茅の輪めぐり-2022-6-25

 『夏越の祓(なごしのはらえ)』の季節になりましたので、茅の輪をいくつか巡ってみました。武蔵一之宮氷川神社の茅の輪にも人型がなくなっていたのは、感染症対策の一環でしょうが、さみしい限りです。現在独立の社を持っている氷川神社として、もっとも南に位置すると思われる『一之宮社』では茅の輪の設置は(まだ?)ありませんでした。
 2021年6月28日  2019年6月30日  2017年6月30日  
 大宮公園の青木昆陽先生の碑のすぐ後ろに一等水準点があったことには、今日の今日まで気づきませんでした。
 さくら横ちょう





【参考】
 VECTOR / S.Mitsuyoshi (大宮商工会議所50周年記念)
 氷川参道
 オカメザサ Shibataea kumasaca
 武蔵一之宮氷川神社二の鳥居
 武蔵一之宮氷川神社一の鳥居
 茅の輪(氷川神社:神橋上)
 メダケ Pleioblastus simonii
 一等水準点(基36、北緯35°55′04.6991″東経139°37′48.5258″、標高15.1235m)
 青木昆陽先生の碑
 アカシデ(枯死) Carpinus laxiflora
 セイヨウヒルガオ Convolvulus arvensis
 金王(こんのう)八幡神社:渋谷区渋谷3-5-12
  茅の輪(金王八幡神社)
  玉造稲荷神社(金王八幡神社境内社)
  御嶽神社(金王八幡神社境内社)
  クスノキ Cinnamonum canphora 渋谷区保存樹木第44号
  イチョウ Ginkgo biloba 渋谷区保存樹木第45号
  シイノキ(スダジイ) Castanopsis sieboldii 渋谷区保存樹木第60号
  ムクノキ Aphananthe aspera 渋谷区保存樹木第56号
  長州緋桜 Cerasus serrulata ‘Chosiuhizakura’
  ケヤキ Zelkova serrata 渋谷区保存樹木第59号
 さくら横ちょう歌碑:渋谷区東1丁目4-23
 渋谷氷川神社:渋谷区東2丁目5-6
  茅の輪(渋谷氷川神社)
  稲荷神社(渋谷氷川神社境内社)
  厳島神社(渋谷氷川神社境内社)
  金王相撲跡(渋谷氷川神社境内)
  マダケ Phyllostachys bambusoides
  ミヤコザサ Sasa nipponica
 豊榮稲荷神社:渋谷区渋谷3丁目4-7
 横浜一之宮神社:神奈川区入江1丁目13
 雷神社(いかずちじんじゃ):追浜本町1丁目9
 稲荷社(雷神社境内社)


  青木昆陽之碑
 青木昆陽は、元禄十一年今の東京日本橋に生まれました。学問に優れたうえ、人格高潔であることが大岡越前の耳に入り、幕府に仕えることになりました。そして、甘藷(さつまいも)の栽培を広く普及させた昆陽は、甘藷先生と呼ばれました。やがて甘藷が県の特産品となり、農業協同組合は、県民の生活が潤うように努力した昆陽の業績をたたえ、氷川公園(現在の大宮公園)に、昭和四年八月、記念碑を建設しました。
          埼玉県大宮公園事務所


 以下碑文

青木昆陽先生之碑
昆陽青木先生ハ元禄十一年江戸日本橋ニ生ル學東西ヲ兼
ネ篤行大ニ聞エ偶大岡越前守ノ知ル所トナリ徴サレテ幕
府ニ仕ヘ甘藷栽培ノ暜及ヲ圖リテ民生ヲ濟フ所多ク甘藷
先生ノ名遠近ニ髙シ我縣亦其惠澤ニ浴シ遂ニ特産地トナ
レリ我組合ハ先生ノ遺徳ヲ敬慕シ地ヲ氷川公園ニ相シ碑
ヲ建テ以テ其徳ヲ頌シ之ヲ不朽ニ傳フト云爾
   昭和四年八月 埼玉甘藷商同業組合
      顧問正七位勲五等澁谷周藏撰倂書

