小坪で社を散策 part2

 先週廻った社の内、祭神が不明だった一の宮神社の由緒を調べに、朝から逗子市立図書館へ。この神社は浅草から勧請されたことが判明しました。家に戻って新編相模国風土記稿の該当部分を参照すると、原文通りの引用となっていました。現在で言えば三社祭りで知られる浅草神社縁のお社ということになります。ただし、なぜ祭神が大国主命なのかは依然として不明です。
–> 浅草神社の主祭神の1柱が一之宮大権現(土師真中地)ですが、東照大権現と大国主命も合祀されているとのことです。明治時代の神仏分離以前の浅草神社は浅草寺と一体化していたことが知られています。このため、今では浅草名所七福神の大黒天像は浅草寺に祀られているそうです。どうして、何時の頃、大国主命が合祀されたのかは依然として不明です。(2018/7/14追記)


     一の宮権現社
 風土記にみると江戸浅草寺一之権現社を勧請す。川の南側にあり境内は石柱を以て囲み石の鳥居の奥石造の本殿ありしも地震にて破壊し、仮本殿を建つ。祭神大国主命。【小坪周辺史跡探勝会(その2)】


     一ノ宮権現社
 江戸浅草寺一之権現社を勧請す【新編相模国風土記稿】


     一之權現
 中田の東なる(あかざ)堂と同地に()一之権現と云小社あり此社()土師の祖先を祀れる由此地續き()姥の池あり或人云土師(まつち)の埋葬地()専堂坊屋敷なり檜前(ひのくま)兄弟()従者ゆゑ寺へ葬()たるの今聖天横町の遍照院()濱成成の墓とて存在せり土師()觀音()深き由緒あるを以て其霊を()中田の地()鎮祭して一之權現と稱したりしの其後主従三人の霊を觀音本堂の東傍()鎮め祭りて三社權現と稱したり此一之權現()維新の際三社の末社()移して一之神社と稱せるなり。【隅田川叢誌.続編:漢字表記に違いがあるようですが、原文のまま転載しました】

【文献】
 (ささら) 長一郎(1966)小坪周辺史跡探勝会(その2)、p10-11.【逗子市立図書館蔵】
 蘆田(あしだ)伊人(これと)編集(1985)村里部三浦郡巻之二衣笠庄、新編相模国風土記稿第五巻、雄山閣、p215.
 八掛弓雄(編集)(1910)隅田川叢誌.続編【国立国会図書館デジタルコレクション】
 浅草花川戸一丁目町会、江戸から続く花川戸の史跡、http://www.at-ml.jp/10065193/ (参照 2018-07-14)


 図書館を出て、先週廻れなかった小坪の社を訪ねた後は、鎌倉-朝比奈切通し経由で帰途につきました。

【神明宮】逗子市小坪5丁目7-29(西町)
 旧伊勢町の天照大神社に対して、こちらは旧西町の天照大神を祀るお社です。こちらも眺めの良い高台です。稲荷社の他にも境内社が多数あり、この地区ではお馴染みの双体道祖神もありました。


【白髭社】逗子市小坪5丁目13


 和賀江島がすぐ目の前の海岸に面したお社です。背景はリビエラ逗子マリーナです。


【住吉神社(住吉城址)】小坪5丁目12-9
 こちらも海側の眺めの良いお社で江の島がよく見えます。社殿に向かって右には深さが10m以上はありそうな洞窟がありました。このあたりは、三浦一族の居城だった住吉城のあった場所とのことです。


  住吉城址
 戦国時代の初め、三浦道寸と弟の道香兄弟の奮戦もむなしく戦いに敗れ。道寸は三浦の新井城へ逃れ。道香は逗子の延命寺境内で家来たちと自害したと伝えられています。
 住吉城は山城ですが近世の城のように天守閣もありませんし石垣もありません。自然の地形をうまく利用して攻め寄せる敵を防いだものと思われます。【拝殿前の説明書きより】


【秋葉山大権現社】鎌倉市材木座6丁目18
 鎌倉第一中学校を過ぎて石段を上ると石仏群が迎えてくれました。すぐ海側の光明寺の管理となっており、現在でも光明寺の行事として秋葉三尺坊大権現例大祭が5月に開催されるそうです。


