杉山神社を巡る-Part3 鶴見川集水域

 今日は横浜線小机駅近くの鶴見川流域センターを起点に京急鶴見駅まで歩いてみました。

【本日巡検した杉山神社】
  括弧内の数字は、戸倉(1956)の付図『杉山神社考関係地図』の番号
 (大熊)杉山神社:(13)横浜市都筑区大熊町497
 (新羽北)杉山神社:(21)横浜市港北区新羽町3918
 (新羽南)杉山神社:(20)横浜市港北区新羽町2576
 太尾神社:(16)横浜市港北区大倉山2-16-1
 (樽町)杉山神社:(15)横浜市港北区樽町4-10
 伊勢山神社:横浜市鶴見区駒岡4-29
 末吉神社:横浜市鶴見区上末吉4-14-14


【(大熊)杉山神社】都筑区大熊町497
 旧大熊村の鎮守です。御多分に漏れず合祀社ですが、名称は杉山神社を継承しています。新編武蔵風土記稿によれば、末社は稲荷社となっていますが、現在は八坂神社もこの稲荷社に合祀されているようです。

大熊郷総鎮守 杉山神社
[御祭神] 日本武尊(やまとたけるのみこと)
     天御中主命(あめのみなかぬしのみこと) 伊弉諾命(いざなぎのみこと) 伊弉冉命(いざなみのみこと)(熊野社)
     面足命(おもたるのみこと)(面足社) 稲田姫命(いなだのひめのみこと)(御歳社)
     天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)(神明社)
[末社] 八坂神社 稲荷社
 創立年代不詳であるが、住吉より当地の鎮守として住民の信仰の中心となっている。新編武蔵風土記稿に「村の南丘上にあり。社二間に四間東向きなり。社前に石の鳥居をたつ、」云々「熊野社」当社は承平年中(931~938年)、平将門宿願によりて、不思議な霊夢を蒙り、此の社に七日参籠せる夜、苒不動閻浮壇金(こけらふどうえんぶだんごん)の観音を授かり、夫より将門威勢盛になれとぞ」云々とあり。
 明治六年村社に列し、同四十二年六月村内の無格社 熊野社・面足社・御歳社の三社を合併後、神明社をも合祀した。大正十一年九月神饌幣帛(せんへいはく)料供進社に指定される。
 氏子の崇敬すこぶる篤く、五穀豊穣、産業発展、家運隆盛、厄難消除、無病息災等の神として霊験あらたかな尊神であります。
     合祀百周年記念 平成二十一年九月吉日


新編武蔵風土記稿 巻之八十四 都筑郡巻之四 大熊村 より抜粋
熊野社 境内御朱印地ノ内、村の西ニアリ。社ハ二間四方東ニ向リ。本地佛彌陀木ノ立像長四寸許。縁記ニヨルニ當社ハ承平年中(931~938年)平將門宿願ニヨリテ不思議ノ霊夢ヲ蒙リ此ノ社ニ七日參籠セル夜(こけら)不動閻浮壇金ノ觀音ヲ授カリ夫ヨリ將門威勢盛ニナレリトソ。其後天文年中(1532~1555年)ニ至リ橘樹郡篠原村ノ城主師岡越前守伽藍ヲ再興セシカト戰國ノ折ナレハ次テ修理ヲ加フル者ナク自ヲ破損セリ御打入ノ後慶安二年(1649年)社領五石餘ノ御朱印ヲ賜フ。例祭ハ年々三月五日ナリ。
杉山社 除地二段。村ノ南丘上ニアリ。社二間ニ四間東向ナリ。社前ニ石ノ鳥居ヲタツ。神體ハ不動ノ如クニテ石ノ坐像ナリ。長一尺ハカリ。元文五年(1740年)ニ作リシ物ナリトイヘリ。例祭七月廿九日。村ノ鎮守ニシテ新羽村西方寺ノ持ナリ。末社稲荷社 本社ニ向テ右ニアリ。


【(新羽北)杉山神社】港北区新羽町3918
 新羽北の杉山神社は、14世紀末に大和国から勧請されたという言い伝えがあるようです。これが本当であるなら、延喜式に記された杉山社とは別系統ということになります。ここも合祀社多数ですが、新編武蔵風土記稿に記載された稲荷社は今でも健在です。

