杉山神社を巡る-Part7 中山から新横浜へ

 最近の定番となった杉山神社巡り、今回は横浜線中山駅周辺を尋ねました。このエリアは旧武蔵國都築郡に相当し、中でも西八朔の杉山神社は延喜式神名帳に記載された式内社であった可能性が高い社の一つとされています。

【本日巡検した杉山神社】
  括弧内の数字は、戸倉(1956)の付図『杉山神社考関係地図』の番号
 (05)青砥杉山神社: 横浜市緑区青砥町1119
 (02)中山杉山神社: 横浜市緑区中山町718
 上白根稲荷社:   横浜市旭区上白根町221
 (01)寺山杉山神社: 横浜市緑区寺山町177
 (03)三保杉山神社: 横浜市緑区三保町2079
 (11)西八朔杉山神社:横浜市緑区西八朔町208
 (10)千草台杉山神社:横浜市青葉区千草台17-2
 (06)市尾杉山神社: 横浜市青葉区市ヶ尾町641
 (09)佐江戸杉山神社:横浜市都筑区佐江戸町2020
 (14)池辺杉山神社: 横浜市都筑区池辺町2718


【(05)青砥杉山神社】横浜市緑区青砥町1119
 青砥というと金沢区の青砥山鎌倉の青砥藤綱舊蹟碑などを思い浮かべますが、緑区にも藤綱が住していたと伝えられています。旧青砥村の杉山神社の境内には、稲荷社と御嶽社がありました。

   杉山神社のご案内
祭神 五十猛命(いそたけるのみこと) 日本武尊(やまとたけるのみこと) 應神天皇(おうじんてんのう) 大日孁貴命(おおひるめむちのみこと) 面足尊(おもだるのみこと)
例祭日 十月五日
祈願内容 初宮詣 七五三 厄除 交通安全 家内安全
     地鎮祭 工事安全 新居祓 清め祓 家祓
     その他先までご連絡下さい。
     川崎市麻生区王禅寺東五ノ四六-十五
     琴平神社宮司 志村幸男
     電話 〇四四-九八八-〇〇四五


   御嶽神社
この社はその昔、武蔵国青戸と稱した頃武州御嶽神社の分神として恩田川のほとり現在の都橋から約三百米上流に祀られ農業の神として住民から信仰を集めておりました。その後大正四年頃当神社境内に合祀され今日に至りました。
当時御堂のあった周辺の場所を御嶽堂と呼び青砥町字御嶽堂として最近までその名を留めておりましたが土地の区画整理等により順次消減されつゝあるのが現況であります。
現在の社は昭和五拾参年杉山神社改修の祭当所大工棟梁市川倉之亟氏が寄進されたものであります。


【(02)中山杉山神社】横浜市緑区中山町718
 中山駅から一番近くに鎮座する旧中山村の杉山神社です。拝殿前に芭蕉の句碑がありました。

   杉山神社の由来
杉山神社の名称は、約1400年前の白鳳時代西暦660年「天武天皇」の命により武蔵の國、「杉山の岡」に祀られたものと言われており武蔵風土記(市橋注:新編武蔵風土記稿のことを指していると思われる)によると「鶴見川、恩田川」周辺が先に述べた杉山の岡で「杉山神社」という名称は72社あるそうですが、恩田川(市橋注:多摩川の間違いと思われる)の北側にはほとんどありません。
「中山杉山神社」は昔、相次ぐ戦乱にて喪失し再建が繰り返された為、古文書等を殆ど焼失し、創立の年は不明ですが、再建文書によりますと約800年前の鎌倉時代には既に建立されていたものと推測されます。記録によりますと350年前の慶安2年5月に再建された文書が残っているそうです。
神社庁への届け出記録によると
① 慶応元年6月 再建 (1865)
② 明治6年12月 村社13位に列格(現在は11位です)
③ 大正8年9月 稲荷社、第6天、御嶽社を合祀
④ 昭和28年8月 宗教法人中山神社として登録
         宗教法人化の神社8万社、横浜288社
⑤ 昭和32年3月 火災により焼失
⑥ 昭和33年9月 再建(神殿13.9坪 2800万円)
⑦ 本神社の宮司は 21年7月より 緑区荏田 剣神社宮司(斉藤清治氏)
          54年7月より           (斉藤一麿氏)
          15年7月より           (斎藤勝幸氏)
本神社の奉斎神は 「五十猛命(いそたけるのみこと)」 3柱
         大六天稲荷様 ?
         御嶽様    ?
主神「五十猛命(いそたけるのみこと)」は素戔嗚尊(すさのうのみこと)のお子様で父親と朝鮮に渡り、杉檜など多くの樹種を持ち帰り、植林したり、航海の技術を伝授した功績の有る方でした。
「有効の神」として崇敬されている神様です。
「五十」は豊穣を意味するところから「農業の神」、「猛」は強い人武勇を表して居ます。
  2016 平成28年10月
 緑区中山町 田辺年末氏の文献より 相沢 淳 清書

