港南-磯子-金沢の社を巡る

 今日(2017.10.1)は京急百貨店の21周年イベントがあるというので、上大岡をふたりで尋ねました。昼食の後は独りで旧武蔵野國のお社を辿って家路につきました。

【大岡山眞光寺】港南区上大岡東3丁目1
 新編武蔵風土記稿によれば、境内社があった筈なのですが、痕跡は確認できませんでした。


【鹿嶋神社】港南区上大岡西3丁目12-38
 上大岡の総鎮守、鹿嶋太神宮です。勅令第220号(明治39年8月10日)を受けて、明治41年(1908年)に、無格だった岐之宮、来名戸神、賽神の三社を合祀したそうです。当時から末社だった辨天社は、今も健在です。


【青木神社】港南区大久保2丁目1
 境内に鵺が住んでいたという伝説がある神社です。

青木神社
 大久保、最戸両町の鎮守である青木神社は、多々久之郷六箇村(久保、最戸、別所、中里、弘明寺、井土ヶ谷)の総社であったと言われているが、その神の移しまつった年月は不明である。天明6年(1786年)の大洪水により、大岡川の流れが変り社殿が上大岡側に取り残され、そのなごりが今でも大久保2丁目は青木神社の社地だけが川を越して残されたと言われています。祭神は木の神久々能智命(くくのちのみこと)で、明治6年(1873年)に村社に列せられて、青木明神社を青木神社と改め、その後明治41年(1903年)に同村の伊勢宮、火産神社、稲荷社、稲荷社、子ノ神社、十二所社、稲荷社の七社を合祀して現在に至っている。


【天照大神宮】港南区港南5-12-8
 港南区役所から桜道を登ったところにある神社です。港南の歴史(1979)によれば、笹下郷の総鎮守であった当社は、明治6年に村社となり、その後明治41年に、安房洲神社、八坂神社、若宮八幡社、榛名神社、稲荷神社、杉山神社、御霊神社の七社合祀したそうです。新編武蔵風土記稿には、この地域の杉山神社のことは記載されていない様ですので、今後、要調査です。境内社の由緒は不明です

杉山神社に関するメモ(暫定版)


【若宮御霊神社】磯子区洋光台1丁目13
 旧若宮八幡宮と旧御霊権現社が合祀された神社です。


若宮八幡宮 御霊権現社 由来
 当社は天文年間(一五三〇年)頃時の杉田の庄嶺主間宮信元により開基されたことは杉田間宮家当社棟札写新編武蔵風土記稿及び明治四一年当社棟札により明らかである。当社は後北条の時笹下城及び間宮氏の守り神として祀られ、若宮八幡宮はこの地笹下城若宮曲輪に御霊権現社は旧笹下町四一四六番地に位置し共に城の大手を守っていた。笹下城は杉田の湊を本據とした間宮水軍の根拠であった。若宮八幡宮は鎌倉鶴ケ丘八幡宮より遷宮されたがその本宮である石清水八幡宮の様式に倣って八幡宮と間宮氏の祖先を祀る近江沙々貴神社を一体としてお祀りした。
 後北条時代は杉田の庄の総社として扱われていたと言い伝えられる。江戸期に入って共に小字笹下立野(洋光台一丁目笹下三丁目の一部)の村民持のお宮となった。その事も新編武蔵風土記稿及び前記棟札により明らかである明治四十一年訓令により現在の港南区港南の天照大神宮(神明宮)に合祀たれた。
 近年洋光台一丁目笹下三丁目の一部等の有志の心からなる支援協力により平成元年十一月二六日に元のこの地に目出たく遷宮された。宗教法人の法的手続き上神社名は単一にする必要により篠木神社としたが本来の社名様式に変りはない。開基の間宮氏に因んで言へば間宮一族は明治維新まで笹下の地を中心に杉田の庄と深い関係にあった。後に後北条家滅亡の際は領主間宮豊前守康俊はこの地の將兵を中心に箱根山中城先手の岱崎曲輪を守り勇戦して秀吉方先手の大将一柳伊豆守を討取ったが衆寡敵せず全滅した由北条記等にも伝えられている。
 幕末にはその後裔杉田玄白 間宮林蔵 間宮士信等新時代の曙を告げた人々も出ている。