杉山神社
 創建 應永二年(1395年)六月 人皇第百代後小松天皇十四年
 祭神 大巳貴命
 末社三社合祀 白山神社 菊理姫命 伊邪那岐命 伊邪那美命
        金毘羅社 大物主命
        子大神社 大國主命 少名彦命
 当杉山神社は、足利時代の初期にこの地、武蔵国都筑郡新羽村乾の方高地に鎮座し、我が郷土北新羽を守護する尊神として、本年で五百八十八年、世の変遷を超え篤い崇敬を受けて来た。
 時は應永二年五月二日、当地方に大降雹があり農作物を残す物なく殆んど全滅し、農民悲嘆にくれている時、御師横地監物の夢枕に、雲中より声高らかに我れ大和国三輪の神なり。我を高所に祀れば災厄免がれ五穀豊穣は疑いなし、と宣われた。村人恐みて相譲り同年六月、間口一間、奥行一間半の本殿を風光明媚の高所此の地に建立し、大和国三輪明神の大巳貴命を勧請し、泰榮山正一位杉山大明神と称え、同年九月八日遷宮式を執行し、此の地を美和台と称した。こえて同十五年五月の大降雹には周辺の村々の作物全滅の中に、此の地のみは奇跡的に被災を免がれ得たので氏子一同御神徳と信じ益々大明神を敬うこと篤く、同年八月、間口三間、奥行一間半の拝殿を造営し奉った。その後広大な御神徳に近郷村民の参拝絶えることなく、郷土鎮護と氏子民平安の中心となった。
 明治初年、社殿を全焼したが氏子民の崇敬篤く再建を成し、偶々明治四十一年の一村一社合併令に際しても南杉山神社と併立を果し、恒例臨時の祭典行事を絶やすことがなかった。昭和四十六年九月に社殿を増堂し、続いて境内の整備を終えた直後の胴五十一年四月十六日、不慮の火災により惜しくも社殿悉く焼失し、氏子一同大痛恨事と悲嘆にくれた。猛火中に奇跡にも難を免れた御神体を仮奉安し、祭典を続けると共に社殿再建を決意した氏子は、偶々当地域の急激な都市化発展による氏子民の繁栄を恃み、不燃構造に近代仕様を加味し永久的社殿の造営を企図し、神社建設委員会を発足、幸い全氏子崇敬者より協賛された多額の浄財と献身奉仕を得て着手、委員一同は奈良県の大神神社に参拝し、更ためて御分霊ほ拝戴。同五十四年九月二十九日、荘厳堅牢な社殿を完成、遷宮式を営み、翌三十日大祭を斎行した。続いて翌年社務所を新築、更に末社金毘羅社改築を機に北之谷鎮守白山神社を合祀。その境内十五坪の奉納を受け、眞間戸谷鎮守子大神社も合祀、同五十五年十月九日遷宮式を営んだ。此の一連の建設造営費は、金五千六百余万円である。当神社を氏子は、昭和中頃までは藥六十戸が中心となって護持運営して来たが、現在三百五十余戸の氏子を算えている。
 茲に当神社の由来沿革を略記して後世に録し、併せて先人の労を偲び功を讃えるものである。
   昭和五十七年十月吉日健之 氏子中
                武州新羽神主土岐重臣謹書
                  十月十日大祭・除幕式
                         石工 東本郷町
                            有限会社平出石材店


新編武蔵風土記稿 巻之八十四 都筑郡巻之四 新羽村 より抜粋
杉山社 村ノ坤ノ方ニアリ。本社ハ一間半ニ二間南向ナリ。石階數級ヲ登リテ中間ニ石ノ鳥居を立。例祭七月二十二日。蓮花寺ノ持。


【(新羽南)杉山神社】港北区新羽町2576
 当社は旧新羽村南部地域の総鎮守です。この宮も合祀多数ですが、境内社として、少なくとも不動明王、御嶽神社、金毘羅社、稲荷社(3社)、熊野社(熋㙒社)を確認しました。また、この地域ではあまり見かけない二十三夜塔がありました。