天武天皇
 631~686 飛鳥時代 第40代の天皇
      この時代はまだ年号はありませんでした。


【上白根稲荷社】横浜市旭区上白根町219-5
 旭区(旧保土ヶ谷区、都筑郡)で唯一の杉山神社は、稲荷社に合祀されています。


【(01)寺山杉山神社】横浜市緑区寺山町177
 旧寺山村の杉山神社ではイチョウの黄葉が見頃で、コウヤマキとヒマラヤスギの緑とのコントラストが目に鮮やかでした。庚申塔には寛永二巳年(1749年)の銘が読み取れます。


【(03)三保杉山神社】横浜市緑区三保町2079
 旧三保村の杉山神社の扁額では、『』の字を使っていました。境内社は天満宮です

   社殿新築之碑
宗教法人 杉山神社
 祭神   日本武尊
 合祀祭神 天照大神
 合祀祭神 猿田彦命
境内神社 天満宮
 祭神   菅原道真
 杉山神社は創建の時期は不詳ながら、慶長九年(一六〇四)まで近隣併せ八か村の総鎮守である。その後久保村(三保村)の鎮守となる。
 明治維新以降国家管理の下、明治六年(一八七三)村社に指定され、同四十一年(一九〇八)村内ニ社を合祀、大正九年(一九二〇)神饌幣帛料共進神社に列せられる等の経緯を辿るも、昭和二十一年緊急勅命に基づき神社本庁を包括団体とする自主団体として存続する事となり、同二十八年宗教法人杉山神社として設立され現在に至る。
 明治元年(一一六四)に再建された本殿などは、大正九年の大改修を含め数字にわたり、修復されたが、近年頓に老朽化が著しく、また茅葺き屋根拝殿の維持管理が困難にこと等から、平成八年十月氏子が相諮り広く浄財を募って、新築する事とし、同九年五月建設委員会と組織の上設計管理㈱社寺建築設計事務所(東京都江東区)、施工㈱上林工務店(長野県上伊那郡)により、同十年十月三日例大祭に合わせ鳥居・玉垣・手水舎等付帯工事と共に無事完工をみ、遷座祭を挙行した。
 また、平成十一年十二月これまで合祀の天満宮を境内神社として創立し、遷座し得たことを併せ奉祝するものである。
  平成十二年十月吉日
     建設委員長 矢嶋誠司