   金王(こんのう)八幡宮
御祭神 応神天皇(品陀和気命(ほんだわけのみこと))
祭礼日
 一月一日     歳旦祭         六月三十日  夏越大祓
 二月三日     節分祭         九月十四日  例大祭
 二月初午     末社玉造稲荷社例祭   十一月一ノ酉 末社御嶽社例祭
 二月二七日    祈念祭         十一月二三日 新嘗祭
 三月最終土曜   末社金王丸御影堂例祭  十二月三一日 大祓
          (金王サクラまつり)
 毎月一日・十五日 月次祭
由緒
 金王八幡宮は、寛治六年(皇紀一七五二年 西暦一〇九二年)渋谷氏の祖 河崎基家により鎮祭され、基家の子重家が鎌倉街道沿いの要所であるこの地に館を構えて居城として以来、渋谷氏の氏神として尊崇されました。
 渋谷重家には嫡子がなく当神社に祈願したところ、大神の御神徳により渋谷金王丸常光のちの土佐坊昌俊(しょうしゅん)を授かりました。金王丸の活躍は平時物語・吾妻鏡などにみられる通りであります。当神社は当初「渋谷八幡宮」と申しましておりましたのを、金王丸の名声に因み「金王丸八幡宮」と称するようになりました。
 また、境内の金王桜(渋谷区指定天然記念物)は、頼朝が金王丸を偲び植えたもので、一重と八重が混じって咲く珍しい桜で、江戸三名桜に数えられました。
 江戸時代には、竹千代(徳川家光)の教育係の青山伯耆守忠俊と乳母の春日局が三代将軍就任を当神社に祈願し、その願いが成就したのし大神の神慮によることと、現在の社殿及び神門(渋谷区指定文化財)を寄進されました。
 時代は変わりましたが、現在も青山・渋谷の氏神様として数多の崇敬を集めております。
月次祭 毎月一日・十五日 午前九時~午前九時三十分斎行
 ※どなたでも参列できます。午前八時五十分にご参集ください。
結婚式 江戸初期の建築様式を現在にとどめる渋谷区指定文化財の御社殿で厳粛な御式を斎行いたします。
 ※随時受付中
祈祷
 家内安全。商売繁盛・事業繁栄・社運隆昌・心願成就・子授け・初宮・七五三・厄除・身体健全・出世・還暦・年寿(古希・喜寿・米寿・卒寿・白寿など)・交通安全・その他
 ※随時奉仕中
出張祭典
 建築関係(地鎮祭など)・神棚奉斎・事務所開き・開店・各種安全祈願・その他
 ※要予約
施設使用
 当八幡宮境内等を使用する場合(撮影など)は社務所で許可をお受け下さい。
         金王八幡宮社務所 受付時間 午前九時~午後五時


玉造稲荷神社
御祭神 宇賀御霊命
祭礼日 二月初午
創建  元禄十六年八月(一七〇三)
由緒 宇賀御霊命は、食物・農耕をはじめ商売繁盛・殖産興業に関する信仰のほか、屋敷神としても多く祀られています。御本社は京都伏見稲荷大社で、稲荷社は全国に約三万社あるといわれ、最も身近に神社と言えます。また、天照皇大神のお食事を司る豊受大神と同神であるといわれています。
 渋谷も明治の頃までは稲作が盛んで、多くの信仰を集めていました。都会となった現在でも、その信仰は変わる事無く受継がれています。


【ふりがなは掲示板通りにしています】
御嶽(みたけ)神社
御祭神 櫛眞知命(くしまちのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少名毘古那命(すくなびこなのみこと) 日本武尊(やまとたけるのみこと)
祭礼日 十一月一ノ酉
由緒 御嶽神社は。開運・商売繁盛の神として、特に客商売を営む人々の信仰を広く集めており、御本社は武州御嶽神社です。御祭神の日本武尊は、古来より武道の守護神として崇められ、この地が、武門の誉れ高き澁谷氏の居城であったことから、ここに祀られたと考えられます。
 また、社前の狛犬一対と西参道の鳥居はかつて実践女子学園の校内にあった香雪神社より大東亜戦争後移設したものです。


金王桜(こんのうざくら)
  渋谷三丁目5番12号 金王八幡宮
  区指定天然記念物 昭和五十七年二月十八日指定
 長州緋桜という種類の桜といわれ、花弁は五~七枚ですが、雄しべが花弁化したものも交じっていて、一枝に一重と八重の花が入り混じって咲く大変珍しい桜です。また一名を憂忘桜(うさわすれのさくら)とも呼称されていたようです。
 この桜につては、さまざまな伝承がありますが、「金王神社社記」によれば、源頼朝の父義朝に仕えた渋谷金王丸の忠節をしのび、頼朝が金王丸の名を後世に残そうとして、鎌倉亀が谷の館から金王丸ゆかりのこの地に移植したものとされています。
 また、江戸時代に盛んに作られた地誌にも紹介され、郊外三名木のひとつとして有名であったことから、代々実生により上継がれてきた系統の確かな桜と考えられます。
     渋谷区教育委員会


注:長州緋桜は、淡紅色で大輪半八重の花をつける里桜で、同一クローンとされる兼六園熊谷は横浜緋桜の育成に使用されたことで知られている。
 横浜緋桜(よこはまひざくら)Cerasus jamasakura cv. Kenrokuen-kumagai x C. campanulata
【文献】
 森林総合研究所多摩森林科学園(2014)サクラ保存林ガイド、111p.、東京.