【繁昌稲荷大明神】鎌倉市材木座6丁目17(光明寺境内社)
 繁昌稲荷は、浄土宗大本山天照寺蓮華院光明寺の境内社です。光明寺境内にはさらにもうひとつ神社がありますが、由緒は不明です。


【稲荷社】鎌倉市材木座6丁目1
 タブノキとサンショウに守られた小さなお社をみつけました。


【五所神社】鎌倉市材木座2丁目9-1
 当社では神職の方からいろいろとお話を伺うことが出来ました。
隠れキリシタンに由来する石仏、摩利支天像、御岳信仰に関わる石碑などが多数あり、特に倶利伽羅不動板碑は現存4基の中でも保存状態が良いことで知られているそうです。大切な文化財を守って戴いていることに感謝です。


  五所神社(乱橋材木座の鎮守)
祭神 天照大御神 素戔嗚尊 大山祇命 建御名方命 崇徳院命
 明治二十二年(一八八八)乱橋村と材木座村が合併して西鎌倉村大字乱橋材木座となった後明治四一年(一九〇八)七月に、もとの乱橋村の鎮守、三島神社(現在の地)の地に材木座の鎮守、諏訪神社(現材木座五-十三-八 上ノ山方)乱橋村能蔵持部落の八雲神社(現材木座四-四-二六 公会堂内)、金毘羅宮(材木座四-七-二 武内宅裏山「普賢象山」中腹)、材木座村仲島部落の見目明神(材木座六-七-三五)の四柱を合併して五所神社と解明したものである。
 もとの御所はいずれも勧請年月未詳このうち月目明神は補陀洛寺文書に見目天王文と二貫三百文の地を北条氏康が同時に寄進しているから古くから同寺の鎮守であったと思われる。
 「新編鎌倉誌」には、見目明神をよんだ宝満宮菩薩像があったとみえ「風土記稿」には牛頭天王、見目明神社合併とある。
 三島神社は、乱橋村持「風土記稿」で八雲社を相殿とし、この相殿天王みこし棟札によれば、寛永十九年(一六四二)修造以後、延宝九年(一六八一)元禄十一年(一六九八)元文二年(一七三七)宝暦十三年(一七六三)に修理を加え、万延元年(一八六〇)に再建している。
 諏訪社は補陀洛寺であった「風土記稿」明治八年(一八七五)公達に基づいて皇国地誌調査さんによると次の通り記載されている。
三島社
 式外村社々地東西四間南北六間三尺面積二六坪の東方にアリ大山祇命ヲマツル。
 勧請年歴詳ナラス 例祭 四月 十一月ノ酉ノ日ヲ用ウ
見目社
 同社東西九間南北八間四尺八寸面積七九坪村ノ東西間ニアリ祭神及ビ創建勧請年歴詳ナラス
 例祭 二月二七日 六月七日両回トス
諏訪社
 同社東西八間一尺二寸南北一間六寸面積九坪村ノ南方ニアリ祭神建御名方命勧請年歴詳ナラス
 例祭 六月七日 七月二七日ノ二回トス
金比羅社
 同社東西十間南北七間面積七十坪村の辰ノ方ニアリ祭神金山彦命勧請年歴詳ナラス
 例祭 十月十日

 現在の社殿は昭和六年(一九三一)七月に新築されたものである。
 もとの本殿は明治十六年(一八八三)七月諏訪神社の本殿を合併後、移建したものであったが大正十二年(一九二三)九月一日震災のとき山崩れのため社殿埋没全壊した。
 お神輿三基 一号 諏訪神社 二号 三号 見目神社の持ち物であった。
 祭礼、潮祭り 一月十一日 材木座海岸にて 鎌倉神楽奉送
 春季大祭(祈年祭) 四月十五日 境内 鎌倉神楽奉送
 例大祭 六月第二日曜日 境内 町内お神輿渡御 前日 宵宮祭
 三ツ目神楽 例大祭三日目(火曜日)
 秋季大祭(新嘗祭) 十一月二十四日 境内


  摩利支天像
 摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化した神で、目に見えなくても常に身近にいて、月日に先立って進み、進路の障害や厄を覗き、ご利益を施してくれる。剣・弓・金剛杵(こんごうしょ)・軍扇・矛を持ち。猪に乗っている。
 護身、勝利、開運などをつかさどる武神とされる一方、五穀の結実を豊かにする農業の神ともされる。
 この像は三面六臂の丸彫りで、大きいのが珍しいとされる。
大正二年(一九一三)奉納
                   五所神社