【(11)西八朔杉山神社】横浜市緑区西八朔町208

  改築記念
延喜式内社
武藏總社六之宮 杉山神社
   大國魂神社宮司 猿渡盛文拜書
一、祭神五十猛命、配神大日霊貴命、素戔嗚尊、太田命
一、由緒
 当神社は武蔵国の総社天国魂神社の六ノ宮である。続日本紀承和五年(八三八)二月庚戌の條に武藏国都筑郡杉山神社預之武藏国の総社、大国魂神社の成立は、人皇十二代景行天皇四十一年都筑郡杉山神社は六の宮として西殿に祭られた。「武蔵総社誌」上巻に六所宮東西の御殿に鎮座す。一所大神等は東御殿に、一の宮小野大神、二の宮小河大神、三の宮氷川大神、以上三所鎮座す。西御殿に四の宮秩父大神、五の宮金佐奈ノ大神。六の宮杉山ノ大神、以上三所鎮座す。件の六所を総称して六所宮と称す。この六ノ宮に該当する神社が西八朔の杉山神社である。「風土記稿」に「慶安年中社領の御朱印を賜う。其の文左にのす。」
武藏国都筑郡西八朔村、極楽寺杉山明神社領同村之内五石六斗事任先現寄附之訖全可収納並境内山林竹木諸役当免除如来永不可有相違者也 慶安二年(一六四九)八月二十四日 御朱印。
 以上の事実によって当神社こそ式内社の由緒深きものである。
一、社格
 明治六年十二月被列郷社との辞令 神奈川県庁より御下附あり。
 大正九年九月十日神奈川県告示第三六二号を以って神饌幣帛料共進すべき旨仝県知事より指定あり。
 昭和二十八年八月一日神奈川県指令第三九九〇号を以って宗教法人杉山神社として仝県知事より認証された。
一、社殿
 境内地昭和五十七年十一月三日改築遷宮祭執行。境内地一四六三坪
昭和五拾七年拾壱月吉日     杉山神社宮司 志村文雄 撰文謹書

(市橋注:西八朔社が式内社であった、というのは可能性のひとつに過ぎない)


   杉山神社のご案内
祭神 五十猛命(いそたけるのみこと) 大日孁命(おおひるめのみこと) 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 大田命(おおたのみこと)
例祭日 十月一日
祈願内容 初宮詣 七五三 厄除 交通安全 家内安全
     地鎮祭 工事安全 新居祓 清め祓 家祓
     その他先までご連絡下さい。
     川崎市麻生区王禅寺東五ノ四六-十五
     琴平神社宮司 志村幸男
     電話 〇四四-九八八-〇〇四五


【(10)千草台杉山神社】横浜市青葉区千草台17-2
 千草台の杉山神社の御神木は、樹齢400年と云われるケヤキ(横浜市名木古木指定48181)です。

新社殿25周年記念碑
  杉山神社
鎮座地 横浜市青葉区千草台十七の二
御祭神 五十猛命(いそたけるのみこと) 素戔嗚尊(すさのおのみこと)  大日孁命(おおひるめのみこと) 豊受姫命(とようけひめのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 保食神(うけもちのかみ)
御祭神五十猛命は、素戔嗚尊の御子神で天降りの時に天津樹種を持ち降り植樹農業を薦めた。
素戔嗚尊は、日の神天照皇大神の石戸隠れの後、追放になり出雲の八岐大蛇(やまたのおろち)退治で有名である。
 大己貴命(おおなむちのみこと)は、大國主神の別名、國土開拓はもとより航海、農業、交通、医薬、殖産興業、百般の事物に無限の御神徳をそそがれる神である。
由緒
 旧村社 杉山神社
 武蔵風土記に下谷本鎮守杉山神社と記され、徳川初期の創立である。
 大正三年八月一日 社殿拝殿神楽殿新改築
 昭和二十七年十月二日 神奈川県指令第三九八九号を以って宗教法人杉山神社とする。            境内坪数五七五、九〇五坪
 昭和四十九年十月六日 新社殿新築落成
     平成十年九月吉日
           宮司 志村幸男


   杉山神社のご案内
祭神 五十猛命(いそたけるのみこと) 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 大日孁命(おおひるめのみこと) 豊受姫命(とようけひめのみこと)  大己貴命(おおあなむちのみこと) 保食命(うけもちのみこと)
例祭日 十月七日
祈願内容 初宮詣 七五三 厄除 交通安全 家内安全
     地鎮祭 工事安全 新居祓 清め祓 家祓
     その他先までご連絡下さい。
     川崎市麻生区王禅寺東五ノ四六-十五
     琴平神社宮司 志村幸男
     電話 〇四四-九八八-〇〇四五


