晩夏の鎌倉アルプスへ

 先週は三浦アルプスを歩きましたので、今週は鎌倉アルプスを訪ねました。この時期、タマアジサイが目立ちます。


【主な経路】
(自宅)-雷神社-瀬戸神社-能見堂跡-ののはな館-清戸の広場-大丸山-天園-大平山-明月院-(JR北鎌倉駅)
【参考】
 イチョウ Ginkgo biloba
 傍示堂(ほうじどう)
 デュランタ Duranta erecta
 コナラ Quercus serrata
 キツネノマゴ Justicia procumbens
 キンバエ Lucilia caesar
 ウチワタケ Microporus affinis
 コウモリソウ Parasenecio maximowiczianus
 ワタ Gossypium herbaceum
 エビスグサ Senna obtusifolia
 ブラシノキ Callistemon speciosus
 ノシラン Ophiopogon jaburan
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 イヌビワ Ficus erecta
 タマアジサイ Hydrangea involucrata
 クサギ Clerodendrum trichotomum
 ヒヨドリジョウゴ Solanum lyratum
 オオブタクサ Ambrosia trifida
 クズ Pueraria lobata
 ガガイモ Metaplexis japonica
 カノコガ(上♂、下♀) Amata fortunei
 ツクツクボウシ Meimuna opalifera
 イロハモミジ Acer palmatum
 ナンバンギセル Aeginetia indica


  浦賀道
 江戸幕府は、始め江戸湾に出入りする船の積み荷等を改める為、伊豆下田に「番所」を設けて管理しましたが、遠地の為に「抜け荷」等の弊害や、連絡が不十分に事から享保五年(一七二〇)江戸に近い西浦賀に「浦賀奉行所」を開設しました。
 奉行所が設けられると、江戸←→浦賀間の交通が頻繁となったことから三浦半島に東西二本の公道が設けられました。西側の「浦賀道」は東海道の「平塚宿」より岐かれて、鎌倉道に入り鎌倉を経て葉山・木古庭・平作・池田の各村を通過して西浦賀に至ります。東側の「浦賀道」は、私達にも身近なもので東海道の「保土ケ谷宿」より岐かれて、井土ケ谷・上大岡・町屋・六浦の各村を通過し、「浦郷村」(追浜行政センター館内)に入り現在の国道十六号線沿いに浦賀へ向います。
※ここに祀られている「傍示堂の石塔群」は、武蔵国(六浦村)と相模国(浦郷村)との国境・村境を分ける急峻な天神山脈の尾根を南北に「浦賀道」が貫いて、お堂はその傍らに祀られ、この道を通る旅人や村人達の願いを籠めた石塔群です。
 弘化四年(一八四八)保土ケ谷宿役人総代名主苅部清兵衛が代官葉山茂衛門に提出した「道順・村名取調控」がありますので、一部書き写します。
東海道「保土ケ谷」宿より「金沢町屋村」迄
人馬継道法 四里二丁、右問の村々(省略)
「町屋村」より「横須賀村」迄
人馬継道法 三里程、右間の村々
御用状継 浦郷村 町屋村より 二十丁
御用状継 田浦村 浦郷村より 二十五丁
     長浦村 田浦村より 十八丁
     逸見村 長浦村より 二十丁
     横須賀村 逸見村より 十八丁
「横須賀村」より「大津村」迄
人馬継道法 一里程、右間の村々
御用状継 深田村 横須賀村より 九丁
御用状継 中里村 深田村より 三丁
御用状継 公郷村 中里村より 八丁
     大津村 公郷村より 十二丁
「大津村」より 宮田村迄三里半
「浦賀村」大津村より一里(以下略)
備考(一里は三十六丁、三、九二七米)
   平成八年二月
          追浜地域文化振興懇話会


     傍示堂(ほうじどう)の石塔群
 昔、このあたりは天神山脈が東西に連なって、和田山・室ノ木に達する険しい山道でした。その尾根道の峠を南北に貫く小径が「浦賀道」で、その小径の傍らに、古くから五輪塔・地蔵・庚申塔が祀られていました。
 特にこの場所は、浦郷村(現在の追浜)六浦荘村(金沢区)の村境いである事と又、相模・武蔵の國境いでもありましたので、隣村から悪人や、病気が入らぬよう、そして自身の長寿を祈ったのが、ここの石塔群です。
 六体揃った舟型の石の中にお地蔵さんが彫られている「六地蔵」と。お首が落ちて見るからに痛々しい「六地蔵」がありますが、「六地蔵信仰」は人間の死後、六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)を輪廻転生すると言われ、自身と亡者の死後の幸せを願ったものでありましょう。
 「庚申塔」は人間が穀物を食べるようになり、穀物の中に住んでいる「三尸(さんし)の虫」が人間の体に入り、その行動を監視します。
 そして、十干十二支で言う「庚申(かのえさる)」の日、その人間が眠りに入った時に体内から飛び去って、「天帝」にその人間の悪事を報告します。
 そのために「庚申」の日は「三尸の虫」が自分の体内から飛び去らないように「講」を造ったりして夜を徹します。
 「講」を続ける事十三回を一座として、その折りふしに庚申塔を建てます。
 「五輪塔」は鎌倉・室町時代に建てられたものが多く、宇宙の五大要素の空・風・火・水・地を表現しています。正面には「梵字(ぼんじ)」が彫られています。
 ここに祀られている「五輪塔」は約六百年前のもので四面に「梵字」が彫られている大変貴重なものです。
   平成八年二月
          追浜地域文化振興懇話会


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