新羽総鎮守杉山神社
御祭神 日本武尊(景行天皇の皇子)
 合祀 火産霊神、澳津彦神、澳津姫神(大竹、荒神社)
    伊弉諾命、速玉男命、事解男神(中之久保、熊野社)
    天照皇大神(南、皇大神宮)
 杉山神社の史籍に於ける所見は延喜式神明帳に(今より一、〇七〇余年前)武蔵国都筑郡杉山神社とあり、当社の由緒は明らかでないが、口碑に伝える其の創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代、景行天皇の御代四十年東方十二国御平定の折、日本武尊此の地方を御通過され、尊崩御の後村民其の御徳を慕い奉りて祠を造り奉斎したと云う。
 明治六年村社に列格、同四十一年村内の無格社荒神社、熊野社、皇大神宮を合併し大正九年神饌幣帛料共進社に指定された。
 戦後宗教法人として今日に至る。


新編武蔵風土記稿 巻之八十四 都筑郡巻之四 新羽村 より抜粋
杉山社 除地一段字三谷ニアリ。又此邊テ八朔堂トモイヘリ。神體ハ木ノ立像長一尺許。其形管神ノ像ニ似タリ。サレト近來の作ニシテ昔本地ト號セシハ石像ノ不動ニテ長二尺ハカリ。コレモ立像ノ由傳ヘリ。石階七間程ヲ登リテ社前ニ至ル。本社二間四方拝殿三間ニ二間東向ナリ。石ノ鳥居ヲタツ。西方寺の持。以下四社モ同寺ノ持。


【太尾神社】港北区大倉山2-16-1
 現在名は太尾神社ですが、杉山神社が合祀されており、鎮座地も旧杉山神社の場所だそうです。境内社は稲荷社です。

大倉山鎮守 太尾神社
 鎮座地 港北区大倉山二-十六-一
由緒沿革
 旧太尾町(大倉山)は土地が細長く、各集落毎に氏神を祀り、そのため村社一社、無格社五社が存在し、祭祀参拝その他不便多く、昭和三十三年六月九日、無格社天満社、同八幡神社、同杉山神社、同神明社、同熊野社を村社神明社に合併し、無格社杉山神社跡地に移転。太尾神社と社号を改め全町の鎮守とした。
御祭神
 天照皇大神(アマテラススメオオカミ)
 国常立尊(クニノトコタチノミコト)
 伊邪那岐命(イザナギノコト)
 伊邪美岐命(イザナミノミコト)
 応神天皇(オウジンテンノウ)
 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
 菅原道真命(スガワラミチザネノミコト)


【(樽町)杉山神社】港北区樽町4-10
 樽町の鎮守杉山神社です。案内板の内容は詳細で概ね正しい様に思われますが、江戸時代の杉山神社の数73社についての根拠は示されていませんでした。

樽町鎮守
  杉山神社の沿革
鎮座地
 新編武蔵風土記に、武蔵国橘樹郡樽町大下とあり、石階十二級を設くとある。
 現在は、横浜市港北区樽町四-十番地
御祭神
 日本武尊
 武蔵風土記には、「本地荒澤不動を神体とし、幣帛のみで神像は見へず」とあり、祭神が日本武尊になったのは、明治時代らしく。江戸時代は荒澤不動尊を祀っていた。境内に、稲荷社がある。
創建年代
 不詳だが、新編武蔵風土記によれば、応永十八年(一四一一年)に鰐口がこれを鑄之と記され、この頃既に勧請されたものと思われ、それ以前何処まで遡れるかは分らない。
例祭日
 新編武蔵風土記には、「例祭は毎年八月二日に隣村師岡村法華寺の進退する所」とあり、当時は神仏習合により、法華寺が管理し、法華寺は熊野神社の別当でもあったので、現在は熊野神社の宮司が兼務している。
社殿
 草葺権現造
 新編武蔵風土記によれば、元禄六年(一六九三年)四月に社殿を建立し社内に棟札ありとある。三間三間の社殿と記してある。
 平成十四年に十三坪の社殿を建立。
境内
 広さ六五〇坪。重さ三十六貫の力石がある。(年代不詳)平成十六年社務所(二十坪)大鳥居。狛犬。石灯籠、参道に石柱を奉献、稲荷社は元文四年(一七四〇)二月初午に建立。平成十六年十二月祠、台座、鳥居を奉納し移転した。
由緒沿革
 樽町全町の鎮守として鎮座し、明治六年十二月村社に列格。応永十八年(一四一一年)に鋳造した鰐口は一八二〇年頃所在がわからなくなっている。杉山神社は全国でも珍しく、江戸時代に鶴見川の流域のみ七十三社が存在していたが合祀により現在は三十一社に減少。樽町杉山神社はその中の一社で水害防止と豊作の祈願を目的として建立された。
宝物
 高さ六尺の石灯籠があり、竿石は断面内側銅張りで上部の宝珠はなくなったが良い形で、正徳四年四月に奉立杉山宮御宝前の銘がある。
         平成十七年六月吉日
             樽町杉山神社 氏子総代