【(06)市尾杉山神社】横浜市青葉区市ヶ尾町641
市ヶ尾杉山神社の境内社は稲荷社です。

   杉山神社のご案内
祭神 五十猛命(いそたけるのみこと)
例祭日 十月五日
祈願内容 初宮詣 七五三 厄除 交通安全 家内安全
     地鎮祭 工事安全 新居祓 清め祓 家祓
     その他先までご連絡下さい。
     川崎市麻生区王禅寺東五ノ四六-十五
     琴平神社宮司 志村幸男
     電話 〇四四-九八八-〇〇四五


お足もとに敷かれている御影石 敷石は(稲荷さま参道にも使用)もと横浜市 市電の軌道に使用されていたものを奉賛会会員 塚 一男さんよりご寄贈いただいたものであります。
     平成23年1月吉日
     下市が尾杉山神社奉賛会


【(09)佐江戸杉山神社】横浜市都筑区佐江戸町2020
 佐江戸の杉山神社の境内社も稲荷社です。

   杉山神社のご案内
祭神 五十猛命(いそたけるのみこと)
例祭日 九月二十七日
祈願内容 初宮詣 七五三 厄除 交通安全 家内安全
     地鎮祭 工事安全 新居祓 清め祓 家祓
     その他先までご連絡下さい。
     川崎市麻生区王禅寺東五ノ四六-十五
     琴平神社宮司 志村幸男
     電話 〇四四-九八八-〇〇四五


【(14)池辺杉山神社】横浜市都筑区池辺町2718
 池辺杉山神社の御神木はケヤキ(横浜市古木名木48177)です。昭和三年に建立されたという狛犬は近隣では例を見ないユニークなものです。境内社は、鹿嶋大神宮と稲荷社です。

  池辺杉山神社 由緒
 創立年代は不詳ですが、建立は元文元年(一七三六年)十一月江戸時代、徳川幕府八代将軍徳川吉宗の時代と推定されます。五十猛命(いたけるのみこと)を御祭神として、古くから池辺の鎮守として崇敬されています。
 明治六年十二月には村社として祀られ、対しよう九年十二月には神饌幣帛料供進神社に列しました。
 昭和三年、昭和天皇御大典を記念して本殿の大改修がなされ併せて、狛犬が建立されました。
 昭和二十二年には神楽殿を、平成十五年には拝殿を新築し、覆い殿を改修しました。


石塚
   由来
 明治初年、七五郎と謂へる人あり。星谷、若林家の出身にして力量抜群たり。藝能一座に見いだされ、全國各地にてその力技を披露、大好評を得たり。その史實を後世に傳うと共に、若者の体力増強を願い愛用のさし石と故郷池辺の安泰を祈念し、地雷石を献納せしもりなりと傳へられる。
 後年、力自慢の若者集い、力比べ体力鍛練等に用いしものが前面の石なりしが、初代は焚火等により崩壊し、二代目のものなり。
 平成三年三月
  池辺町内会町小泉幸三


【その他の社、等】
住吉神社:横浜市港北区小机町110
 小机駅に向かう途中に住吉神社がありましたので立寄りました。

 小机総鎮守住吉神社
祭神 上筒男命(うわつつおのみこと)(表筒男命) 中筒男命(なかつつおのみこと) 底筒男命(そこつつおのみこと)
配神 気久利姫命(きくりひめのみこと) 金山姫命(かなやまひめのみこと) 日ノ神(ひのかみ)
   加供智命(かぐつちのみこと) 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 小机の住吉神社は、誠に悠久なる歴史を持つ社であります。
 住吉神社は、大概海や川口に近い処を鎮座場所とされ、昔に遡ればそこは海岸であり、川口であったと言う。
 上古小机根古屋と称す百八ヶ村の主郷なりと言う水郷一帯の時代に源を発し、この地方の土民安住の処を得、摂津国(大阪)元官幣大社住吉大社より普ねく分神を勧請せられ、住民は産土神と仰いで奉斎した。
 特に文禄(一五九二~一五九五)年中より慶長(一五九五~一六一四)年間に亙り、小机領の守護神として小机城主矢野兵庫助の崇敬篤く、恒例・臨時の祭典絶ゆることなく、又、文禄中まで小机・川向・本郷三ヶ村の郷社であり、慶長年中に分村の時当社の末社稲荷社の分神を遷された。
 嘉永三年に本殿再建しその棟札を存す。明治六年十二月村社に列格、明治四十三年四月三日村内の白山社・愛宕社・神明社を合併、増神を見るに至り、小机領総鎮守として国守りの神、海路平安の神、和歌の神は元より五穀豊穣、商業繁栄、家運隆盛、旅行安全、交通安全、厄難消除等の神として御霊験あらたかで、この地方に行き享ける者として、夢寐にも忘れることのできない大恩神であります。


