鎌倉から江の島へ

 一昨日に続いて旧鎌倉郡を散策、今日は現鎌倉市の西部です。
【主な経路】
自宅-田浦神明社-(JT田浦駅-大船駅)-長谷-坂ノ下-極楽寺-稲村ガ崎-鎌倉山-笛田-腰越-(湘南江の島駅-大船駅-JR新杉田駅-京急追浜駅)


 腰越漁港から見た落日
 田浦トンネル
 七釜トンネル
 JR田浦駅プラットホーム
 庚申塔:鎌倉市極楽寺2丁目1
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 コブシ Magnolia kobus


【(長谷)稲荷社】鎌倉市長谷2丁目22-18


【坂ノ下御霊神社】鎌倉市坂ノ下4−9

御霊神社
 御霊とは、強く尊い祖先の御霊の意で、神社の創建は、平安時代後期と伝えられています。桓武天皇の子孫で「鎌倉武士団」を率いた鎌倉権五郎影政を祀っています。
 影政は後三年の役(一〇八三年~)に一六歳で出陣して勇名をはせ、その後現在の鎌倉・湘南地域を開発した領主です。地元では「権五郎さま」と呼ばれ、親しまれています。
 毎年九月に行われる「面掛(めんかけ)行列」は伎楽や舞楽、田楽などの古い面をつけた面掛衆が練り歩く珍しい祭事です。
     鎌倉市


かながわの名木100選 昭和59年12月選定
坂ノ下の御霊神社のタブノキ
和名:タブノキ(クスノキ科)
 神社境内の樹叢の中にあって、大枝が四方へ大きく広がって巨大な樹冠を形成した古木である。鎌倉市の天然記念物に指定されている。
樹高 20メートル  胸高直径 4.0メートル  樹齢350年(推定)
 タブノキは、本州から沖縄に分布する常緑高木で、照葉樹林の代表的な木である。樹高25メートル、胸高直径10メートル、樹齢約700年に達するものもあると言われている。


【熊野新宮】鎌倉市極楽寺2丁目3−1

 極楽寺熊野新宮
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
   速玉男命(はやたまのおのみこと)
   素戔嗚命(すさのおのおのみこと)
   建御名方命(たけみなかたのみこと)
由緒
 もと新宮社と称し文永六年忍性菩薩の勧請と伝えられ、鎌倉時代極楽寺全盛当時より熊野新宮と号し、同寺鎮守として広く境内を有し、厚く幕府の崇敬を受けて栄えた。
 昭和三年、同地域の八雲神社、諏訪神社を合祀して以来、極楽寺稲村ガ崎全町の鎮守として、年々盛んな祭典を施行し殖産・興業の守護神として多くの信仰を集めている。
例祭 七月五日  八雲神社例祭神輿初御
   七月十二日 神輿渡御祭
   九月九日  例大祭湯花神楽の神事あり
          熊野新宮 宮司


【(稲村ガ崎)白山神社】鎌倉市稲村ガ崎1丁目6


【(稲村ガ崎)稲荷神社】鎌倉市稲村ガ崎2丁目4


【(稲村ガ崎)熊野権現社】鎌倉市稲村ガ崎5丁目38


【鎌倉山神社】鎌倉山2丁目27-11

  鎌倉山神社
祭神 大山津見命
  御父 伊邪那岐尊
  御母 伊邪那美尊
 当神社はもともと本村笛田の農民の鎮守で、また津村の漁民の海上守護の神であったのょ昭和の御代に統治が鎌倉山住宅地として発展すると共に住宅地の鎮守として奉斎された。
 昭和十年に鎌倉山在住の有志達の浄財により改装され鎌倉山神社と改称された。爾来今日に至るまで鎌倉山住人有志達が社殿をお守りし、毎年八月八日に例祭を執り行っている。