【金山神社】磯子区洋光台3ー35ー10
 主祭神は金山比古神(かなやまひこのかみ)金山比女神(かなやまひめのかみ)、金属技巧を司る神々です。磯子の史話の記述から類推しますと二社ある境内社は牛頭天王と秋葉権現を祀っている様です。


【田中神社】磯子区田中2ー6ー25
 一度は上笹下神社に合祀された御嶽神社と神明社を昭和二十二年に分霊して成立した神社だそうです。東側の眺望がとても良いお社です。

田中神社 由来
 田中神社は江戸時代よりお御嶽神社として開創され田中の鎮守であった。明治三十九年内務省通牒にて上笹下地区の無格社統合合併により神明社として共に六ヶ村の神社と合祀され。明治四十五年栗木に上笹下神社として遷座した。
 第二次大戦後、それぞれの地区に氏神様を祀ることとなり、昭和二十二年四月二十日現在地に仮の御神殿を建て町名をとり田中神社とした。昭和三十五年御神殿を造営し。国常立尊(くにとこたちのみこと)他二柱を御祭神とし昭和二十八年九月十日登記を済ませ宗教法人となった。
 例祭は毎年秋に執り行っていたが。造営した御神殿は昭和四十六年十二月七日火災により焼失した。
 その後、町内有志を始め関係者の努力により御神殿は再建されたが年月も経過し、また町の発展に伴い総鎮守として御神殿改善の気運が盛り上がり。平成十三年九月御神殿の増築と補修、御神域の整備を完成させ現在に至った。
    平成十三年 九月吉日
                        田中神社奉賛会


【栗木神社】磯子区栗木2丁目13-21
 国常立尊を主神として祀る栗木地区の鎮守社です。境内社は伏見稲荷大明神、ずらりと並んだ赤い幟がきれいでした。


宗教法人栗木神社歴
 この神社の主神は、国常立尊(くにとこたちのみこと)と申し、天地開闢の最初に現れた神であります。ここに祀ったのは徳川時代で村の鎮守として村民の崇敬をあつめ、明治初年に御社号日枝神社と号し。明治初年村社に列せられた。
 昭和四十九年九月新編武蔵風土記より
 また、明治四十五年五月十五日六ヶ村(矢部野・田中・栗木・上中里・峰・氷取沢)の各神社を合祀し上笹下神社として合同祭事を行っていた。
 日の御、太平洋戦争の終戦にともにない昭和二十二年四月宗教法人となり再度各社を六ヶ村に分散する。
 現在の栗木神社は、御嶽社・駒形社・三体の合祀からなる。
   平成十年八月吉日


【上中里神社】磯子区上中里町441
 不動明王を祭神とする上中里の鎮守社です。本尊は行基作と伝えられ、再発見時に鍬で肩に傷がついたことから鍬肩不動明王と呼ばれているそうです。境内社は七社を数えます。


   上中里神社
 聖武天皇の御代(今から、一二四〇年ぐらい昔)に、行基菩薩が天皇の命を受け、諸国遍歴の折、たまたまこの地に滞在して、天下泰平所願満足の祈願をし不動明王の立像を彫刻して、ここ上中里の小高い丘に祀り、笹下六ヶ村の鎮守としました。
 それから遥か後、寛永年中に野火にあって堂宇ことごとく焼失しました。その後夜になると田の中から光を発する処があり、村人が其の場所から不動尊の像を掘り出しました。さっそく不動山の頂に堂宇を再建してこの像を祀り、再び村の氏神様としました。矜伽羅(コンガラ)制多迦(セイタカ)の二童子も失っていましたが、境内の古樹の洞穴から出現したといわれています。
 その後、国の方針で明治四十五年五月、日下村大字栗木の村社に合祀されて、上笹下神社として祀られましたが、昭和二十二年四月氏子一同の熱望により、この地に社殿を奉建して還幸式を行い、そして昭和四十一年九月社殿を建てかえ、昭和五十四年九月、社殿増築、鳥居復元、境内整備等を行って、現在に至っています。
                   以上
  昭和五十四年十二月
         上中里神社宮司 杉原敏之