 小机領総鎮守住吉神社
     平成大改修造営記念
 当住吉神社は誠に悠久なる歴史を持つ社であります。上古小机根古屋の庄 百八ヶ村の首郷たりと言う水郷一帯の時代に源を発して摂津国住吉大社より普ねく御分霊を勧請し、住民は産土大神と仰いで奉斎、後世まで尊崇感謝の奉祀が続く所以です。
 明治四十三年村内に祠られし白山社愛宕社神明社を合祀、八十五年を迎へました。この意義ある歳、氏子の総意にて社殿の修復造営を行い御祭神に感謝を捧げたいとの念願が氏子崇敬者の奉賛により竣工の慶びを迎へることができました。
 依って奉賛者名の碑を建立し将来大きく開発されて行く郷土が永遠へと無事平穏を御守護給わることを祈念いたします。
    平成七年十月二十二日
         宮司 土岐彰臣
  (以下、奉賛者名略)


 住吉神社末社
金刀比羅社(金比羅大権現)
 祭神・大物主命 おおものぬしのみこと
 大物主命は、大国主命の幸魂・奇魂であり、人造り、国造り、夫婦和合の神。
稲荷社(正一位稲荷大明神)
 祭神・倉稲魂命 うがのみたまのみこと
稲荷神社(正一位稲荷大明神)
 祭神・宇迦之御魂命 うがのみたまのみこと
 イナリは「稲生(いな)り」の意味で、もともと水田耕作を行う、人々の農耕神であった。中世から近世にかけて工業・商業が盛んになると。農業神の性格に加えて、殖産興業の神としても信仰され、各地に勧請された。
 慶長年中まで小机・川向・本郷三ヶ村の中心がこの地であり、多分村の時この稲荷の神を勧請された。
(川向・本郷は、元稲荷神社と称した。)


【本日の主な経路】
横浜線中山駅(05)青砥杉山神社-(02)中山杉山神社-上白根稲荷社-中堀川プロムナード-(01)寺山杉山神社-(03)三保杉山神社-(11)西八朔杉山神社-(10)千草台杉山神社-(06)市尾杉山神社-(09)佐江戸杉山神社-(14)池辺杉山神社-住吉神社-横浜線新横浜駅

【参考】
 平六トンネル上のサクラ
 JR中山駅前
 シバザクラ Phlox subulata
 皇帝ダリア Dahlia imperialis
 フユザクラ Cerasus x parvifolia ‘Fuyu-zakura’
 ネズミモチ Ligustrum japonicum
 コナラ Quercus serrata
 イチョウ Ginkgo biloba
 コウヤマキ Sciadopitys verticillata
 ヒマラヤスギ Cedrus deodara
 台村町の庚申塔
 キンシバイ Hypericum patulum
 立藁
 千草台の銀杏並木
 ノボロギク Senecio vulgaris
 市ヶ尾庚申堂
 川名庚申堂
 (川名)山王神社
 コスミレ Viola japonica (川名山王神社)
 ドウダンツツジ Enkianthus perulatus
 スーパームーン・イブ

【文献】
 戸倉英太郎(1956)杉山神社考(復刻版,1978)、232p.
 新編武蔵風土記稿 横浜・川崎編、千秋社、1982.

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