除稲荷尊として小庵を建て勧請する。
文化元年(一八〇四年)郷土力士
岩男波は心願成就の報恩のため京に上り伏見稲荷に参拝し、正一位の神位を受け(文化元年七月)三浦に持ち帰り大蔵寺に奉納しました。その神位宣下の中に
厄除けの槙
宝暦四年(一七五四)当山十世日性上人かせ霊感により山内鎮護と村内守護の厄除稲荷尊を勧請されし御神木槙の大樹(鎌倉と三浦半島の古木名木五十選の木)平成八年(一九九六)九月の台風により、根こそぎ倒壊しました。
この槙の木は大樹の実が山内に落ち生長した木でこれから大樹に変わり永く御参詣の皆様を見守り続けることでしょう
【文献】
Nakamura Y (2016) Hybrid Origins of Citrus Varieties Inferred from DNA Marker Analysis of Nuclear and Organelle Genomes PLOS ONE, 11(11), 1-58、 accessed 2018-10-04.
【永嶋家のカヤ】葉山町木古庭1301
木古庭の個人宅のカヤです。樹勢も良好で、榧実も実っていました。
葉山町指定重要文化財天然記念物 木古庭永嶋家のカヤの木
昭和四十三年二月二十九日 指定第十号
【大昌寺のモミジ】葉山町上山口768
上山口の八幡山法林院大昌寺のモミジで、なかなか見事な枝ぶりです。境内にはサルスベリやイチョウもあるほか、後継樹になりそうなモミジの大木もありました。登録上は3株を1群としているようです。まだ紅葉には早かったので、いずれ折を見て訪ねたいと思います。
葉山町指定重要文化財天然記念物 大昌寺のモミジ
昭和六十二年十月二十九日 指定第四十号
由緒沿革
本寺は北条氏家家臣冨塚善四郎(現戸塚家先祖)を開基とするともいわれているが、すでにそれ以前の南北朝時代(一三三八年)山口郷領主戸塚八郎衛門宗建が自家持分の地に庵室を立て、阿弥陀如来を安置したとされている。一五九一年(天正一九年)には、御朱印二石を受けている。
現本尊は徳川家祖先松平家の菩提寺高月院より縁あって当寺に移されたものである。
【須藤家のウメ】葉山町下山口78
葉山町指定重要文化財天然記念物 ウメの巨木
昭和五十二年一月八日 指定第三十一号
【玉蔵院のエノキ・イチョウ】葉山町一色2154
これまでにも何度か尋ねたことのある一色の守護山玉蔵院境内のエノキとイチョウ数本です。イチョウは後継樹も育っており、正確に数えるのは困難ですが、登録上は榎1株、銀杏4株となっているようです。
今年は暑い夏で、既に台風が2回も通過していることもあり、イチョウは黄葉する前に茶色くなっていました。
葉山町指定重要文化財天然記念物 玉蔵院のエノキ・イチョウ
昭和四十三年二月二十九日 指定第十二号
【千片神社跡】
千片神社跡
神社の祭神は六代衣笠城主・三浦義村で、義村の死後三七〇年余りを経た慶長十八年(一六一三)に創建されました。
関東大震災で社殿などが壊れ、大正十三年(一九二四)に諏訪神社に合祀されました。
義村は鎌倉幕府の評定衆に任命され御成敗式目の制定にも貢献し文武を兼ね備えた武将で館もこの辺りにあったと推定されています。
神社は根岸の氏神様として崇敬され「はしか」によく効くことで知られていました。
鎮守の森は戦時中に伐採されましたが、現在は根岸町内会館裏に神社跡の鳥居の一部が残されています。
大津行政センター市民協働事業・大津探報くらぶ
【横須賀しょうぶ園】
オフシーズンということでしょうか、しょうぶ園が無料で公開されていました。
【参考】
イチョウ Ginkgo biloba
メタセコイア Metasequoia glyptostroboides
カキノキ Diospyros kaki
タチバナ Citrus tachibana
イヌマキ Podocarpus macrophyllus
カヤ Torreya nucifera
サルスベリ Lagerstroemia indica
カリン Pseudocydonia sinensis
シュウカイドウ Begonia grandis
イロハモミジAcer palmatum
ウメ Prunus mume
エノキ Celtis sinensis
横須賀しょうぶ園
カクレミノ Dendropanax trifidus
カラスウリ Trichosanthes cucumeroides
ガクアジサイ Hydrangea macrophylla f. normalis
ハリギリ Kalopanax septemlobus
キンモクセイ Osmanthus fragrans
ヒメマダラエダシャク Abraxas niphonibia
ポーチュラカ Portulaca oleracea × P. grandiflora
イチモンジセセリ Parnara guttata