【子守神社】鎌倉市笛田5丁目34-6

     子守神社由緒
祭神  子守之大神(こもりのおおかみ) 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
       本社は吉野水分神社(みくまりじんじゃ)
鎮座地 鎌倉市笛田貳千拾参番地
祭禮  一月十四日……春祭
九月第一土曜日……夏祭
当神社の所在する此の打越の町一帯は終戦の前までは笛田本村の一角で前笛田鎌倉から入って手前の笛田の意と呼ばれ地付き住民は十数軒の小字の集落で蔵王権現社が其の鎮守神でありました。終戦後平和と共に住宅地として開発が進み急激な発展と共に笛田本村より分離独立して一町を形成した。此に伴い住民の中より心の拠所としての神社造りの要望が強く髙まり昭和二十一年六月二十四日従来の蔵王権現社を宗教法人子守神社と改稱し打越の町の鎮守として神社本庁の承認を得て公認神社となりました。其の後神殿の改修鳥居石段等次々整備され、現在では殖産興業子守ての守り神として地元近隣の信仰を集め其の神德の広く昂揚されつゝあることは水分の神の流れを掬む子守の神の御恵と氏子一同有難く思う次第であります。
          子守神社々務所


【三嶋神社】鎌倉市笛田3丁目31-1


【経六稲荷社】鎌倉市腰越1543-6


龍口(りゅうこう)明神社】鎌倉市腰越1548-4
 社伝に寄れば552年創建ですので、鎌倉市で最も古い神社です。伝承が正しいとしても、延喜式神名帳には記載がないため、式外社の扱いです。


     記念碑
   龍口明神社由来
 御祭神 玉依姫命(神武天皇母君)  五頭龍大明神
 玉依姫は海神族の祖先豊玉彦命の姫君に在して彦炎出見尊の妃に在します上に鵜鷀草葺不合尊の母神に在しまし、豊玉姫の妹御に在し給ひ、龍神として尊崇された。
 五頭龍大明神の御由緒は欽明天皇十三年四月十二日戌の刻より二十三日辰の刻に至る迄大地振動して終日息ず。即ち孤島を湧出した此を江の島と云い天女降む。是辨戝天の作るところなり。天女惡龍の惡業を戒めた。龍は遥かに天女の麗質を見、其の後改心し村人に害を与えることなく山と化した。村人はその山の海に突出た所の龍の口の様な岩上(龍の口)に社を築き白髭明神と称し村の安泰を祈願した。此龍口明神社の発祥と伝えられている。
養老七年三月より九月迄江の島岩窟中にて泰澄、慈覚両大師が神業修行中夢枕に現れた神々を彫作し辨戝天一体を岩本院に、二体を白髭明神社へ納めた。即ち玉依姫命(長さ五寸)と五頭龍(長さ一尺)の御木像が御神体である。此の時、龍口明神社と名付け、江の島と当社の繁りと両地の平和と隆昌を祈願した。鎌倉時代には神䕶により如何なる惡業をした者も此処に血を流すことにより世人に尽すと此の前の地を刑場とした事もある。
又氏子はその祟りを恐れ当社の移転改築を長年拒んできた。然し大正十二年関東大震災で全壊した社を昭和八年改築し今日に至ったが、境内地が藤沢市片瀬地域内の飛地津一番地に有ることゝ時代の推移と共に同地区の発展及び人口増加に伴い御祭神のご神慮に依り、此度氏子百余名は江の島遠望清浄の地、竜の胴に当る蟹田ヶ谷一五四八番地の四の当地に遷座申し上げ、此の地の守護神として奉祀するものである。
   昭和五十三年十月吉日  建設委員会誌


【鎌倉攬勝考巻之十附録より引用】
龍口明神 津村・越越兩村の産土神とす。社は龍口寺の東の山上にあり。別當は、眞言宗加護山寶善院といふ。津村にあり。注晝讃に、欽明天皇の十三年四月十二日、此処へ天女降居せり。是辨財天の應地なり。此湖水の惡龍、遥に天女の美質を伺い見て、竊に感じて、天女の所へ至る。天女不快して云、我本誓あり。普く群生を救ふ。汝慈憐なくして生命を斷。何ぞ好述とならん。龍いふ、我教命に任せん。自今以後、物のために毒をせずして、哀憐を垂んといふ。天女則諾せり。龍また誓を立て、南に向て山をなす。是れ龍の口山なりといふ。此事は、【江の島緣起】にも見えたれど、詳なる事をしらず。


