浦賀から津久井浜へ

雨が降り続き、今日は風も強い一日でした。
【主な経路】
(浦賀駅)-西叶神社-吉岡稲荷-太刀花稲荷-尻こすり坂-大作-四ッ田稲荷-稲荷社-三嶋神社-一騎塚-須軽谷八幡神社-初声町高円坊-上宮田諏訪神社-(津久井浜駅)
【浦賀】
 今日の起点は浦賀。西叶神社では夏詣での飾りつけの最中でした。


  浦賀道
 浦賀道は、江戸時代に幕府と浦賀奉行所を結ぶ重要な連絡路でした。波戸幕府寛政十二年(一八〇〇)に五街道の測量図を作成し、その中に「浦賀道見取絵図」が含まれています。
 絵図では東海道戸塚宿から鎌倉・葉山・池上を通り、大津矢の津坂越えて浦賀に至ります。東岸のルートは、保土ケ谷宿から金沢町屋を経て武蔵と相模の国境(追浜)を過ぎると峠越えや尾根道が続き一三峠など相当な難路でした。金沢からは陸路より早くて楽な船便がよく利用されたといいます。
 幕末期、ペリーの黒船来航の際は大勢の武士や見物人がこの浦賀道を通ったといわれています。
浦賀行政センター市民協議事業・浦賀探報くらぶ


  浦賀の蔵
 浦賀は干鰯を始め多くの品物を全国に売りさばく町として賑わい、今でも東西の浦賀に残っている十五棟前後ま倉に昔の名残を見ることができます。倉は大切なものを盗難や火災から守るもので、壁の厚みが一尺ほどあり、耐火建物として様々な工夫がされています。
 浦賀には江戸後期に造られた漆喰塗り土蔵と幕末・明治期に造られた石蔵が混在しています。
 土蔵は漆喰の外壁が関東大震災で被害を受けたため周囲にトタンを巻いており、外からでし分りにくくなっています、
 石蔵は比較的そのままの形が現在も残されております。
浦賀行政センター市民協議事業・浦賀探報くらぶ


【三島社】武1丁目33-13


  三島社由緒書
創立年月は火災等のため不詳、明治六年六月村社(祭神大山祇命(おおやまつみのみこと))に列せられ昭和八年無格社神明社(祭神大日孁貴命(おおひるめむちのみこと))を合併本殿に合祀、昭和十八年三月無格社走湯神社(祭神天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと))及び同吾妻社(祭神弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと))を合併し本殿に合祀する。創立は古文書によれば相当古く昭和十三年一月二十二日火災のため焼失、昭和十六年三月二十五日新築現在に及ぶ。なお、境内の森は三浦半島でも珍しくホソバカナワラビ-スダジイ群集の林分として重要である。
 平成元年十一月吉日
    武氏子会
【注】原文では「ホンバカナワラビ」と誤記されている。


神奈川県指定天然記念物
     三島社の社叢林
          平成四年(一九九二年)二月十四日指定
 三島神社参道の左側には、アカガシ、スダジイ、モチノキが混生した常緑広葉樹林が発達しています。この林の高木層は二十メートルを越え、中には胸高直径四十八センチのアカガシの老木や、神奈川県では比較的珍しいツクバネガシも混生しています。しかし、高木層の植被率は六十%とやや疎開しています。亜高木層にはカクレミノ、ヤブツバキ、モチノキ、スダジイ、タブノキ、ヤブニッケイは混生し、高木層の空間を被い、植被率も七十%を占めています。低木宗には高木層、亜高木層の種群に加え、シロタモ、ヒサカキ、アオキ、クロガネモチ、トベラなどの常緑樹や、イヌビワ、ムラサキシキブなどの落葉樹が混生しています。また、林床には上層の常緑樹の芽生えも見られます。
 神社北側にもスダジイをはじめモチノキ、クロガネモチ、アカガシが混生した常緑広葉樹林が見られます。ここには胸高直径七十五センチのスダジイの大木もあり、高木層が二十五メートルを越える樹林を形成しています。林床にはホソバカナワラビ、コバノカナワラビなどのシダ植物が見られます。今日では、これらシダ植物の生育する多様性に富んだ常緑広葉樹林は、三浦半島でも貴重な存在となっています。
 三島社の社叢林は、三浦半島に残された限られた郷土林として学術的にも貴重です。
 平成二七年八月三一日 横須賀市教育委員会


【須軽谷八幡神社】


   須軽谷八幡神社(すがるやはちまんじんじゃ)由緒
御祭神
 主祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)応神天皇(おうじんてんのう)
 合祀神 天照皇大神(あまてらすおおかみ)【神明社】 大山咋尊(おおやまくいのみこと)【日枝神社】
     須佐之男尊(すさのおのみこと)【八坂神社】
御由緒
 当社は正保三年(一六四六)に京都の石清水八幡宮を勧請したと伝えられています。
明治四十二年(一九〇九)に須軽谷字寉郷(あざつるごう)の神明社、須軽谷字天王ケ谷(あざてんのうがや)の八坂神社、須軽谷字大谷(あざおおたに)の日枝神社を合祀し、須軽谷の氏神様として氏子の皆様に崇敬されています。
年中行事
 祈年祭 三月十五日 八雲祭 七月二十八日 例祭・新嘗祭 十月二十六日
現在は、三月十五日、七月二十八日、十月二十六日に近い土日のいずれかで行われています。
御神徳 主御祭神である誉田別尊は古くから「厄除開運」、また源氏一族から篤い崇敬があることから「勝運」の御利益があるといわれています。
合祀神である須佐之男尊は、「厄病退散」の神として古くから崇敬されており、江戸時代に須軽谷村で疫病が流行り多くの人々の命が失われた際に、須佐之男尊の像を彫刻し祈願したところ疫病が治まったと伝えられています。
このことから須佐之男尊は、「疫病退散」「病気平癒」「無病息災」「身体健全」の御利益があるといわれています。
          須軽谷 八幡神社 宮司 菊池



【参考】
 西叶神社(西浦賀1丁目1-13)
 浦賀の石蔵(西浦賀2丁目13)
 吉岡稲荷(西浦賀2丁目13)
 太刀花稲荷(久比里1丁目2-7)
 (しっ)こすり坂開鑿記念碑
 武山不動道標(野比1丁目39-17)
 四ッ田稲荷(長沢6丁目2589)
 (武)稲荷社(武1丁目13)
 ブルーベリー Cyanococcus spp.
 庚申塔群(武1丁目14)
 庚申塔群(武1丁目29-19)
 石塔群(林3丁目434-44)
 庚申塔群(須軽谷)
 庚申塔群(初声町高円坊1667)
 庚申塔群(初声町高円坊)
 上宮田諏訪神社
 庚申塔群(南下浦町上宮田463-3)
 ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva var. kwanso(船越)
 ハマオモト Crinum asiaticum(浜見台)

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