薔薇の季節には早すぎて……

 良い天気に恵まれた本日は、バラを見に鎌倉文学館を訪ねました。約200品種あるという園芸品種のうち開花が始まっているのはごく一部でしたが、ナニワイバラがちょうど見ごろとなっていました。


【参考】
 ナニワイバラ Rosa laevigata
 バラ
  ヘレン・トローベル Rosa ‘Helene traubel’
  マスコット77 Rosa ‘Mascotte ’77’
  オクラホマ Rosa ‘Oklahom’
  コンフィダンス Rosa ‘Confidence’
  カーディナル Rosa ‘Kardinal’
  グランド・マスターピース Rosa ‘Grand Masterpiece
  荒城の月 Rosa ‘Kojo no Tsukil’
  アルティシモ Rosa ‘Altissimo’

【今日の主な経路】
追浜-六浦-鼻欠地蔵-朝夷奈(あさいな)切通-熊野神社-大刀洗水-十二所-明石橋-久木大池公園-子ども自然ふれあいの森-大切岸-まんだら堂やぐら群-八雲神社-祇園山ハイキングコース-由比ガ浜六地蔵-鎌倉文学館-長谷大谷戸-佐助-小町通-鎌倉宮-永福寺(ようふくじ)跡-天園ハイキングコース-鎌倉霊園-朝比奈-鼻欠地蔵-六浦-追浜

 以下、本日撮影の写真です。


 カヤ Torreya nucifera (朝比奈)
 石塔群 (朝比奈)
 井戸の由来(熊野神社)
 熊野神社
 朝夷奈切通碑
 大刀洗水
 ノダフジ Wisteria floribunda
 セリバヒエンソウ Delphinium anthriscifolium
 シャガ Iris japonica
 ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
 キブシ Stachyurus praecox
 シラフジ Wisteria brachybotrys f. alba
 ヤマグワ Morus australis
 トベラ Pittosporum tobira
 野仏
 稲荷狐
 雲海に富岳
 ヤマツツジ Rhododendron kaempferi
 シャリンバイ Rhaphiolepis indica
 石廟2基(名越)
 まんだら堂やぐら群
 普賢象(ふげんぞう)Cerasus Sato-zakura group ‘Arbo-rosea’
 ヒラドツツジ Rhododendron × pulchrum
 飛蝶 アオスジアゲハ Graphium sarpedon
 カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
 オオヂシバリ Ixeris japonica
 高時腹切りやぐら
 シラユキゲシ Eomecon chionantha
 青砥藤綱奮蹟碑
 加茂歯科
 Regard lointain(遠望):高田(たかた)博厚(ひろあつ)作(鎌倉文学館)
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’(鎌倉文学館)
 マサキ Euonymus japonicus(鎌倉文学館)
 鎌倉文学館
 クサノオウ Chelidonium majus
 貝吹地蔵尊
 ナツトウダイ Euphorbia sieboldiana
 アイスランドポピー Papaver nudicaule
 キバナイペ Handroanthus chrysotrichus, Syn. Tabebuia chrysotricha ‘Gold Tree’ (or ‘Gold Trumpet Tree’)(六浦白梅公園)
 稲荷社(雷神社境内社)
 ナワシロイチゴ Rubus parvifolius

【井戸の由来】
 昭和初期、此の権現山台地の崖にきれいな水脈を見つけ。氏子で石工を業とする、森 為吉に依り井戸が掘られ、以来この水は、熊野神社例大祭の湯立神楽に使われたり、日々参詣時、手水としても便利に多用されております。
 掘削施工者森為吉1865-1940
 氏子   森 宏憲
 為吉の孫 森 利郎
 平成二十年六月吉日健之

【朝夷奈切通】
 鎌倉七口の一にして、鎌倉より六浦へ通ずる要衝に當り、大切通小切通の二つあり。土俗に朝夷奈三郎義秀一夜の内に切抜たるを以て其名ありと傳えらるるも、東鑑に仁治元年(皇紀1900)十一月鎌倉六浦間道路開鑿の議定あり。翌二年四月經榮の事始ありて、執権北條泰時其時に監臨し諸人群集し、各圡石を運びしこと見ゆるに徴し、此切通は即ち其當時に於て開通せしものと思料せらる。
  昭和十六年三月建 鎌倉市青年団

【青砥藤綱奮蹟】
 太平記によれば藤綱は北條時宗貞時の二代に仕えて引付衆に列なりし人なるが、嘗て夜に入り出仕の際、誤って銭十文を滑川に墜つ。五十文の續松贖い水中を照らして銭を捜し竟に之を得たり。時に人々小利大損哉と之を嘲る。藤綱は「十文は小なりと雖、之を失えば天下の貨を損せん。五十文は我に損なりと雖、亦人に益す」上曰を訓せしという。即ち其の物語は此の邊に於て演ぜられしものならんと傳えらる。
  昭和十三年三月建 鎌倉市青年団

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