【小動神社】鎌倉市腰越2丁目9-12

小動神社由緒略記
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと) (1月例大祭の祭神)
   素戔嗚尊(すさのうのみこと) (7月天王祭の祭神)【奥方:櫛稲田姫命(くしいなだひめみこと)、御子神:八王子の命(五男三女神)】
   建御名方神(たけみなかたのかみ)(8月諏訪祭の祭神)
   歳徳神(としとくじん)  (お正月の神様)
伝承
 相模風土記に往時、弘仁年中(810~822年)弘法大師、小動山に登りし時、老松に神女影向あり、この松を小動の松と云うとあり。新編鎌倉史(注:正しくは新編鎌倉志)に、土御門内大臣の歌『こゆるぎの磯の松風音すれば、夕波千鳥たちさはぐなり』の歌は、此処の事とも云い、或いは、大磯の浜を詠うとも云う。相模の名所「こゆるぎ」の歌、多しとある。社名は、古くは八王子宮、八王子大権現などと称された。相模風土記には、八王子社を鎮守とし、社地を小動(古由留義)と云うとあり。明治初年、現在の『小動神社』と改称した。明治42年当初字、神戸の鎮守であった諏訪神社を合祀した。
由緒
 文治年中(1185年)佐々木盛綱の創建と伝えられる。盛綱は、源頼朝に伊豆配流の時代から仕えた武将で、源平合戦の時に、神恩報賽のため守護神である父祖伝来の領国、近江の八王子宮を新たに勧請すべく、その地を探し求めていたが、ある日、江の島弁財天に参詣の途次、小動山に登り、大いにその風光を賞せられ勧請の地と定められた。新田義貞が、鎌倉攻めの戦勝を祈願され、後に『報賽』として『剣一振りに黄金』を添えて寄進され、社殿は再興された。八王子宮縁起によれば、新田義貞を中興の祖としている。江戸時代、小田原城主、大久保忠真公(113,000石)は【三神社】の扁額を揮毫し奉納された。三神社とは、三柱の祭神を尊称したものである。
社殿
 文化14年4月(1817年)当所、井上氏の丹誠により、400有余の氏子により、再建されたと棟札に記録がある。しかし、大正12年9月1日の関東大震災により被害を受け、昭和4年12月本殿は修復されたが、拝殿は新築された。現在の、『新寶殿』・『山車小屋』は平成15年から平成18年にかけて新築し、『本殿。幣殿』は平成19年4月大規模修復された。境内社として、(わたつみ)神社(海上安全の神様)・稲荷社・金刀比羅宮・第六天社を、お祭りしています。
祭礼 1月16日    例大祭(湯花神楽祭)【鎌倉神楽奉納】社殿内にて
   4月第二土曜日 祈年祭
   7月第二日曜日 天王祭
           江の島八坂神社との共同の大規模な祭りで、午前11に海中渡御、午後2時には江の島八坂神社の神輿が、龍口寺下より小動神社社領まで神幸し、腰越五ヶ所の祭囃子・山車がお迎えに出て、大いに賑わいます。
   8月下旬    諏訪祭
   12月第一土曜日 新嘗祭


 【新編鎌倉志巻之六より引用】
〇小動附八王子宮 小動(コユルギ)は、七里濱を西へ行、腰越へ入左の方、離れたる巌山あり。此処をこゆるぎと云ふ。山上に八王子の宮あり。又山の端に、海邊へ指出たる松あり。風波に常に動くゆへに、こゆるぎの松と云と也。土御門内大臣の歌「こゆるぎの磯の松風音すれば、夕波千鳥たちさはぐなり」。又北條氏康の歌に、「きのふたちけるこゆるぎの磯の波。いそひでゆかん夕暮の道」此等の歌、此処の事とも云ひ、或は、大磯の濱を詠とも云ふ。相模の名所こゆるぎの歌多し。


 鬼子母神(小動神社境内社)
 金刀比羅社(小動神社境内社)
 稲荷社(小動神社境内社)
 海神社(小動神社境内社)
 六天王社(小動神社境内社)


【龍口神社(元宮)】鎌倉市津1

 龍口神社
御祭神・・・玉依姫
      五大龍王大神
御例祭・・・十月第一土・日曜日
御創建・・・欽明天皇十三年(西暦五五二年)
昭和五十三年に龍の口にあたるこの地より龍の胴にあたる津の新鎌倉山に御遷座され日本三大弁財天として名高い江島神社と夫婦神社として人々の崇敬されています。

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