   七社の宮 由来
 古くは各家々の守り神として村の各所に点在していました。
 明治のその昔には、社殿の北側のところに祀られていましたが、明治四十五年五月神社合祀により、左記場所に遷座され毎年七月十五日を祭日とし、村人が神々の下に七組に分かれ、当番制でお祭りをしていました。
 昭和二十二年四月、上中里神社奉建により鳥居南側の所に祀られましたが、昭和五十四年九月、鳥居復元、社殿増築、境内整備完成を機会に、再びここに祀られました。
   七社の宮旧社地
一、稲荷社    上中里町不動下五七四
二、明神社    上中里町上ノ前七六八番地
三、駒形神社   上中里町上ノ前782番地
四、天神社    上中里町向坂三七七番地
五、山王社    上中里町向坂四四三番地
六、八王子権元社 杉田町二〇六二番地
七、山大明神社  上中里町不動下五七九番地
                   以上
  平成十六年十二月
         上中里神社宮司 杉原紳元
     健之    仝  役員 須田利一
           仝  役員 田辺久雄


【氷取沢神社】磯子区氷取沢町221
 前身は、氷取澤村の鎮守であった荒神社で、明治45年栗木神社に合祀された後、元の場所である現在地に分霊の際に現在名となったそうです。境内社は、稲荷社と神明社です。


【手子神社】金沢区釜利谷南1丁目1-8
 瀬戸神社から分霊された大山祇命(おおやまつみのみこと)を祀る神社です。境内社は、金沢八景のひとつとして取られる『小泉(こずみ)の夜雨』の景勝地として知られる竹生島弁財天、ここの弁天様は宇賀神タイプです。


【本日の主な経路】
上大岡駅-大岡山眞光寺-鹿嶋神社-青木神社-桜道庚申塔-天照大神-打越-若宮御霊神社-金山神社-田中神社-栗木神社-上中里神社-上笹下地域ケアプラザ-氷取沢神社-金沢動物園-手小神社-白山道トンネル-(六浦)諏訪神社-追浜
【文献】
 新編武蔵風土記稿 横浜・川崎編、千秋社、1982.
 磯子の史話、磯子区制50周年記念事業委員会、1978.
 港南の歴史、港南の歴史発刊実行委員会、1974.



【参考】
 ヒヨドリジョウゴ Solanum lyratum
 桜道庚申塔
 オキナワスズメウリ Diplocyclos palmatus
 ルコウソウ Ipomoea quamoclit
 マンリョウ Ardisia crenata
 タケニグサ Macleaya cordata
 ホトトギス Tricyrtis hirta
 タマスダレ Zephyranthes candida
 ショウキズイセン Lycoris africana
 ハナズオウ Cercis chinensis
 ハナミズキ Cornus florida
 サルビアガラニチカ Salvia guaranitica
 ケイトウ Celosia argentea
 メランポジウム Melampodium divaricatum
 コモンセージ Salvia officinalis
 シソ Perilla frutescens var. crispa
 フレンチマリーゴールド Tagetes patula
 双体道祖神(寶勝寺)
 ボダイジュ Tilia miqueliana
 フウセンカズラ Cardiospermum halicacabum
 金沢動物園
 コムラサキ Callicarpa dichotoma
 マツリカ Jasminum sambac

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