  お春像
 「天和四」と彫られていることから、一六八四年の一月から二月(徳川幕府五代将軍綱吉の初期の時代)に作られた石像と思われるが、彼女が誰で、誰が何のために作り、誰のものであったのか、その由来はわからない。
 両手を後ろ手にきつく縛られ、髪の毛は下されて後ろに引かれ、顔をあげさせられている。正座して、単衣の着物は細い帯で左前に着せられている。ということは処刑前の死装束。
 「お春像」は隠れキリシタン殉教の姿と伝えられる。
                   五所神社


重要美術品 弘長二年銘
  不動種字板碑
 この板碑は弘長二年(一二六二)の銘がある貴重なもので、このように完全に保存されたものは極めて稀である。昭和十六年(一九四一)国の重要美術品に指定されている。
 昔は感應寺「修験眞言宗、京都三宝院末」(材木座公会堂のある附近一帯)の境内に建っていたが、同寺が廢寺となったため五所神社創建の際ここに移されたのである。
 石質は黒色粘板岩、不動明王の利剣にからまった倶梨伽羅明王の龍になぞらえた不動明王の種子「カン」の梵字を蓮華座の上に大きく刻んだみごとなもので、上部には天蓋が彫られてある。銘文はいまはその半分が台座の中に埋もれているが、その全文は次のとおりである。
  一見卒都婆永離三悪道
  何况造立者必生安楽国
  弘長二年十一月廿日
  右志者為□□□□□
  父母二親往生□□□□
      管理者 五所神社


【音松稲荷神社】鎌倉市材木座3丁目14-34


  稲荷大神
生物は太陽の力と自分の生命力との合作で出来上る。この事実を知った人間は古代から『イナンナ・イナニナル・イナリ・イネナリ』と云う言葉で天の神を拝んだ。
日本は約2200年前からイナリを拝み一二六二年前京都伏見三峯山のイナリを共栄和合の心で尊崇し今日に至る。他に類を見ない最古の庶民の神てせ伏見イナリが本宮となっている。
 一九七四・二・二十二
      伏見稲荷大社講務本庁
      神奈川県扱所識


【大江稲荷神社】鎌倉市十二所114


【十二所神社】鎌倉市十二所285


【(朝比奈)熊野神社】金沢区朝比奈町578


その他、植物など


【主な経路】
新逗子駅-亀岡八幡宮-逗子市立図書館-(山の根)熊野神社-一の宮神社-神明宮-小坪飯島公園-白髭社-六角の井-住吉神社(住吉城址)-秋葉山大権現社-(不明の社)-繁昌稲荷大明神(光明寺)-稲荷社-材木座たぶのき公園-五所神社-音松稲荷-鎌倉中央食品市場-雪ノ下カトリック教会-鶴岡八幡宮-鎌倉泉水教会-光触寺-大江稲荷-十二所神社-大刀洗-熊野神社-鼻欠地蔵-六浦大道公園-(自宅)

【参考】
 キョウチクトウ Nerium oleander var. indicum
 ハツユキソウ Euphorbia marginata
 サツマノミダマシ Neoscona scylloides
 カラクサナズナ Lepidium didymum
 六角の井(材木座6丁目23-9)
 ノアサガオ Ipomoea indica
 サフランモドキ Zephyranthes carinata の実
 ベニバナボロギク Crassocephalum crepidioides
 カンナ Canna spp.
 タブノキ Machilus thunbergii
 サンショウ Zanthoxylum piperitum
 材木座たぶのき公園
 ロシアヒマワリ Helianthus annuus
 オニユリ Lilium lancifolium
 アオノリュウゼツラン Agave americana
 オモダカ Sagittaria trifolia (雄花)
 ムラサキバレンギク Echinacea purpurea
 コイ Cyprinus carpio
 ヒメヤブラン Liriope minor
 マンリョウ Ardisia crenata
 ムクゲ Hibiscus syriacus
 カサブランカ Lilium ‘Casa Blanca’
 アカザ Chenopodium album var. centrorubrum
 ノウゼンカズラ Campsis grandiflora(光蝕寺)
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 タマアジサイ Hydrangea involucrata
 ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva var. kwanso
 ツルタケ Amanita vaginata
 カヤ Torreya nucifera (朝夷切通入口)
 レティシアの月
 七夕飾り(追浜駅前)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です