武蔵一之宮氷川神社の境内社

 実家を訪ねた帰りに武蔵一之宮氷川神社に立ち寄りました。身近過ぎて、これまで撮影したことがあまりなかったのですが、摂社末社の社殿がいつの間にか新しくなっていました。50年くらい前には御嶽神社の前あたりに秋葉権現の碑があった筈ですが、今はどこにあるのか確認できませんでした。(注:秋葉 = 大己貴とする説があるようです)
  茅の輪(ちのわ)くぐり  氷川神社の分布(GoogleMap)


門客人(もんきゃくじん)神社(摂社)】
祭神:足摩乳命(あしなづちのみこと)
   手摩乳命(てなづちのみこと)

 門客人神社は荒脛巾神が祭神で、出雲系の氏族が侵入する前からの古い神社だと思っていたのですが、最近設置されたに違いない説明版では、足摩乳命、足摩乳命が祭神となっていました。この二柱は、氷川神社の主祭神である素戔嗚尊の義理の両親です。伺った見方をすると、末社を摂社に格上げするための方便だったのかも知れません。いずれ文献に当ってみたいと思います。


攝社門客人社(新編武蔵風土記稿より転記)
 男體社ノ東ニアリ祭神ハ豊磐窻命櫛聲窻命ノ二座ニテ古ハ荒脛巾神社ト號セシヲ氷川内記神職タリシ神祇伯吉田家ヘ告シテ門客人社ト改號シ手摩乳脚摩乳二座ヲ配祀スト伝按ニ出雲國杵築ノ攝社ニ門客人社ト云モノ二宇アリテ東ハ櫛磐間戸命西ハ豊磐間戸命ヲ祀ル由ナレハ門客人號ハ全クコレニモトツキシナラン又脚摩乳手摩乳ノ二神ハ同所夭前社ノ祭神ナレハ爰ヘ配祀セシナルヘシコレ等ニ據テモ當所氷川社ノ簸川上杵築社ヲ移シ祀リシコト證スヘシ


御嶽(みたけ)神社】
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
   少彦名命(すくなひこなのみこと)


松尾(まつお)神社】
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)


宗像(むなかた)神社】(摂社)
祭神:多起理比米売命(たぎりひめのみこと)
   市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
   田寸津比売命(たぎつひめのみこと)


【猿田彦大神祠】


【金比羅大権現祠】
祭神:大物主神(おおものぬしのかみ)

注:金比羅大権現の祭神は大物主神とも言われており、大物主神は大貴己の和魂(にきみたま)とされるため、氷川神社と縁があるとも解釈できる。


【氷川稲荷神社】
祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)



【住吉神社:六社】
祭神:底筒男命(そこつつのおのみこと)
   中筒男命(なかつつのおのみこと)
   上筒男命(うわつつのおのみこと)
【神明神社:六社】
祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
【山祇神社:六社】
祭神:大山祇命(おおやまづみのみこと)
【愛宕神社:六社】
祭神:迦具土命(かぐつちのみこと)
【雷神社:六社】
祭神:大雷命(おおいかづちのみこと)
【石上神社:六社】
祭神:布都御魂命(ふつのみたまのみこと)


【天津神社】(摂社)
祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)


【天満神社】
祭神:菅原道真公(すがわらみちざねこう)



神橋
包仙碑:氷川神社境内
夫婦楠:氷川神社境内
稲荷社:大宮区高鼻町2丁目266
白梅:大宮区高鼻町2丁目128
二の鳥居
庚申神社:大宮区浅間町2丁目4-1
シロヤマブキ Rhodotypos scandens


【浅間神社】大宮区浅間町2丁目21-5

   浅間山由来(千間山思考)
 日光門跡輪王寺宮四代公寛親王が上野寛永寺と日光間を三往復されていた折に街道筋の幕府から請地している者たちが、沼地の干拓を熱望していることを聞き徳川八代将軍吉宗に用水路の普請と沼地の干拓を進言したことから見沼代用水工事が幕府直轄で始まることとなった。
 徳川吉宗の命により享保十年八月から普請役安田太左衛門はこの工事を行うための測量、設計に必要な三角点の一つが現在の浅間山の地点にもとめられた。
 付近の荒れ地から土を運び、山を築き、櫓を組み水平版を設置して用水路の通貨地点の高低を測る工事を施工した。この三角点との距離が大体千間あったので、当時の住民はこの山を千間山と呼んでいた。江戸中期には山岳信仰が盛んとなり、当地でも富士山の浅間神社をこの山に祭ることになり、浅間山と呼ぶようになったものと思われる。
  浅間神社
 浅間山の祠には山岡鉄舟が揮毫した「浅間祠」の碑があります。鉄舟は政治家で勝海舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と称された傑物です。鉄舟が片柳染谷村の常泉寺に逗留していた頃浅間様の有力な氏子の依頼にて鉄舟が揮毫したもので、富士山の方角に向けられてあり浅間祠の碑は明治十八年にたてられたものであります。
  浅間神社 例祭
 富士山山開きの毎年七月一日の初山の行事が行われます。この日に前一年に生まれた子供たちが親に抱かれてお詣りし、お祓いを受け、子供の額に『初山』の朱印を押してもらい団扇をうけ親戚や知人に配って子供の健康を祈るものです。
  浅間稲荷
東松山箭弓稲荷のお札をお祀りしています。
五穀豊穣 商売繁盛 交通安全等の祈願社として信仰されています。
御祭日
 初午祭(三月初午)
  平成二十七年三月吉日   浅間町自治会館管理委員会


D5190号㐧3動輪

     記
 我が日本国有鉄道が開業してから、97年有余経過し、文化及び産業経済の発展に寄与し、蒸気機関車の型式も幾度となく移り変り、日本国有鉄道の代表的蒸気機関車として、昭和11年D51型式が登場し、国鉄の花形として輸送に活躍してきたが、時勢の進展と共に、昭和44年10月に大宮機関区から親しみ深かった蒸気機関車が姿を消すこととなり、その置換えに新鋭のDL機関車が投入され、新たに輸送の任についた。
 昔日の面影を偲び、長らく働いてくれた労苦をねぎらうと共に、将来もこの偉業をたたえ、記憶の想い出として、当区の最後の機関車D5190号の㐧3動輪を大宮工場より譲りうけ、永く記念として区員一同協力して、昭和44年8月にここに鎮めたものです。
     昭和44年8月   大宮機関区区長 岡田 穣

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