新編武蔵風土記稿 巻之六十六 橘樹郡巻之九 樽村 より抜粋
杉山社 字大下ニアリ。石階十二級ヲ設ク。本地荒澤不動ヲ神體トス。サレト幣帛ノミニテ神像ハ見エス。例祭は年々八月二日、隣村師岡村法華寺ノ進退スル所ナリ。社内に棟札アリ。其中ニ應永年中鰐口ヲ鑄シコトヲシルス。コノ鰐口ハ故アッテ昔村民ノ方へアツケオキシト云傳フルノミニテ今ハ所在サタカナラス。カゝル古キ物ノアリシナレハ當社ヲ勧請セシモ定テ古キコトナルヘケレトモ社傳モ見ヘス。且口碑に殘ルコトサヘナケレハ今ヨリハタゝシカタシ因テ暫ク其棟札ヲ左ニアケテ後ノ考ヲマツ。
    杉山大明神 別當時師岡村法華寺
應永十八年(1411年)辛卯年鰐口鑄之
元禄六癸酉年(1693年)當社建立
應永拾八卯年ヨリ元禄六酉年迄二百八十三年
 酉四月


【伊勢山神社】鶴見区駒岡4-29
 新編武蔵風土記稿に際のある神明社に杉山神社を合祀したお社の様ですが、案内板等はなく詳細は不明です。駒岡地区センターからほど近い、駒岡第一公園の中に鎮座です。

新編武蔵風土記稿 巻之六十六 橘樹郡巻之九より抜粋
神明社 中村(中駒岡村)ノ内南ニアリ。是モ村内の鎮守ナリ。前ニ石ノ鳥居ヲ建。村民ノ持。
杉山社 上村(上駒岡村)ノ北方ニアリ。是モ村民ノ持。


【末吉神社】鶴見区上末吉4-14-14
 上末吉にあったという杉山神社について何か情報がないかと尋ねましたが、よくわかりませんでした。神奈川県神社庁の公開情報によれば『もと村社三島神社へ昭和32年4月無格社梶山神社及び八幡社を合併、社名を末吉神社と改称』とあるのですが、ここでの梶山神社は梶山谷にあった旧神明社のことの様です。新編武蔵風土記稿に記載のある社の内、村の北方字石田にあった杉山神社だけ現在地が不明です。ですが、状況からみて上末吉村の杉山神社はここに合祀されたと思われます。

新編武蔵風土記稿 巻之六十七 橘樹郡巻之十 上末吉村 より抜粋
神明社 字梶山谷ニアリ。山上ノ眺望宜シ。宮作ニテ一間半ニ二間ノ上屋ヲ設ク。前ニ鳥居ヲ立。例祭六月二十三日。村内八幡ト隔年ニ祭ル。村民持。
三島社 字根畑ニアリ。山ノ半腹ニ社ヲ立テ石階十九級ヲ設ク。社の邊スヘテ竹林生茂リ山ノ下ニハ又大松ニ株立リ。隅に鳥居ヲ建。例祭九月二十九日。杉山明神ト隔年ニ祭ル。村内圓明寺持。
 末社稲荷社 本社ニ向ヒデ右ノ方ニアリ。
   天神社 同シ邊ニアリ。
   三峯社 天神ノ向ニアリ。
八幡社 是モ小名根畑ニアリ。村ノ鎮守トス。例祭二月二十三日。神明ト隔年ニ祭ル。村内圓明寺持。
杉山社 字石田町ニアリ。宮作ノ社ニテ上屋アリ。前ニ石ノ鳥居ヲ立。例祭九月十九日。三島社ト隔年ニ祭ル。村内寶塔寺持。


 以下、杉山社以外の本日撮影した写真です。
【鶴見川流域センター】
 京浜河川事務所の所管する水害や震災などの災害時の防災活動拠点ですが、鶴見川流域の自然や歴史を説明した展示があります。


