武相国境を歩く-サバ神社巡り part2

 一昨日は廻り切れなかった地域南部のサバ神社4社を廻りました。
part1 北部8社  サバ神社マップ
【左馬大明神】藤沢市西俣野821


 12社の内で最も簡素ですが、手入れは行き届いていました。


   左馬大明神
 祭神は源義朝。「風土記」には「左馬頭義朝の祠なり、神禮寺持」と記されている。元は小栗塚の台地にあり、明治の初めに現在地に移されたという。“サバ神社”と呼ばれる神社が、現在境川と引地川の流域に12社散財し、左馬、佐波、鯖、左婆などの文字が当てられている。
  六会地区郷土づくり推進会議


【(鍛冶山)佐波神社】藤沢市石川141


  佐波神社サバジンジャ
 祭神は源義朝公で例祭日は九月十七日です。一説によると戦国時代末期石川で勢力のあった石川六人衆によって勧請されたと伝えられています。
 社名については、初め左馬頭神社、次に鯖神社と称しましたが、水害のあった時、再度、佐波神社と改めました。
     藤沢市


【(今田)鯖神社】藤沢市湘南台7丁目201
 湘南台駅近くの鯖神社。境内には稲荷社がありました。


鯖神社由来
祭神源義朝公、創立元禄十五年(一七〇二)、例祭日一〇月一日。当地就任井上瀬兵衛により造立される。祭神源義朝が左馬頭であったことから鯖神社と稱する。文政九年(一八二六)に再建し、昭和八年氏子により本殿・拝殿が改築される。例祭日には子供神輿や山車が出てにぎやかである。
  (藤沢わがまちのあゆみより)


 鯖神社再建之碑
  二度の再建への努力を讃え
   鯖神社及び氏子の繁栄を祈り
    ここに記念碑を建立する
 今田鯖神社は氏子中の尽力により元禄十五年の創建から数度の社殿の再建を経て今日に至っている。
 平成七年八月十一日の放火により、昭和八年建立の社殿は失われたが、氏子中は再建委員会を組織し復興工事を完成させ、平成九年三月には遷宮奉祝祭を執り行った。
 同十三年三月一日、再度不審火により新築の社殿は御神体と共に灰燼と帰したが、氏子中の再建への強い志は途切れることなく、同十四年六月には新社殿に新たな御神体を納め、再び遷宮奉祝祭を執り行ないに至った。
 その成果を讃えると共に二度とこのような災難がないよう末永い神社及び氏子各位の安寧を願い、氏子一同決意を碑に刻し、その記録を残す物である。
  平成十八年(二〇〇六)十月吉日
                    氏子中


【(鍋屋)鯖神社】泉区和泉町709
 12社の最後は和泉町の鯖神社です。棟札から、鯖大明神と呼ばれていたことがわかります。ここも境内に稲荷社がありました。


【文献】
 小寺 篤 (1994) 境川流域の開発とサバの神祭祀、in 鶴見川・境川流域考、113-158、230クラブ新聞社、横浜.
 サバ神社マップ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です