さくら横ちょう
     加藤周一
 春の宵 さくらが咲くと
 花ばかり さくら横ちょう
 想出す 恋の昨日
 君はもうここにいないと

 ああ いつも 花の女王
 ほほえんだ夢のふるさと
 春の宵 さくらが咲くと
 花ばかり さくら横ちょう

(以下、第三節と第四節は、碑文には記載なし)

 会い見るの時はなかろう
 「その後どう」「しばらくねえ」と
 言ったってはじまらないと
 心得て花でも見よう
 春の宵 さくらが咲くと
 花ばかり さくら横ちょう

注:『さくら横ちょう』は、『マチネ・ポエティク』ムーブメントの一環として加藤周一によって創作された(和製)ソネットで、中田喜直作曲の『マチネ・ポエティクによる四つの歌曲』の第2曲、別宮貞雄作曲の「二つのロンデル」の第2曲、神戸孝夫作曲による通称「三番目のさくら横ちょう」の三つのエディションで知られる歌曲だそうです。
 ソネット形式は、4行-4行-3行-3行が基本形式ですが、これを4行-4行-6行(5行)とみればロンデル形式でもあり、「花ばかり さくら横ちょう」の繰り返しはロンデル形式に合致しているということの様です。
 マチネ・ポエティクによる四つの歌曲(1950年):中田喜直作曲
 〔1.火の島(Island of Fire):福永武彦作詞、
  2.さくら横ちょう(Cherry Alley):加藤周一作詞、
  3.髪(Trees of Hair):原條あき子作詞、
  4.真昼の乙女たち(Maidens in Broad Daylight):中村真一郎作詞〕
 二つのロンデル(1951年):別宮貞雄作曲
  〔1.雨と風:加藤周一作詞、2.さくら横ちょう加藤周一作詞〕
 さくら横ちょう : 神戸孝夫歌曲集(2012年出版)


   氷川神社金王相撲跡
          東二丁目5番6号 氷川神社境内
 この氷川神社の創建は、区内で古く、かつての下渋谷村、下豊沢村の真珠者でした。そのころの祭日は、九月二十九日で当日は境内で相撲が行われ、その相撲場は今も残っています。
 この行事を金王相撲といい、いつごろから始められたか明らかではありませんが、かなり古くから行われていたらしく、近郷はもちろん江戸の町からも見物人が集まり、凶年などには休業しようとしても見物人が集まるので、やむなく興行したといいます。
 ここで相撲をとったのは、本職の江戸の力士ばかりでなく、近郷の若者も大勢参加し、江戸時代の村のレクリエーションの場となっていました。
          渋谷区教育委員会


横浜一之宮神社由緒
御鎮座 横浜市神奈川区入江一丁目十三番地3
御祭神 素戔嗚尊(建速須佐之男尊)を中心に
    事代主命(西宮神社)
    保食命(田甫、東浜、仲浜、西浜等の各稲荷社)
    面足惶根命(第六天社)
    水速迺売命(水神社)
    外の神様をお祭りして居ります。
歴史
 子安の地は神之木台遺跡、大口坂遺跡、その他があることから推察されるように縄文時代の昔より人間にとつて住みやすい環境が与えられた所でした。我々の祖先は海や山から自然の恩恵を受けて生活していたことでしょう。特に、この地は、現在でも海岸線を臨むことの出来る小高い丘ですが、近代に入り、海岸線を埋め立てるまではもう少し高い山でした。東海道沿いに展開した子安の浜の漁師にとって漁場を定める目印となっていたそうです。
 当然、漁師の信仰を集め、また、東海道沿線ということもあり古くから小祠を以ってお祭りしていたようです。
 その後、永禄四年(紀元二二二一年・西暦一五六一年)九月一日第百六代正親町天皇の御宇、武蔵国(埼玉県、東京都大部分、神奈川県東部)の一の宮元官幣大社氷川神社(埼玉県大宮市鎮座)の分霊を現在地に勧請したところから「一之宮大明神、一之宮明神社」等と称されて居ります。
 江戸時代徳川幕府の官撰地誌の最初である「新編武蔵風土記稿」にも収録され、白髭老神の伝説などもあり、連綿と祭祀が今も続いて居ります。
伝説の一例
 元禄三年(西暦一六九〇年)七月、村内に疫病が蔓延した折、入江川畔に白衣長髭の翁が現れ、「吾は一之宮大明神だが、近来氏子村民、敬神の念乏しく、社殿は大破し、祭祀を怠っているため、災禍が横行するのである。以降、祭祀の礼を厚くすれば疫病はなくなる。」と告げた。そこで神楽を奉し、神拝の式を行うと忽ち疫病がなくなったという。その他いくつもあります。
  平成六年八月吉日
      横浜一之宮神社奉賛会

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