【淡島社】都筑区折本町1458


  淡島社の由緒
祭神 小彦名命 神功皇后 大霊貴命 素戔嗚尊 四柱を祀る。
 江戸時代以前、和歌山市加太の淡島大明神より分祀鎮座せしと伝ふ。江戸名所図会に相模街道大熊村よの左へ十三四丁入りて織本村にあり。神主雲路氏奉祀す。祭礼は二月三日縁日は三日、十三日なり。鶴見末吉橋際に之より淡島街道へ至ると石碑の道しるべに在りしが消滅す。天和より正德年間の頃櫻の樹繁り社殿を覆ふと伝ふ近所に住む重郎左衛門掃除に入りたる時白衣の翁に会い腰の痛みを話すと淡島社に祈願すれば治ると語りて風の如くに消えたので信心祈願した処全快せしと伝ふ。其後病氣快復祈願に参拝する人数多しと伝ふ。境内に在る奉納碑は江戸日本橋の住人が祈願成就の爲に捧げたものである。
 里人社の山林の櫻の古木を伐り後に運び出そうとしたら一匹の蛇が目を光らせて古木を守って居たので御神木であった事を恐れ安泰祈願をした。後に若芽が出たので境内に移し御神木としたとの事である。
 明治四十二年村社、大神宮、天王社、新宮社の三社を淡島社に合社して鎮守された。当社に保存せし煙火の筒は江戸時代の作で筒が長いので煙火が髙くあがり雲中まで届いたと伝ふ。一発打あげる度にが跳るので桶やが近くでを作り直しては打あげたと古老より伝え聞く。寛保二年里人英至と伝ふ者、村守松下状綱の助けを蒙り五反七畝八歩を賜り淡島社社殿を新築せりと伝ふ昭和五十一年迄維持道路拡張の爲昭和五十一年に社殿を建替る。
注:(たが) 原文は別字taga


新編武蔵風土記稿 巻之八十四 都筑郡巻之四 折本村 より抜粋
淡島社 地頭除地四段許。村ノ中央ニアリ。上屋四間ニ七間。内ニ小詞ヲ置。南向ナリ。社前ニ石階數級アリテ石ノ鳥居ヲ立。例祭年々二月三日。縁記モアレト證トスヘキモノトモ見エサレハ畧ス。村民の持ナリ。


【伊勢稲荷】都筑区折本町1184
 淡島社から大熊の杉山神社に向かう途中でみつけた稲荷社です。小さいながら端正な造で、この地に氷川信仰があると思われることは、いずれ調べたいと思います。


【馬頭観音】都筑区折本町1178


【道祖神】港北区新羽町4169


【不詳のお社】港北区新羽町4190


【馬頭観音】港北区新羽町3918


【北新羽地蔵堂】港北区新羽町3818
 新羽の厄除延命地蔵尊です。享保三年(1718年)開山だそうです。


【庚申塔と馬頭観音】港北区新羽町2568


【地蔵堂】港北区大倉山3-34


【庚申塔】港北区大倉山2-12


【稲荷社】港北区大倉山2-19


【東横神社】港北区大倉山2-10-2
 一般非公開につき、由緒不明の小社です。


大倉山記念館】港北区大倉山2−10−1


【弁天社】港北区師岡町1169


  弁天社
祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
例祭日 八月一日
『江戸名所図会』にも描かれている弁天社。恵比寿や大黒の神様などと共に七福神に数えられている弁天様(唯一の女神様)は、音楽や弁説(知恵)を司る神様として信仰されるが、もともとはインド神話に登場する河川の神であった。従って当社の弁天様のように、水辺に多く祀られているのは、弁天様の水神としての性格に由来しているといってよい。
 平成二十三年三月十一日の東日本大震災の際、社殿屋根の全てが崩落したが同年には修復工事を行い現在に至っている。
(注:この解説(前段)は正確とは言いがたいが、原文のまま引用した。)


