追浜本町のおしんめ様


おしんめさま:横須賀市追浜本町1丁目(35.317282421146565, 139.62564525873114)


 『おしんめさま』は、東北地方を中心に信仰される養蚕神あるいは農業神である『おしらさま』と同一視されている民間信仰神です(柳田,1951; 山口,1968)。ご神体(あるいは神具)は男女一対の木像であることが多く、顔を刻んだだけの木の棒であることが普通ですが、馬頭、鶏頭などの像形もあると言われています。石像、石塔などは知られておらず、またお社やお堂を持たず、旧家に伝わる家内神であることも特徴のひとつで、家内に鎮座することもありますが、巫女(いたこ)が祈祷に用いるために持ち歩く『遊行神』としての信仰形態が多かったとされています。
 『おしんめさま』の名称は、『御神明様』が語源と考えられていますが、伊勢系統の神々との関係は必ずしも定かでないようです。追浜本町の『おしんめさま』も、土地の文献には記載が見当たらず、お社は施錠されていて内部は確認できませんので、由来、由緒等は不明です。
 山口(1968)は『おしんめさま』信仰の南限は、東北地方と関東地方の境あたりであるとしている一方で、山口(1981)では、関東地方でもオシンメ信仰があったとの記述も見受けられ、追浜本町の『おしんめさま』は、私の知る限り三浦半島周辺では唯一であり、関東地方における飛び地分布と言えそうです。お社があることや、これまで近隣社に合祀されずに来れた事情も気に懸かります。
 オシラサマの起源については、柳田國男が佐々木喜善から聞き及んだことを採録したとして知られる遠野物語(1910)の69話に『馬に恋した娘』の話として収録されています。


六九 今の土淵村には大同(ダイドウ)と云ふ家二軒あり。山口の大同は當主を大洞萬之亟(オオホラマンノジャク)と云ふ。此人の養母名はおひで、八十を超えても今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじなひにて蛇を殺し、気に止まれる鳥を落としなどするを佐々木君はよく見せてもいひたり。昨年の舊暦正月十五日に、此老女の語りしには、昔ある處に貧しき百姓あり。妻は無くて美しき娘あり。又一匹の馬を養ふ。娘此馬を愛して、(ヨル)になれば厩舎(ウマヤ)に行て()ね、終に馬と夫婦に成れり。或夜父は此事を知りて、其次の日に娘には知らせず、馬を()れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬の居らぬより父に尋ねて此事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋りて泣きゐたりしを、父は之を(ニク)みて斧を以て(ウシロ)より馬の首を切り落とせしに、娘は其首に乗りたるまゝ点に昇り去れり。オシラサマと云ふは此時より成りたる神なり、馬をつのり下げたる桑の枝にて其神の像を作る。其像は三つありき。(モト)にて作りしは山口の大同におり。之を姉神とす。中にて作りしは山崎の在家権(ザンケゴン)十郎と云ふ人の家に在り。佐々木氏の伯母が縁付きたる家なるが、今は家絶えて神の行方を知らず、末にて作りし妹神の像は今附馬牛村に在りと云へり。


【文献】
柳田國男 (1951) 大白神考(オシラガミコウ), 267-430, (In 柳田國男先生著作集, 第11冊, 521p), 實業之日本社, 東京.
山口弥一郎 (1968) おしんめいさま信仰の南限, 民間傳承, 32(1), 50-52. URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/2237543/1/2, Accessed: 2025-12-28.
山口弥一郎 (1981) おしんめいさま図録と解説, 9-59, (In 山口弥一郎選集第9巻 東北地方研究, 日本の固有生活を求めて, 世界文庫, 東京.), URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/9570753/1/25, Accessed: 2025-12-28.
柳田國男 (1910) 遠野物語, 69話, URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1466178, Accessed: 2025-12-29.

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