【師岡熊野神社】港北区師岡町1137


関東随一大霊験所
    師岡熊野神社(モロオカクマノジンジャ)略記
御祭神 伊邪那美尊(イザナミノミコト)事解之男命(コトサカノオノミコト)速玉之男命(ハヤタマノオノミコト)
御由緒 当神社に伝わる熊野山略縁起によると、この神社は第四十五代聖武天皇の神亀元甲子年(西暦七二四年)に全寿(ぜんじゅ)仙人によって創建され和歌山県熊野三社の御祭神と一体である。
 全寿は、この地に不思議な霊威を感じ御神木(ナギ)の大木のうろに住み日夜祈り続けた。ある(あかつき)、夢枕に熊野大神が立たれ、お告げに従って大和国春日明神に参籠、神霊を感得してこの地に帰り、熊野大神を祀ったのである。
 仁和元年(885年)七月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験熊野宮」の勅額を賜りそれ以来宇多。醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在継続されて居る筒粥神事は天暦三年(949年)より一千数百回にもなる。観応二年(1351年)六月十七日雷火のため社殿は焼失したが神体、社宝は無事であり特に貞治三年(1364年)記の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝えて居る。例えば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り。供奉(ぐぶ)者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝(めんたき)、馬の(あぶみ)を納めた鐙宮(あぶのみや)(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更にいの池、のの池、ちの池の伝説等。枚挙にいとまがない。
室町期(1336-1573年)に北条早雲公、慶長四年(1599年)徳川家康公、寛永十九年(1642年)家光公、寛文五年(1665年)家綱公より御朱印地を戴いたのを始め、代々の将軍家の崇敬極めて篤く、神社への御朱印は幕末まで続けられた。明治元年(1868年)神仏分離の際、熊野神社と法華寺との分祀され、明治三年(1870年)縣社に列格したが氏子の陳情する所あって、明治六年(1873年)三十三ヶ村の郷社に列した。
 当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、又、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。
氏子地域 師岡、獅子ヶ谷、駒岡、上末吉、北綱島、南綱島、樽、大曽根、太尾、久末、上野川、下野川
(以下旧域) 菊名、篠原、大豆戸、白旗、下末吉、馬場、北寺尾、西寺尾、東寺尾、小机、烏山、岸ノ根、菅田、片倉、神代寺、六角橋、羽沢、三枚橋、鶴見、西子安、東子安、生麦、東神奈川、西神奈川


【稲荷社】鶴見区駒岡4-24


【厳島神社】鶴見区駒岡3-19
 境内は宝永二年(1705年)の銘がある『弁才天』石碑がありました。


新編武蔵風土記稿 巻之六十六 橘樹郡巻之九より抜粋
辨天社 中村(中駒岡村)ノ中央丘上ニアリ。村民持。


【稲荷社】鶴見区駒岡3-34


【駒岡八幡神社】鶴見区駒岡3-40-1


【浅間神社】鶴見区駒岡3-39


【別所熊野神社】鶴見区北寺尾2-3
 辿りつくと辺りは夕闇。いずれまた訪ねたいと思います。


新編武蔵風土記稿 巻之六十七 橘樹郡巻之十より抜粋
熊野社 <小名別所ニアリ。石階二十級ヲ登リテ木ノ鳥居ヲ建ツ。又三十級ヲ登ル左松繁茂セリ。神體ハ木ノ坐像。長六寸ハカリ。是モ寶藏院持。

【神明社】鶴見区鶴見中央5-1
 京急線の傍らの神明社。この辺りが鶴見区と港北区との境になっています。このお社は以前からよく通り過ぎてはいるのですが、ここもいずれ再訪予定とします。


【主な経路】
小机駅-鶴見川流域センター-淡島社-伊勢稲荷-(大熊)杉山神社-(新羽北)杉山神社-(新羽南)杉山神社-太尾神社-大倉山記念館-(樽)杉山神社-師岡熊野神社-伊勢山神社-駒岡地区センター-厳島神社-駒岡八幡神社-(駒岡)浅間神社-末吉神社-別所熊野社-京急鶴見駅
【文献】
 戸倉英太郎(1956)杉山神社考(復刻版,1978)、232p.
 新編武蔵風土記稿 横浜・川崎編、千秋社、1982.


【参考】
 江川せせらぎ緑道
 カヤツリグサ Cyperus microiria
 イヌタデ Persicaria longiseta
 ハナセンナ Cassia corymbosa
 シュウメイギク Anemone hupehensis
 アツバキミガヨラン Yucca gloriosa
 スイフヨウ Hibiscus mutabilis cv. Versicolor
 末吉台地からみた落日

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